凹凸 1

【雪枝】

 にしむくさむらい、小の月。

 今日、二月三十日は月末だということを小声で唱えて確認する。今月の領収書で出していないものがないか引き出しを総ざらいした。ちゃらんぽらんな人間が多いようで、経理部は締め切りにシビアである。

「雪枝さん、明日の飲み会行きます?総務部主催らしくて営業とか他からも結構出るらしいですけど…」

「んー、ごめん」

 会社の人とプライベートで必要以上に関わりたくはない。会社には仕事をしに来ている、それだけ。

「ですよねぇ、そういわれると思ってました」

「ごめんね、面倒な役回り押し付けちゃって」

「んまぁ私、雪枝さんの秘書だと思われてるまであるので」

 一介の営業部員に秘書も何もないだろうが。苦笑して礼を言う。

「私は雑務仕上げてからあがるわ、お疲れ様」

「お疲れ様です!月末に残業なしなんて久々です」

 後輩ちゃんが定時上がりの達成感に満ち満ちて退社した。


 別に絶対に今日中に終わらせるべき仕事はない。しかし、月末に全て終わっている方が気持ちいい。社内の電気が少しずつ消えていく。

 自分が仕事人間だと思われているのも分かる、そしてそれは事実だとも思う。プライベートで必要以上に関わりたくないといったって、そのプライベートがどれだけあるかと言われたら返答に苦しむ。

 今日は月末だから、流石の私も御褒美が欲しい。この仕事が終わったら夜カフェにでも行って一服してから帰るか。首をごきゅごきゅと鳴らし、上を向くと、

「よっ、姫さん」

「…麦野くん」

 軽薄な笑みを浮かべた長身の男がこちらをのぞき込んできた。

「姫って呼ばないで」

 もうすぐアラサーの女捕まえて。あと、他の女性社員からの視線が痛いのだ。

「姫さんもう帰る?」

「仕事ならもう少しで終わりますが。経理部こそ大丈夫なの」

「よゆーよゆー。それはそうと、明日の飲み会行かないって聞いたけど」

「行きませんが」

 わざわざそれを聞きに来たのか。私が飲み会に参加する方が珍しかろうに。

「っじゃ、今日一緒に飲み行かない?」

 にいっと笑ってみせる麦野。涙袋ぷっくりだな。自分の目下の絶壁を思って嘆息する。じゃない。

 なんでだ。

「行きませんが」

 おひとり様を憐れんでくださったのか。おひとり様どんとこいですが。

「さすがに月末の締め日になにもないまま帰りたくないけど、野郎と飲む酒がうまいわけじゃないしなぁ…」

「その辺で女の子誘ったら釣れるんじゃないですか」

「釣れるけど…そういうのはもっと余裕あるときにエスコートしてあげたいからな」

「嫌味な奴」

 いい性格をしてやがる。そして私は女の子ではないのか。いいけど。

「や、姫さんとサシで飲めるチャンスはずっと窺ってはいたからね。そういう下心ではないけど、誰でもいいからっていうそれではないよ」

 なんでこの男にロックオンされているんだ。フォローもされたのか。

「今回限りね」

「やったー」

 うん、こういうのはさっさと決着つけておこう。


 この時点で口車に載せられた気がするのだがまあいい。彼なら女に不自由もしていないだろうし、手を出されることはなかろう。

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