第8話 見て見ぬふりをして


 「適正者を見極めるためにこちらの世界へ送られた、ですか?」


 どくり、と心臓が嫌な音を立てる。聞かない方がいいのではないか、そんな不安を煽る音だ。一度耳にした言葉を無視することもできず、香織は重い口をこじ開けた。


 「そうだ。神子と勇士それに適する人間を呼べなければ、我が国に待つのは死だけだ。少しでも成功率を上げる必要があった。そのために送り込まれたのが、蔵内とその母君だ」


 斗真が母親と共に送られたのは、彼が3歳の頃だそうだ。母親は優秀な術師で、主に精神へ干渉する術を得意とするらしい。それを用いて、違和感なく香織の住む町に溶け込んだのだとか。

 

 斗真は、蔵内家の中でも優れた才を持って生まれたらしい。次期当主は間違いなく彼になると目されているようだ。それだけの才、活かさぬことは罪であるとばかりに、異世界へと送り出された。その結果が、香織と斗真の出会い。そして、こうして実現した召喚だ。


 「適正者を探すためというのは分かりました。

 しかし、それは一体どういった方法ですか? 斗真の知り合った人間の中から選ぶのでしょうか?」

 「いや、それは違う。蔵内が把握しなければならなかったのは、誰を召喚するかではない。どういった人間ならば神子と勇士に相応しいかという、性質判断だ」


 性質判断。その言葉に、香織は眉を寄せる。どういう事かと無言で促すと、本居は心得たように口を開いた。


 「誰かを指定して召喚するのはリスクが高かった。蔵内がこちらの世界へ帰還するのが、あいつが15歳の頃。実際に適正者を召喚するのは、それより10年は先の話だ。

 仮に誰かを指定した場合、10年の間にその者が亡くなっている可能性もある」


 事故や病など、命を落とす可能性を0にはできないだろう? そう問いかける本居に、香織は静かに頷いた。かつてより平均寿命が延びたとはいえ、あくまで平均。不慮の事故等で命を落とす人はいる。病も同様だ。


 「そのため、誰かを指定するのではなく、を把握する必要があった。神子と勇士に必要な能力があり、我が国の現状を知った上で力になってくれる、そんな相手を」


 それは、随分と難しい基準に思える。神子と勇士に必要な能力については、香織には分からない。まだ説明を受けていないからだ。

 しかし、後者に関しては言えることがある。この国の現状を知りながら力になってくれる相手、そんな者はそう簡単に見つからないということだ。


 いきなり知らない世界に連れてこられ、素直に協力できる者がどれほどいるだろうか。元の世界へ帰れないと言われれば、渋々協力する者もいるだろう。

 だがそれは、快く協力するという意味ではない。親身になってくれるかは不明だし、下手をすれば互いを憎しみ合う結果すら生み出しかねない。


 それを避け、素直に協力してくれる者。斗真は何をもって、それを判断したのだろうか。香織の背中に冷や汗が滲んだ。


 「ちなみに、神子と勇士に必要な能力とは、具体的にどういったものでしょうか」


 香織の問いかけを聞き、本居は紫煙を吐き出した。既に半分ほどの長さとなった煙草は、細い煙を空へと昇らせている。


 「絶対的に必要なのは、相応の霊力があるかどうかだ」

 「霊力?」


 聞きなれない単語に、香織は眉を顰める。この世界に来てからというもの、馴染みのない言葉をよく耳にする。これもまさにその類だ。現代日本であれば、オカルトというに相応しい言葉。


 「呪術を行使するに辺り、術者が必ず使う力だ。霊力を用い、術式を組み、術を放つ。端的に言うと、呪術にはこのプロセスが必要だ。

 当然、術者は霊力を有している必要がある。神子や勇士にも必要な能力だ」


 香織はそっと自分の手のひらを見つめる。霊力、そんなものがあるようには思えないのだ。今日に至るまで、身の回りで不可思議なことが起きた例はない。


 「その、本当に霊力? が私にあるのでしょうか。今まで私は、幽霊とかそう言った類を見たことがないのですが……」


 訝し気に問う香織に、本居はくすりと笑った。「それはまた別の話だ」そう言って、彼は指で煙草を揺らす。はらりと灰が舞い落ちた。


 「霊力があれば幽霊が見えるわけではない。幽霊程度では、目の良い者でなければ見ることはできない。

 霊視と言えば良いか。形のないものを見ることに長ける、そういった目の持ち主でなければ、まず見ることはできないのだ」


 それは、香織にとって驚くべき話だった。

 香織の中では、霊力持ち=幽霊が見える、そんな方程式が出来上がっていた。霊力にも色々あるのだろうか、彼女は内心首を捻った。


 「実際のところ、霊力は大なり小なりほとんどの人間が持っている。

 ただ、術者になれるかというと、それ相応の霊力量が必要になるのだ。その点、君は十分にクリアしている」


 自身に相応の霊力量があると言われ、香織は驚きを露わにする。今までそれを感じたことはなかった。現代科学に囲まれた生活をしていた身、実感がないのも無理からぬ話だ。


 「むしろ、不安なのは神子の方だな。彼女は霊力量が少々心もとない。術者になれないほどではないが、この先大変なことも多いだろう。それを乗り切れるかは些か不安が残る」


 こちらがお連れした身、支援はさせてもらうが。そう口にすると、本居はため息を吐いた。

 神子とは、廊下で出会った少女のことだ。どうやら彼女は霊力量が少ないらしい。香織には分からないが、本居は霊力量が判別できるようだ。それゆえに、不安を覚えているのだろう。


 「後天的に霊力を上げることはできないのですか?」

 「ある程度ならば上げることは可能だ。ただ、それ相応の修業が必要になる。彼女がそれに耐えられるのかは、定かでないな」


 その言葉に、香織は少女の姿を思い浮かべた。

 愛らしい恰好に、庇護欲をそそる姿。荒事とは無縁なように思える。そんな彼女が、本当に修行という厳しいものに耐えられるのか。そう言われると、どうにも厳しいように思えた。


 「可愛らしいお嬢さんですからね。もしかしたら、最初は厳しいかもしれません。本人にやる気はあるようですから、それが上手く機能すればよいのですが」


 そう言う香織に、本居はおや、と片眉を上げる。どうやら香織が少女と遭遇したことを知らなかったようだ。


 「君はもう彼女に会ったことがあるのか」

 「えぇ、今日の夕刻に。お洒落が好きな、可愛い子でしたよ。自分が学生だった頃を思い出しますね」

 「君も彼女のような恰好を?」

 「いえ、私はレースとかそういったものはあまり。けれど、お洒落に興味があったのは同じです。系統こそ違えど、洋服やアクセサリーなど、楽しんで見ていました」


 香織の友人の中には、少女と似たような趣味の子もいた。ファッションは趣味がものを言う世界、本人が好きならそれが一番。趣味は違えど、仲のいい友人だった。

 香織は、ひらりとしたスカートよりタイトスカートを好むタイプだ。細身のパンツも好んで履いていた。雰囲気の違う服装で、並んで歩くのも楽しいものだ。自分が着ない服が沢山見られると、香織も友人もお互いの服を楽しみにしていた。


 好む種類は少女と異なるが、お洒落が好きという点では同じだ。香織がそう告げると、本居は納得したように頷いた。


 「なるほど。確かに女性はお洒落を好む方が多いからな。

 しかし、軍属になればそれも難しい。彼女のモチベーションを保てればいいが」


 本居は苦い表情を浮かべながら、再度煙草に口をつける。

 その姿に、香織は苦笑いを浮かべるしかなかった。彼の心配が手に取るように分かるからだ。


 軍属ともなれば、危険なことが多い身。身体に傷を作ることもあるだろう。今までのようにお洒落に時間をかけることもできまい。少なくとも、少女が好む服装をする機会は大幅に減るはずだ。


 その点、警察官の身だしなみは厳しく、とてもシンプルだ。香織としては、お洒落ができないことに違和感はない。


 しかし、少女はどうだろうか。香織へ地味と言い放った彼女だ。おそらく最初は不満を漏らすことだろう。


 「まぁ仕方ないでしょう。彼女自身が選択したことですからね。私も異世界から来た身として協力しますが、最後は自分自身の心一つ。彼女がそれに気づき、動いてくれることに期待しましょう」


 香織の言葉に、「そうだな」と言うと、本居は煙草の火を消した。灰皿に吸い殻を収め、ぐっと伸びをする。バキバキと音を鳴らす身体に、どちらともなく苦笑が漏れた。

 お疲れのようですね、という香織の言葉に、本居はバツが悪そうに頷いた。


 「それでは、俺は戻るとしよう。君もあまり遅くならないように」

 「はい、本居さんもご自愛くださいね」


 香織の声を背に、本居は屋上入口へと向かう。扉までほんの一メートルという距離に差し掛かった頃、香織はおもむろに彼へ問いかけた。


 「そういえば、世界の行き来、できるんですね」


 その言葉に、足音が止まる。先ほどまでの和やかな空気は霧散した。

 今ここにあるのは、痛いほどの静寂と肌を指す夜風だけだ。


 ずっと気づいていて、それでも口に出せなかったこと。香織は、これを問いかける相手はこの男しかいないと思っていた。斗真ではすんなりと答えてくれないだろう。その確信があったからだ。


 張り詰める空気に、小さく吐息が漏れる音がする。香織は振り返って本居を見るが、彼がこちらを見ることはなかった。


 「莫大なエネルギーが必要だが、行き来はできる。俺が返せる言葉はこれだけだ」

 「十分です。感謝します、本居さん」


 香織の返答を背に、今度こそ本居は屋上を後にする。おやすみなさい、という香織の声に、彼はひらりと手を振った。


 屋上の柵へ寄りかかり、空を見上げる。人口の灯りがない空は漆黒のように暗く、星々の輝きが一層際立っている。

 香織はその姿勢のまま、静かに瞼を閉じた。思い浮かべるのは、太陽のような男のことだ。


 「馬鹿だなぁ」


 瞼の裏、遥か昔に見た金色の輝きは、今も鮮明な色彩で描かれている。

 

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