かそけき夢の音
耳元で、泡の弾ける音が、する。
流し残したシャンプーの泡。
それとも、夢が弾ける音、か。
四十路を迎えた私の、夢。
他人や家族には、公言していない密やかな、夢。
誰かに理解してもらいたいなんて、幼稚地味た考えは、とうに捨てた。
独身の分際で、アルバイトの身分に甘んじていることについても、同様。
説明も言い訳もしない。余計なことを口走らなければ、余計なことを言われる必要はないし、聞かなくて済む。
私は、私。
他人は、他人。
そうやって、割り切れば、案外、放っといてくれるのである。
たまに、世話焼きたがりの年配なんかが出現するが。
あなたさぁこのままでいいのぉ? いい人いないのぉ?
過剰に心配されるので、全て、はぁ、とか、まぁ、とかを組み合わせた苦笑いで、誤摩化す。
余計なお世話、である。
アンタの人生ではない。
私の人生で、ある。放っといてよ。
と、ちょっと反抗期の子どもみたいな心境になる。
私の人生に責任を持てるのは、私だけ、なのだ。
口出ししてくる他人、ではない。
人間、いつ死ぬかなんて、わからないから。
それでなくとも、災害大国日本に暮らしていて、いつ何時大災害に襲われるかわかったものではない。
過去にも数えられないくらいの災害に見舞われているのに、被害に合った時だけで大騒ぎして、喉元過ぎれば熱さ忘れる精神ですっかり慣れて、当たり前みたいに過ごしている民。
被災地の住民は地獄を見て、それ以外の免れた地域の民たちは、最初こそがんばろう日本とか一致団結しているように見せかけて、時間が経てば変わらない日常の生温さにとっぷり浸されて、芸能ニュースと同じ感覚で他人事にしか見れなくなる。
次は自分達だなんて、危機感は、冷凍庫からどんよりした炎天下に持ち出されたアイスクリームみたいに溶けて、ベタベタした不快な甘さだけが、残る。
災害でなくても、人間はいきなり、死ぬのである。
ドラマ映画の中だけの話じゃなく、当たり前に、死ぬのである。
ある日突然、白血病にかかるかもしれないし、癌になるかもしれない。
交通事故に巻き込まれるかもしれないし、無差別殺人に合うかもしれない。
色んな死因が、ある。
だから、そう考えると、こうして生きていられること、それ自体が既に、奇跡だ。
残されたこの生を、どう使うのか。
私は、働くだけ働いて、日々の生活を維持するためにだけ使いたくなかった。
人は、働き過ぎると、個性や性格まで磨耗していくのである。
つまり、自分の人生を犠牲にしているのだと解釈している。
それなのに、働き蟻や蜂と違い、自分の働きが優秀な子孫を繋いでいく役目になっている実感はゼロに等しい。
確かに社会の歯車を回す極小の部品であるのかもしれないが、それだって、同じ働きができる部品は、世の中に無数にある。なくなったり壊れたりしたら、新たな部品で代用すればいいだけ。
自分の生活を維持するために、生活を維持するお金が要るから、それを得るためにだけ働いている感覚。
自分のため。だけど、それって本当かなって疑問を抱く。
本当に、自分の、ためなのか?
仕事は、確かに面白くはある。けれど、いつもそこ止まりだ。
結局は、人間関係や会社とのズレに、悩み苦しむ羽目になる。
私の価値観と、世間や会社の価値観は、ズレているから。
どこまでも、ズレているから。
段々磨耗して、意味のない存在価値ばかりを探し求めるようになって、人から見た自分をやたらと気にするようになって、休日も割り切って休めなくなってくる。気が、休まらなくなる。
何をしていても、もうすぐ仕事だとか、明日は仕事だとかで憂鬱になって、来週は何勤だっけとカレンダーばかりに目がいってちっとも、休めないのである。
変に偏頭痛になってみたり、便秘になってみたりと、やたら忙しい。リラックスできる方法は義務的になってしまって、なんだか、どうしても休めない。終いには寝ていても夢の中で働いていたりして、起きてから疲労が溜まっている事態となる。
いくら頑張って打ち込んでも、期待通りになんてならない仕事。
期待した結果は、得られない。
望む評価は、得られない。
なるわけない。
私と仕事の相性は最悪で、思うようになんて決していかないんだってことを、散々辛酸を舐めて、舐めて、舌が麻痺し始めてから、やっと我に返った。それが、つまり、数年前。
転職した今は、割り切って、無理しない。
気楽になると、唐突に、自己表現すべき必要性に駆られた。
今の自分が楽になれる未来を描く必要が、ある。
それが、私には、音、だった。
雑音と分類されている音。
微かな音、僅かな音、小さな音、聞き慣れた音にじっと耳を澄ます。
そして、取り出して、録音する。
それからイメージ。想像する。
他人から見たら、くだらないと失笑されるだけの、地味な作業。
無意味な、趣味。
だから、誰にも、言わない。
誰かの反応を、期待したくはない、から。
私は、誰も、なにも、求めない。
私も、誰にも、求められたく、ない。
透明人間で、いいのである。
狭い了見。
狭い心、だから。私は。
言葉の一つが、音の一つになり、その意味をつい想像してしまう。
そうせずにはいられない、性分。損な、性分。
人間から発せられる雑音は、苦手だ。
聞きたくない。
けれど、ホワイトノイズみたいだって思っとけば、なに言われても楽では、ある。
私にとっての音は、人間以外の発する音、のみ。
それ以外は、不要の音。
不快な音。
私は、仰向けに湯船に、浮かぶ。
開かれた窓には、白い真昼の月が、浮かぶ。
『人間三百六十五日、なんの心配もない日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です』
かの太宰治も、小説で言っている。
昼間から湯船に浸かりながら泡の音に耳を傾ける私は、つまり、仕合せな人間なのである。
これ以上の欲などあろうか。
願わくば、この生活が死ぬまで続いて欲しいだけ、なのである。
耳元で弾ける泡の悲鳴を聞きながら、私は、願う。
現実不可能な夢を追い掛ける人生。
十分、満足している。
いぜ不条理な死に突き落とされたとしても、ああ、私はやりたいことをやったと、後悔も未練も後腐れなく死ねるだろう。それが、肝要である。
日々の生活に圧し潰されて自殺するなんて、絶対にあっちゃいけない。
人は、夢を描くもので、あるべきだ。
透明人間の、密やかな楽しみ。
趣味。
生き甲斐。ひっそりと。
夢は、効果音職人。かっこつけた横文字で、フォーリーアーティスト。
音を拾って、ネットで公開して、欲しい人がいたら、売る。
前職で貯まった金をはたいて買った、高性能マイクと機材。
案外視聴者数は多めではないだろうかと、勝手に自負する。
世の中の人々は、意味のわからない音に、ぼんやりと浸っていたいようである。
きっと、疲労が蓄積しているのだろう。
癒しを求めてるのだろうと、推測される。
なにも考えずに、音に浸る時間は、心安らげる究極の癒し。
目を閉じて、ただ探求すればいいから。
どこまでも、どこまでも・・
私は、耳をゆっくりと水中に、沈める。
水音が流れ込み、同時に音の世界が切り替わる。
弾けた夢が、溶けていく。
そんな音が、する。
こうして、今日が流れていく。
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