第12話 理由はただ一つだけ
「お前には、いくつか聞いておきたいことがある」
そう口を開いたのは、上司である本居だ。斗真は彼へ視線を向けると、黙したまま続きを待つ。こちらから口を開く気はなかった。
というのも、斗真の関心は全て、隣室へ向けられていたからだ。
ここは取調室の横にある、小さな部屋。取調室には、先ほど確保した被疑者と佐伯がいる。このあと香織が入室する予定だが、未だその姿は見えない。
この世界に、マジックミラーは存在しない。隣室で取調室内を確認するには、呪術の使用が必要だ。
それもあり、斗真の目の前には水を張った盆が置かれている。隣室の映像が映し出された盆に、彼の意識は集中していた。
「櫻井君と、知り合いだったそうだな。いつからの出会いだ?」
「師団長がそんなことを聞くとは、明日は雨ですかね?」
冗談交じりにそう返すと、本居の眉間に皺が寄る。どうやら、本当に気にかかっているようだ。手慰みの雑談というわけではないらしい。
さて、その真意は一体どこにあるものか。
「香織ちゃんとは、保育園からの付き合いです。年齢としては、4歳からですかね」
「4歳、随分幼い頃からの関係だな」
幼馴染というやつか、そう呟く本居に、斗真は声も出さず笑った。どこか苦しさの伴う笑みは、誰の目にも触れることなく、静かに消える。
幼馴染、そんな簡単に割り切れる関係であるものか、斗真は心の中で吐き捨てた。
それほど簡単に割り切れたのなら、自分はこうして、胸をかきむしるような痛みを抱えていない。
いずれ別れることになる、それを知っていて、香織へ手を伸ばした。自分は別の世界の人間。ずっと一緒にいることなど出来ぬと、はじめから知っていた。
いつか香織を泣かせるだろう。何も言わず姿を消す自分を、恨むかもしれない。薄情だと、罵られる覚悟はできていた。
それでもなお、手を伸ばさずにはいられなかった。意志の強い瞳に魅せられたあの日、自分はたった一つの恋に身を焦がした。
薄情な己を見て、何も言わなかった彼女。罵られることすらない。それがこんなに苦しいことだなんて、知らなかった。
「入ってきたようだな」
本居の言葉に、意識を盆の中へ戻す。
そこには、再会したときと同じ、黒いパンツスーツに身を包む彼女の姿があった。美しい黒髪は、綺麗に一本で纏められている。
派手なメイクも華美な衣装もない。それでも美しく見えるのは、造形だけでなく、彼女のもつ雰囲気ゆえだ。凛とした花のように真っ直ぐに。そんな姿こそが彼女の魅力だった。
椅子を引き、被疑者の前に座る。彼女はゆっくりとその顔に笑みを浮かべた。
「担当の櫻井と申します。よろしくお願い致しますね」
穏やかに笑う姿は、取調室にいるとは思えない姿だった。優しそうな女性、一見するとそう見える。相対する被疑者も、驚いたのか目を丸めている。
「先ほどは手荒にしてしまいましたね。怪我のないよう配慮したつもりですが、お怪我はありませんか? 床にはガラスが散っていたでしょう。手は傷ついていませんか?」
「あ、あぁ……、特に怪我はしてねぇよ」
「そうですか、それは良かった!」
私としても、怪我をさせたくはないのです。そう言ってほっとしたように笑う姿は、花が綻ぶようだ。被疑者も毒牙を抜かれ、戸惑っているように見える。
「実は私、帝都に来たばかりなんですよ。ここは凄いですね! お店が沢山あって。人の往来も多いですし、さすが都って感じがしませんか?」
「……」
「それで気持ちも上向いて、ついお店を冷やかしてしまいました。ほら、こういうところってお値段がその……、高いでしょう? ちょっとお財布も心配だったんですよねぇ」
ぽんぽん変えるお金があれば良かったんですけど、そう言って困ったように笑う姿は、軍人にも警察官にも見えない。どこか親しみやすさのある姿に、被疑者がゆっくりと口を開いた。
「……なんだ嬢ちゃん、お前、田舎から出てきたのか」
「帝都出身ではないですね。結構遠いところから来たので。だから見るもの全てが新鮮で! あなたは帝都のご出身ですか?」
「いや、出身は黄昏だ。帝都周辺に出入りするようになったのは、ここ数年のことだな」
「そうなんですか! でも数年前からいらっしゃるなら、私より断然先輩ですね。おすすめのお店とかあります?」
美味しいご飯屋さんとか! 明るい笑顔で言う彼女に、被疑者の口元に笑みが浮かんだ。彼女の言葉に気を良くしたのだろうか、自身が気に入っている店の名前をいくつかあげる。
それを聞き、彼女は相槌を打った。ときにはその店のおすすめメニューを尋ねるなど、和やかに会話をしている。
盆の隅へ視線を向けると、困惑する佐伯の顔が見えた。彼女が本題へ入らないことに戸惑っているようだ。
「さすが先輩ですねぇ。美味しそうなお店ばかりじゃないですか! お酒なんかも詳しいんですか?」
「当然だ! 男なら、酒の一つや二つ語れなきゃなんねぇよ」
「お酒詳しい人って凄いですよね。知識が豊富というか! あのお店にも、一押しのお酒とか置いてあるんですか?」
「あぁ、あそこは店主のこだわりが強くてな。例え有名な銘柄でも、気に入ったやつしか置かねえのさ」
あそこじゃなきゃ見つからない酒もあるんだぜ? そういう男に、香織は感心したように頷く。「それは通いたくなりますね」と彼女が言うと、男は気分よく頷いた。
「でも、そうすると結構お高いんじゃありません? たまにびっくりするほど高いお酒とかあるじゃないですか。胃に消えるのにこの値段!? みたいな。安月給じゃ手が出せないんですよね」
「ははっ! 嬢ちゃんにはちと難しいかもなぁ。金稼ぎが出来なきゃ、いいもんは口にできねぇってことだ」
「あー……耳の痛いお話ですね。でも、それほど美味しいものを口にできるなんて、相当お仕事が順調なんですね。今日も美味しいもの探しですか?」
「気に入りの物を買って帰る予定だったんだがなぁ……予想外に金が入らなくてな」
男の顔が苦く歪む。香織はすかさず口を開いた。続く言葉に、男はすぐに相好を崩す。
「でも当たり前のように買いに来られるなんて、相当お仕事上手ですね! 商才に恵まれているんでしょうか」
「俺くらいになるとなぁ、鼻が利くんだよ。売れるモノには目がないからな!」
「子どもとか?」
「呪術が使えるならな! ……って、」
その言葉を最後に、空気が凍る。先ほどまでの和やかな会話は断ち切られ、室内に緊張感が漂った。
香織の顔に浮かべられていた笑みは消え、ただ静かに男を見据える。その瞳に温度はなく、全てを見透かすような鋭さだけが残されている。
「あの現場で、おっしゃっていましたね。『わざわざ買ってやったっていうのに』、と。あの少年も、売り物でしょうか。高値で売りさばくために、購入したと?」
男の顔が次第に青褪めていく。自身の失言を悟ったのだろう。水面越しでも分かるほどに動揺している。同室にいる、香織や佐伯は一層感じ取っているはずだ。
「少年の身体には、無数の傷跡がありました。あの現場でできた傷だけとは、到底思えない。どちらにせよ、あなたは傷害罪の現行犯として取り押さえています。
彼が生きていて、良かったですね。傷害致死では、より重い罪を背負うところでした」
香織はゆっくりと両手を組み、机に肘をつく。口元はうっすらと弧を描いていた。
「とはいえ、人身売買は一層重い罪だ。それに問われる覚悟は、おありですね?」
その言葉に、男が椅子から立ち上がる。手は未だ縛られており、香織へ手を伸ばすことはできない。
しかし、足で蹴られればたまったものではない。佐伯も同じように考えていたのだろう。すぐに男の元へ駆け寄り、大人しくするよう制止をかけた。
佐伯に肩を掴まれ、男は罵詈雑言を飛ばしながらも席に着く。香織はそれを、何も言わずに眺めていた。
その表情に動きはなく、薄い笑みを貼り付けたままだ。
「……恐ろしいほどに優秀だな、彼女は」
本居の声に、盆から顔を上げる。斗真が顔を上げると、本居と視線がぶつかった。その顔は真剣そのものだ。先ほど香織について問いかけてきた顔と、同じ表情をしている。
「お前には、聞きたいことがあると言ったな?」
「えぇ、おっしゃってましたね」
先ほどの質問だけじゃ足りないんですかー? 茶化して聞くと、本居は軽く手を上げて制止する。
これは本気だ。斗真は両肩を竦め、背もたれに寄りかかった。こうなってしまっては、いかに誤魔化そうとしても無意味だ。自身の上司は、本気で気にかかることは決して見過ごしてくれない。
諦めて本居へ視線を投げると、彼は静かに口を開いた。
「正義感の強さ、物事を適切に判断する冷静さ、彼女は勇士として素晴らしい適正がある。霊力だけでなく、だ。だからこそ、疑問が残る。
蔵内、お前はなぜ、彼女を召喚しようとしなかった?」
そう、斗真は香織を召喚する気などなかった。彼にとって、香織の召喚は
責めるような問いかけに、斗真は口角を引き上げる。笑みを作るのは口元だけだ。瞳は少しも笑っていない。到底上司に見せる表情ではないと、彼自身理解している。
「逆に聞きますがね。
――愛した人を、死地へ送りたいと思いますか?」
その問いかけに、答える声はない。
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