巨大龍が死んだ日 ~世界を破滅寸前まで追い込んだ龍の全身が、もしも稀少な金属や素材で出来ていたら、人類は一致団結してその後始末に挑めるのか?~

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

第一章 世界を脅かす災厄

第一話 そんな巨大龍の死んだ日

 絶望していた。


 居合わせた人々は、夕焼け空を恐怖とともに見上げる。

 否、空などほとんど見えない。


 あけが三、黒が七。

 黄昏の大部分を埋め尽くす、天すら覆う巨大なそれ

 山脈が立ち上がったがごとき威容こそを、私たちは見上げていたのだ。


 巨大龍。


 数百年に一度歴史上へと現れては、文明を破壊し尽くす災厄が化身。

 一歩踏み出すだけで地鳴りが轟き、世界は悲鳴を上げて震撼しんかんする。

 そんな超存在が、祖国エルドの王都目前へ迫っていた。


 この数年間、私――ヨナタン・エングラーは巨大龍災害対策機関……龍災対のおさとして全霊を尽くしてきたつもりだ。

 民を守り、家畜を守り、土地を守ってきたはずだった。

 けれど、その努力もすべて水泡に帰す。


 巨大龍のひと踏みで、穀倉こくそう地帯が全滅する。

 森林は歩みだけで破壊され、川は埋め立てられ。

 進行途中にあった村落や街は軒並み壊滅し、火の海へと包まれている。


 歩む災厄、移動する滅び、巨大龍。


 彼奴きゃつからすれば我々など、足下に落ちている塵芥ちりあくたに過ぎない。

 人口密集地へと引き寄せられる習性こそあれど、その凶眼きょうがんは人間を見ていない。


 国土が蹂躙される。

 諦めと怯懦きょうだが全身を支配する。

 それでも、胸の奥で燃えるひと筋の光が。

 願望が、この激務でやつれた身体を突き動かす。


「王は、どうなされた」

みやこと最期をともにされるそうだ」


 龍災対が本陣、全軍指揮所において。

 私の隣で仁王立ちしていた悪友、ルドガーが答えた。


 精悍な顔つきの男である。

 頭頂部で結われた長い髪が、破滅の香りが混じる煤煙ばいえんに揺れていた。


 当代最高の剣士であり、諸国に武勇を響かせる彼ですら、今は青ざめた顔で脂汗を流し笑みを引きつらせているのだ。

 上半身を包む包帯に滲む血痕は、彼が最終防衛ラインを死守するため、武具のほとんどすら失いながら死闘を繰り広げてくれた証しだった。

 王都守護の功績をたたえるとすれば、勲一等くんいっとうはルドガーを置いていない。


「民の避難状況は?」

「逃げられるやつは担いででも逃がした。あとに残ってるのは最前線の兵士と龍災対ここの部下、それとテコでも動かない馬鹿ども……つまりヨナタン、おまえさんだ。なぜ逃げん?」


 問いかけへの答えは、ぎこちない笑みになった。


「恥ずかしい話だが……腰が抜けていて、立ち上がれん」

「おい」

「足の震えも、歯の根も合わないから、それを押し殺していたら、なんだか冷静に指揮をっているように思われてしまったらしい。その結果が、このざまだ」

「あらゆる龍災害の専門家、〝龍禍賢人りゅうかけんと〟の名が泣くぞ」


 悪友は呆れたようだったが、私にしてみればその二つ名は過分にもほどがあった。

 武力も政治力も、秀でた魔法の力も私にはない。

 怖がりだけが取り柄だった青年が、僅かでも命を助くるために、国防へと従事し奔走した。

 この八年間は、それだけのことだったのだ。


「ならばルドガー、〝災世断剣さいせいだんけん〟の二つ名を持つおまえに聞くが……最上級の武具があったなら、のおまえは龍を倒せたか?」

「いや」


 常にして泰然自若、己がペースを乱さない最強の剣士が。

 このときばかりは、苦虫を噛みつぶしたような顔で首を振った。

 その無骨な手が、肩口から胸元までの、死闘の痕を撫でる。


「命を賭けても、精々鱗一枚だろう。……そうだな、名が泣くのは俺の方だ。だから、俺を落ち延びさせようなどと思うな。復興の旗頭になどはならん」

「そうか」


 ならば、万事ここまで。

 進退窮まった。


 兵士達は懸命に、バリスタや魔法を放ち、牽制を行ってくれているが効果は窺えない。

 そもそも、巨大龍に有効な攻撃など、ありはしない。

 ルドガーの剣が断てないのなら、誰にもできないのが道理だ。

 迫り来る巨体の背後には、破壊し尽くされた人類の営みが黒煙を上げている。

 終わる。

 すべてが終わる。


 それでも、私は。


「おい、どうするつもりだ、ヨナタン」


 深く、全身を沈めるように椅子へと座り直した私を見て、友が眉をひそめた。

 私は一度視線を落とし、震える足に拳を叩き込んで、顔を上げる。


「窮地はチャンス。王は私に、なんとかしろと言われたのだ。ならば、なんとかするのが私の仕事。どのみち、最後まで指揮を執るものが必要だろう……誰か、残っているか!」

「――イエス、マイマスター。お側に」


 声をかければ、龍災対の部下がどこからか姿を現した。

 今日まで付き従い、右腕のように働いてくれた紫髪の彼女に、私は最後の指示を出す。


「防衛部隊に撤退の指示を。殿しんがりは、このヨナタン・エングラーが引き受けた、気負いなく後退せよと伝えてくれ」

「…………」

「おまえも、このことを伝えたら逃げろ。よいな?」

「……マスターの、ご命令とあらば」

「ならば行け」

「はっ」


 感情を押し殺した様子で、彼女はまた姿を消す。


「殿か、ほまれだな」


 腰の剣に触れながら、ルドガーが唇を吊り上げる。


「それとも、エンネアの復讐でもするつもりか? おまえが国に尽くしてきたことを俺は誰より知っている。彼女を失った穴を埋めるように、がむしゃらにだ。その最後が、龍相手の自爆か? 報われんにもほどがあるだろう」

「自爆するつもりなど毛頭にない。そも、彼女は……エンネアはどこかで生きている。だったら帰る場所を、この国を守るのが私の使命だ。なあルドガー、私はこの国が好きだ。おまえや、彼女に出会えたエルドの町並みが。だから、やらせてくれ」

「…………」


 そう案じないでくれ、友よ。


「知っているだろう、私は臆病だ。進んで死ぬ勇気などない。また三人で、カボチャとニシンのパイを食べるまで生き延びてみせるとも」

「ありゃあ、たいして美味くもなかっただろうが。本人同様、跳ねっ返りの味だぞ」

三枚もおかわりしたベタ惚れしている男が、よく言う」


 軽口をたたき合って、二人して口元を引きつったようにつり上がらせる。

 そうでもしないと、互いに心が折れてしまいそうだったから。

 ルドガーが小さく、何度も頷く。


「だったら、俺が護衛をしてやるよ」


 かつては三人だった幼馴染みの、残った一人が。

 仕方ないといった様子で、頭を掻いた。


「俺たちは刎頸ふんけいの仲だ。見捨てたら、それこそエンネアに合わせる顔がない」


 それに、と彼は続ける。


「どこへ行こうが、あれからは逃げられねぇだろうからなァ」


 今一度、私たちは見上げた。

 破滅にして終末。

 世界を滅ぼすものを。


 ギチギチと音を立てて、いま龍はあぎとを開く。

 バチバチと弾け、チロチロと漏れ出す紫炎。

 おしまいの一撃。

 全てを灰燼に帰す吐息ブレスを、龍が吐き出そうとした。


 誰もが思った、おしまいだと。

 誰もが思った、それでも生きたいと。

 だが。


「!?」


 刹那、白い光が瞬く。

 世界が、純白に染め上げられて――


 居合わせた誰も、何ひとつ理解できなかった。

 ただ、白かったことだけを覚えている。

 轟音。

 爆風。

 そして。

 そして――


「嘘だろう?」


 ……その日、巨大龍は死んだ。

 八年もの間、人類に恐怖を植え付け、大陸を破滅寸前まで追い込んだ大災厄は。

 胸元に、巨大な焼き目をつけて、腹ばいに倒れ、突然の死を迎えたのだ。


 辛くも人類は、絶滅の危機を間逃れ。

 そして同時に、一つの問題へと直面したのである。



 この巨大過ぎる龍の遺骸いがい……どう処理する?

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