第13話
冬の寒さも緩み始め、梅の花があちらこちらで春の香りを漂わせ始めた。今日は春のような気候で、歩き続けているとまだ冷たい風も心地よく感じるほどだ。
僕は今、術師の
そう、一週間前に緑助からやっと染め紐作りの許可が下りたのだ。これで染め紐作りに貢献し、自分のすべき事を一つ叶えることができる。「呪い持ち」の幸せのために役立てる。
休日になると僕に会いに来てくれる
「夕餉には帰ります。……では行って参ります」
緑助、ヨシ、二葉に見送られ、僕は三人を一人ひとり見回すと出発し、今に至る。
「こんにちは、北山桜生くん。はじめまして……ではないね、何ヶ月か前に配達に来てくれたね」
楊先生は、僕の正面に膝を揃えて座ると、そう口を開いた。一言言葉を聞いただけで、物腰柔らかで人当たりの良さそうな男性だと分かった。
「はい。北山桜生と申します。この度は僕の無理なお願いを聞いてくださり、ありがとうございます」
客間の畳の上に丁寧に両手をつき、挨拶をすると、「いえいえ。お願いしていたのはこちらなんだからね」と意外な言葉が返ってきた。
僕は顔を上げて楊先生の顔を意外だとばかりに見つめた。
「私は
店主の
「そう……だったんですか」
「郷間さんは、あなたのことを相当大事にしているらしいね」
「彼らしいと言えば、彼らしいのだけど」と付け加えたところで、「父上、失礼致します」と襖の向こうから声がし、見覚えのある男の子が器具類を持って姿を現した。この間の配達の際に出てきた子だ。
「ああ、お入り」
その子は、楊先生の隣に器具類と共にゆっくり、そして礼儀正しく座った。
「この子は十歳になる息子の
「もちろんです。北山桜生です。宜しくお願いします」
「楊菫華と申します」
お互いに頭を下げてから顔を上げると、僕たちは微笑み合った。年の近い知り合いが出来るのが嬉しくてついつい顔が緩んでしまう。
その後、染め紐作りについて、お互いの決め事について確認した。これは、緑助と楊先生が話し合った結果である。
採血は月に2回までとすること。
採血後は、ゆっくり楊家で身体を休めた後、夕飯に間に合うように帰ること。
そして、これは僕にとって望んでいなかった事ではあるが、一日の採血で薬屋で頂くお給金月額の三分の一ほどの大金を頂けることになった。
お金を早く貯めたいと思っていたのは嘘ではないため、頂けるものは正直ありがたかった。
そうして、染め紐作成が始まった。
白い紐で作られた六、七寸(20cmほど)ほどの長さの組紐がいくつか用意されていた。
「チクッと痛いけど、気分が悪くなったら早めに教えてね」
楊先生は、僕の右腕を取ると注射器で採血を始めた。一本の注射器に採血したものは真っ新な組紐の入った器に注がれ、血液を紐に染み込ませる。紐全体に血液が染み込んだのを確認すると、そこへ楊先生が器を包み込むように両手を被せた。彼がが目を閉じ術を念じ終えると、器から白い煙が僅かに出てきた。
「これで完成ですね。ほら、二人とも見てください。これが染め紐です。これで『呪い持ち』をひとり救える。ありがたいです」
楊先生が手にした出来立ての染め紐は、僕の染め紐よりも鮮やかな桃色で、綺麗だった。
「やっぱり桃色なんですね。女性は好きそうな色ですが、男性には少し抵抗がありそうな……」
僕は桃色が嫌いではないから、あまり気にならないが、男性がつけるには少し抵抗がありそうだ。
「はっ、すみません」
せっかく作って頂いたのに失礼な事を言ってしまった。
「いえいえ……そうだね。組紐に血液を定着させると、どうしてもこのような桃色になるから。でも、そこは改善の余地があるかも知れない。ね、菫華」
「はい、父上」
「さて、桜生くん、気分はどう?」
「はい、問題ありません」
正直、こんなに簡単に出来るものか、と拍子抜けしたぐらいだ。
「じゃ、少し水分を摂ったら、もう一回だけ採血してみましょう。次は菫華、やってみなさい」
二本目の染め紐は菫華の術によって作成されたが、問題なく作ることができた。
「菫華さん、すごいですね。もう楊先生と同じように術も使えるんですか?」
手際の良さもだが、菫華と楊先生を比べても見劣りしないような……素人目だけど。
菫華はそれを聞くやいなや、顔面から耳から真っ赤になり、両手で顔を覆うと「やめてください」と小さく呟いた。
本人には、その自覚がないのだろう。
「菫華には、術師の才があるのは間違いない。兄上の血を引いてるから、当然のことだけどね。それに気付かない者もいたけど……。まぁ、この子はこの仕事を好いてるし、まだまだ伸び代はあると思ってるよ」
楊先生がそう言うと「本当ですか? 父上ッ」と菫華は嬉しそうに表情を一変させた。
「ああ、本当だ」
父の気持ちを初めて聞いたのか、菫華も楊先生も瞳を合わせて微笑み合う。
「ところで、失礼な事をお聞きしますが……その……先ほどの話だと、菫華さんの父上は……」と問いたかったが、幸せそうなこの親子を見ていると、この場でそれを問うことは失礼な気がしたので、やめておいた。
その後、菫華の母を含め四人で昼餉を囲んだ。昼餉までご馳走になって、さらにお金を頂くのも申し訳なかった。が、楊先生には「昼餉、昼寝込みでも少ないぐらいだ」と言われてしまった。
昼餉の後は、しっかり水分を摂り、布団に横になったり、縁側から望む庭園を眺めたりして一刻ほどをこの屋敷でゆっくり過ごした。
外にでると朝と変わらず心地よい日差しが木漏れ日として降り注いでいた。
草鞋を履き、門まで歩くと楊先生と菫華が後ろからついて来て見送ってくれた。
振り返って彼らに挨拶をしようとした時、門の隅に紙包みを見つけた。近づくと「
「あいつ、また持ってきてくれたのか」
楊先生がそう呟いたように聞こえたが、他人の家の事情に首を突っ込む訳にはいかない。
聞かなかったことにしよう。
次に訪問する日の約束を済ませ、楊親子に挨拶をすると、山を下りた。
帰り道の歩みを進めながら、楊親子の姿を思い返した。僕は彼らの幸せそうな姿を思うだけで胸が温まり、幸せな気分になった。
僕もいつか父さんとあんな風に過ごせたらいいなあ。
一方で、菫華の顔を思い浮かべると、やはり何処かで見覚えがある様な感覚に襲われた。
誰かに似ている様な……。
あんなに素直で可愛い子、他にいたかな……?
「素直で可愛い子」と口にしてみると、ふと絢の顔が浮かんできた。
絢は素直で可愛い子だ。
うんうん、と一人にやけて歩きながら頷くと、その後は絢の事を考えるのに忙しくなってしまった。
帰り道を半分ほど帰ってきたところで、木陰に腰掛けて休憩をとった。ここは茶屋の隣に立つ木の下だが、お茶一杯に銭を払うのも節約だ。僕は腰を下ろすと腰の竹筒から水分を口に含んだ。
今日一日で、採血をした上、楊先生のうちまで往復して歩いても体力的には大丈夫そうだ。この調子なら染め紐作りも続けられそうな気がした。
良かった。
そう思ったとき、背にした茶屋から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お姉さん達、旅の人ぉ? 途中まで護衛でもしてあげよっかぁ?」
甘い声で話かけているのは……間違いない、桜太郎だ。
ナンパか?
真子姉さんのこと気に入ってる風だったのは、なんだったんだ?
「安くしとくよッ」
って、商売だったのか……。
桜太郎は、金儲けに手段を選ばないらしい。一体、何のためにそんなに金銭が必要なんだか。彼の言動は本当に分からない。
そして、僕は彼に気付かれないように、そっとその場を去った。
我が薬屋が目に入ってくると、店先を行ったり来たりしている誰かの姿が見えた。
あれは……
「
名前を呼んで片手を大きく振ってみせる。
てっきり相手も手を振りかえしてくるだろうと思っていたが、彼女はこちらを向いたまま棒立ち状態だ。
彼女の正面まで近づくと、一通の手紙を手渡された。
「手紙……来てたから」
いつもは、僕が受け取っている郵便物を今日は二葉が受け取ってくれたのだろう。
お礼を言ってその手紙を受け取り、裏の差出人を見ると、思わずその名前を口にしてしまう。
「絢からだ……」
今日頑張ったご褒美だろうか。
嬉しい。
その手紙を胸にぎゅっと押し当てた後、大切に懐にしまった。
はっ、と二葉の存在に改めて気付く。正面の二葉に顔を向けつつ「ただいま、二葉さん」と告げた。
しかし、次に目に入った彼女の顔は、あまりにも悲しげで涙を堪えている様にさえ見えた。
何?
彼女に何が起きた?
「二葉さん……大丈夫?」
顔を覗き込むが反応がない。
「……」
僕の顔をじっと見つめ続ける彼女の表情は、僕に何かを訴えている様にも感じられたが、その内容までは憶測できなかった。
夕餉を終え、台所から続く裏口から二葉を見送る。二葉の家はここからは目と鼻の先で、二葉が家に入って行くのを見届けるのが、毎週の僕の役割でもある。
いつも口数の多い方ではない二葉だが、今夜は特に口数が少なかった。別れ際に理由を聞いたが「今日は……ただ寂しかっただけ……」と、ぼそっと呟かれただけだった。
布団に入っても今夜は、すぐに寝付けそうにはなかった。染め紐作りに協力できたこと、これは僕にとって、社会貢献できたという初めての満足感を得ることになった。そのため、今日一日がとても充実したものになり、昨日までの自分より少し大人になれた気がして、気分が高揚していた。
もちろん、帰宅後の二葉のことも気になる……が、今夜はさらに絢からの手紙で幸せ気分に浸かろうと封を切った。
彼女の手紙はいつも絢の周りの日常をそのまま長々と文章にして僕に伝えてくれている。
最近の絢の手紙には絢の一番上の兄、
現在、真子の婚約者の春次郎は村を出て奉公にでている。その間、真子に悪い虫が付かないよう、?春次郎が兄の拓郎に婚約者の周りを見張らせているのかもしれない。そう考えれば、拓郎と姉の真子が二人で過ごす時間が増えるのも納得がいく。
———-真子さんは、今日も拓郎兄さんと楽しそうに話していました。何をしているのかと聞いてみると、
ふふふっ。
絢が必死で作ってくれた桜柄の布の薬袋を胸から取り出し、改めて眺めた。
恥ずかしそうにこの薬袋をくれた時の絢の顔が思い出される。
あれから二年近く経ち、最近ではこの袋から薬を取り出すことも無くなってきた。しかし、この薬袋とこの中に入っている貝殻のお守りは、生涯僕を支えてくれるんだろう、と思う。
手紙を最後まで読み終えると、胸がいっぱいになった。
そして、明日は返事を書こうと決意した。もうすぐ桜の季節になる。帰郷の日を知らせなければならない。
そうだ、以前から準備していた紅葉とイチョウの葉の押し葉で作った栞を添えよう。
そう考えていると絢に会いたくなる。
早く会いたい……。
絢のことを考えていると、胸がキュウと締め付けられる。
この胸の苦しみは恐らく君が恋しいからだろう。君に恋をしているからだろう。
絢……早く君に会いたい。
君も同じ気持ちだと嬉しいけど……。
そればっかりは強要できない。
僕はその晩、無性に絢を恋しく想ったまま、その手紙を胸に抱きしめながら眠りについた。
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