第3話

 片手から暖かい手の温もりをじんわりと感じる。

 ゆっくり目を開けて、その手の温もりの原因を探ろうと僕は、頭を左に傾けた。


 僕の横たわる布団の傍に座り、顔を布団の隅に伏せて寝ているのは……


 お兄ちゃん……?


 夢か現か。

 さっきまで夢に見ていた兄が横に居た。


 お兄ちゃんだ。


「お兄ちゃん……」


 はっきり発声できず、掠れた囁き声で兄を呼んだ。

 兄はその呼びかけに目を覚まし、ゆっくりと顔をあげる。


「んっ? 桜生……?」


 ぼやけた視界を明らかにしようと、何回か瞬きをして、横にいる兄の事をよく見てみる。


 あれ? お兄ちゃんじゃない?


「春兄しゅんにい……」


 握られた手の感覚がお兄ちゃんと春兄、完全に同じだ。

 懐かしい。


「桜生……」


 春兄は震えた声で僕の名前をもう一度呼び、「よかった」と繋いだ手に力を込めた。


 春兄は絢の二番目の兄で名前を春次郎しゅんじろうと言う。今年15歳になる姉の真子と同級生である。


 春兄は「お兄ちゃん」だったんだ。

 僕はそれを確信した。

 前世でも今生でも僕を見守ってくれている。嬉しい。お兄ちゃんがこんなに近くに居てくれたんだ。

 胸の奥から熱いものが込み上げてくる。

 僕も春兄の手を強く握り返した。春兄は僕が涙を流すのを見ながら、自らも涙目になっている。


「……目が覚めて良かった。気分は……どうだ?」


 春兄は空いた手で僕の顔にかかった横髪をよけながら、頬の涙に優しく触れた。


「うん、大丈夫……」


 それを聞くと、春兄は安心したように微笑んだ。


「お前、眠ってる間もずっと『お兄ちゃん』って叫んでたぞ。悪い夢でもみてたんだろう?」


「春兄が居てくれたから」


 「大丈夫」と僕は春兄に笑って答えた。


「ありがとう、春兄」


「いや俺は、たまたま来てただけだ。それより無理するなよ」


 「母さんと姉さんを呼んできてやる」と春兄は部屋を出て行った。

 ひとりになった部屋で、首をゆっくり反対側にねじり、高い所にある窓の外を見ると、薄暗い静かな空が見えた。




 翌朝。

 僕は昨夜の前世の夢のせいで、あまり気分が良く無かった。それでも、今朝は体を起こす事ができるようになり、母が用意してくれた緩いお粥を僅かに口にできた。


 その後、知らせを聞いた和路わじ医師が様子を見に来てくれた。和路医師は村で唯一の医師で僕の主治医である。

 彼によると、僕は三日間眠り、そして、うなされていたらしい。

 和路医師は、診察を終えると、母の由ゆうと姉の真子を僕の傍に呼んだ。


「桜生さん、それからお二人も、これから話す事をよく聞いて下さい」


 「まず、これを」と何か紐のような物を着物の袂からとりだすと僕の右手首に結び付けた。

 和路医師にその紐を結び付けられた瞬間、僕の全身がビリビリッと一瞬震えた。


「うっっ……」


 今まで感じたことのない全身が痺れるような感覚に声を漏らしてしまう。

 傍にいた母の由と姉の真子まこもその僕の様子に手を差し伸べようとした。が、和路医師の落ち着いた言葉を聞いて、一旦乗り出した身を引いた。


「良かった……大丈夫ですよ」


 和路医師は、僕の右手首を両手で包み込む。そして、優しく微笑んだ。


「こうなるのは、身につけた一瞬だけ、と聞いています。身につけてさえいれば、この紐が桜生さんを一生守ってくれます。今、その体に受けた反応が、その証拠です」


「何があってもこの紐を外さない様にして下さい」


 そう付け加えると、和路医師は、桜生の手首から自らの両手をゆっくり離した。

 和路医師が僕の右手首に結び付けた紐は、しっかり組み込まれた薄い桃色のものだった。見た目は普通の紐に見えるが、身体中を縛り付けるような先程の痛みが、ただの紐ではないことを示していた。僕は恐る恐るその紐に反対の手で触れてみる。


「その紐は『染め紐』というもので、桜生さんにとっては、お守りのようなものです。

 ……桜生さんの中にある『呪い』を押さえつけるためのものになります」


「『呪い』……?」


 『呪い』と聞くと、僕の頭の中に夢で出て来た義父の顔が浮かんだ。一瞬吐き気を感じ片手で口を覆う。

 それを見た和路医師が僕の背中を数回ゆっくりなでてくれた。


「……あの……つまり、桜生は…『呪い持ち』になったということですか」

 言葉につかえながらも由は、恐ろしい現実を確認するかのように問いかけた。


「……由さん、その通りです」


 はっきりと肯定した和路医師の言葉を聞くと、由の上半身がふらついた。


「母さん」


 それを隣の真子が支える。


「大丈夫。ちょっと目眩がしただけよ」


 由は一度深呼吸をして、母としてしっかりしなければ、と思わせるように自ら体を正した。

 由が気を取り直したのを確認し、安堵した様子の和路医師はまた続ける。


「『呪い持ち』には、色々な恐ろしい噂があります。しかし、運が良い事に、桜生さんはこのようにいつも通りです。それは、この染め紐と桜太郎さんの術のおかげと言えるでしょう」


 和路医師の真剣な眼差しに桜生も寝床の上で背筋を伸ばした。


「桜生さん、あなたは『呪い持ち』が発現した……つまり『呪い持ち』になったという事になります」


「『呪い持ち』……」


 そう聞いても馴染みのない言葉にあまり実感がわかず、僕は思わずその言葉を呟いてみる。

 この後の和路医師の説明は次のようであった。

 『呪い持ち』の「呪い」とは、今生ではなく、前世に関わるものといわれている。

 魂自体は生まれ変わる。

 そして、生まれ変われば、前世の記憶は勿論消える。

 しかし、魂自体はそのまま受け継がれている。

 その魂が次の生に受け継がれたとき、前世に抱えた「恨み」「怒り」「憎しみ」が後世に「呪い」として魂に残っている事がある。

 その場合、さらに「呪い」の相手も同じ世界に現れ、お互いが出会ってしまったとき、その「呪い」が現れてしまう———つまり発現はつげんしてしまい、「呪い」を発現した者は「発現者」や「呪い持ち」と呼ばれる事となる。

 どのように「呪い」が現れるのかといえば、 


「魂同士が出会った瞬間、現れます。目が合った時や身体が触れた時などと言われています。

 そして、前世の魂の持っている「呪い」の力が、呪った相手を傷つけ、死に至らしめます」

 

 しかも、「呪い」が現れた瞬間、『呪い持ち』本人の容貌が一瞬にして激変する。具体的には、吊り上がった目の中の瞳は青白く光り、手の指が巨大化し、ながく鋭い爪が生え、首から顔のあちこちに血筋が走るのだ。まるで悪魔の容貌のように。

 しかし、呪いの相手を自らの手で仕留めると、その「呪い」は、消えてなくなる。それが今の「呪い」の解き方だと。

 ただ、その「呪い持ち」は、その後、「人殺し」と「呪い持ち」という両面でレッテルがはられ、その後、日向を歩くことはもちろん、普通に社会を生き抜く事は難しいと言われている。


「桜生さん、あなたの魂の『呪い』の対象は、おそらく桜太郎おうたろうさんでしょう」


「桜太郎さん……」


 桜太郎という名前には聞き覚えがあった。顔は知らないが、声を聞いた事がある。いつも和路医師のところへ薬を届けに来る人だ。


「覚えているかは、わかりませんが……あなたは昨日、桜太郎さんを……」


 そこまで聞いた僕は、その先を他人の口から聞きたくなかった。


「少しだけど……その桜太郎って言う人が目の前で傷ついていたのは覚えてる……その人を傷つけた記憶は……ない……けど、僕が……僕が?」


 自分の震える両手を見つめ、僕はそのまま震える手で顔を覆った。


 誰かに体を乗っ取られていたときだ。

 自分の体を制御できず、目もみえず、勝手に手足が動き出した。

 あの時、あの人を傷つけてたのか。

 やってしまったんだ。

 もう取り返しはつかない。

 人を傷つけてしまった。


 目を閉じると、桜生の脳裏に血を流し肩を押さえてうずくまる若者の姿が浮かぶ。

 あの若者が桜太郎という人物であった事を理解した。

 そして、傷ついた桜太郎という若者の後ろに見えたのは……絢あや。

 彼女が出した恐怖の叫び、怯えた表情。

 ああ、僕の大事な絢を不安にさせてしまった……。

 恐怖を与えてしまった。

 そう思ったら、僕はいてもたっても居られなくなった。


「わあああああああッ!!」


 僕は叫びながら、自分の頭を抱え激しく振り乱した。

 人を傷つけ、絢を恐怖に追いやり、家族に皆に迷惑をかけている。

 この現実を受け入れられない。

 この現実をどうすることもできない。

 自分自身に腹が立ち、怒りで体が震える。

 僕はまだ一人で立つこともままならない体をなんとか動かし、寝床から四つん這いでよろよろと這い出した。

 ただ一点に向かってゆっくり、ゆっくりと這い進める。


 「桜生」「桜生さん」と名前を呼ぶ声が聞こえた気もしたが、僕の脳が周囲を受け付けない。

 体が重い。

 なかなか思うように動かない自分の体をなんとか文机まで移動させた。

 僕は文机の下にある箱から切出し小刀を取り出す。

 両手で小刀を握るとその場にペタリと座り込む。

 握った小刀の先端は迷いなく顎の下に向かう。

 しかし、いくら待っても痛みが訪れてくれない。


 パシッ。


 突然、左頬に痛みを感じた。

 左手でその頬に触れようとするが左腕は動かない。


「桜生ッ!」


 由に呼ばれたその声で、僕はやっと周囲の音を受け付けた。いつも温和な母が怒鳴ったことに驚き、自分の行動の浅はかさに気付く。

 知らないうちに両腕を姉と和路医師に片方ずつ捕まれていた。

 そして、目の前には涙を流す由が居た。

 

「母さん……」


 思わず母を呼ぶと、由にがっちりと抱きつかれた。  


「父さんの大事な小刀で何してるの」


 涙声で寂しそうに由は言った。

 僕も母に身を委ねた。


「僕……自分に腹がたって……皆んなに迷惑かけた事が……それで、もう自分が嫌になって……」


 「ごめんなさい、母さん」と言った時には、僕も母の胸に顔を埋めて泣いていた。



「さあ、桜生さんそろそろ布団へ。少し横になった方がいいですよ」


 しばらくして落ち着いてきた頃、和路医師が声をかけてくれた。

 僕は母から離れ、素直に布団に入り込む。

 それを確認すると和路医師は、僕の左頬にひんやりした塗り薬を塗り、布で抑えた。


「桜生さん、先程は必要な事とは言え、一度に話し過ぎましたね。すみません、このとおりです」


 和路医師は僕に首を垂れて謝った。彼が顔を上げたのを見て、僕は横になったまま頭を左右に数回振った。


「ですが、もう一つ大事な事をお伝えしなければなりません」


 全員が再び和路医師の喋ることに注目した。


「『呪い持ち』の『呪い』は、自ら命を絶つと来世に残ってしまう、と言われているという事です」


 つまり、今生で『呪い』を解くには、『呪い』の対象者を殺すしかない……。

 殺す?

 僕が自分の欲のために人を殺すのか?

 人殺しの自分。

 そんな僕を家族は、愛してくれるだろうか。

 絢は仲良くしてくれるだろうか。

 胸の奥から不安が込み上げてくる。

 そして、胸に痛みを感じ始めたと思った途端、急に息苦しくなる。

 どうやら、僕はいつもの心臓の発作を起こしてしまったらしい。


「桜生」

「桜生さん」


 名前を呼ばれ、目を微かに開けるが和路医師のかしこまった膝が視界に入った。それを確認すると安心して再び目を閉じた。

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