第12話

 あの消えた「呪い持ち」の少年はどうなったのだろう?

 彼のご両親の元へ返されたのなら良いが……。

 両親のもとに人殺しの「呪い持ち」が帰ってきたら、どうなるのだろう?


 ———呪いの相手を自らの手で仕留めると、その「呪い」は、消えてなくなる。


 和路医師はそう言っていた。きっとあの少年の「呪い」も解けたため、元の彼の姿に戻れたのだろう。

 しかし、和路医師はこうも言っていた。


 ———ただ、その「呪い持ち」は、その後、「人殺し」と「呪い持ち」という両面でレッテルがはられ、その後、日向を歩くことはもちろん、普通に社会を生き抜く事は難しいと言われている。


 では、あの少年はこの先、一体どう生きて行くのだろう。

 家族の元へ帰っても全ての「呪い持ち」が家族に受け入れられるとは限らない。

 僕の場合は、人を傷付けたが、殺めた訳でもなく、幸い家族や周りのみんなにそれを受け入れてもらえ、こうして毎日を生きている。

 幸せなことだ。

 しかし、僕は小さな村で「呪い持ち」というレッテルを貼ったまま生きていくことに抵抗があった。

 染め紐で押さえられている「呪い」がいつ暴れ出すか分からないからだ。

 分からないのに、僕は未来の自分の幸せを求めている。

 絢との幸せを求めているのだ。

 ああ、この想いはどうしたらよいのだろう。

 絢との幸せを求めることなんて、初めから無理だったのに……。

 ……だめだ。

 負の方向へ考えだすと、どん底に落ちそうだ。

 何のために、ここで奉公しているんだ。

 考えを軌道修正しよう。

 もうこの道を進むと決めたんだ。

 もう後戻りはできない。

 あの「呪い持ち」の少年も、もしかして幸せな道を歩いているのかも知れない。

 希望を持とう。



「役目を果たした『呪い持ち』は、社会的に弱い立場だと言うのは、よく知られています。では、その『呪い持ち』を利用する人はいるんでしょうか?」


 夕餉も終わり、それぞれが自室で各自の時間を過ごす時間に、今夜は緑助に時間をもらった。

 緑助もここ一年程は夜出掛けて行くこともすっかりなくなった。四葉の死の悲しみで泣きうめく声もほとんど聞かなくなった。


「桜生ちゃんは、いると思う?」


「もしかしているんじゃないか、って……」


「どうしてぇ?」


「この間の『呪い持ち』の子が僕の目の前で誰かに連れ去られました。もし『呪い持ち』の彼を目障りだと思う者の仕業なら、彼をその場で亡き者にしたと思うんです。でも、そうはしなかった。

 ……そうなると、彼は両親の元へ返されたか、もしくは何かに利用する為に連れ去られたか、どちらかだと思うんです」


 僕なりに考えた結論だ。しかし、頭の中で考えるだけでは、現実に起こっている事実を知る事はできない。そこで、緑助に助けを求めた、という訳である。

 いつ自分の身に起こりかねない現実を知っておく必要もある。


「恐らく、利用されてるんだろうね〜」


 やっぱり。

 じっとこちらの瞳を凝視する緑助にそのまま視線を返す。


「行き場を無くした『呪い持ち』の彼らに食事を与えて、寝泊まりする場所を与えるだけで、簡単に利用することが可能でしょ〜?」


「簡単に……」


 生かしてやるから、与える仕事をこなせ、と利用されている訳か。


「彼らが生きるためなんだよ」


「……でも……そこまで分かってるなら、どうして誰も彼らを助け出さないんですかッ?」


 僕は思わず身を乗り出した。

 それが知られている事実だとしたら、決して正しい事では無いはずだ。


「それは、君のち……ッ、あ〜んと、それは君の力じゃ無理だよ。それに、ちゃ〜んと動いてくれてる人がいるから、安心して」


 「ね、桜生ちゃん」と緑助にウインクされる。

 なんだか誤魔化された気分になったが、事実を知ることは叶った。


「はい……わかりました」


 うつむき加減で返事をした。しかし、「ただ……」と言葉を詰まらせ、次の言葉を続けるか否か迷っているような緑助は、一旦僕から視線を外した。


「いや、なんでもない。それよりも、もっとこっちへおいで」


 こちらに視線を戻した店主は、僕に向けて長い両腕を広げる。


「……?」


 緑助は「もう〜ッ」もらすと、自ら僕に近づき、ぎゅっと抱きしめた。


「僕が……僕たちが君を守っていくから……ね」


 耳元で聞こえる声は何となく震えているように感じた。


「旦那さん……」




 日一日、年の瀬が近づくごとに寒さも徐々に増してきた。そんな昼過ぎ、一日中外を走り回っている郵便配達員に感謝しながら、今日も郵便物を一通受け取った。その一通は沙都村さとむらの母からであった。

 その夜、自室の文机に向かって母からの手紙を読むと、心がぽわりと暖かくなった。

 僕の体を気遣うことから始まり、姉や森戸屋のみんなの近況も書かれていた。


 ———それから、和路先生からのお誘いで、先生のお宅の一室をお借りして、子供や若者に礼儀作法の教室をさせてもらうことになりました。

 森戸屋で働くより、体に負担が少ないだろうと勧めてくださったのです。森戸屋さんにもご了承を頂きました。年が明けたら始めるつもりで準備をしています———-


 母は今年に入ってから頭痛を訴えるようになり、最近では森戸屋の仕事もきつそうだ、と春の帰省時に姉の真子まこが話してくれていた。


 毎日でなくても、母が和路医師の近くに居てくれることは、母の体調面や精神面においても安心できる。

 姉の真子は、数年後には春次郎しゅんじろうと結婚し、母の元を離れることになる。体調の悪い母を一人、あの山の上の家に居させることが心配ではあった。

 少し安心したな。

 良かったね……母さん。

 母を想い、胸に潜む薬袋の中の貝殻を着物の上から掌に包み込む。母と父を結ぶ大事な貝殻のお守りだ。

 早く父を見つけて、母さんを安心させてあげたい。そうすれば、母さんの体調も良くなるかもしれない。


 ———桜生の髪は父さんの髪にそっくり。本当に羨ましくなるほど綺麗な髪をしてるわね。


 母が教えてくれた父の情報を思い出す。沙都村にいるよりも、この街中や出先でなら、いつか居なくなった父が通りかかるのではないかと、淡い期待を抱いている。そのため、真っ直ぐで綺麗な髪の男性を見かけると声を掛けずにはいられない。しかし、職業を聞いて「絵描き」と答えた者は今のところいない。


「母さん……僕が必ず父さんを……」


 ひとり自室で呟いた。

 父が居なくなって九年。母は未だに父を待っている。それを思うと胸が苦しくなった。



 一方で、あの「呪い持ち」の出来事以降、僕は連れ去られた少年のことがずっと頭から離れなかった。

 そして、「呪い持ち」が不幸だというレッテルをどうにか剥がしたいと思うようになっていた。

 年の瀬も間近な休業日の朝餉の後すぐに、僕は緑助の部屋を訪ねていた。二葉が来る前に緑助に話をしておきたかったからだ。

 僕は頭を畳まで下げ、緑助に懇願した。


 ✳︎✳︎✳︎


 数日前。

 月に一度やって来る桜太郎が「こんちわぁ」といながらダラリと店先に顔を出した。

 桜太郎には毎月、北の山間部に薬を配達する仕事を担ってもらっている。


「こんにちは。お世話になります。すぐ旦那さんをお呼びします」


 僕は決まり台詞を返すと、奥で薬の調合をしている緑助を呼びに向かった。彼に渡す荷物は既に用意してあったし、すぐに渡せるのだが、桜太郎が来たときは緑助に声を掛けるよう言われている。


「ねぇねぇ、桜生くん」


 奥に姿を消す直前で桜太郎に呼ばれ「はい」と振り向く。


「いっつもつれないからさ。ちょっとこっち来てよ」


 手招きをされても、こちらとしては特に話はない。

 話したくないのが本音だが。

 しかし、店としては大変お世話になっている彼に仕方なくニコリと作り笑いをして近くに寄った。

 髪で隠れた右目を見なくても、ニヤリと笑う桜太郎の測りきれない顔が目の前に近づいて来る。

 ぐっと顔を覗き込まれ、僕は一歩後ろへ退く。


「桜生くん、顔、真子さんにそっくりだね。君じゃなくて真子さんがここに居てくれたら、毎日でも顔を出すのになぁ」


 「残念だなぁ」と付け加えられ、気持ちが良い訳がない。


「僕の方で悪かったですね。でも、姉はダメですよ。婚約者もいますから」


 口調は落ち着いて言えたと思う。


「わーかってるって。こんな俺みたいな放浪者にはもったいない女性ひとだろ?」


「その通りです」


 言葉を投げやりに返すと、僕は彼に背を向けて店の奥へと急いだ。

 いつもこうだ。

 桜太郎に会うと彼のペースに流され、減らず口をきくように強がって口を開いてしまう。

 本当は感謝しかないのに。

 そう思って、桜太郎から譲り受けた右手首の染め紐を手首ごとギュッと握り締めた。

 今、僕がこうして普通に社会で生きて行けているのは、一重にこの染め紐のおかげなのだ。年に一度でも家族や絢に会える。こんな幸せな「呪い持ち」が他にいるだろうか。

 ……!!

 そうだ!

 染め紐さえあれば、「呪い持ち」はもっと日向を歩けるのではないのか。

 その時、僕の頭の中にふと一筋の道が見えた気がした。


 ✳︎✳︎✳︎


「染め紐を作りたいのです。旦那さんがもしご存知なら、作り方を教えて頂けませんか?」


 真剣な眼差しで緑助に訴える。


「それ、僕が作り方知ってるていできいてるの〜?」


「はい。旦那さんは何でもご存知ですから」


「そのキラキラした目をされると、僕弱いんだよね〜」


 僕が「呪い持ち」でありながら、こうして毎日平和に生活を送れているのは、桜太郎から譲り受けた染め紐があるおかげだ。もし先日のような発現した「呪い持ち」に出くわした場合でも染め紐さえあれば、あの少年を人殺しにせずに済んだかもしれない。

 連れ去られた少年が、何に利用されているかは分からない。しかし、恐らく良い事ではないだろう。僕に彼らを救い出すことが出来ないのなら、せめて僕と同じように染め紐で幸せになってほしい。


「……分かった、教えるよ〜。……ただ、染め紐は桜生ちゃん一人では作れないんだよね。それ、結構貴重品なんだよ」


 緑助は途中から表情を引き締め、僕の右腕を指差して説明し始めた。それによると、染め紐は発現した「呪い持ち」の血液と術師による術が必要だという。


「『呪い』の対象を殺したあとの『呪い持ち』ではダメなんだよ。もう、そうなった魂には『呪い』が存在しないからね。だから、むしろ『呪い』の存在する桜生ちゃんの血液が貴重ってわけ」


 なるほど。

 そして、今の話には関係ないが、緑助は大事な話の際には語尾が伸びず、真剣な眼差しで話をしてくれる。たぶん、本来彼の正体はこちらなんだろうと、僕は思っている。


「術師が聞いたら、きっと泣いて喜ぶよ。その貴重な血液が手に入るんだからね」


「……では」


「でも、僕こう見えて、かなり桜生ちゃんのこと心配してるんだよ。無理して……四葉のようになってほしくない。命を大事にしてほしいんだよ」


 緑助の表情は真剣でありながら、困惑し、悲しげでもあった。僕にとって、緑助は雇い主の店主であり、一方で保護者代わりでもある。子どもの僕のすることの責任は緑助の責任となる。

 しかし、僕の方も引くわけにはいかなかった。


「無理はしません。気をつけます。『呪い持ち』は不幸の道という現実に、もう耐えられないんです。『呪い持ち』に少しでも希望を持ちたいんです。どうか……どうか旦那さん、僕の血を術師の方に提供することをお許し下さい」


 その僕の懇願に「考えさせてほしい」と俯いて答えた緑助は、そのまま背を向けてしまった。



 新しい年が明け、冬の寒さもいよいよという日の昼前、雪が散り出した。

 未だ緑助からはあの日の返事をもらえていない。もどかしい気持ちを抱えたままでも、仕事をこなしていかなければならない。そんな気持ちで今日も竹吉の横で注文の調合薬を薬包紙に包んでいく。

 すると、急に開けていた店の入り口から雪と共に北風が入り込み、薬包紙が数枚飛ばされて行った。僕は慌てて入口の戸を半分閉めに店先に出た。


「おいッ」


 後ろから声を掛けられ、振り向いた。振り向いて目に入った姿に、僕の心臓は激しく鼓動を打った。

 色白の顔にそばかす。

 そして左頬の傷。

 ……間違いない。

 あの時の「呪い持ち」の少年だ。


「ご……御用でしょうか」


「御用で悪いかッ」


 僕より二つ三つ年上だろうと思われたその少年は、目も合わさずに言い返して来た。

 「と……とりあえず中へどうぞ」と僕は彼の態度にビクビクしながら彼を店の中へ案内した。

 少年の要望を聞いている竹吉と話をしながら、その少年は、チラチラこちらに視線を送ってくる。

 彼は僕の顔は知らないはずだ。

 あのとき、すでに彼は正気ではなかった。

 なぜこちらを気にしているのだろう。

 竹吉の後ろで控えている僕も結局、彼の事が気になって仕方がない。

 聞きたいことがたくさんある。「呪い持ち」同士なのだから。

 しばらくして、その「呪い持ち」の少年が希望の薬を購入し、帰っていくのを店先まで見送ろうと外へ出た。

 どうにか彼と繋がりを持ちたかった。


「あのッ……」


 あの時の「呪い持ち」の方ですか?

 あの後、誰と、どこへ?

 とは、さすがに聞けない……。

 さっさとこの場を後にしようとする少年は、険しい顔だけで振り向いてはくれたが、特に返事をしてくれる訳でもない。


「あの……ッ、また来てください。お待ちしてます」


 そう声をかけるのが精一杯だった。しかし、無言で再び顔を正面に戻した少年は、傘もささず雪の舞い散る中、去っていった。

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