第14話

 日中に日差しがあると、ぽかぽかと体が温もる暖かい日が続いている。もう春がやって来る。屋内での仕事に専念していると、明るい屋外の陽気に誘われてしまいそうだ。

 そんなある日、また、あの「呪い持ち」の少年が店先に現れた。僕は彼がまた姿を現してくれたことが嬉しくて、すぐに彼の傍に駆け寄った。


「こんにちはッ。……じゃなくて、いらっしゃいませ。また、来てくださったんですね」


 「嬉しいです」と思わず、彼の手を取って浮かれて話しかけてしまった。その途端、少年は突然握られた手に驚いたのか、照れ臭そうに目を逸らした。


「はっ、すみませんッ。嬉しくて……つい。そうだ、先日と同じをお薬をご用意しましょうか?」


 慌てて彼から手を離すと、接客に転じた。


「ああ、頼む」


 そう答えた少年の愛想は良くないが、僕を拒否するでもない反応は可愛いとさえ思ってしまう。


 竹吉にその旨を伝え、前回と同じ薬を用意してもらうと、少年に手渡した。


「この睡眠の薬は、どなたが飲まれるんですか?」


 良く効く物をこの量となると、飲み方に気をつけなければならない。ましてや、子どもが飲むのには注意が必要だ。


「俺の……だ」


 よく聞き取れず「ん?」と首を傾げて彼を見つめる。


「だからッ、俺の父さんのだッ」


 突然の大声にさすがの僕も、一瞬体が膠着した。


「いつも飲んでるみたいだから、問題ない」


 次は少し落ち着いた口調で、僕の質問の意図を組んだように彼は答えた。

 「分かりました」と返事をすると、彼はすぐに僕に背を向けようとした。しかし、この機会を逃すまいと、僕は彼に続けて問う。


「あのッ、お名前……をお聞きしても?」


 一旦背を向けた少年は、僕の質問に答えるべくこちらに体を向き直した。


「……うただ」


うたさん……。僕は桜生おうせいと言います。……では、またいらして下さいね。お待ちしてます」


 名を教えてくれた彼に首を少しだけ傾けて満面の笑みを捧げ、明るく挨拶をする。しかし、その挨拶に返事は無かった。一方で、彼は「桜生おうせい……か」と小声で呟くと、また背を翻して、とぼとぼ歩き去ってしまった。



「次のお休みは、いないんでしょう?」


 二葉は俯き加減に聞いてきた。それを聞きつつ、二人で外に出ると、まだ冬の寒さの抜けきらない朝の空気が僕たちにまとわりついた。


「そう。やっと春が来たよ」


 次の休業日から一年ぶりに生まれ故郷に帰省出来るのだ。後ろに束ねた自分の髪をひと撫ですると、その一年で伸びた髪の長さを実感できた。

 んーッと両腕を頭の上に伸ばすと、一気に息を吐いた。「まだ、朝は寒いね」と言いながら、自分の体を両腕で包み込んだ。


「寂しいな……」


 そう正直に言ってくれる二葉は、本当に僕の癒しだ。

 たしかに、僕が休日も染め紐作りに行くようになってからは、二葉との時間が半減した。それもあるから寂しいのだろう。

 しかも、二葉は元々口数が少ないためか、親しい友の話も聞いたことがない。もしかすると、二葉の唯一の友が僕なのかもしれない。そのため、休日に僕と過ごす時間を楽しみにしているのだと思う。


「二葉さん、今日はまだ始まったばかりだよ。今日はどこに行きたいの?」


 彼女より一歩前に出ていた僕はくるっと二葉を振り返った。そうして振り返った瞬間、目の前に二葉の顔が現れた。顔と顔が触れる直前だった。お互い驚いて双眸を見合わせ息をしばらく止めると、それぞれが顔を背けた。


「ごめん……」


 僕は取り敢えず、謝った。

 両手で顔を覆った二葉は一歩退いたかと思うと、後ろにあった何かにつまずき、体がさらに後に傾き始めた。


「きゃッ」


 倒れそうになる二葉の二の腕に手を伸ばした。


「危なかった……。二葉さん、大じょッ…わぁッ」


 しかし、二葉の腕を掴んだまま、彼女の体重に引っ張られてしまう。僕も前に倒れ、両膝と両手をついてしまった。気が付くと、膝は二葉を跨ぎ、両手は彼女の顔の横にあった。


「僕ダメだね。全然力無いや。ごめん……それよりも怪我はない?」


 その体制のまま、二葉の顔を見下ろして、そこまで話すと、後ろに束ねた髪が右肩からサラリと流れ落ちた。そうなった途端、今の体制がどの様な状況なのかを把握した。はっ、として僕は彼女から素早く離れた。


「朝から何いちゃついてんのぉ? うらやましぃんだけどぉ」


 突然聞こえた声の方を見ると、桜太郎の姿があった。僕たちは直ぐに立ち上がって身なりを整えた。


「な……何か、御用ですか?」


 僕は相変わらず、愛想もなく彼に対応した。


「はい、御用ですぅ。緑助さんのとこにぃ」というと、彼は僕たちの横を通って裏口から屋敷の中へ入って行った。

 桜太郎の後ろ姿を眺めながら、嫌な予感しかしなかった。緑助が桜太郎に何か仕事を頼むのだろう。しかし、緑助が桜太郎に信頼を置いている事に僕は納得し難かった。


「桜生くん?」


 いつの間にか、僕の表情が暗くなっていたのだろうか、二葉に名前を呼ばれて、我に返った。「なんでも無いよ」と返すと、二葉は「行こッ」と僕の手を引っ張って走り出した。

 その日の午前中、僕たち二人は神社や海など街の中やその周辺を歩き回った。昼餉に屋敷に戻ると、もう桜太郎の姿は無く、ヨシも含めて四人で食卓を囲んだ。

 昼からは、屋敷の中や庭に出て過ごし、久しぶりにゆっくりとした休日を過ごした。



 帰郷を明日に控えた昼前、僕と竹吉は作業をしながら店の番をしていた。


「竹吉さーん、ちょっといいですかー?」


 奥の部屋から緑助に呼ばれた竹吉は、返事をして僕に店番を任せると、奥に向かった。

 しばらくして、竹吉が帰ってくると「桜生、旦那さんがお呼びだよ」と告げられ、それに従って今度は僕が緑助の元へ向かう。


「明日の舟券はもう買ったの?」


「……いいえ。乗合のりあいで行くつもりなので、明日買う予定です」


 緑助の調合室に入るやいなや、意外な質問を受け、僕は少し驚きつつ答えた。

 「じゃ、これあげる〜」と紙切れを一枚渡される。

 えッ?


「これッ、貸切券……ですか……?」


 高級券だ。これがあれば、一人で貸切の舟に乗れる。


「そう。今日の昼一番で乗れるように手配しといたから、今から準備して、昼餉の後すぐ出発するといいよ〜。そうすれば、明後日の昼過ぎには津結つゆに着くでしょ〜? 後の仕事は竹吉さんに了承を得てるから、気にせずに、ね」


「は、はい。旦那さん、本当にありがとうございます」


 立ったまま、深く腰を折って礼をし、声を張って感謝を示すと、胸の奥が熱くなり、涙が溢れそうになる。


「桜生ちゃんが一年間頑張ってくれたから、僕からのお礼だと思って受け取って〜。じゃ、気をつけて行っておいで〜。さっ、早く準備しなッ」


「はい」


 顔を上げて緑助に視線を向けると、もう一度お礼を言った。



 船着場へ向かう途中で飴屋に寄った。本当はもっと気の利いたお土産をと思うのだが、なんせ日持ちを考慮しなければならない。故に、結局は母のゆうあやへのお土産は飴を買って行くことになってしまう。しかし、今年の春の飴は、金太郎飴のようにできており、桜の花が描かれているのが、可愛らしい。


 今年はこの飴にしよう。


 今から出発すれば、明後日、絢の学校帰りに間に合うかもしれない。

 と言うことは、津結つゆ村から沙都さど村までの帰り道を一緒に帰ることができる。

 しかも、それを知らない絢を驚かすことができる。想像すると、俄然何倍も帰りが楽しみになって来た。

 旦那さんのおかげだ。

 僕は緑助に感謝を込めて貸切舟に乗り込み、予定通り昼一番で北に向かって出発した。

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