第5話 交渉のち鉄槌
「帰れないよ」
静まり返った部屋に、斗真の回答が落とされる。あっさりとしたその答えに、香織は一瞬、反応が出来なかった。
帰れない、至極当然のように返された言葉だが、可笑しくないだろうか。間違いで呼ばれたに過ぎない身で、なぜこんな目に合わねばならないのか。
その上、間違いを犯した当人の表情に申し訳なさそうな気配はない。先ほど二人の時は謝っていたが、上司の前だから格好でもつけているのだろうか。そこまで考え、香織の導線に火がついた。
「はぁあ?」
聞き返す声に、怒りが込められる。今日一低い声を発したのでは、と言えるくらいにはドスの効いた声をしていた。斗真の返答に目を丸めていた本居は、香織の声にびくりと肩を揺らす。彼女は怒りのままに斗真を睨みつけた。
「帰れない? 勝手に呼んでおいて? 私が頼んだわけでもないのに? その上、間違いで召喚したとか言ってなかった?
あんた、まず先に言うことがあるんじゃない?」
「うん、ごめん。それについては本当に申し訳ないと思ってる」
すみませんでした! と頭を下げる斗真に、舌打ちをする。社会人としてあるまじき姿だと分かっているが、香織は態度を改める気はなかった。
そもそも、本当に非常識なのはどちらだ。香織は苛立つ気持ちのまま、腕を組む。
本来であれば、同意のない連れ去りは誘拐だ。異世界の人間を裁くのは難しいが、香織の認識ではれっきとした犯罪である。その上、香織は業務時間内に被害にあった。公務執行妨害もいいところだ。
例えどれだけ好いた相手でも、許せないことはある。失恋したことで判定が厳しくなっているとかそういう問題ではない。ないったらない。
志望動機が何であれ、香織は警察官。犯罪行為を容認するわけにはいかない。
「私と同じく、召喚された神子がいるとおっしゃっていましたね。その方の同意は取れているのですか?」
「それはもちろん! 協力してくれると返事はもらってる!」
がばり、と顔を上げて答える斗真に、香織は視線を向ける。彼女の目の冷たさに、斗真はうぐっ、と息を詰まらせた。
「その子の年齢は?」
「……17歳です」
「未成年者は親権を持つ保護者の監督下にあると、ご存知ない?」
遠まわしにお前は馬鹿か、と問う香織に、斗真の身体が机へ沈んだ。うぅ、と言葉にならない声を上げるも、特に反論はないようだ。
そのまま本居へ視線を向けると、彼は青い顔で香織を見つめている。
「君の……いえ、あなたのご指摘はもっともです。本来、我らのしたことは許されることではありません」
肩を落とし、そう告げる本居をじっと見据える。香織としては、謝罪されたからといってどうするわけでもないのだ。
世界が違うのならば、日本国の法律で裁くなどできない。異世界の人間を裁くなど、法は想定していないのだから。世界間を行き来でき、かつそれが認知されているのならば話は別だが。
しかし、現実はそうではない。存在すら信じられていない異世界。その人間が自国の民を誘拐したと聞いて、信じる者などいないだろう。行き来すらできない以上、自国へ連れ帰って裁きを下すこともできない。
結局のところ、香織がしているのは罪の認識をさせること、ただそれだけだ。この世界には、この世界の法がある。裁きを下す組織もあるだろう。そこに介入などできやしないのだから、苦言を呈する以外にできることはない。
「そうですね。私もそう思います。我が国で裁くことが可能なら、裁きにかけるべき内容でしょう。
けれど、それは現実的ではありません。あなた方にも事情がおありなのでしょう。だからと言って全てを肯定することはできませんが、ここに来てしまった以上、咎めてもどうにもならないのは分かる」
香織は静かに瞼を閉じる。思考の中には様々な思いが巡っていた。
なぜか巻き込まれた召喚、帰れない祖国、同じく召喚された未成年者。そして、民が不可解に死に至るこの国。
本来であれば、自分の失恋に嘆きたいところだが、そうも言っていられない。自分一人この国の事情に巻き込まれたならまだ良かった。
だが、実際には我が国の未成年者が巻き込まれている。当人は協力する気でいるようだが、不審死が相次ぐ状況下に一人突き出すわけにはいかない。
「……分かりました。あなたたちに協力しましょう」
「っ、本当ですか!?」
「ただし、条件付きですが」
ぴっ、と指を立てて言う香織に、本居はごくりと喉を鳴らす。それ以外の変化は見られない。大きな動揺などは見て取れなかった。人生経験がものを言うのか、そう言われることを予想していたのかは定かではない。
「もちろん。こちらは協力を願う立場ですから。私どもで叶えられることならば何なりと」
そう告げる彼の顔に、嘘はなかった。真っすぐに香織へ視線を向け、その瞳には揺らぎ一つ見当たらない。
ここで揺らぐようであれば、香織はあっさりとこの男を見限っただろう。身一つで放り出された世界、相手は誘拐犯の一味だ。事情があるとはいえ、こちらにも思うところはある。
信用ならぬ相手なら手を打たなければ、そう思っていただけに、これは幸運だった。
「それは心強い。そのお言葉に甘えるとしましょう」
にっこりと笑みを浮かべ、両手を打つ。パン、という乾いた音は室内によく響いた。
「第一に、私と神子として呼ばれた子の身元保証をお願い致します。私たちに自身を証明するものはありません。この世界で生きる限り、それは必須です。手配をお願いできますね?」
「もちろんだ。戸籍や身分証明書についてはこちらで作成する」
本居の言葉に、香織は微笑みながら頷いた。最低限の身元保証ができるのはありがたい。放り出された際に身分証がないと本当に困ることになる。
また、いつまで彼らが親身にしてくれるか不明な現状。“この世界で生きる限り”という条件は必要だった。
「ありがとうございます。次に、私たちの生活の保証です。
身一つで来てしまった以上、金銭を稼ぐ必要があります。そちらに協力するということであれば、当然それに見合う手当はいただけますね?」
「あぁ、そちらも問題はない。こちらが召喚している以上、君たちの生活面の保証は我らの義務でもある」
「それを聞いてほっといたしました。ちなみに、具体的には?」
「我が呪術師団に配属という形にさせていただく。そうすれば身元保証も給与額も申し分ないはずだ。君たちは特殊な力を有しているため召喚された。その分の手当もつけよう」
呪術師団に配属ということは、いわば公務員になるわけだ。下手な人間に雇われるよりは生活の安定が望めるだろう。その上召喚されたゆえの特別手当もつくようだ。悪くない条件といえる。
惜しむらくは軍属という危険極まりない立場だが、どちらにせよ軍への協力が必要だ。ここは飲むしかないか、と香織は心の中でため息をついた。
「かしこまりました。では、最後に一つ。
住居の手配をお願い致します。軍属と言えど、帰るべき場所は必要でしょう。寮生活が必須という条件はありますか?」
「いや、特にはないが……安全のため、寮生活をお願いしたいところではある」
「なるほど。それは一理ありますね。
しかし、寮生活される方も、休暇等に帰る家はあるでしょう? 帰る場所があるかどうか、それは気持ちの安定に大きな違いがございます。何も豪邸である必要はありません。私たちが給与で払える範囲の物件をいただきたい」
香織の言葉に、本居は顎に手を当てて口を噤む。どうやら考え込んでいるようだ。
この都は、物件の空きが少ないのだろうか。民の数が減少しているのであれば、嫌な話、土地は余っているだろうに。
「住居か。それ自体は問題ない。だが、実際に手配しようとなると、数日は待ってほしい。物件探しと、内見も必要だろう?」
「はい、それについては多少の時間は致し方ないかと。内見しなければ良し悪しも分かりませんし」
「分かった。それならば早急に進めさせて、」
「ちょっと待ってください!」
二人の会話を遮るように声を上げたのは斗真だ。ピン、と腕を上げ挙手のポーズまでしている。そんな斗真を、香織は胡乱気な瞳で見つめる。本居も同様に、何を言い出すのかと斗真へ視線を向けた。
「……蔵内、何を言う気だ? 場合によっては処罰も辞さんぞ」
「え!? そこまで言います!? というか、そんなおかしなこと言いませんから!!」
失礼だなーもう! という斗真に、本居は手で目を覆い、宙を仰いだ。普段の行いを振り返れ馬鹿者、と恨み節が聞こえてくる。日頃の苦労が目に浮かぶようなその姿に、香織も呆れたような表情を顔に浮かべた。
「……とりあえず、聞いてやろう。言いたいことはなんだ?」
絞り出すような声で問う本居は、左手で胃の辺りを押さえている。胃痛持ちだろうか。香織の本居を見る目がどんどんと生暖かくなっていく。相当苦労しているのだろう、そう思えば同情の一つや二つしたくなるものだ。
「簡単なことですよ! 香織ちゃんの家ならもうあります! 俺の家に来れば解決でしょ?」
ほら簡単! と言って斗真はその顔に笑顔を浮かべる。その派手な風貌も相まって、太陽のごとく輝く笑みだった。
――数拍の後、拳が二つ飛び出したのは言うまでもない。
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