第11話
清島の街並みを彩っていたイチョウや紅葉も殆どの葉を北風が持っていってしまった。
小さな荷車への詰め込み作業が終わる頃、辺りはうっすら明るくなっていた。外気の冷え込みに身震いし、手と手を擦り合わせて指の感覚を取り戻そうとする。
「よし。そんなら、そろそろ行こうか」
「はい」と一声返事を返し、僕は竹吉の引く荷車の後ろに付いて歩き出した。帰りは暗くなると予想される。
今回、初めて竹吉と一日がかりの仕事を任された僕は、胸が高鳴っていた。
西の方向へ出向くのは初めてであったし、我が
今回、その配達先の大事なお客は、二件である。
一件目は山の中にある術師の家だと聞いており、二件目である最終目的地は街の中の権力者宅と聞いている。この屋敷には国を統べる帝国の有力者も宿泊、滞在するらしい。
ニ刻ほどまっすぐ道を行ったところで、静かな山の中へと進路を変えた。高い木々に囲まれた山道には殆ど日の光が無く、太陽が南に昇っても外に出た皮膚は外気の寒さに触れてかじかむ。
山道とは言え、荷車を押していても車輪が大きく揺れることもなく、道は綺麗に整えられていた。そして、この山への入り口は街中からさほど離れていないため、人々が度々この先の術師宅へ足を運んでいるのだろうと想像できた。
そんな緩やかな山の中腹あたりまで来たとき、急に土地が開けた。そしてそこには、立派な屋敷が鎮座しているのが視界に入ってきた。
竹吉が門から屋敷に声を掛けると、中から僕と同じ年頃の少年が出てきた。
「遠いところ、ありがとうございます。父を呼んで参ります」
愛想よく挨拶をしたその少年は、そのまま屋敷の奥へと姿を消した。
しかし、僕はその子に見覚えがある様な不思議な感覚に囚われた。
どこかで会ったかな?
首を傾げながら、しばし考えを巡らせたが思いつくには至らなかった。
そうしているうちに、屋敷の主が現れた。代金と引き換えに商品を納めると、最後に緑助からの手紙を手渡し、僕たちは屋敷を後にした。
次の目的地に向かう途中で、僕たちは昼にする事にした。竹吉はいつもの場所がある、と言って、ある地蔵堂の後ろにある大きなカシの木の下に連れてきてくれた。そして、そこに二人で並んで腰を下ろした。
ヨシの準備してくれた握り飯をほおばっていると、竹吉が不意に口を開いた。
「僕は、ここで拾われたんだよ」
突然の竹吉の話にかぶりついた握り飯と共に竹吉の横顔を見上げる。
「十五のときに…… 先代にね」
「そうだったんですか……」
何本か白髪の混じる竹吉の視線は、まっすぐ遠くを見ていた。その姿はまるで今までの彼の人生をじんわり振り返っている様に見えた。
「先代のおかげで、今では所帯をもって暮らすこともできてる。だから、僕の体が動くうちは
竹吉からは、今の幸せな日々を噛み締めて行こうという、改めての決意を思わせた。
「僕も竹吉さんのようにしっかり奉公していきたいです」
いつか僕も竹吉のように所帯をもちたいと思う。
しかし、一方で緑助の亡くなった妻、四葉のことも頭をよぎった。
彼女は僕と同じ病だった。
彼女は二十代半ばで亡くなっている。
僕の体が丈夫になってきているとはいえ、彼女と同じ歳まで生きることができるのだろうか。
ゾッと不安が押し寄せる。
分からないから、早く一人前にならなきゃいけないんだ。
早く大人になりたい。
知らず知らずのうちに僕は空いた方の手をぎゅっと拳にして握っていた。
「そうだな」とチラッとこちらに微笑みかけた竹吉は、僕の頭をぐしゃりとなでた。
「しかし、先代といい、旦那さんといい、子どもを拾うのが趣味か何かだと思うな、僕は」
竹吉の言葉に、そうなのか? と首をかしげながら思いつつ、楽しそうに笑う竹吉につられて、僕も一緒に笑った。
その後、さらに隣の街まで一刻ほど西へ荷を運び、二件目である権力者の大きな屋敷に無事薬を届けると、僕たちは帰路に着いた。
昼休憩をした地蔵堂辺りまで帰ってくると「少し休憩して行こう」と言う竹吉と茶屋に寄った。
「頑張ったから、ご褒美だ」
お礼を言って、竹吉の手から温かい甘酒を受け取ると、ゆっくり啜った。
美味しい……。
甘酒を飲み終える頃になると、体がぽかぽか温まってきた。
「ご褒美を頂きましたし、ここからは僕に引かせて下さい」
「それは頼もしいな。行けるところまで行ってみるか?」
「はい」と元気よく返事をして荷車を引っ張り始めたが、やはり九歳の僕には、思ったより力がいった。
しかし、しばらく引いていると車輪が軌道に乗ったように進み出した。
これなら、最後まで引いて帰れそうだ。
そう思って荷台を引いていると、突然横から何かがぶつかって来た。
僕はバランスを崩し、荷車ごと倒れた。
取り敢えず、体を起こして状況を把握する。僕の横には少年が倒れていた。どうやらこの少年とぶつかったらしい。
目の前にいるがたいの良い男性が険しい表情でその少年を見下ろしている。なるほど、このがたいの良い男性がこの横にいる少年を投げ飛ばしたようだ。そして、この少年は、たまたま通りかかった僕と荷車にぶつかったということか。
そう周囲を観察していると、一瞬、少年が頭だけでこちらに視線を向けた。
いや、少年……じゃない……違う。
僕は目を見張った。
その少年の姿をしたソレは、いつか
———吊り上がった目の中の瞳は青白く光り、手の指が巨大化し、ながく鋭い爪が生え、首から顔のあちこちに血筋が走るのだ。まるで悪魔の容貌のように……
「呪い持ち」だ!
「桜生! 怪我はないか?」と竹吉が側に来ても、それに応えることもできない。ただその「呪い持ち」の姿を目で追うことに必死になっていた。
「おい、桜生ッ!」
竹吉が呼んでいる。心臓の音がうるさい。体全体が震えている。その自覚はあったが、でもそんな自分の事はどうでもよかった。
堅いの良い男は、顔を爪で引っ掻かれたのだろう。片手で顔を覆っている。
「呪い持ち」の攻撃を受けたこの堅いの良い彼が、恐らく「呪い」の対象なのだろう。
立ち上がった「呪い持ち」は、ふらつく男に容赦なく食らいつきに行った。男はふらつきながらも、その少年の鋭い爪の攻撃をかわしていくが、完全にはかわしきれていない。
男の身体中には爪の引っ掻き傷が増えていく一方だ。騒ぎに気付いた周囲に人が集まり始めている。
その中で、何も知らない幼子が男の後ろに飛び出して来た。
後退しながら避けていた男は、その幼子につまずき後ろに倒れた。
すかさず、「呪い持ち」はその短刀のように長く伸びた爪を男の急所に刺した。
……そして、男は事切れた。
男の下敷きになっていた幼子は、すぐに母親と思われる女性に救出されるが、男と同じくすでに命は尽きていた。
一方、「呪い」の対象を亡き者にした「呪い持ち」は、その場で意識を失い、徐々に元の少年の姿に戻りつつあった。
僕は何の好奇心からか、「呪い持ち」の傍に駆け寄った。
顔をよく見ようと覗き込む。
色白で蒼白した顔だ。鼻の周りにはそばかすがあるが、綺麗な顔立ちだ。男に振り飛ばされた時に負ったであろう左頬の傷が痛々しい。
僕は自身の手拭いを手に持ち、「呪い持ち」のその頬の傷に恐る恐る触れようとした。
が、その頬に触れる事は出来なかった。相手の頬が消えていたからだ。頬ばかりではない。その少年自体が目の前から消えていたのである。
一瞬の出来事だった。
黒い影が一瞬目の前を通ったかと思うと、その黒い影と共に少年の姿も消えてしまっていた。
「え?」
座り込んだまま、唖然とする僕の傍に竹吉が駆け寄って膝をつく。
「桜生! おい、桜生ッ」
僕の肩を揺すり、何度も僕の名前を呼ぶ声が耳の奥で聞こえている。
なぜだろう。
身体の機能が殆ど働いてくれない。
まず、今起こったことが、現のことなのかがはっきりしなかった。現の出来事と認めたくなかった。
先程触れようとした少年はどこへ行った?
いや、それより。
七歳の自分の身に起こり得た現実を目の当たりにした衝撃が頭の中を巡った。
こんな状況を絢に見せつけていたのか、僕は……ッ。
ごめん……絢。
あの時の僕には記憶がない。つまり自分が「呪い持ち」になっている間の記憶がないのだ。
しかし、僕も七歳の時、あの場で桜太郎さんの命を奪いにいったのは確かだ。
たまたま、桜太郎が術師だったから助かっただけだ。
だから、人殺しにならずに済んだ。
こうして染め紐を付けて平和に暮らせるのも桜太郎のおかげだ。
僕の魂は桜太郎を亡き者にしようとしているのに。
僕自身は改めて桜太郎の存在に感謝をしなければならなかった。
「……うッ」
どれぐらいそうした状態だったのだろう。急に左腕に痛みの感覚を覚えて我に返った。左腕を動かそうとすると激痛が走った。
「うッッッ!」
その痛みにその場でうずくまってしまう。
「腕が外れてる。いま治してやるから」
竹吉が処置を施すと、瞬時に痛みが消えた。
「どうだ? まだ痛むか?」
「……いいえ。痛みはなくなりました。ありがとうございます」
「帰ってから、念のため旦那さんに診て持った方がいいな。それに……あの通り、荷車も壊れてしまったし、片付けて帰ろうか」
日が落ちてから帰宅すると、緑助とヨシがすぐに揃って出てきてくれた。そして、まず緑助に抱きつかれた。
その後、竹吉が帰りに遭遇したことの一部始終を話すと、また抱きつかれた。
「辛かったね」
緑助がぎゅっと僕を包み込むと、今まで張り詰めていたものが一気に崩れ落ちるように、僕は彼の腕の中で泣いた。
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