第8話
梅雨前の穏やかな晴天が続いている。日中の気温の上昇にまだ体が慣れてないせいか、最近は夕方の店仕舞いの頃になると、どっと疲れを感じる。
七歳の子が言うか、と自分でも思うが、今まで一日中こんなに体を駆使することがなかった僕にとっては、これでも上出来も上出来である。
しかも、奉公に来てからというもの、体の調子もよく、胸の苦しみもほとんど感じない。こうして仕事が出来ることを改めてありがたいと思う。
そう思いながら、今日も夕刻の西日を浴びて、店の戸を閉めにかかった。
すると、ガタンッと外で何かの音がした。驚いて音のした方を見る。
……また、いる。
薬屋の店先の道向かいに置かれた荷車の後ろに、お団子頭の子がしゃがんでいるのが見えた。
最近ではよく目にするこの光景だが、彼女は一体何をしているのだろうか。
相手に動きもないため、首を傾げつつ、いつも見て見ぬふりを通している。顔はわからないが、身なりの良さそうな子が、まさか盗みという訳でもないだろう、と判断したからでもある。
翌日の昼餉時。気温がここ最近で一番上がっているように感じる日だった。昼の暑さにはありがたい冷奴を口にすると、疲れが少し和らぐ気がした。
「桜生ちゃん」と緑助に声をかけられ、「はい」と箸を止めて彼の顔を見る。
「体、辛くない?」
「暑さが少しこたえますが、大丈夫です」
緑助の気遣いの言葉にすかさず答える。
夕方は少し辛いが、夜寝れば翌朝は体調良く動ける。
緑助はひと呼吸の間を置き、僕の顔を真剣な眼差しで眺めると、急にニコリと笑顔を返して来た。
「それなら、良かった。でも、辛かったら早めに教えてね〜」
「分かりました。お気遣いありがとうございます」
「もぅ〜、桜生ちゃんたらよく出来たお子様なんだから〜」
昼餉を終えると、店頭で竹吉に薬包紙の包み方を教わった。店の役に立つ仕事を教わる嬉しさに半刻ほどその練習に没頭した。
そうしていると、竹吉が外回りに出て行ったのと入れ替わりに、珍しく緑助が店頭に出てきた。緑助の傍にいるように言われ、薬包紙の練習をする合間に緑助の指示を受け、彼の手伝いをこなしていた。
ふと、自分の額から汗が滴っていることに気付き、手拭いで汗を拭き取った。そして、この調子だと外はもっと暑いだろうと、外の暑さが気になり、緑助に許しを得てから、桶に水を汲みに立った。
そして、店先に打ち水をしながら、やっと太陽が西の山に近づいたことに、ホッとした。今日は昼間の暑さで自分の体力がかなり奪われてしまった気がしていた。
休む程でもないし、日も傾いてくれば暑さも和らぐだろう。
店仕舞いまでは、頑張れる。そう、自分に言い聞かせる。
腰に付けている竹筒から口に水を含み、少し英気を養うと、また緑助の側に戻った。
「ちょっと早いけど、そろそろ店を閉めよっか〜。今日は僕も疲れちゃった。暑かったもんね〜」
緑助がそう提案して来たのは、いつもの店仕舞いまで後半刻ほどという頃だった。緑助が先に暖簾を下ろしたのを確認すると、僕は戸を閉めにかかった。
「あのッ」
その時、後ろから声がかかり、まだお客がいたのか、とすぐに振り向きながら「はい、ご用件を伺います」と返事をした。
しかし、その声の人物を確認して僕は驚いた。
お団子頭の子……。
「あのッ、薬はいらないの。その……ちょっとだけ、中に……」
「中に?」と首を傾げながら聞き返すと、彼女は緊張した面持ちで言葉に詰まりながらも何かを訴えようとする。
「お家の中に……入ってもッ……いい?」
返答に困っていると、屋内から緑助の声がした。
「
どこかで聞いたことのあるような名前だが頭が回らない。
こちらに近づきながら緑助は、四葉の妹だと教えてくれた。
ああ、緑助のなくなった妻、四葉よつばの妹か。
「一人で来たの? えらい、えらい。中に入る〜?」
親しげに話しかける緑助とは違い、二葉の方の表情は固い。
「
二葉が何か話し出しているが、僕は段々と増す胸の痛みに耐えられず、しゃがんでしまった。
そんなにひどい発作ではない。少しじっとしていれば治る。そう思っていても、なかなかそれを周囲に伝えられない。こういう時は大抵、周りの方が動揺してしまう。その度にいつも申し訳ないと思う。
僕の様子の変化にに気づいた緑助が「薬を」と、うずくまる僕を屋内へと運び込む。緑助は手際よく、僕の首にかけられた巾着から丸薬の薬包紙を取り出し、腰に掛けてある竹筒の水で飲ませようとしてくれる。
しかし、先程飲み干した竹筒に水は残っていない。
「二葉ちゃん、水お願いできる?」
大丈夫だ、意識は飛んでない。薬が無くてもすぐに良くなる。
「だ……だいじょぶ……」
何とか伝えようとするが、それが精一杯だった。僕ができるのは、緑助に抱かれたまま、胸の痛みと戦うのみだった。
次の日は、店休日だったが、すっかり体調もよくなった僕は、朝からヨシの家事などを手伝った。空いた時間は姉の真子まこから譲り受けた教科書での勉強に当てた。
昼も過ぎてしばらく経った頃、僕の三畳ほどの小さな部屋に来客があった。
それは、二葉であった。
二葉は、昨日の発作を心配して来てくれたらしい。彼女は、大人しい性格なのか口数は少ないが、色白な肌の丸顔に大きな目をしている可愛らしい子だった。体格から年は一つ二つ僕より上だろうと思われた。
狭い部屋で過ごすのも何なので、二葉を縁側に誘い二人で腰を下ろすと、僕は彼女に昨日のお礼を言った。
「昨日は何か用があったんですか?」
「姉様に手を……合わせたかったの。私……姉様がいなくなったことが、し……信じられなくて」
彼女はうつむいたまま途切れとぎれだが、淡々と話してくれた。四葉が亡くなって数ヶ月経ってやっと昨日仏前に手を合わせられた、そして形見のリボンを受け取れたとの事だった。
「あなたが……この店に来たって聞いて……私何か恥ずかしく……なったの」
僕は二葉の言いたいことが分からず、首を傾けて二葉を見つめ、次の言葉に耳を傾ける。
「見に行ったら……私より小さな子が……たったひとりで奉公に来て頑張ってるから……私もこのままじゃ……だ、ダメだって」
「こんな体の弱い僕みたいな者を奉公させて下さる旦那さんには、本当に感謝しています」
僕は二葉にニコっと笑顔を傾けた。
「それに僕も四葉さんのように生きたいなって、思ってるんです。大事な人と夫婦になれる日まで生きたいな、って」
「あ、すみません。こんなこと……」と少し喋り過ぎたことを後悔した。今まで胸の内を誰にも明かしたことは無かったが、二葉の素直な言葉に促されたのか、二葉には話しても良い気がしたのだ。
「やっぱり……」
「え?」
二葉の呟く声が聞き取れず、聞き返す。
「やっぱり、私……桜生くんとお友達になりたい」
「だめかな?」と問われ、こちらとしては、断わる理由が見つからない。
その後、二葉は緑助に誘われ、夕餉も共にして帰っていった。
その日から、週末の店休日には二葉がやってきて、時には今日のように夕餉まで居て帰るようになった。奉公に来てからは、周りに年の近い話し相手もおらず、僕にとって、週末二葉と過ごす時間が気の休まる楽しみの一つとなったのである。
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