第3話 辿り着いたその場所は


 「……何をしている」


 沈黙が支配する室内に、呆れたような声が落とされる。

 固まっていた身体は、拘束が解かれたかのように勢いよく背もたれに寄りかかった。


 冷えた斗真の手が離れる。その瞬間、彼の瞳が迷子の子どものように揺らいだ。遠ざかる彼女を惜しむかのように、彼の指がぴくりと動く。


 「確かに彼女の相手をするようにとは言ったが、口説けとは言っていない。お前の女癖の悪さは知っているが、程々にしろ」

 「ちょ、本居もとおり師団長! 何言ってくれてるんですか!? あることないこと言うのやめてもらえません!?」

 「あることしか言っていないが?」


 お前の痴情のもつれに何度迷惑をかけられたと思っている、と冷えた声で言う本居に、斗真が反論をする。その後も色々と言い返していたが、香織の耳にはまともに入ってこなかった。


 女癖が悪い。思っていた以上に、この言葉は彼女の胸を抉った。

 数年間離れていたのだ。知らない部分や変わった部分は当然あるだろう。でも、これは香織が一番聞きたくなかった部類だ。


 華やかな外見に、若くして大佐となる能力。それはモテることだろう。どの時代、どの世界だって共通することだ。

 

 香織は声もなく、自嘲の笑みをこぼす。

 そして、思うのだ。


 自分が思っていたように、相手も思ってくれているかもなんて、どうしてそんな不確かな希望を抱けたのだろう。

 自分はずっと初恋を引きずってこの歳になり、斗真は元カノというカテゴリーに自分を入れて新たな出会いを楽しんでいた。会えもしない相手ならそれが普通だろうに、と。


 香織は手のひらへ視線を落とす。その手は固く、女性らしいたおやかな手とはかけ離れていた。

 警察官という職業柄、護身術や逮捕術など身体はきっちり鍛えている。その手に拳銃を握ることもある。美しい白い手など、望むことすら無意味だ。


 その上、自分には可愛げもない、と彼女は嘲るように呟いた。

 白馬の王子様を待つ少女のように、彼女が斗真を待つことはなかった。最初からそんな選択肢などなかったのだ。見つからないから探しに行く。誰に言われるまでもなく、彼女自身が決めたことだった。夢見る少女ではいられなかった。


 「大丈夫ですよ、本居さん。私には関係ありませんし、気にしていませんから。

 それより、お話の続きをさせてもらえませんか?」


 気にしていない、なんて真っ赤な嘘だ。

でも、そう自分に言い聞かせなければ、香織は溢れ出る感情そのままに泣き出してしまうだろう。


 ――あぁ、もっと恋をしていれば良かった。そうすれば、ここまで初恋を引きずって惨めな思いをしなくて良かったのに


 香織の脳裏に浮かぶのは、そんな後悔ばかりだった。


 「っ、香織ちゃ、」

 「分かりました。では、話を続けましょう」

 

 斗真の声を遮り、本居が席に着く。斗真の隣に座ると、彼は香織へ視線を向けた。その瞳に他意はなく、彼女をただ静かに見つめている。


 本居の姿勢は、今の香織にとって何よりありがたいものだった。同情されれば、やるせなさに怒りが込み上げるだろう。心配されれば、苦しみを吐露してしまう。


 自身の感情を抑えられないこと、それは今の香織にとって何よりの恐怖だ。

恋の終わりを知った今、彼女を立たせているのは、惨めなところを見せたくないというプライドだけなのだから。

 

 「今回、あなたがこちらにいらっしゃるのは、我らが適正者の召喚を行ったからです」

 「適正者?」

 「はい。神子と勇士の適正者を、一名ずつ召喚いたしました。それは、我が国を救うためです」


 国を救う。その言葉に、香織の意識はスイッチを入れるかのごとく切り替わる。

 彼女は警察官だ。国のため、ひいては民のために仕える公僕である。国の一大事という状況においては、他に意識を向けている場合ではない。


 「国を救う、ですか。随分と大業なことになっているようですね」

 「おっしゃるとおり。我が国はもう、長いことのです」


 閉ざされている、その言葉に香織は首を傾げた。

 国が閉ざされると聞いて思い浮かぶのは、かつての鎖国だろうか。彼女にとっては遠い昔。歴史の教科書で習うようなことだ。それが今更現代で起こるとは思えない。

 彼女のいた日本なら、であるが。


 「薄々感づかれているかとは思いますが、ここはあなたのいた世界とは異なります。正確に言えば、似て非なる世界と言いましょうか」


 本居の言葉に、香織はここに来てからのことを思い浮かべた。

 彼らの自己紹介を聞き、まず気になったのは聞き覚えのない軍の名前だ。隠された部隊というならばいざ知らず、軍そのものを知らないということはないだろう。


 また、彼らの発した呪術という言葉。これも彼女の世界ではあまり馴染みのないものだ。少なくとも、政治の世界からは遥か昔に遠ざけられた存在である。オカルト的なものとして言葉は残っているが、軍で使用される単語とは到底思えない。


 「……似て非なる世界、というのは?」


 香織の言葉に、本居は胸元から一枚の紙を取り出した。一見すると、見慣れた日本地図だった。


 「こちらが我が国の地図になります。……おそらく、見覚えがある造形ではありませんか?」

 「えぇ、確かに。姿かたちはよく似ていますね」


 描かれているのは日本地図と同じ輪郭を持つ島国だ。しかし、明確に違う点が一つある。


 「県境が明らかにおかしいですね。かつての地図と考えたとしても、数が合わない」


 そう、香織のいうとおり、そこが明確な違いだった。

 区分けされているのはわずか五つだ。北海道、東北、関東と中部、関西・中国・四国、九州と沖縄。大体にして、このくくりで日本地図が五つに区分けされている。

 そして、区分けごとについている名前は、県でも都でもない。国だ。


 「呼び方も異なりますね。かつては国と呼ぶこともありましたが、地図にまで使用されるのは令制国が行政区分として使用されていた時代のことです。現代日本地図は、都道府県に切り替えられています」

 「そのようですね。ですが、我が国においてはこの区分が通常です」

 「……なるほど。それは確かに違う世界と言えるのかもしれませんね」


 旧国名も、たった五つということはない。どのような歴史を辿ったのかは知らないが、香織が暮らす日本と異なる歩みをしたことは確かだ。


 「ちなみに、現在は西暦何年ですか?」


 本居は眉をひそめる。苛立ちや怪訝からではなさそうだ。視線がわずかに左右へ揺れた。その様子を見るに、隠したいことがあるのか、言い出しにくい内容なのかの二択だろう。


 香織は静かに本居を見つめる。返答を急かすような言葉は言わないが、沈黙でもって要求した。本居もそれが分かっているのだろう。何か言葉を探すように、口を開いては閉じるのを繰り返している。


 沈黙が破られたのは、本居でも香織の声でも無かった。


 「この国に西暦はないんだよ、香織ちゃん。閉ざされてしまったからね」


 斗真が語るその言葉には、言外に多くの意味が含まれているようだった。彼の顔には薄っすらと笑みが張り付いており、何かを嘲るような顔をしている。


 「香織ちゃんの想像する鎖国ではないんだ。あれは貿易の制限が主だろう? この国が閉ざされているのはそういう意味じゃない」


 彼の瞳に暗い影が差す。それが何を意味するのか、香織には分からない。けれど、言いようのない不安が香織の胸にじわりと染み出した。


 「物理的な遮断、この国は他国との関わりをもたないんじゃない。んだ。

 深い瘴気の霧に閉ざされ、この国から出ることもこの国へ入ることもできないからね」


 廊下の方でパタパタと足音が通り過ぎる。

 軽やかな足音は、急いでいるかのようにすぐに遠ざかっていった。


 香織はそれを聞きながら、小さく息を吐く。

 今いる場所は、自分が暮らすところから随分遠い場所にあるらしい、と。

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