第4話 この国の異変
「瘴気に閉ざされている、というのは?」
香織は斗真へ視線を向ける。霧に閉ざされているというのならばまだ分かる。だが、そうではない。瘴気という、オカルトチックな言葉が飛び出してきたのだ。
これが10代の若者ならば、発想力豊かに考えられたのかもしれない。ゲームやアニメなどの知識を用いて理解しようと努力しただろう。
しかし、香織はもう20代半ばだ。社会人として歩き始め、数年が経つ。ファンタジーのような不可思議な事象は起こり得ないと知っている。
日々仕事に明け暮れ、家と職場を行き来する毎日。日常で見つけるちょっとした不思議を楽しめるくらいには、ファンタジーが作り物だと実感できる歳だ。そんな彼女からすれば、異世界や瘴気という言葉は遠い存在だった。
「言葉のとおりだよ。瘴気は人体に影響を及ぼす。それが国を覆っているせいで、他国へ行くことも他国から人が来ることもできないんだ。
海外から人が来ない以上、西暦がこの国で普及することもなかったってわけ」
西暦が日本で使われるようになったのは、明治時代のことだ。その前にも考え方は入っていたが、宗教弾圧とともに歴史の陰に消えた。花々しく舞い戻ったのは、文明が花開く頃。明治時代まで待たねばならなかった。
少なくとも、この世界は江戸時代末期には瘴気に覆われていたのだろう。あくまでも似て非なる世界のため、日本の歴史と比較する意味があるかは不明だが。
「人体に影響がある、ね。国内ではその瘴気とやらの影響はないの?」
「いや、残念ながらそうではない。だからこそ、君を召喚したと言える」
ぎしり、と鳴るソファーの音が耳に届く。それが口火を切る合図となった。
「瘴気の影響、これは国内でも深刻だ。特に、100年に一度起こる厄災が最たるものだ」
「厄災、ですか?」
「あぁ。瘴気が地上に蔓延し、人々の間で不審死が頻発する。この地図を見てくれ」
とん、と指で示したのは先ほど見た日本地図もどきだ。
「我が国の名は、
一つの地域とは、ここ帝都だ。帝がおられる都であり、巡国一栄えている場所だ」
地図上でみると、帝都は関東及び中部地方にあたる。都というには随分広い地域に思うが、地図上にはそのように記載されている。
「一番北にあるのが
日本でいう北海道の位置だ。寒いというのも納得である。香織は行ったことがないが、冬が厳しい地域であることは知っている。日本人で寒い地域と言われれば、自然と名前を上げる場所だ。
「そのすぐ下にあるのが
東雲の国は東北地方、黄昏の国は関西・中国・四国地方を指す。残るはあと一カ国だ。
「最後が
そう言って指さされたのは、九州・沖縄地方だ。
こうしてみると、列島の形だけでなく気候も日本とよく似ているのが分かる。
「君は先ほど、国の数が合わないという話しをしていたが、覚えているか?」
尋ねる本居に、香織は静かに頷いた。
日本には現時点で47都道県がある。歴史を紐解けば各地域を国と呼んでいた時代があったが、ここまで数は少なくなかった。香織がこの地図を見て真っ先に違和感を覚えた点だ。
「数が合わないのも無理はない。国として成り立たなくなったんだ」
「……成り立たなくなった?」
怪訝な顔で繰り返す香織を、本居はじっと見つめる。その瞳には、どこか焦りのようなものが浮かんでいた。
「国というのは、
室内に沈黙が落ちる。
国の成立要件は、主に三つだ。領土、国民、主権である。他の要件を掲げるものもあるが、香織が中学生の頃に習ったのはこの三つだった。
中でもわかりやすいのが領土と国民の二つだろうか。領土があろうとも、国民がいなければ国が成り立たない。逆もまたしかりだ。つまり、何が言いたいのかというと、
「民がいない……国の数が減少するほどに、民が死に絶えたということですか?」
国として成り立たなくなった。本居はそう告げていた。国が存在しなかったのではない。存在し得なくなったのだと。
土地があっても、そこに暮らす民がいなければ国として成り立つはずがない。多くの小国が滅びていく中、土地だけが残った国に吸収されたのか。
「そういうことだ。かつては、我が国も多くの国があった。しかし、厄災により人が死に、国としての滅びを迎える小国が後を絶たなかった。
現時点では四つの国が残っているものの、これがいつまで保てるのかは定かではない」
それはそうだろう。現時点の人口は不明だが、数十カ国が滅んでいるのだ。悠長に構えている暇などないはず。
100年に一度の厄災。一定の期間が空くにせよ、これだけの数の国が潰えたのだ。被害のほどは推して知るべし。
「それは……凄まじいものですね」
現代日本では到底考えられないことだ。
人を多く死に至らしめるものがあるとすれば、感染症だろうか。それでも、これほどの被害が生じるとは思えない。戦争となれば未知数ではあるが、この国で起きているのは国内での不審死だ。それは考慮から外すべきだと、香織は思考を戻した。
「甚大な被害が生じているからこそ、何らかの一手を打たなければならなかった。その一手が、先ほどおっしゃっていた召喚、ですか?」
正直なところ、ここが一番分からない。召喚とは何なのか。どういった原理で行われるのか。そして、何故自分だったのか。香織の脳内でぐるぐると疑問が駆け巡る。
「そうだ。瘴気を払うため、今まで数多くの呪術師が実験を行ったがどれも不発。中には実験の最中に死んだ者もいた。
そんな中、ある
「
「不明瞭な言葉ではあったが、これをかつての術師は異なる世界のことと考えた。そこから適正者を他の世界より召喚するための試みが始まったのだ。
そうして今回、勇士として呼ばれたのが君だ。櫻井殿」
香織は眉根を寄せ、本居を見る。何故自分なのか、その疑問は未だ解消されていないからだ。
そもそも、斗真は召喚当時「間違えた」と言っていた。本来自分ではない人間を呼ぶ予定だったということだ。だというのに、何故自分が勇士として遇されるのか。それが香織の一番の疑問だった。
「彼は私を見て、間違えたと言っていました。本来は私とは別の人間を呼ぶはずだったのでは? そうであれば、私には務まらないかと思いますが」
「確かに、蔵内が別の人間を呼ぶつもりだったのは事実のようだ。何故間違えるに至ったのかは、私には分からないが……しかし、君に勇士としての適性があるのは間違いない」
そうだな? と本居が斗真へ問いかける。斗真は一瞬唇を噛み締めるも、ため息と共に頷いた。
「間違いありませんよ。香織ちゃんは勇士の適正がある。……あり過ぎるほどに」
小さな声で付け足された言葉は、投げ捨てるかのような響きをしていた。
斗真としては香織の召喚は本意ではなかったのだろう。彼の声が、表情が、それを証明していた。
「という訳だ。君からすれば突然の話だろうが、力を貸してほしい。本来であれば、我々で成さねばならぬことは百も承知だ。
けれど、我々には他に方法がない。君を支えるためならば出来得る限りの支援を約束しよう。
どうか、君の力を貸してもらえないだろうか」
深く腰を折り、頭を下げる。自分よりも20近く違う女に頭を下げるその姿は、香織の胸を打つものがあった。
大人になり、男性社会で生きてきた。社会人生活の中で、自分に頭を下げるものなどまず見なかった。社会人としては未熟といえる香織が頭を下げることはある。だが、その逆はない。
責任ある地位にいる人間が頭を下げること。その重みくらい、香織とて理解している。
「一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
香織の言葉に、本居が顔を上げた。その表情は固い。おそらく、何を聞かれるのかと身構えているのだろう。
断られては困る、そんな感情が透けてみえるようだ。国の一大事とあってはそれも仕方ないだろう。
けれど、香織にとっては自分の人生に関わる話だ。おいそれと頷けはしない。何よりもまず、明確にしなければならないことがある。
「私は、帰れるのですか」
静まり返った部屋に放たれた一言。それに反応したのは本居ではなく、斗真だった。
彼は香織を見つめ、ゆっくりと目を細めた。
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