第9話 この世界を知るために
大正ロマンを思わせる街並み。和洋入り乱れる建築に、どこか懐かしさのある石畳。その様をゆっくりと眺めながら、香織は人の波を泳いでいた。
召喚という一大イベントから一夜明け、今日は自由時間をもらっていた。本居たちは、香織や少女の受け入れ準備に大忙しのようだ。当然のように斗真も駆り出されている。突然降ってきた休暇に、香織は街へ出ることを決めた。
召喚という突然の展開に頭が混乱していたが、香織自身、ここが本当に異世界なのか今一信用できずにいた。可笑しな場所にいる、それは分かる。
しかし、知った顔もあれば言葉も通じる。ここが異世界ですと言われても、俄かには信じがたかった。そんな気持ちでいたために、まずは現地を見て回ろうと考えたのだ。
幸い、帝都の中は軍人が治安維持のため見回っているため、そう危険なこともないだろう。もとより香織は警察官だ。呪術という特殊なものを除けば、身を守る手段だってある。籠っていても何も始まらない。ともかく現地調査は必須だと、街へ足を運んだ。
「あ、あのお姉ちゃん変な服着てる!」
「こら、一郎! 何を言ってるんだい!」
すみませんうちの子が、そう言って頭を下げる女性に、気にしないでくださいと笑いかける。こちらでは女性のスーツ姿は珍しいのかもしれない。ましてやパンツスタイルだ。余計目立つのかもしれないな、と香織は思考する。
周囲を見ると、着物や袴姿の女性が多く見受けられる。洋服姿の女性たちもちらほら見かけるが、レトロ感のある愛らしいワンピースなどが多い。この中で上下黒のスーツは浮くな、と香織は苦笑を浮かべた。
まずは洋服でも見に行こうか、そんな気持ちで周囲をぐるりと見渡す。お金については、既に一定額支給されていた。元の世界のお金が使えない以上、香織は無一文のようなものだ。有難く受け取っておいた。そのため、懐には余裕がある。
あれこれと視線を巡らせていると、5軒ほど先にオレンジ色の外壁が見えた。何だか可愛らしいお店だ。行ってみようかと足を向ける。
着いた先にあったのは、桜堂という名の可愛らしいブティックだ。自分の趣味に合うかは分からないが、洋服を探している身には持って来いの場所。香織は少し尻込みつつも、静かに硝子戸を開いた。
「ごめんくださーい」
遠慮がちに声をかけながら、扉を押し開ける。重ための扉は、両手でなければ少し開けづらい造りだ。か弱い女性なら力いっぱい開けないとダメだろうな、と香織はぼんやりと考える。
中を覗きこむと、そこには可愛らしい女性が一人立っていた。栗色の髪に、赤みがかった茶色の瞳。髪は右側にまとめ、大きな三つ編みをしている。
この店の従業員だろうか。香織の声に驚いたように振り返ると、一瞬目を丸くした。
「洋服を見に来たのですが、入ってもよろしいですか?」
中にいる女性が固まってしまったため、おずおずと口を開く。香織は客の立場。営業中の看板も出ていたし、わざわざこんな風に聞く必要もないのだが。いらっしゃいませの掛け声もなく、固まられてしまっては何とも入りづらい。
そんな理由で丁寧に女性へ問いかけたのだが、香織の言葉を聞くと女性は花が綻ぶような笑顔で笑った。
「もちろんですっ! いらっしゃいませ! どれでもお好きなだけご覧ください!」
先ほどまでとは一転、元気よく女性が口を開く。それにほっとして、香織は店内へ足を踏み入れた。
どうやらこの店は、外観どおり洋服がメインのようだ。和服だと自分で着られない可能性が高く、都合がいい。
並べられた洋服は、どれもとても可愛らしかった。それこそ、あの神子の少女が好みそうなデザインだ。普段着ることのないデザインに、香織はどこか落ち着かない気持ちで洋服を眺めていた。
「何かお探しですか? ご希望などございましたら、ご協力できるかもしれません」
そう言って笑う女性に、香織は申し訳なく思いながらも口を開いた。
「その、どれも可愛らしいのですが、私にはあまり似合わないような気がして……」
「え!? そんなことございませんよ! お客様はとても綺麗なお顔立ちですもの!」
お人形様のようですね、と笑う彼女に、世辞だと分かっていても照れてしまう。香織は恥ずかしそうにしながらも礼を告げた。
「もし大人しいデザインがお好みならば、こちらはいかがでしょうか。フリルはついていますが、色味が深く、落ち着いた印象になるかと思いますよ」
女性が取り出したのは二枚の洋服だ。一枚目は詰襟の白いブラウス。柄や目立つ飾りはなく、とてもシンプルだ。首回りに少しばかりのフリルがあり、それがアクセントになっている。
二枚目は、えんじ色のロングスカートだ。Aラインのスカートになっており、飾り気はない。その分形や素材にこだわったのだろうか。シンプルだからこそ、誤魔化しはきかないもの。間違いなく上等だと分かるそれを、香織は一目で気に入った。
「これ、可愛いですね! シンプルだし、飽きの来ないデザインです。ブラウスもスカートも、とても素敵。こちらをいただけますか?」
「もちろんです! 気に入っていただけたなら嬉しいです。すぐにお包みしますね」
「あ、できればそれは着て帰りたいんです。今の恰好は目立ってしまって」
苦笑いで告げる香織に、女性はきょとんと目を瞬いた。香織のスーツ姿を見て得心がいったのか、すぐに微笑んで頷いてくれた。
「ではすぐに着替えられるよう準備しますね。それならば、他にもご入用の物はございますか? 当店にあるものならばすぐにお出ししますよ」
「ありがたいです。洋服が何着か必要でして。お出しいただいたような落ち着いたデザインがあれば、見せてもらえますか?」
「かしこまりました!」
笑顔の女性に連れられて、店奥にある更衣室へ案内される。購入を決めた二点を手渡され、まずは着替えることにした。女性はその間に他の商品を見てくれるようで、それを楽しみにしながら香織は新しい服へ袖を通す。
上質なブラウスは、肌触りがとてもよい。いつも仕事で着ているシャツとは大違いだ。どうせ消耗品だからと安いものを買っていたが、こうして比べてみると違いが良くわかる。
スカートも同様に、とても履き心地が良かった。縫製がいいのだろう。吊るされているときと変わりなく、美しいラインを保っている。いつもはタイトスカートばかりだが、Aラインのスカートも良いものだ。少しばかり可愛らしさのあるデザインに、香織は口元を綻ばせた。
「お客様、お着替えはお済みになりましたか?」
「あ、はい! 終わりました」
女性からの声掛けに、香織は慌てて返事を返す。カーテンを開けると、女性は一瞬息を飲んだ。
そして、感極まったかのように、女性の瞳にじわりと涙が浮かび上がってくる。
「え、どうかしましたか?」
可笑しいところでもあったかと、自分の恰好を確認する。そんな香織に、女性は「違うんです」と言うと、そっと目元の涙を拭きとった。
「私、このお店を開いて二月ほど経つのですが、未だに一着も売れたことがないんです。初めてお客様が自分の服を着てくれる姿を見て、涙が……
すみません、みっともないところをお見せして」
何とか笑顔を作ろうとする女性に、香織は静かに首を振った。気にしなくていいと告げると、女性の瞳は涙で滲んでいく。
「若い女が作った服なんて、見向きもされませんでした。それなのに、こんなに美しく着てくれるお客様に出会えるなんて。本当に、感謝しかありません」
「それはあなたが素晴らしい洋服を作っているからです。おかげで私も、こんなに素敵な洋服に出会えました」
ありがとうございます、そう言って香織が笑うと、女性も涙に濡れた瞳で微笑んだ。
他にも何点か見繕ってもらい、店を後にする。女性は香織の姿が見えなくなるまで、店の入口で見送ってくれた。
いい買い物ができたな、と上機嫌で街を進む。足元には買ったばかりのブーツ。編み上げのショートブーツは、足取りまで軽くしてくれるようだ。
ご機嫌で街を歩く香織の耳に、突然、何かが倒れるような音が届く。続いて聞こえた悲鳴に、香織の足は完全に止まった。
訝し気に音の方へ視線を向けると、何やら人だかりが見える。問題が起きているのは、建物の中のようだ。
せっかくいい気分だったのに、最悪だ。そんな苦い気持ちを抱えながら、香織は一歩足を踏み出す。
事件現場は、目と鼻の先だ。
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