第6話 両極端な初対面
「あーもう、絶対頭にコブ出来てるよ! 香織ちゃん、俺の頭無事!?」
「元から無事じゃないでしょ。大丈夫」
「あ、そっかー、ってならないよ!?」
それ元から俺の頭がヤバいってこと!? と騒ぐ斗真を尻目に、香織はため息を吐いた。
現在二人がいるのは、呪術師団の寮内。男女で区画は分かれているが、建物自体は同じだ。現在部屋の用意をしてくれているらしく、香織は斗真に共有部の案内をしてもらっていた。
騒ぎ立てる斗真の姿は目立つようで、廊下を行き交う人々が振り返る。その視線を鬱陶しく思いながらも、香織は先を急いでいた。
「香織ちゃん? 香織ちゃーん? 何でそんなに急いでるの? 急がなくたって、今日で必要な場所の案内は終わるよ?」
斗真は不思議そうに首を傾げて問いかける。そんな姿に、香織はちらりと視線を向けるも、すぐに前へと向き直った。
香織の心境は、未だ複雑だった。いきなり異世界とやらに召喚されたことも、蒸発した元彼が目の前にいることも。そして、自身の恋が終わってしまったことも。
何もかもが一瞬で判明してしまい、心が疲れていたのだ。真剣に頭を悩ませることも、嘆くこともできやしない。それがまた、香織の悩みになっているという無限ループだ。
「こういうことは早く終わらせた方がいいでしょ。斗真も、その方が早く戻れるんだし」
ただ前を見てそう零す香織に、斗真の表情は見えない。ただ、小さなため息が香織の耳を打った。続けて聞こえてきた声は、何だか不満そうな色をしている。
「別に早く戻れる必要はないよ?」
「何言ってんだ社会人、仕事しろ」
冷たく切り捨てる香織に、斗真は不貞腐れた声を出す。それを無視し、足早に廊下を進んだ。
今の時間は17時半。本来であれば、彼もまだ業務時間中だろう。ならば早く戻ってもらった方がいい。
一人になれば、悩むことも落ち込むこともできるのだから。香織はこぼれそうになるため息をぐっと飲み込んだ。
「次はここ、食堂だ。夕食は17時には食べられるよ。非番のヤツもいるし、定時より前に食べられるようになってる。定時が18時で、それ以降はめちゃめちゃ混むから気を付けてね」
21時までは食べられるんだよー、と言う斗真に、香織は感心したように頷いた。食堂があるのなら、食事については準備しなくて済む。基本は住み込みとなる身、大分楽ができそうだ。
「あ、蔵内さんじゃないか! もう仕事は終わりかい? まだ定時じゃないだろう」
「あぁ、おばちゃん」
ひょこり、とキッチンから顔を出したのは、50代くらいの女性だ。エプロンと三角巾を身につけ、手にはお玉を持っていた。こちらで調理の担当をしているのだろう。
女性の目が香織へ向けられる。すると、途端に明るい顔で声をかけてきた。
「まぁ! 綺麗なお嬢さんだねぇ。蔵内さん、どこでこんな良い子捕まえてきたんだい?」
「ふふーん、いいでしょ。この子は香織ちゃん。今日から呪術師団の一員だよ。もし困っていたら声かけてあげてね」
「あぁ、もちろん。お嬢さん、香織っていうのかい? 綺麗な名前だ。名は体を表すとは言うけれど、良く似合う名前だねぇ」
にこにこと笑みを浮かべる女性に、香織は照れくさそうに笑う。
もう社会人、お嬢さんだなんて可愛く呼んでもらえる時期は過ぎてしまった。職場では若い方ではあるものの、毎年新人が入ってくる。若さというブランドは、そちらにお鉢が回るのだ。こうしてお嬢さんと呼ばれることなど、とんと無くなった。だからだろうか、香織は少し気恥ずかしさを覚えた。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。
櫻井香織と申します。これからお世話になります」
そう言って一礼する香織を、女性は微笑ましそうに見つめている。そして穏やかに言葉を続けた。
「綺麗な女の子はいいものだね。場が明るくなる。
私は
キヨの明るい笑顔に、香織もつられて笑顔を浮かべた。彼女の笑顔は、人に安心感を与えるようだ。こわばっていた身体も、少し弛緩する。
多くのことが起こり過ぎて、香織の頭は絶え間なく働き続けていた。そんな緊張状態を和らげてくれる、優しい笑みだった。
挨拶を終えた香織は、斗真に連れられ食堂を後にした。書庫や大浴場などを確認し、残すは自身に用意される部屋だけとなったのが18時半のこと。
食事に行こうか、という斗真に頷き食堂へ戻ろうとすると、背後から明るい声がかかった。
「あ! 蔵内さん! やっと見つけたぁ!!」
そう言って駆け寄ってきたのは、茶色い髪をしたロングヘアーの少女だ。歳は17歳頃か。ピンク色のワンピースを身に纏っている。ふわりとしたワンピースはレースがふんだんにつけられており、甘いデザインをしていた。
顔はしっかりとメイクが施され、瞳にはカラーコンタクトが入れられている。黒く大きな瞳は庇護欲を誘うようだった。口元には、ピンク色のグロスが塗られている。お洒落に興味のある年頃らしく、こだわりがあるようだ。
「もうっ! なんで
「さっきも言ったと思うけど、俺の担当は君の召喚だけ。面倒を見るのは俺の仕事じゃないから」
余所あたってくれる? そう告げる斗真の表情は恐ろしく冷たい。見たことのない表情に、香織は胸にひやりとした恐怖が浮かんだ。
告げられた少女も恐ろしかったのだろう。じわりと瞳に涙が浮かんでいる。
未成年の泣きそうな姿に、さすがに香織も黙っていられなかった。
元はと言えば、勝手に召喚したのはこの世界の人間だ。事情があったとはいえ、無下に扱うのも違うだろう。他に世話役がついていることは読み取れたが、最初に会った人間に縋りたくなる気持ちは理解できる。この世界に来たばかりの少女に、不安がないはずがない。
「……斗真、さすがにもうちょっと言い方を……」
そう口を開いた香織に斗真はぎくりと肩を揺らすが、こちらを見ることはなかった。そっぽを向き、分かりやすく不貞腐れている。これは聞き入れる気はないな、と彼女は盛大にため息を吐いた。
どうしたものか、そう思案していると、少女の瞳が香織へ向けられた。その視線は鋭く、何か嫌なものを見たかのような顔をしている。
「えっと……」
「……あんた誰?」
何故このような視線を向けられるのか、そう悩みながら声をかけようとするも、少女によって遮られた。吐き出された声は低く、冷たい響きをしている。
少女の姿に、香織は目を瞬いた。変わりように驚いてしまったのである。先ほどまでの庇護欲のある姿はなりを潜め、こちらを警戒するかのように睨み付けていた。
そんな二人の間に、腕がすっと通される。斗真の腕だ。
驚いて香織が彼を見上げると、その表情には一切の感情が浮かんでいなかった。
「彼女は君と同じく召喚された勇士だ。無礼な振る舞いは辞めてくれ」
「私と同じく……? 勇士って、男の人じゃなかったんですかぁ?」
きゅるん、と瞳を輝かせて問う姿は、小動物のような仕草だった。ころころと変わる仕草に、香織は目を回しそうになる。彼女の側に、この手のタイプの友人はいなかった。
職場も同様だ。血なまぐさい課に配属されたこともあり、気の強い者ばかりだった。女性らしいか弱さをかなぐり捨てて、香織も職務にあたっていた。
元より、香織は可愛らしい性格の持ち主ではなかったのだが、一先ず置いておくとしよう。
「まぁ、その予定だったけど。色々あって彼女が召喚された。適正も高く、優れた人だよ。彼女が勇士なのは間違いない」
「ふーん、そうなんですかぁ……」
斗真の言葉に、お前が間違えたせいだろと言いたくなるが、ぐっとこらえる。ここは自分が口を開くべきではないと、香織は口を閉ざした。
そんな彼女を、少女は値踏みするように見据える。顔から身体、隅々まで見られることに、香織は何とも言えない気まずさを覚えた。
「まぁ、蔵内さんが言うなら分かりました。たしかに、お姉さんには向いているかもしれませんね!
髪型も地味だし、服も地味。ネイルはしてないし、ファッションとか興味なさそう。仕事一筋、ってやつですかぁ? それだけ仕事に夢中なら、勇士のお仕事もちゃんとしてくれますよね!」
にっこり笑って言われた言葉に、香織は衝撃で固まった。傷ついた、というよりも、凄いこと言うなという感心すらあった。
確かに、香織の格好は地味だ。髪型は黒髪で、一本に束ねている。これは、職務の都合上だ。香織の髪は長いため、邪魔にならないよう一括りにしている。被疑者確保の際に、髪が邪魔をするなどあってはならない。
また、服装についても同様だ。着ているのは真っ白のシャツに黒のスーツ。飾り気などなく、動きやすさ重視だ。履いているのもスカートではなくパンツスーツ。可愛らしさは皆無である。そもそも、仕事に可愛らしさは必要ないし、求めたこともなかった。
そのため、彼女の発言に傷つくこともなかったのだ。お洒落ならプライベートにすればいい。わざわざ職務中にする必要なんてない。そう思っていたからこそ、少女の発言に少々驚いてしまった。
一般企業で勤める人の中には、毎日お洒落な格好で出勤する人もいる。その姿に羨む子も多いだろう。香織とて女だ。その気持ちが全く分からないわけではない。少女はお洒落にこだわりがあるようだし、なおさらだろう。
そういう人から見れば、自身の格好は物足りなさを覚えるだろう。香織が内心で納得していると、隣から低い声が響いた。
「地味……? 香織ちゃんが……?
君みたいに派手な格好をしなくても、十分綺麗だから必要ないだけでしょ。自分の価値観を押しつけるのはやめてくれる? すっげー不愉快なんだけど?」
「ちょっ……! 斗真!?」
お前何言ってるんだ!? と慌てて彼の顔を見る。その表情は怒っている風でもない。言うなれば、完全な無だ。声や言葉を聞く限り、不快ではあるのだろう。それが顔に一切表れておらず、かえって恐怖を煽る。
「はぁー、本当に無理。俺君みたいな子、嫌いなんだよね。早く
それだけ告げると、斗真は香織の手を掴み、廊下を後にする。香織が慌てて少女の方へ振り返ると、彼女は茫然とその場に立ち尽くしていた。
斗真が自分のために怒ってくれたこと、それは香織も分かっている。少女の言葉が初対面の相手に言うには失礼だったのも事実。ここで斗真に強く言いすぎるのもどうかとは思うが、少女のことも気がかりだった。
「斗真……怒ってくれるのは嬉しいけど、あれは……」
さすがに言い過ぎでは? と香織が口にしようとするが、その先は声にならなかった。
ぐっ、と強い力で握られた手に、制止されたのだ。
見上げた顔は、酷く不快そうな表情をしていた。
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