第11話 初めての命令


 青褪める斗真の姿に、香織は思考を切り替える。

 このままでは面倒なことになる。それだけは察知していた。こうなったら勢いで押し切るしかないだろう。斗真が口をはさまぬよう、香織は速やかに口火を切った。


 「ご苦労様です。そこに倒れている男が、少年に暴力をふるっていました。割れた一升瓶で殴ろうとしている姿を確認しています。

 なお、男は少年を買ったという趣旨の供述をしています。余罪も含め、捜査が必要かと。

 佐伯さん、被疑者確保をお願い致します」

 「え!? あ、はい!」


 怒涛の情報共有と依頼を受け、佐伯は慌てたように男へ近づく。そして、店外に控える部下へと引き渡した。既に縄で拘束しているため、連行は容易だろう。


 「さて、改めて確認させて欲しい。手当は終わっているけれど、他に痛いところはないかな?」

 「……大丈夫、です」

 「それは何より」


 香織は少年へ視線を向け、容態を確認する。か細い声で返事を返した少年は、表情が乏しい。瞳もどこか暗い色をしている。子どもらしさのない姿に胸が苦しくなった。そうなってしまうほどに、辛い環境下にいたのかと。

 どこまで踏み込んで良いものか、そう悩みつつ、香織は当たり障りのない言葉を返した。


 「……香織ちゃん」


 低い、斗真の呼ぶ声が聞こえる。あぁ、これは怒っているな、と嫌でも感じられる声だ。


 しかし、今それを発揮されては困る。ここには、暴力の被害にあっていた未成年者がいるのだ。男性の怒る姿を見せるわけにはいかない。


 そして、彼が怒っているのは私情だ。幼馴染が危険な場所に首を突っ込んだ、そういった類のもの。今は勤務時間中の彼が、そんなことで感情を乱されては困る。ここは事件現場なのだから。


 「蔵内隊長。被疑者の取り調べは?」


 故意に使った呼び名に、香織の思考を読み取ったのだろう。一瞬鋭い目で香織を見るも、すぐに髪をぐしゃりとかき混ぜた。

 小さくため息を吐き、顔を上げる。その表情には、冷静さが戻っていた。


 「君の報告を聞く限り、余罪が疑われる。取り調べは慎重に行わせるつもりだ。場合によっては、俺が担当する」

 「そうですか、それなら安心ですね」


 香織がにっこりと微笑みを浮かべる。それを見て、彼はうぐっと息を飲んだ。

 おそらく、香織の思考が読めたのだろう。彼女が見せる笑顔には、適当な真似するなよ、という圧力がある。


 黙ったままやり取りを見ていた少年は、ぽかんと口を開けている。突然助けられたかと思えば、よく分からないやり取りをする大人がいるのだ。その反応も無理はないだろう。


 「とりあえず、君には少し話を聞かせてもらいたいな。私とおしゃべりしてくれるかな?」


 香織が優しく尋ねると、少年は戸惑いながらも頷いた。本来ならば、保護者への連絡が必要だ。何も知らなければ、ご両親に連絡させてほしいと言っていただろう。


 しかし、先ほど女性から聞いた話が頭をよぎる。子どもを売る親がいる。もし彼の親がそのタイプならば、連絡したところで意味はないだろう。

 何より、人身売買の片棒を担いだ人間だ。捕まえる前に下手な情報は流せない。


 「ありがとう。それじゃあ、ここを出ようか」


 香織は少年へ手を差し伸べる。少年の視線は、何度も彼女の手と顔を往復した。自分のために差し出された手、それが認識できないのだろうか。「一緒に行こう?」、そう言って香織が微笑むと、少年はぼろぼろな手をそっと差し出した。







 「で? お前たちは櫻井君が確保した被疑者の取り調べすら満足にできないと?」


 冷えた声が室内に響き渡る。なんだかなぁ、と香織は内心でため息を吐いた。

 項垂れているのは男二人。斗真と佐伯だ。


 軍施設へ戻ってきたあと、佐伯は取り調べ、斗真は本居へ報告に向かった。

 香織は医務室に向かったため別行動だ。少年には簡単な手当をしていたが、香織は素人。せっかくここまで足を運んだのだからと、プロに診てもらうことにした。

 

 医師に手当をしてもらい、さて次はどこに行くべきかと考えていたときだ。医務室に本居が現れた。香織と少年を一瞥すると、彼は静かに室内へと入ってきた。


 少年が怖がらないようにという配慮か。床に膝をつけ目線を合わすと、少年へ話し出した。「お話をしたいから、別の部屋へ移動しても良いか」そう問いかける本居に、少年は静かに頷いた。

 

 本居が用意した部屋には、ジュースとお菓子が用意されていた。少年の緊張がほぐれるようにという気遣いだ。


 とはいえ、相手は暴力を受けていた子ども。いきなり手は伸ばせないだろうと、まずは香織がお菓子に手を伸ばす。美味しいから一緒に食べよう、そう言って笑いかけると、少年もおずおずと手を伸ばした。


 では話を始めるか、そんな空気になったところを、先の二名がぶち壊した。佐伯と斗真が泣きついてきたのだ。被疑者が何も喋らない、と。

 少年の前で説教するわけにもいかず、一度離席することになった。



 そんな経緯を経て、現在に至る。

 本居の額には、くっきりと青筋が浮かんでいる。さもありなん、と香織は心の中で呟いた。

 対して、斗真は何やら項垂れている。口からは愚痴がこぼれていた。


 「そうは言いますけどね、師団長。そもそも俺らは軍人! 警察が機能していないから俺たちに仕事が回っているだけで、本来犯罪捜査は警察の仕事じゃないですか。取り調べの専門は向こうでしょ」


 そうごねる斗真に、本居は口元をひくつかせる。怒鳴らないだけ冷静だなぁ、と香織は観察に徹する。正直、下手に口を挟むと面倒くさそうなので、黙っていたいのだ。


 「ほう? お前は櫻井君に、自分が取り調べを担当すると言い切ったのではなかったか? 何の自信もなく見栄を張ったと?」

 「な、なんでそれを!?」


 慌てて香織へ視線を向ける斗真に、彼女は冷めた目線を向ける。本居が知っているのは、単純に香織からも経緯を報告したからだ。医務室から移動する際に話をしている。


 その上で、取り調べを斗真達が担当することも伝えていた。だから自分は少年の事情聴取に回ります、という旨まで報告済みである。


 「お前が被疑者の取り調べを担当するから、彼女が被害者の事情聴取を担当してくれているんだろう! 分からないはずがあるか!」


 ついに怒鳴りつける本居を見て、香織は無言でエールを送る。この人、本当に苦労してきたんだろうな。そんな思いが彼女の胸中に湧きあがった。


 「うぅ……」


 斗真がしょんぼりと肩を落とす。香織を見る目は、捨てられた子犬のようだった。自業自得だろう、と香織は黙って切り捨てる。仕事をしろ、仕事を。


 「本居師団長、その……本当に困ってしまったんです。被疑者は全く口を開かなくて……」


 おずおずと佐伯が口にすると、本居の視線が鋭くなった。ひいっ、と怯えたような声を上げる姿は、とても頼りない。こんなので大丈夫かと、香織はすでに呆れ気味だ。


 「口を開かないから仕方ない、などと言うつもりではないだろうな……?」

 「も、もちろんです!!」


 こくこくと頷きながら佐伯が答える。首振り人形のような動きだ。盛大なため息を吐く本居の顔は、疲労の色が濃い。

 あまりに酷い現状に、さすがの香織も重い口を開けた。


 「そんなに酷い状況なら、代わりましょうか? 証言を引き出せるとまでは、約束できませんけれど」


 香織の言葉に、全員の視線が彼女に集中する。斗真と佐伯の顔は驚愕に染まっていた。


 「か、香織ちゃん!? どうしたの、急に!?」

 「勇士様がお強いのは分かりましたが、取り調べまでお任せするわけには……! 経験がないと大変でしょうし」

 「私は元々、警察官ですが」


 香織の言葉に、二人は目を丸める。

 佐伯の反応は致し方ない。香織とまともに話すのは今日が初めてだ。昨日同席していなかった以上、元の世界での職業など知る由もない。

 しかし、斗真は別だ。昨日職業についても話をしていた。すっかり頭から抜けていたのだろうか。何故か佐伯同様に驚きを露わにしている。


 「そ、そうだった。昨日、警察官だって言ってたっけ……」

 「忘れるの早すぎない?」

 「いや、意外というか……。あれ? あんまり意外でもないな?」


 元から正義感は強かったね、と一人考え込む斗真をよそに、香織は本居へ視線を向ける。今は目の前の問題を解決する方が先だ。


 本居も香織へ視線を向けていた。視線は当然のごとく絡み合う。しばし互いに見つめ合うと、彼は小さく笑みを浮かべた。降参だ、ため息混じりに呟いた。


 「まだこの世界に来たばかりの君に、捜査をさせるのは酷だと思ったが……君はとうに覚悟を決めているらしい」


 眉間の皺を解き、仕方がないという風に笑う。その姿はほんの一瞬で、すぐに表情が引き締められた。この切り替えの早さは、上に立つ者が持つべきスキルなのかもしれない。

 香織も自然と表情を引き締め、命令が下るのを待つ。


 「櫻井君、君に被疑者の取り調べを命じる。既に失敗しているのが二名いるからな、できる範囲でかまわない。


 ――君に、期待している」

 「尽力いたします」


 では、後ほど取調室で。そう言い残し、香織は踵を返す。まず向かうべきは取調室ではない。自室だ。


 何よりも優先すべきは事件解決。そのためならば、できる準備は全てしなければ。

 その思いのままに、香織は歩を進めた。

 

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