囚われるほどに溺愛されていました

幻月さくや

今でも私を愛していますか

「ざまぁありませんね、アイリ様」


 そういってあおる私の姿をとても奇麗なアイリ様の瞳が映し出す。


「あなたはこのまま一生、この牢の中で死ぬまで私に養われるんです」

「カリス教の聖女がそんな言葉遣いでいいの?」

「元聖女です。セーラに引き継ぎましたから。あなたの前でだけですよ、アイリ様」


 別邸という建前の鳥籠、都市近郊にあるこの塔は過去に何度となくあった怪獣の襲来にも耐えいまだこうして存在を世界に残していた。

 以前、古代遺跡だとアイリ様から聞いたが細かいとこは正直どうでもよかった。


「リリー……」


 少しあきれたように、それでいて諭すかのような声音で話しかけてきたアイリ様。

 毎日、私が塔上部の牢の中に拵えてある領主専用の簡易湯あみ所で時間をかけて洗っている肌もふわふわと揺れる銀の髪もつややかで美しく、私を直視してくる赤茶色の瞳が私の心を鷲掴みにする。

 これで紫の瞳だったらアイリス様のおじいさまに当たるロマーニ王と同じだったろうになどほざく連中もいるがどこに目が付いてるんだといいたい。


「仕事一筋だったアイリ様にとって監獄での退屈ほどの恥辱はないですからね」

「いえ、そうでもないのだけど」

「え……そうなんですか」

「まぁ、割と」


 幼馴染になってから結構経つけど基本生真面目なこの人にこんな側面があったなんて……

 ちらりと後ろの方を見ると一緒に中に入れた猫のネペタがトイレの砂をかいているのが見えた。

 私がいないときにネペタの世話以外にも魔導の錬金を使ってこそこそと何かしてるみたいではあるけど。


「そんなアイリ様も素敵です」

「あなた……ほんと重症ね」


 幼馴染でもある同性の現領主様は全身を振わせて歓喜を抑えている私の姿を見ながらまたため息をついた。


「それであの人は今何やってるの?」

「へ? 私達以外に誰かいましたっけ?」


 今ここには牢を構成する無粋な格子を隔てた私たちだけ。

 実際には食事の出し入れの際やお体を流すとき、髪をとかすとき等には接触してるわけで……ぶっちゃけ私も中に入りたい。


「あなた本気で言ってるわね」


 そういって両手でこめかみをさするアイリ様もまた美しく絵師に書かせたいほどです。

 そんなお金はないけど。


「本気も本気……私達以外いりません」


 そういって笑顔を見せたはずの私にアイリ様はとても悲しい表情をなさいました。


「ほんっとごめんなさい」


 牢の格子をつかんだ状態でそのまま床まで座り込んでしまったアイリ様。

 お召し物が汚れてしまうわ。

 でも、そんな汚れたアイリ様も愛おしいの。


「謝らなくてもいいんですよ」


 私はついうれしくなってくるんと一回転してからまるで舞台の上の女優のように両手を広げてこう言ったんです。


「アイリ様がかけた月魔導ムーンマジック、ディープラブは今でも私の心をつかんで離しません。だから……」


 私はしゃがみこんでアイリ様に一番近い位置まで顔を寄せて聞き取れるようにはっきりとこういった。


「あなたの領地、ラルカンシェルが滅ぶのもあなたがこうやって妻の私に幽閉されるのも全部あなたが悪いんです」


 私の言葉にふっと顔を上げたアイリ様。

 もっと絶望してるかと思ったのにあまり表情に見せてくださらないのですね。

 そういう淡白なとこも愛していますけど。


「全部ぜーんぶ、愛のせいです。愛してますよ、アイリ様」


 私がもう何回言ったかも定かじゃない愛の告白を伝えるとアイリ様がまた泣きそうな顔をしました。


「私もよ、リリー」


 でしょうね。

 だからあなたは禁止されていた高ランクの月魔導を私に使ってくれた。

 そして私がこうなったことを悔いている。

 そのことだけが私はどうしても許せないんです。


「あなたはここで私に養われて朽ちて死にます。ここは私以外は一切出入りできない私達だけの塔。万が一、外で何かあって私がしんだら……」


 今私をめぐっているこの感情は恍惚?

 それとも絶望?


「アイリ様とネペタは誰にも看取られずここで餓死して死ぬんです。さいっこうですねっ!」


 そのためにあんなカスに媚ることまでやって、やっとこの人の配偶者の一人になったのだから。


「一つ聞かせて。あの人、クロッカスは本当に今どこで何をしてるの?」

「誰でしたっけ? それ」


 そう返した私に一瞬愕然としたアイリ様。


「あなたの元夫でしょう?」

「いましたね。そんなカスが」

「カスって……クロッカスでしょうが。まさかと思うけど都市ラルカンシェルの運営をあのポンコツに丸投げしてるの?」


 何を言ってるんだか、この人は。

 後半、本音が全く隠せてないけど、そんな口の悪さもアイリ様の魅力。


「当り前じゃないですか。ラルカンシェルの元住民は全員都市外に追い払いましたからね。今都市の中にいるのはあの人が連れてきた怪獣災害の被災民だけです」

「そうなるでしょうね、あの人だもの。けど領内にまだ人が居ることには変わりはないわ」


 自分の本来の領民でもないのにお優しいですね、アイリ様。

 私が生まれ育った都市の連中とは大違いです。


「都市をきちんと運営しないと赤龍機構せきりゅうきこうへの支払いが滞る。それにドラティリア近郊の都市は本国ではなく赤龍機構が管理する冒険者ギルドにマナを依存してる。今、何か問題が起きても本国からの支援はすぐには望めないわ。本国だってギリギリですもの。もしマナの供給が止められることにでもなったら、上下水どころか都市の全機能が停止してしまう。対怪獣用の防衛機構ガードシステムなしじゃ今のラルカンシェルでは半時と持たない」

「マナならもう止まりましたよ」


 私がそういうとアイリ様がぴたりと動きを止めて驚きの表情をされた。


「それ、かなりまずい状況よ」


 慌てるアイリ様も愛らしいけど私の愛はこの程度では止まらないの。


「いいじゃないですか。死のうが滅びようが。もう一度怪獣にやられりゃいいんですよ。あんな連中」

「なに……を……」


 もう楽しくてしょうがない。

 だって大切なものはここにあるのだから。


「私、アイリ様に再会したときに言いましたよね。ずっとずーーっとあなたを愛してきました。他の何をさておいてもあなたと添い遂げますって」


 そう、たとえこの命が尽きたとしてもこの人だけは逃がさない。


「たくさん人が死のうが、都市が滅びようが、国が傾こうが、世界が滅びようがそんなの知ったことじゃないです」


 絡み合う私たちの視線、愛するアイリ様の瞳の中に私が映っていた。


「全部愛のせいです。愛おしすぎるあなたが悪いんですよ、アイリ様」


 そう、これは復讐という体裁をとった私の愛。

 あのカスの妻になったのも、カリス教のつまらない信仰を広めるのが仕事の聖女なんてのをやったのもすべてはこの人との今、そして来るべき私達の来世の為。

 この世界に神はいない。

 それでもこの人とならきっとどこか別なとこでまた巡り合える、そんな気がした。


「一緒に逝きましょう、アイリ様」


 無理心中?

 何を言ってるの、これが私の愛なの。

 たとえそれがずっと昔にこの人が私にかけた月魔導ムーンマジックの効果だとしても、この想いは嘘じゃない。


「あなた壊れてるわ、リリー」


 壊した本人がそれを言いますか。

 もうしょうがないですね。

 思いっきりの笑顔でお返事しちゃいましょう。


「あなたへの愛が私を壊したんです」


 そのまま格子をつかむアイリ様の手にそっと手を触れる。


「全部アイリ様のおかげですっ!」


 私がそういうとアイリ様が本当に泣きそうな顔をなさいました。

 ああっ!

 それですっ!

 その顔が見たかったっ!


「私、今とっても幸せです」


     *


 取り返しのつかないことをした。

 私の名前はアイリス。

 深度しんど魔導士まどうしと同時に虹の都市、ラルカンシェルの領主、それが私。

 諸事情あってロマーニ国の飛び地の一つでドラティリア連邦内にあるラルカンシェルの運営は数代前からかんばしくなかった。

 原因は複数あったけれど抜本としては都市そのものに付加価値がなかった。

 由緒正しく歴史もあり勇者ゆうしゃが建てた都市。

 けれどそれだけ。

 ラルカンシェルから東に向かうとやがてロマーニ本国とその南方の主要都市であるレビィティリアが存在する。

 レビィティリアは数十年前の大崩壊ののち魔導まどうを国の中心にした現王、私の母方の祖父に当たるシャルマー・ロマーニ七世が立て直した実験都市だ。

 繰り返しになるがラルカンシェルは都市自体に価値があるわけではなく、南方諸国とレビィティリア、及びドラティリア本国を中心としたドラティリア連邦の接点に当たるという地の利から重宝されてきた。

 だが、祖父シャルマーが普及させた魔導の進展とともに空間圧縮を付帯した魔導コンテナの利用が主流となり、怪獣除けを付与した船舶による近海経由の廻船航路が可能となったことで南方諸国への輸送結節点としての価値が激減。

 同様に赤龍機構せきりゅうきこうが守護する冒険者ギルドが発行する冒険者カードの収納機能に一段だけであれば空間圧縮機機能付きの魔導コンテナが収納可能となった。

 それにより冒険者個人が移動可能であればそれに追随する形で大量の物資輸送が出来るようになった。

 また、魔導コンテナの利用自体は自由に行えたことから複数の組織が競って山越えや一部だけでも空を経由する移動経路を開拓。

 結果、街道沿いのラルカンシェルはドラティリア連邦とロマーニ間の経路からも外れることとなった。

 あの当時、祖父シャルマーは冒険者に頼らない大量輸送手段を模索しており、ダブルスタックカーに乗せた魔導コンテナを牽引する無人式大型魔導列車による大陸横断鉄道計画が多国間同意のもと進められていた。

 それらが完成した暁には路線の敷設経路から外れたラルカンシェルが陸の孤島と化すことも容易に予測できていた。

 先が見えている、いや先の見えない都市の運営ほど人をダメにするものはない。

 本来であれば本業以外の付帯事業などの開拓や経費の節約などといった王道の運営方針が望まれたが周期的に襲来する怪獣による生産地の荒廃やそれに伴う復興費の捻出、資金や資材、技術などを他から供与を受けなければいけない関係で削るに削り切れなかった社交費、各種施設の経年劣化等がラルカンシェルという都市そのものを病のように蝕んでいった。

 事態を重く見たロマーニ本国はシャルマー王の娘にして才女といわれた私の母を凡庸と言われたラルカンシェル領主の父に輿入れしてテコ入れした。

 けど状況は一向に改善しなかった。

 動かぬ配下、浪費癖の抜けぬ親類一同。

 一年を通して気温が高く乾燥しがちな痩せたこの地は耕作に不向きだった。

 領主であった父の病死後、都市を構築する各種魔導機を修繕する費用も乳母に払う給金もまともに捻出できなくなっていた母は私の育児をしながら各種施設の修繕を自らの手で行っていた。


「おかあさま、まだねないの?」

「ああ、ごめんなさい。これが終わったらちゃんと休むわ」


 記憶の中の母はいつも大変そうだった。

 そんな中、私が母の手伝いをするために最低限の魔導の知識と魔導機の点検を覚えたのは少しでも母に楽をしてもらいたかったから。

 私が小さい手を使って一生懸命に保守のお手伝いをすると母は困ったような表情を浮かべながらいつもこういった。


「アイリス、あなたまで私と同じことをしなくてもいいのよ」

「いいの。だっておかあさまのおてつだいするのすきだもん」


 私の手は駆動部に使う潤滑油とシリコン型魔導回路を焼き直すときに出る煙で汚れていた。

 そんな私に世間がつけたあだ名は油姫オイルプリンセス

 ろくに社交にも出ず空いた時間は魔導の研鑽か都市の魔導機の修繕にあてる日々。

 友達と呼べるくらい親しくなれたのは一時期母が倒れた時に本国が臨時で付けてくれたメイドの子と一匹の猫ネペタだけ。

 領主の娘という立場もあって近づいてきた子もかなりいたが私の会話が退屈だったのかすぐに離れていった。

 日夜、母の手伝いを嬉々として行う私に母が色々と危惧を抱いたことは想像に難くない。

 ある日、朝から入念に体を洗われたかと思いきや外向けのドレスを着せられた私は同い年くらいの女の子と対面させられた。


「はじめまして。リリーナ・ローリー・ヘリアンサスともうします。お会いできて光栄です、アイリス様っ!」


 透き通るような色彩の薄い桃色の髪、めまぐるしく動く愛らしい青色の瞳、驚くほどに整った容姿。

 最初にその姿を見た時は一瞬テラの創作や神話に出てくる天使かと思ったほどだ。

 それでいて何故か最初から慣れ親しんだ相手であるかのような不思議な感じがした。


「はじ……めまして。アイリス・ニジノ・シャックスです」


 会釈の体勢のまま私の手を取ろうとしたリリーナ。

 爪の間に染み付いた油を思い出した私はとっさに手を引っ込めてしまった。


「えっ。どうなさいました? 挨拶させていただこうと思ったのですが……」


 今考えると年不相応なほどしっかりしたリリーナの立ち回り。

 この子の発音のイントネーションがどこかで聞いたような気がしたがその時はよくわからなかった。

 後にこの子がカリス教の諜報機関、風の噂ウィスパーの育てた英才児だと知ったのは私がもっと大きくなってからのことだ。


「あの、その……手の油が洗ってもとれてなくて、あなたの手をきっと汚してしまうから」


 私がそういうと一瞬だけ表情が凍り付いた彼女。

 だが次の瞬間にはさらに一歩前に進むと下げていた私の右手を両手で掴み自分の顔を近くまで近づけた。


「えっ、ちょ……まって、な、なにっ!」


 そのままスンスンと匂いをかいだり視線を近づけて観察したリリーナ。

 そのままの恰好で視線を私の方に向けると桃色に染まる小さな唇を開いた。


「確かに爪の下にわずかですが油が残ってますし擦り傷と乾燥でお肌もガサガサ、せっかくのアイリス様の愛らしいご容姿には不釣り合いな手ですね。社交界でもバカにされる状態だと思います」

「う……」


 ぐうの音も出ないほどの正論。

 けれどそれは腹がたつ以前に実際そうだったし、そんなだから友達もできないんだろうなと幼いながらも私自身が思い悩んでいたことでもあった。

 天使のようなこの少女はそんな根本に近いところにズバズバと切り込んできた。

 無自覚に下を向いた私の耳にリリーナの続きの言葉が入り込んでくる。


「ですが」


 つかんだままの手をキュッと握りしめられた感触に驚いて私が顔を上げるとそこには優しい笑みを浮かべた天使がいた。

 美しいその容姿に心を囚われた。


「この手には愛があります」


 私はあの日、一人の少女に恋をした。


「アイリス様の愛、私は大好きですよ」


 やがて私達がお互いをリリー、アイリと略して呼ぶようになるのにそう長い時間はかからなかった。

 そして私はリリーへの愛執を友愛だとうそぶいたまま年月が過ぎていった。

 思えばあれが私の罪の始まりだったのかもしれない。


     *


「随分汚れているわね」


 アイリ様の手が私の背中をなぞる。


「ひっ、アイリ様、その……やっぱり自分で洗いますので」

「だめよ。これはあなたが毎日私にやってきたことを返してるだけ」


 いや、それはいろいろと問題が。


「お水さえあれば体は自分で洗えます……ひゃっ!」


 アイリ様の手が背中を洗う感触に私が悲鳴と同時に背をのけぞると後ろからくすっという音が聞こえた。


「あ、ちょちょっとその前の方は自分でっ!」

「毎日そういう私のいうことも聞かずに好き放題触ってた娘がよく言うわね。観念しなさい」

「あ、ちょ、ひにゃー!!」


 どうしてこうなった。

 時間はさかのぼること一時間と少し前。

 いつものようにアイリ様の全身をくまなく磨いた私は魔導機を使ってアイリ様の髪を乾かしていた。

 外では毎日のようにロクでもないことしか起こらない日々の中、都市の細事をカスに押し付けて何とか捻出しているこの時間が今の私にとっての心の糧だった。

 塔に残されているアイリ様の為の大切な、たいっせつな食料を配れとかほざく馬鹿もいたけど今頃は近くの沼地に生息するフォレストアリゲーターの餌食。

 勝てれば貴重な食料が手に入るだろうし、負けてもワニの食料になる。

 そんなことを考えながらアイリ様の御髪をとかしているとふいにアイリ様がスンスンと鼻を鳴らされました。


「リリー」

「なんでしょうか?」

「あなた、ちょっと匂うわね」

「えっ!? うそっ、そんなはずないですっ! ちゃんとデオドラントペーパーで体をふいてますしっ!」


 服には最新の魔導回路による衛生保持が付与されてるし、日に二回は体をふいてた。


「あなたはあれをあまり使ったことがないからわからなかったのでしょうけど、あの魔導具は使い捨てよ。原理は吸着なの。元々あれは避難所に設置しておいた怪獣被災者用緊急備蓄。全身をふき取るなら十回使えばもう役に立たないわ。都市内ではもう水が出てないって話だったからどうしてるのかと思ったら」

「うそ……」


 え、じゃぁ匂いが残った汚い状態でアイリ様に触れていたってこと?

 そんなことを考えながら私が呆然としているとアイリ様が振り返って私の顔を見つめながらこういった。


「お風呂、もう何日も入ってないのでしょう。小さい時以来だけど洗ってあげるわ、こっち来なさい」

「えっ、いやっ、ちょっ! なんでそんなに人の服をはぐのがうまいんですかっ!」

「魔導士なめないでちょうだい。構造さえわかってればあなたの服を脱がすのは簡単よ」

「変態ですか、魔導士って!?」

「空中で全裸になれる熟練者もいるそうよ」

「聞きたくなかったです、そんな豆知識っ!」


 そういって再び裸になられたアイリ様がたった数秒で全裸にした私をひょいと肩に抱えあげた。


「はにゃ!? ちょ、うっそっ! アイリ様どこにそんな腕力が!?」


 動いた視線の先にいたアイリ様が牢の中で飼っている額に魔石の付いているキジ白猫が目に入る。

 いつの間にかアイリ様が作っていたと思われる回転する車輪のような物が付いた玩具でネペタは遊んでいた。


「ただの強化魔導よ。怪獣と比べればあなたの重さなんて紙同然よ」

「怪獣と一緒にしないでくださいっ!」


 などという経緯があり、全身くまなく洗われた私。

 今現在はアイリ様の手元に抱きかかえられて湯船に入っている。

 どうしてこうなった。

 というか、もう色々頭が限界に近い。


「やっぱり一人用の湯船はちょっと狭いわね」

「あた……りまえです」


 お湯が挟まっていてもしっかりと感じるアイリ様の肌。

 そしてロクなお化粧水も使用していないのに漂ってくるアイリ様の甘い香りが私の脳をじりじりと焼いていく。


「やっぱりあなたの髪は綺麗ね」


 そういって私の髪を一つまみ救い上げたアイリ様。

 ああ、もうたまりません。


「わ、たしの髪でよければすべて差し上げますっ!」

「リリーに禿はげは似合わないと思うわよ」

「そういう問題じゃなくてっ、もう上がらせて」


 湯船から上がろうとした私をアイリ様が胸下に手を回す形で引き止めた。


「だーめ。ここに私を押し込めたあなたが臭いままじゃ外で示しがつかないでしょ。それに……」

「それに?」

「リリーのこういう慌てる反応って再会して以来見てなかったのよね。ちょっと楽しいわ」


 あーっ!

 この人はっ!

 そんな優しい声音で私に囁かないでっ!


「アイリ様のオニーッ!」

「そこはオーガっていうとこじゃないかしら」


 素でボケてきたアイリ様に私はがっくりとうなだれた。

 そんなぐったりとした私の耳にアイリ様の声が入り込んでくる。


「都市、ひどい有様みたいね」

「……はい」


 赤龍機構せきりゅうきこうへの契約違反と各種外交トラブル。

 予定通り全ての責任をカスに押し付けた私は怪我人や病気の人の対応に専念。

 取り巻きが役に立たない以上、あの人だけじゃさばけないのはわかりきっていた。


「あなたとクロッカスが撤回すればここから出られるのだけど」


 この状況、アイリ様を幽閉から解放すれば改善する。

 けど制度上、短期間における二度目の幽閉はできないというのもあってアイリ様を外に出したら報復されると怯えるカスにはその考えはなかった。


「そうならないためにあなただけが来てるのでしょうし」


 あいつに来られるとアイリ様とふれあいにくいから、という本音はさすがに言わない。

 どのみちカスはここには来ない。

 数日かけてカスからのヘイトを管理していた私はここ一番でカスの一番の弱み、能力的にもカリスマ的にもアイリ様に遠く及ばないという現実を突き付けた。

 目論見通りあいつは聴衆の前でアイリ様の塔からの解放を訴える私に手をあげた。

 すぐに後悔したみたいだけどもう遅い。

 実際、この塔へのアイリ様の幽閉は私とカスの共犯なのだけどそこをさらす度胸はあいつにはない。

 さらしたとこでもう信用もないだろうし。


「随分と大きな音がしたけど?」


 この離れた位置からあの喧騒を掌握してたのか。

 アイリ様の腕の中で私は気を引き締めつつ出していい情報を整理しながら口を開いた。


「魔獣の群れが城壁内に突入しました」


 数秒の間の後、アイリ様が私にこう言った。


「もしかしてレミングバッファロー?」


 驚いた。


「正解です」


 このわずかな情報から答えを引き出すなんて。

 さすがアイリ様。

 つい胸の下に回されているアイリ様の腕に手を触れてしまう。

 さっきからお腹を擦るアイリ様の手がこそばゆい。

 そんな羞恥に身もだえをしていると近くで顔を洗っていたしっぽがシマ縞模様のキジ白猫と目が合った。

 その隣には座椅子のような形をした謎の腰掛がいつの間にか増えていた。

 アイリ様を放っておくと牢の中にいつの間にか物が増えているのにも慣れた。

 ネペタから視線をそらしながら務めて冷静なふりをしながらアイリ様に質問をする。


「なんでわかったんですか」

「三日前にあなた顔に痣作ってきたでしょ、クロッカスを切れさせたのよね」


 この人にはお見通しだったか。


「現在、どこの都市にもカリス教の信者は少なからずいるわ。その聖女を傷つけたとなるとカリス教の本部から人が来るのは当然よ。あの人が来たのね」


 そう、学術都市アルカナティリアにあるカリス教本部は私が傷つけられたことを重く見た。

 そして予定通り四聖しせいのあの人が来た。

 本人にはわざと根回しはしてなかったから穏便に謝罪すればそれで丸く収まったはずなのだけど、すでに限界近かったカスはあの人にも喧嘩を売った。


「ツチヤ様の契約怪獣が相手では普通の都市の城壁は持たないわ。クロッカス、言葉もそうだけど本当にいろいろと足りてなかったのね」


 主におつむがですけどね、とはさすがに口にしない。

 話には聞いていたけれども城壁が形を変えてレッサーベヒーモスという怪獣になってどっかに走り去って行ったときには私も目が点になった。

 すっぽりと空いた城壁の大きな隙間に吸い込まれるかのようにどこからともなく走ってきた魔獣の群れが突貫。

 カスはその時の惨事で足を折って今は領主の館から動けない状態。

 私はというとここ数日は生き残った人の治療と死者の埋葬、欠かせないアイリ様のお世話で一睡もできてなかった。


「どれだけ死んだの?」

「八割くらいです」


 気が付くと肌のぬくもりと湯の温度が良すぎてふっと眠りかけていた私は頭を振ってからアイリ様に答えた。


「それだけの数の人が大霊界エーリュシオンの礎になったわけね」


 暖かいのに背中にひやりとしたものを感じた私は身動きのままならない背筋を可能な範囲で伸ばした。


「それ、秘匿事項シークレットですよ」

「どうせあなたは私が知ってることをわかってるしかまわないでしょう」

「ますますここから出せなくなりました」

「そうでしょうね」


 私が所属するカリス教では現在多くのMPムーンピースを必要としている。

 言い方を変えるなら人の魂が大量に必要なのでたくさん人を殺す必要がある。

 その為にロマーニ国南方最大の都市、レビィティリアで極秘計画が進行してるけど、何分取り返しのつかない一発勝負。

 事前に大量の死者を発生させそれに付随するMPムーンピースを問題なく回収できることを検証する必要があった。

 そのための事前調査と検証。

 それが聖女をやめた私に課された最後の任務。

 カスと難民は最高の殉教者になる予定だ。

 私が生まれ育った都市の連中だけど痛む良心も特にない。

 多くの同胞を見捨てて自分達だけ逃げた連中だし。


MPムーンピース回収が目的なら深度三魔導士の私も入れるべきでは?」


 がばっと起き上がった私はそのまま体を反転させた。


「あなたが私にかけた精神支配の魔導ディープラブがそれを許しません」

「そうだったわね」


 湯船に押し付ける形でアイリ様の体の上にのしかかりながら限界近くまで顔を近づける。


「外に出ようとしても無駄です」


 アイリ様に瞳に映る私がさらに近づき、私たちは重なり合った。


「逃がしませんよ、アイリ様」


 続くアイリ様の言葉は塞がれた唇から漏れることはなかった。


     *


「ん……」


 私のベットの上で寝返りを打ったリリーのほつれた髪を伸ばした指で直してから空中に浮かぶ古代遺跡の情報操作盤に向き合う。

 表示板にはこの塔の地下に接続されている地下迷宮にヒドラフォッグという名の怪獣が封印されていると記載されていた。

 だが地下迷宮へのアクセス権がない現状これ以上調べようもない。


「考えても仕方ないか」


 二人で一緒にベットの上にいる状態での作業。

 リリーには私が古代遺跡にアクセスしていることはバレている。

 どのみちもう時間の猶予もないのでリリーを放置して作業を進める。


「やっぱり今のリソースだと塔の自壊起動くらいしかできないわね」


 幽閉当初は慎重だったリリーも今となっては私に隙があれば触れてくるようになっていた。

 宿泊までしていくのは初めてだけれどクロッカスが足の骨を折って動けないからしばらく放置するつもりなのだろう。

 実際、カリス教の聖女が使う神聖術は余程の大きな部位欠損などでない限り治癒することができるが破損を直すとなるとそれなりのMPムーンピース、治療の代価が必要となる。

 死者数もかなりの数に上っているので足の治療程度のMPムーンピースが工面できないはずはないのだけど一度民衆の前でリリーに手をあげたクロッカスはおそらくそれ以降はリリーには近づく事すらできなくなっている。

 民衆にとっては表面上無償で傷や病を治してくれるリリーは文字通り聖女に等しい一方で、やることなすこと全てが上手くいかず日増しに状況を悪化させる為政者のクロッカスは搾取と簒奪、暴言をまき散らす暴君にしか見えないだろう。

 領主の私がこの第四廃棄塔に幽閉されていることもそれに拍車をかける。


「アイリさま……」


 そのあたりはすべて私の傍でふにゃふにゃと寝言を言っているこの桃色の悪魔の策謀しわざだ。

 他人を疑心暗鬼に落とし込んで発狂させ手を上げさせることで特定の人物を被害者に仕立て上げるのはリリーがもっとも得意とする工作活動だ。


「出会った頃はもうちょっと……いえ、かなりましな性格だったはずなのだけど」


 何とはなしにリリーの頬をつつくと幸せそうな笑みを浮かべた。


「こういう表情はあのころと変わらない」


 幼い日の私が今の姿のリリーと出会ってから数年後、リリーは家の事情で南方諸国に引っ越すこととなった。

 私がリリーに惚れたのはわかりやすいがリリーの方が私に入れ込んだ理由は今でもよくわかっていない。

 けれど元々同性愛自体への抑圧が薄いうちの国で足りないものを抱えていた私達が惹かれあったというのは理解しやすい話ではあった。

 そして引っ越すにあたりリリーはごねにごね、ついには私を誘拐してこの塔の下層部まで入り込んだ。

 私達で協力して大人と大人げない戦争ごっこをすること六日。

 所詮は子供の知識と力、次第に追い詰められた状況下でリリーは私にずっと残る好きだという証を求めてきた。

 そんな極限状態にあった私たちは遺跡にあった複数の回路とリリーの神聖術をヒントに一つの魔導を組み上げた。


 深度三の月魔導 ディープラブ


 この魔導はかなり複雑で難易度が高く実用性に乏しい。


 1.発動場所がここと同じ廃棄塔であること。

   正しくは神代の遺跡であるSGM-07-ACT-017と同系統の遺跡であること。

 2.術者が対象に深く思い入れがあること。

 3.受け手もまた同等以上の精神状態であること。


 場所、術者、受け手の精神状態と無理難題が多すぎる魔導。

 廃棄塔、正式呼称はエアロコントロールタワーという名称の施設でしか発動しないというのも難易度を上げている。

 エアロのマナの増幅制御機能があったとされるこの塔と同系統の古代遺跡はその堅牢さを理由に特別監獄として利用されていることが多い。

 赤龍機構せきりゅうきこうではその監獄群に廃棄塔スクラップタワーという名称を付け別途番号を振りなおしている。


「そんなところまで……」


 なにかとんでもない夢を見てそうなリリーの頬を指でつつくと少しだけうめいたリリーが私に背を向ける形で寝返りをうった。

 ディープラブは言ってしまえばなんてことはない、精神拘束魔導の一種だ。

 精神に影響を与えるので大分類は月魔導ムーンマジック

 その効果は精神にかかる一切の洗脳、支配を拒絶し恒常的に術者に対する恋慕が精神内に常駐する。

 カリス教が信徒に施す精神支配がリリーに影響を与えていない事からも継続動作していることが判断できる。

 副次効果も幅広く魅了、恐怖、痛覚、睡魔などによる行動不能も抑えきる。

 またすべての運動能力にプラスの補正がかかる。

 その範囲は体内にも及び傷の治癒速度も上昇する。


 これが私がこの子に掛けた呪縛。

 魔導で編んだエンゲージリング。

 それがディープラブ。


 カリス教では元は魔導の一分類であった月魔導を評価し組織が供与する技能、神聖術の一端としている。

 それに伴い常駐型の複雑な月魔導を使用しているリリーは本人持ち前の悪辣さも駆使し組織内で一気に上り詰めた。

 カリス教の聖女にして愛しか語らない大司祭。

 愛の聖女リリーナは教団におけるリリーの二つ名。

 今だと元聖女なのだろうか。

 そして私はこの魔導を組み上げたことを評価され深度三魔導士となった。

 ロマーニが製造物と罪状、魔導士としての評価は分けて処理する国だからこそ発生した高位魔導士への昇格だった。


「鼻は……」

「はぁ、なんの夢を見てるのやら」


 私は近くに寄ってきていたネペタの頭を軽く撫でた。

 頭を傾げたネペタの額についているエメラルドにも見える魔石がきらりと光った。

 この子の準備も含めて凡その準備はできた。


「あなたもだけどこの子も大きくなったわね」


 この子の額の魔石は魔獣まじゅうでの証であると同時に上質な魔法発動体でもある。

 魔獣といっても駆除対象とそうでないものがあってこの子は駆除対象外だ。

 この世界は多様性が乏しい。

 それはを使う獣の魔獣であっても同様で個体数が少ないレア種は冒険者ギルドを運営する赤龍機構せきりゅうきこうがレッドリストを公開し保護対象としている。

 額に緑の魔石がある魔獣フライングキャットは絶滅危惧種でドラティリア本国などでは動物園で保存展示されているくらいだ。


「アイリ様……そこにネペタは……」

「本当にどんな夢を見ているのかちょっと気になるわね」


 私が組んだ魔導式、ディープラブには複数の未解決課題が残っている。

 再会して以来、本人にも欠陥を説明した上で何度も解除を提案した。

 けどリリー自身が解除を拒否、今に至っている。

 わかりやすいところでいうならば私への執着に歯止めがかからない。

 他にも死の恐怖や共感性が薄らぎリスクに鈍感になる。

 故に、この月魔導は中分類としてはバーサークの一種に割り振られている。

 暴走するほど盲目な恋といえば聞こえはいいがリリーのやっていることは大量殺戮だ。

 それを正当化することはできないしする気もない。

 これは私自身が招いた結果。

 本人が拒否する以上、残る解除手段は私の自死しかない。

 それも必ず解除されるという保証はないため選択肢になりえない。

 どちらにせよ今の状態でリリーだけが残ることは避けなければいけない。

 この塔の食料もあと数日で尽きるだろう。

 今のリリーは私達がこの塔で飢餓を迎えて死ぬのも一つの幸せと捉えているのかもしれない。

 それも一つの考え方だろう。

 私がそれを幸福とはとらえない、それだけだ。


「塔を破壊し脱出。私たちが生き残れる可能性は17.2%」


 リリーの人間関係、それと私自身の魔導。

 最後にユニーク魔獣であるこの子が使える魔法が生存への鍵だ。


「これが今の限界ね」


 領民や都市の人々、クロッカスに悪いと思わなくもない。

 だが、私もリリー達が大切なのだ。

 物理的に枕を並べて死んだのでは私自身を餌にしてこの塔にリリーを縛り付けている意味がなくなってしまう。

 どんなに時間がかかったとしてもいつか必ずディープラブを解除する。

 その後でたとえ嫌われたとしてもリリーの今の本音を聞く。

 その我欲だけが今の私を支えていた。

 どちらにせよ今時点で解除の術式が編み切れてない以上、私には時間が必要だ。

 まずはこの塔から脱出し最低限の生きる術を得なければいけない。


「リリー達と生き残る。絶対に」


 思いを口にした私は作業を再開した。


「そんなに死にたくないですか?」


 声に視線を向けると背中をこちらに向けたリリーの姿があった。


「時間は欲しいわね。きちんと説明したはずよ、ディープラブには未解決課題があるって」


 問題点の一つとしてはリリーの負荷が高すぎる事。

 恒常的に興奮状態を維持する精神術式に問題がないわけもなく現在進行形でリリーの身体が傷んでいるのは間違いなかった。


「不安定なのよ、その術式は。一度解除してあなたの健康状態を再確認する。その後でもしあなたが望むなら改善したディープラブを再度かけてもいいわ」


 この説得には穴がある。


「塔を破壊したらもうここではかけてもらえません。他の塔に行くのもどれだけかかるかわからないです。そのくらいなら」

「一緒に死にたい?」

「はい」


 リリーの視線の先にはハンドルの形に成形した金属の傍で丸くなって眠るネペタの姿があった。


「ネペタも?」

「……できればネペタは逃がしてあげたいですけど」

「どうしてそんなに死にたいの?」


 作業を止めた私が視線を向ける中、しばらくの間黙ったリリー。


「一番綺麗な私がアイリ様と一緒に逝きたいからです。アイリ様に老いた私は見せたくありません。弱った私もダメな私も……」


 綺麗とは言いかねる行動の多い子だけど、こういうところは変わらない。

 私が沈黙したまま先をうながすとリリーが続きを口にした。


「もし万が一、未来の私がアイリ様を嫌いになるくらいなら今死にたいです。アイリ様を永遠に私のものにしたい。そして今の私だけを見てるあなたのまま殺したい」


 ディープラブの最大の欠陥、それはこの子の今の心が術式によるものなのか本当に湧き上がる感情からなのか他人はもちろんのこと本人にも判別つかないこと。

 心なんてそんなものと言ってしまえばそれまでだが、この状態は俗にいうドラッグハイと変わらない。


「私は今あなたと一緒に死にたいんです」


 ほんの一瞬だけそれも悪くないかなという思いが頭をよぎった。

 だが、私には夢がある。


「いやよ」

「どうしてそんなに……」


 背中を少し丸めたリリーを見ながら私は想いを口にする。


「私はもっといろんなあなたが見たいわ。老いたあなたも、弱ったあなたも、化粧のノリが悪くなったとぼやくあなたも、肥満に悩むあなたも全部見たいの」

「嫌なラインナップ並べてきましたね」

「あなたにとってはそうでも私はそういうあなたにも興味があるわ」

「アイリ様だから見せたくないことだってあるんですよ」

「そういう嫌なところやダメなとこも含めての愛じゃないの?」


 しばしの間の後でリリーが答えた。


「アイリ様のそういうとこちょっとだけ嫌です」

「それでいいのよ。そういってすねるリリーも可愛いの。もっといろんなあなたが見たい、それだけよ」


 そういうとリリーは少し困ったような表情をしながら私の方を向いてきた。


「嫌っちゃうかもしれませんよ」

「それでもいいわ。また好きになってもらうだけよ」


 納得と諦観の混じった表情を見せるリリー。


「考えておいて。この状況を生き抜いたあとどうやって生活していくか」

「領主、やらないんですか?」


 心残りはないと言ったら嘘になる。

 だが、リリーと比べれば細事。


「もう十分やったわ。この塔を破壊してそのタイミングでアイリスとリリーナは死ぬ。その先は別の人生を歩むわ」

「あんまりそういった先のことを言うと不吉だってカリス教では言いますけど」

「先の展望を思案した程度で確定するような未来は実在しないの。未来を確定できたら苦労しないわ」

「そういうとこアイリ様は本当に魔導士ですね」


 褒めてもらってるのだろうか。


「魔導は元々対怪獣用に再現性の高い物理効果のある魔法を抜粋したもの。計測できないものは考察には入れるけど無いものとして扱うわ」

「月魔導みたいな心を対象として扱うのってどうなんですか?」

「参考にしたテラの科学が人の精神は対象内としたから対象よ。精神防壁を構築してるMPムーンピースの計測が主体になるわ」

「ロマンないですね。国の名前がロマーニなのに」


 むしろ逆と思うのだけど面倒なので今は触れないでおく。

 実利だけ追及してる国だったら魔導コンテナも魔導列車も実装以前に研究しない。


「リリーには悪いけどあの世も来世も計測できてない以上今時点では無いわ。計測できてから対応する。魔導士とはそういうものよ」

「アイリ様のそういう変にドライなとこも好きです」

「そういうわけで生き残るわよ。その先は……そうね。冒険者にでもなりましょうか」

「冒険者ですか。あんまり好きじゃないんですけど」

「食べていくには冒険者が一番潰しが効くわ」

「そうですね。でも私が所属するカリス教だと冒険者ギルドに入れないです」

「宗旨替えしなさい」


 私がそういうとリリーが絶句した表情を見せた。


「どうせ今でもカリス教の精神支配にはかかってないのだから宗旨替えすればいいわ。抜ければ冒険者になれるもの」

「随分と軽く言いましたね」

「あなた実際のところ私にしか心酔してないでしょう。今更よ」

「あ……はい。その……顔が赤いですよ、アイリ様」

「恥ずかしいのよ」


 事実であっても感情がどう反応するかは別。


「リリー、冒険者になったらとりたいタレントとか考えておきなさい」


 タレントは冒険者が取得できる劣化版のスキル、特殊技能だ。


「そうですね。口先三寸で相手を丸めこむ交渉系とか、隙を見て手元のモノを入れ替えるのとかちょっと興味あります」


 聖女をやめて詐欺師にでもなる気だろうか、この子は。


「そういうアイリ様はどうなんですか。魔導士ってあまり冒険者で見ないみたいですけど」

「ええ。冒険者のタレントと個人技の魔導のかみ合わせが悪いのよ。でも魔導具は冒険者に多用されてるから近い将来はタレントの中に魔導が実装されてくるかもしれないわね」


 再び沈黙したリリー。


「アイリ様、何か知ってていってます?」

「いえ? 合理性からみてそれ以外の選択肢が少ないだけよ」

「怖い人ですね。アイリ様って」

「そうかしら」


 母と違って私は凡才だ。

 この読みもあくまで推察の域を出ない。


「私は戦闘には魔導があるからタレントはいらないわ。回避とあなたの補助用に体術系をいくつかと商業系が欲しいわ」

「お金の為ですか」

「ええ。あなたのディープラブ改善の目途がたったらロマーニ王都の地下に用があるわ。その時にまとまったお金がいるの」


 王城地下には迷宮があり大規模研究施設が設置されている。

 そこでは日々様々な研究がなされている。

 小首をかしげたリリーに私は笑いながらこう言った。


「同性間の子供の生成にはそれなりの費用が掛かるのよ。伝手はあるからあとは費用だけね」


 私がそういうと今度はリリーが真っ赤な顔をした。


「え……その……」


 私たちの視線がいつの間にか起きていたネペタとかみ合う。


「ネペタの妹になるかしらね」


 現在の技術だと女性同士の因子を使った場合には女性しか生まれない。


「ほんとに出来るんですか?」

「出来るわよ。基盤技術は怪獣災害で人体損傷した者の治療用だもの」


 複数の治療術を使いこなすリリーだけど部位欠損は直しきれない。

 そういった再生医療については魔導の独壇場だ。


「噂には聞いてましたが本当に?」

「死んだ愛妻との間の子を死後に作った話もよく聞くわね」


 同性二名の人体を素材に子供をつくるのは技術的にはむしろ簡単な部類に入る。


「悪魔のような所業ですね」


 桃色の悪魔にそれを言われるのは釈然としないのだけど。


「それでどうするの? リリー」

「え?」


 回りくどいやり方をしたがこれが私なりの説得だ。


「生きて冒険者になるの。いつか私たちの子供達と旅もしてみたいわ」


 ごくりと唾をのんだリリー。


「生き残りたくなった?」


 頬を紅潮させたリリーがかわいい声を振り絞って答えてくれた。


「ひどい人ですね、アイリ様は」

「あなた、私の家名忘れてないかしら」


 ロマーニ国の古い貴族の家名は初代ロマーニ王の意向でテラにおける悪魔の名が冠されている。


「細かい話は次にリリーが来た時にしましょう」

「はいっ!」


 リリーが外でクロッカスに殺害される可能性は正直五分といったところ。

 いくらヘイト管理が得意とはいってもリリーは相手を煽りすぎた。

 握りしめていた拳を開くと少し汗ばんでいるのが自分でも分かった。


「明日は都市に戻るのでしょう、寝なさい」

「はい……アイリ様、おやすみなさい」

「ええ。また明日」


 小さく頷いたリリーがそっと目を閉じた。

 そういえば生き残りたいかどうかの返事を聞きそびれた。

 明日聞こう。


     *


 両親が育った都市は怪獣に滅ぼされた。

 物心ついた時にはすでに怪獣被災難民という貧しい環境だった。

 食べるものがない。

 着るものもろくにない。

 住む場所も安定しない。

 けれど盗むことも奪うことも殺すこともできなかった。

 先週、よく笑っていた近所のおじさんがゴブリンになって冒険者に討伐された。

 夜に富裕層の家に侵入し家畜を盗んで人を犯したからだと母は言った。

 先月まで助けてくれた近所の男の子はオーガになった。

 人を殺してはその金品を奪っていたからだと近所のおばさんが言った。

 そしてやはり冒険者に討伐された。


 何もかもが足りていなかった。


 都市で崇められていた星神ほしがみ、リリーナは偽物だった。

 本当の星神なら眷属は護ってくれる。

 そう生きていたころの父が言っていた。

 いくら信心を深くても貧乏な私たちを護ってくれない神はきっと偽物。

 そんなのは実際にはいないと皆が思ってた。

 けれどそれを口に出して言った人達は領主が養っている兵士に捕らえられ二度と帰ってこなかった。

 貴族や金持ちたちは貧乏人の心根が汚いから亜人化するのだと私たちに唾を吐いた。


 ちがう。


 生きていけないから侵す。

 生きていけないから奪う。

 生きていけないから殺す。


 みんな人でなしになり、亜人になり果てる。

 そうして顔見知りが毎日減っていく。

 その減った隙間にまた他の都市から被災民が入り込んでくる。

 怪獣に多くを奪われた人たち。

 そういった人たちほど冒険者になるための試験すら通ることすらできない。

 人として這いあがるためのその資格すらも怪獣が奪い去っていくからだ。


 生きてる気がしなかった。


 それでもあの頃の私は死にたくなかった。

 だから必死に屑を食べ、吐き、生きもがいた。

 周囲の連中は目が死んでいた。

 そして亜人が出現しどこから聞きつけるのか冒険者がきて刈り取っていった。


 憎かった。

 悔しかった。

 腹がたった。


 私は悪くない。


 悪いのは怪獣だ。

 悪いのは貴族だ。

 悪いのは金持ちだ。

 悪いのはこの世界だ。


 私は生きて、生き残って世界に、上から目線で綺麗ごとを押し付けてくる貴族や金持ちに復讐してやる。


 そんなある日、冒険者と一緒に連れ立っていた黒いローブを着た男に出会ってしまった。

 そいつは私の傍に来るといきなり顎をつかんで持ち上げた。


「ほぅ。お前、良い目をしてるな」


 背筋が凍った。

 この人はきっと近所のおじさんが言っていたあれだ。

 ゴブリンより狡猾でオーガより残忍でオークより貪欲な悪魔。


「名はなんという?」


 言いたくなかった。

 だから……


「リリーナ」


 嘘をついた。

 そして言った後でどっと冷や汗が出た。

 とっさの嘘とはいえ都市が公認する星神の名を騙った時点で兵に通報されたらおしまいだった。

 そんな私を見ながら男は薄い笑いを浮かべていた

 どこまでの嘘が許されてどこまでの嘘が許されないか、あの頃の私にはまったく区別がついていなかった。

 ただ、都市のクズたちが崇める神はどこにもいない。

 もしいたとしたらそいつはとんでもない嘘つきで無能だ。

 だって何も護れないから。


「そうか」


 今となってみればわかるがあの人は私の内心などすべてお見通しだった。


「面白い。リリーナ、お前に這い上がる意志はあるか?」


 その上で単純に私を面白がったのだ。


「あるっ!」


 私がそういうとその男が男性にしては細い、けれども子供から見ると十分に大きな手を開いて私の方に伸ばしてきた。


「ならばこの手をつかめ」


 私が両手でその手をつかみ取るとその男はそのまま私に手を握らせた状態で私をひょいと抱きかかえあげた。


「なっ!?」

「無駄な任務だと思っていたが思わぬ収穫があった」


 そのまま運び去られていく私を他の連中はただただ呆然と見つめていた。


「嫌なら降りろ。そこが縁の切れ目だ」


 訳も分からず攫われていく。

 父も母も死んでいた私に身寄りはいなかった。

 親しくしてくれたおじさんもおばさんも亜人になって冒険者に駆られた。

 この男が私をさらったことで亜人に転換しないという保証もなかった。

 迷う私に男の声がしみ込んでくる。


「お前に気に入らないものを壊すための力をやろう」


 気が付かぬうちに男の首に回していた腕に力がはいりしがみつく形となった。


「リリーナ。お前も今日から風の一員だ」


 そうして私はカリス教の一員にして都市を内部から破壊するための風になった。

 それから数年がたった。

 カリス教の諜報機関、風の噂ウィスパーには精神だけを加速し短期間に教育を施す技能があった。

 その技能、神技じんぎの使用には人体改造が必要であり私は実験体の一人でもあった。

 改造手術は無事に成功。

 外見年齢は未熟なまま内面だけが成人を超える年まで同じ神技を使う大司祭たちに教育を施された。

 ある時、私は潜入工作の技能訓練の一環として現実の容姿と声を一時的に変え潜入工作することとなった。

 対象はロマーニ国の冴えない地方都市。

 そこの領主のもとにメイドとして働くこととなった。


「王都から派遣されてきましたロリナです。期間限定の短いお付き合いとなりますがよろしくお願いいたします」

「えっと……あの……はい……」


 カリス教の神聖術の効果によって見た目の年齢を十代中盤まで引きあげていた私の視線の先。

 そこには私の実年齢とさして変わらない年頃の銀髪の少女がいた。

 アイリ様はもちろんおぼえてらっしゃらないだろうけど、あれが私とアイリ様との初めて出会いだった。

 あの当時、メイドを雇う経済力がなくなっていたアイリ様のお母さまは無理な生活がたたって病に伏せられていた。

 事態を把握したロマーニ本国から一時支援として数名のメイド、それとメイザー家付きの魔導士が援助として派遣された。

 そのメイドのうち一名に私が入っていた。

 他の都市への手前、半年という期間限定での支援にどれだけ意味があるかは不明だったが私には別の調査が命じられていた。

 現王の孫娘、アイリス・ニジノ・シャックス。

 この子にどれだけの価値があるか。

 才能いかんによっては都市の命運が簡単に変わる重要な調査を年端もいかぬ私に割り当ててきたのだ。

 あの当時、私は潜入工作のためそれなりに家事はこなせるまでになっていた。

 この世界では冒険者になるものが圧倒的に多く、その技能であるタレントには戦闘や政治、交渉、サバイバルのみならず炊事、洗濯、調理に至るまで幅広い種類がそろっていた。

 その一方で冒険者が滅私で働くことについては冒険者ギルドが原則禁止していた。

 これは市場価格の維持のためという側面もあり、出来の良いメイドほど冒険者のタレントも使用し腕が立った。

 そして賃金も高くついた。

 家財を軒並み売りさばいても借金が残る有様のシャックス家にそんなお金があるわけもなかった。

 現実を直視されていたアイリス様のお母さまは領主に仕えていた者たちに早い段階で暇を出された。

 結果、館の掃除から炊事回り、都市に据え付けられている魔導機の修繕までアイリス様のお母さまが文字通り一人でこなしていた。

 なまじ優秀だったがゆえに外向けの取り繕いも完璧に近く本国の方では本人が倒れるまでは把握出来ていなかったというのだから笑えなかった。


「アイリス様、またそんなにお手を汚されて」

「ごめん……なさい。でもおてつだいしたくて……」


 領主の娘、アイリス。

 その子は私の知る貴族や金持ちとは根本から違う、良くも悪くも目の離せない子だった。


「おてつだいしちゃ……だめ?」

「ダメではありませんが。仕方ないですね」


 どこまでも純粋。

 どこまでも清廉。


 好奇心の化け物。

 生活能力は皆無で特定の知性だけが人並みはずれていた。


 感情面にやや問題があったがそれを補えるだけの年不相応な理性。

 憎たらしいほどに優しく、それでいて感性のずれていたその少女に最初はいら立ちも覚えた。

 だが流石にひと月を過ぎるころには慣れ身分不相応ではあるが手のかかる妹のような錯覚すら持つようになっていた。

 そんな貴族にあるまじき貧乏親子に仕えて数週間たった日のことである。


「アイリス様。その子は飼えませんよ」

「うん……」


 ちょっとした所用で都市の外に出たアイリス様が子猫を拾ってきた。

 キジトラベースのハチワレ猫。

 その猫の額には小さな石が光っていた。


「今のお屋敷に猫を飼う余裕はありません」

「うん……」


 ぴゃーぴゃーとなくその猫を抱きしめたままアイリス様は動かなくなっていた。

 私とアイリス様しか拾ったことを知らないという状況。

 あの時の私は確か他の者に譲ったと嘯いて猫を処分してしまう算段を考えていたと思う。

 そんな中、アイリス様がぽつりとつぶやいたのが耳に入った。


「かえ……ないの。ごめんね」


 鳴く子猫にアイリス様が辛そうに続ける。


「しにたくないよね。あなたは……わるくないのにね」


 子猫に語るアイリス様の言葉がなぜか私自身に言われてる気がした。


「ごめんね」


 そのまま動かなくなったアイリス様。

 そう、あきらめるしかない。

 自分が生きていくのだって精いっぱいなのに他を生かしておく余裕はない。

 わたしならそうする。

 だから同じ年頃のこの子がそうしない理由が私には思いつかなかった。

 沈黙が痛かった。

 早くあきらめろ、そう叫びたいのを我慢する中、アイリス様がやっと口を開いた。


「ロリナ……」

「はい」


 上を見上げたアイリス様の瞳には強い意志が光っていた。


「わたしのごはん、このこにあげる……だから……」


 その選択はその当時の私には思いつきもしなかった。


「このこをたすけて」


 この子はかわいい猫だからこうするのだろうか。

 ふとよぎってしまった疑問がするりと口に出てしまった。


「アイリス様……」

「なに?」

「もしその子が猫じゃなくて……小さい女の子だとしても同じことを言いますか?」

「うん」


 即答だった。

 むしろ何故そう思わないのかとアイリス様の瞳は如実に語っていた。

 金持ちは屑ばかりだと高をくくっていた。

 どうせ恵まれた地位にあるものを余した連中が高みから低い人間を憐れむ気持ちで好き放題言ってるんだと考えていた。

 はなから理解する気のない屑が自己満足のために他人のためなどという詭弁を使っているのだと馬鹿にしていた。

 テラにはかつて高貴なる義務という言葉かあったと私を養育したあの男に教わっていたが、そんなものは高い地位を固定するための方便だと思っていた。

 あの日、私が拾われたのは利用価値があったから。

 無ければ捨て置かれ何かの拍子に朽ちたか亜人に落ちて駆られただけ。

 高貴な血なんてものは幻想だ。

 人間の本性は醜悪で、狡猾で、残忍で隙がある奴が馬鹿なだけ。

 そういう生き方が出来ないやつが悪い。

 そして死ぬしかない。

 昔の私を無償で救う人などどこにもいない。

 だって神ですら救ってくれないのだから。

 あの時、私の内心は荒れに荒れていた。

 一歩間違えばアイリス様に暴力を振るう寸前のところで私は想いを口にした。


「私がその位置にいたとして……助けてくれますか?」

「うんっ!」


 論拠はなかった。

 できる事でもなかった。

 そして子供の戯言だった。

 けれど、あの時私はほんの少しだけ救われた気がした。


「仕方ないですね。……私たちの食事をちょっとづつ分けますよ」

「ありがとうっ! ロリナっ!」


 魔獣の猫を抱きながらうれしそうに笑う少女。

 その日、私は銀髪の魔女に心を囚われた。


「うっ……っぐっ」


 幸せな夢が覚めた後には激痛と吐き気、そして揺らぐ視界が私を襲う。

 血にまみれた手を前に繰り出して這いながら塔の床を進んでいく。

 もう一度、あのカスに刺された傷に手をかざし神聖術を発動したが傷はふさがらない。

 傷口に当てた手を顔もとに持ってくると血にまみれた手の中でキラキラと光る金属のようなものが大量に混じっているのが見えた。


「……怪獣の……鱗粉……」


 あのカス、やってくれた。

 怪獣相手にはすべての魔法、異能が通用しない。

 昆虫型怪獣がまき散らす鱗粉であってもだ。

 採取した怪獣の鱗粉を刃物に満遍なく塗布して相手を刺殺するという暗殺方法については私もカリス教から習っていた。

 だからこそ要人や聖女などは刺殺防止効果を付与した特殊な服を身に着ける。

 けれどその防御効果を打ち消すためのアイテムもある。

 結局、どれだけ相手を上回る準備ができたかで生死が決まる。

 ここ数日、アイリ様のお世話と難民の対応に追われていた私が骨折し時間を余したカスを上回るだけの準備ができなかった、それだけの話だ。


「アイ……リ……さま……」


 霞む視界の中、昇降する際に使う遺跡の機構を見つけた。

 何とか中に入ると上に登る操作してすぐに壁に背を預ける。


 出血がひどい。


 アイリ様にかけてもらったディープラブがあったからこそ何とか意識を保っているだけで、もうロクに動けそうにもないのが自分で分かった。

 仮にアイリ様のいる上階にたどり着いてもアイリ様は牢の中。

 入れたのはカスと私。

 テラのことわざにあった因果応報とはこういうことを言うのだろうか。

 塔を上に昇っていく機構の中、私は愛しいあの人を想う。

 ごめんなさい、アイリ様。

 一緒に死んでもらうしかないみたいです。

 視界が暗くなり、音も聞こえ辛くなっていく。


「………………………………」


 やっぱり世界は残酷じゃないですか。

 揺れが止まり、聞き取りにくくなった耳に扉が開いた音が届く。

 聖女になっても誰も救えない。

 期待したって報われない。

 それでも私は……


「あいして……ました」


 痛覚すらも感じなくなってきている中、不意に体を持ち上げられた感触がした。


「過去形なの?」


 アイリ様……


「ディープラブはまだ解けてないわよ」


 今でも私を愛していますか?


     *


「うっ……ううん…………」


 ゆっくりと瞳を開いたリリーの顔をのぞき込む。


「目が覚めたみたいね」


 一気に目を見開いたリリーが頬を桜色に染めた。


「アイリ様の顔が近すぎて心臓が止まりそうです」

「安心なさい。止まったらまた蘇生措置してあげるわ」

「そういうとこ相変わらずですね、アイリ様」

「そうかしら」


 二人で話す傍を気持ちの良い風が流れていき、何も残っていない頭上にはここ数日の嵐が嘘かのような好天が広がり小さな雲がゆっくりと流れていた。


「すごく気分がいいです。死んだんですね、私」

「どうしてそう思うの?」

「だって空が見えますしアイリ様もいますし」


 私はリリーから視線を外すとそのまま横を見た。

 釣られて横の方を見たリリー。


「えっ!? ちょ、ちょっと、な、なんですかっ! なんですか、これっ!」


 慌てながら起き上がろうとしたリリー。


「いったっ! おなか痛っ!」

「傷はふさがってるけど無茶はしちゃだめよ。そうはいっても気になるでしょうから私が見せてあげるわ」


 魔導で強化をした私はリリーの後ろに回ると脇の下に手を入れて持ち上げた。


「ひゃっ!」


 そのまま大破している牢の端の部分までリリーを抱えて移動する。

 すると近くで私とリリーを見守っていたネペタが私の足に頭を擦り付けた。


「ネペタ、ちょっと待ってて頂戴。リリーに外の状況を見せるから」


 私が入っていた牢から上の部分はリリーが刺された直後に襲来した大怪獣レビィアタンの大暴れにより木っ端微塵に大破。

 私とリリーも吹き飛ばされるかどうかといった勢いの暴風雨だったが、あれでも手加減してくれていたのか私もリリーもネペタも何とか無事に生き残れた。

 むしろ事前に準備していた部品の半分近くが飛ばされたのが痛恨ではあったが何とかなるだろう。


「これが今のラルカンシェルよ」

「……………………あの……」

「なにかしら」


 私とリリー、そしてネペタが見下ろすラルカンシェルの領地は怪獣がもたらした大量の海水で完全に水没し一見だと海に見間違えるほど何もない海水と潮騒だけが支配する土地と化していた。

 そして塔の機能がほぼ全壊した現状、地下に封印されていた方の怪獣がどうなったかを知る方法もなかった。

 よくよく見れば左側、遠く離れた位置にギリギリ外延部や城壁が残ったラルカンシェルの都市としての残骸も見える。


「セーラとアレが来たんですか」

「ええ」


 ユーディアライト大陸内部。

 海から遠く離れたこの乾燥地帯で発生したまさかの大洪水。

 内陸の盆地に近い地形であるラルカンシェル周辺は、水の出入りできる地形が少ないことから未だに海水が引ききっていない。

 遠くに山が見えることから巨大な湖にも見えるまさかの海水湖が大陸のど真ん中に誕生していた。


「この分だと耕作は長期間不可能ね。代わりに塩が取れるでしょうから塩漬けするのには困らないと思うわ。肉の日持ちにいいわね」

「この状況を見てその感想がでるアイリ様に驚きますが、そんなアイリ様も好きです」


 ここに至って私に対する愛の囁きを止めないリリーも大概だと思う。

 ディープラブの影響があるとはいえ思わないことは口にできない。


「えっと……私が刺されたのって」

「三日前ね。手術は私がしたわ。塔の上部が飛ばされて雨風が吹き付ける中での手術は初めてだったわよ」

「奇遇ですね。そんな手術聞いたのは私も初めてです。よくできましたね」


 抱え上げてる関係上顔は見えない。


「さすがにモノが飛んでくる中で手術は厳しかったから用意していた部材で簡易の防壁を作ったの」

「部材?」

「ええ。あれを作ろうと思って準備してたの」


 私はリリーを抱えたままぐるっと横の方を向いた。

 そこにはこの塔の最上部に幽閉されてからずっと作り続けていた私の力作があった。


「えっ? え? ちょ、ちょっと、あれなんですか、というか本当にあれなんですかっ!?」

「あれじゃないわ。ロリナ七号改よ」

「いやっ、ちょっと、ちょっと待ってくださいっ! あの自転車もどきに人の名前つけないでくださいって言うか七号も作ったんですか!?」


 多少形を崩していてもテラの自転車だとすぐわかるあたり、さすがカリス教の元聖女。

 そういえばリリーにはロリナのことはあんまり話してなかった。


「ええ。昔お世話になったメイドの子の名前を記念につけてるの」

「アイリ様、その……わかってていってます?」


 二人と一匹が見つめるその先、テラでいう二人乗り自転車の前部に猫が安全に乗れる籠とマナの伝導版を設置、車輪と連動する形で回るプロペラが後部の改造躯体につけられたその乗り物には大きな特徴があった。


「それはまぁ横においておくとしてですね。あの、自転車は私も他の都市で再現されたものを何度も見てるんでわかるんですが」

「何か疑問が?」

「ハンドルのとこについてる邪魔くさそうな棒とその上の金属でできた角みたいなあれは何ですか」


 さすがリリー。

 一番苦労した部位に目をつけたわね。


「改造八木やぎアンテナよ」

「や、ヤギ?」

「ゴートじゃないわよ。確かテラの技術者の名前からだそうよ」


 あれは正確にはテラにおける電磁波を受信する装置をまねてエアロのマナを回収しやすいように魔改造したマナアンテナの一種だ。

 私はそのままロリナ七号改の後部座席にリリーを座らせて用意しておいた安全帯で固定する。


「えっと……まさか、その……」

「準備するからちょっと待ってて頂戴」


 本当はヘルメットなども準備したのだがあの暴風の中飛ばされてしまったのが悔やまれる。

 私は近くにいたネペタを抱え上げると前部に作った籠の中に入れる。

 風の魔法が使えるネペタの特性がロリナ七号改に伝播し全体に青緑色の魔導回路のラインが走った。


「試験なしでも動くものね」

「アイリ様、ちょっとまって」


 私はリリーの言葉を無視しながら前の方の席に座った。


「漕ぐのは私が強化魔導でやるからリリーは乗ってるだけでいいわ。一応後方から鳥とかが来てないか見て頂戴。バードストライクが怖いから」

「はいっ、じゃなくってですねっ! 頭がついていけてないんですけどっ!」

「でしょうね。簡単に説明するわ。大怪獣襲来でもうこの塔は限界なの。前もって準備していたこの乗り物で高跳びするわ」

「高跳びってそういう意味じゃないですよねっ! いや、それ以前にいつの間にこんなもの作ってたんですか」

「これ、主な素材は牢の格子よ」

「あ、本当ですね。そうじゃなくてここまでのもの作る時間なかったですよねっ!」


 リリーの目から見るとそうだったかもしれない。


「あったわよ。私が何のためにあなたと会話するたびに格子をつかんでいたのと思うの」

「えっ」


 絶句したリリー。

 そう、リリーと会話するたびにそれっぽくリリーに合わせて格子をつかんでいたのは魔導回路を格子に焼き付けていたからだ。

 念のために同じ回路を複数作っておいたのはいくつかダメになる可能性を見越してだったが正直大怪獣に頭上を吹き飛ばされるとまでは思っていなかった。

 ギリギリ私たちが無事だったのはリリーの後輩で大怪獣使いである当代の聖女が加減してくれたのかもしれない。


「いや、でも心の準備がっ!」

「そこら辺は飛びながら準備しなおして」

「ほらっ、私寝ていたわけですからお花摘みとかいきたいなーとか」

「大丈夫。一時間前に私がきちんとどちらも処理しておいたわ。今はどちらも空よ。長時間フライトする際の基本ね」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁっ!!」


     *


 混乱する私をそのままにして着々と準備を進めるアイリ様。

 そういやそうだった。

 アイリ様は一度動き出すととことん話聞かないとこがあったんです。

 そういうとこも魅力ですけど。


「食事は経口でやりたかったとこではあるけどそれだと窒息しかねないからチューブを入れて飲ませてたわ」

「ありがとうございましたっ!」


 ミシミシと音を立てる廃棄塔。


「ちゃんとつかまってなさい。ネペタ、浮遊魔法の発動を」


 魔獣であるネペタの魔法。

 それが全体にいきわたったのかロリナ七号改の全体が緑に光り始めた。


「もうどうにでもなれですよ」


 そういって私はアイリ様にがっちりとしがみつく。

 手術直後、目を覚ましたら空の旅を強要されるってちょっとした拷問なんじゃないだろうか。


「廃棄塔から脱出するためにここまで仕込んでいたんですね、アイリ様」

「何を言ってるの? この仕込みは全部……」


 私がそういうと心底心外だといったアイリ様の声が聞こえた。


「あなたと一緒に……」


 ついに音を立てて崩れ始めた廃棄塔。

 力の入りきらない私が後ろに座ったままの状態でしがみつく中、強化魔導を自分にかけたアイリ様が足を動かし始めた。


「どこかに行くため決まってるでしょうがっ!」


 するとロリナ七号改が一気に速度を上げて塔の端へと走り抜けていく。

 風が私たちを包むように撫でていく中、そのまま放り出されるような形で空に飛び出した私たち。

 ネペタの魔法とアイリ様のとんちきな装置のおかげなのか、私たちは落下することもなくそのまま空中を走り抜けはじめた。


「本当に飛ぶんですね、これ」

「私を誰だと思ってるの」


 さすがアイリ様、と言いたいとこですがこれで私がやってきたことは全部ひっくり返されちゃったわけで。


「もしかして、いつでも廃棄塔から出られましたか?」

「ええ。そもそも逆なのよ」


 逆?


「私があなたを求めてネペタ以外の他のすべてを天秤にかけてふるい落としたの。あなたは私を捕まえていたつもりかもしれないけど」


 あー、そういうことだったんですね。


「囚われていたのは私だったんですね」

「そうよ。すべてはディープラブを解くため」


 聞いてみると本当に純粋でストレート、そしてシンプルな理由でした。


「そして今のあなたの素の気持ちが知りたいという我の我儘、それだけよ」


 私はこの人に……


「だから私自身を餌にあなたを廃棄塔に捕らえたの」


 囚われるほどに溺愛されていました。

 でも、アイリ様。


「それでも愛してます」

「私もよ」


 この愛はきっと解けないとおもいます。

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囚われるほどに溺愛されていました 幻月さくや @sakuya06

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