氷晶の騎士



 ──魔人。

 それは魔女と対をなす存在であり、対等な存在でもあった。

 魔法文明の時代。優れたる『女』の魔法使いは魔女と呼ばれた。


 では『男』は?

 その回答こそが『魔人』である。


 その中で『氷晶』の二つ名を背負う魔人は、かつて『永遠の魔女エラ』を主人に持った最優との名高い騎士でもあった。



「──始まったようですね」


 涼やかな整った顔立ち。白髪に蒼い眼を持った男。

 最優の騎士たる『氷晶のシルヴィウス』その人であった。


 彼がポツリと呟く言葉は感情が含まれていない。

 強いて言うならば、この展開を望んでいなかった含みこそあるが、彼の強固な忠誠心はそれを表に微かな形であれ、感情という形として表に出す事を許さなかった。


 そんな最優の騎士に話しかける、軽い調子の女の子の声が響いた。


「ダダのことまで連れて来たんだからー、ここでシーラを狩るんだろ?ながーく放置しておいていまさらー?って気はするが!」


 自分の事を名前で呼ぶという、幼さを感じさせる口調でこそあるが、彼女も魔女であった。それも時代を代表する雷属性の覚醒者。


「少し違いますが、あなたの出番は恐らくありませんよ。『乖雷のサーマシン=ダダ』」


「おぉん!?!ビリビリさせなくていーのか?!」


「ええ。私が、仕留めますから」

 

 和やかさすら感じさせる口調。大した事ではないと断じるかのような涼やかな口調で、シルヴィウスはそう告げた。




 戦いは佳境であった。

 次々と応酬される魔法の撃ち合いは地形すら容易に変え得る火力を持っている。魔女の有する四属性の魔法が煌めき、様々な自然現象の延長として顕現する。さながら天災とも言える大規模な破壊を振り撒きながら、それでも両者ともに決定打とならないのは人数差がある故だった。


 この場に集うのは、消滅の魔女シーラ。

 そして拒絶の魔女シェウラザーレ、塵芥の魔女ジンリン、微睡の魔女ネイザ、幻影の魔女シュトネ。

 さしものシーラといえど、四人の魔女を相手にして一息に消滅させる事が出来ていなかった。



「──塵集え」


 槍を握る、豪快な笑みを浮かべたジンリンが最前線に立ちながら魔法を操る。

 赤色の頭髪は短く切り揃えられている。野生的な光を宿す瞳は金色に染まっており、その身体に塵を纏わせながら戦う姿はさながら風の戦士であった。得物は槍を握っている。力強い所作で振り回す一撃は容易に地を削り、シーラの命脈を断ち切らんと全力で振るわれる。


 しかし、その猛攻を前にしながらシーラは涼しい顔で一言だけ呟いた。


「消滅せよ」


 差し出す手から滲み出る黒色の魔力が漏れ出る。呑み込む音が鳴ったと錯覚しそうなほど急激に膨張した黒色の力の奔流がジンリンを包もうとし、それを遮るべくシェウラザーレが唱える声が聞こえた。めざとく見れば、黒髪に金銀妖瞳ヘテロクロミアの女がほんのりと笑みすら浮かべながら手を差し伸べている。


「我が拒絶よ」


 存在そのものを拒絶せんとするシェウラザーレの魔法と消滅魔法と鬩ぎ合い、そして双方の魔法が共に掻き消えた。その結果に眉を顰めるのはシェウラザーレであった。


(やはり、相殺可能か。解せんな、我が魔力を持ってしても、500年前の消滅魔法には抵抗を維持する術しかなかった。今のように掻き消せれば楽であったが、そうではなかった。・・・どんなカラクリがあるのか、興味深い。──ならば)


 初めに切り札を使う決断を下したのは、シェウラザーレからであった。

 唇を湿らせるように赤く覗いた舌が詠唱を開始する。


「──我が亜神を、今こそ身に降ろす」


 魔女たる所以。魔法使いの全てが魔女、魔人と呼ばれる訳ではない。その理由の一つが解禁されようとしていた。魔力がザワつく空気の中で、シーラも同様に動いた。


「竜たる化身よ、アタシの半身と成れ」


 二人の声が同調した。


「「神位の化身ジィヴァルグ」」


 まさにその瞬間であった。

 シェウラザーレが背から三対六枚の純黒の翼を羽ばたかせ、シーラが『隻眼たる異形』と呼ばれる所以となった竜の化身に変貌する微かな隙を縫って、涼やかな声が場を決定づけた。

 神位とも呼ばれるこの隙を逃せば、シーラに打ち勝つなど困難が過ぎると知る者の一撃であった。


「──全ては停止するシルヴ


 完璧なタイミングで紡がれた詠唱はシーラの耳朶にその声が届くと同時に効力を発揮した。

 膨張し身体を鎧のように、あるいは生物のように覆い尽くそうとする黒色の魔力の動きが静止し、未だ黒色に飲み込まれず僅かに覗く首から上の動きも止まった。

 ありとあらゆるモノが凍結し、変貌の途上であったシーラは驚きに目を見張りながら、全身を静止が──氷が覆い尽くす前に唇を開いた。


「姉様・・・?」


「残念ながら、エラ様のご意志ではありません」


 シーラにさらなる回答をする時間は残されていなかった。

 疑問はあった。だが、何よりも諦めに近い感情があった。もしこれがエラの意志ならばと、抉られたように衝撃を受ける心情から思わず口をついた言葉はシルヴィウスに否定される。その否定された僅かな安堵と、安堵を抱く自分に対する嫌悪感。問題への対処ではなく感情を優先してしまったシーラに手を打つ事は出来ない。シーラにとって、エラとはそれほど大きな存在だった。姉様と慕い、そして最大の後悔を抱いた過去がある故に。


 凄まじい侵食速度を持って身体を凍らせてゆくその気配に身を捩ることすら出来ない中で、僅かな間で許された思考すら遂には静止してシーラは氷に覆われた。冷然とした表情を浮かべながらも、僅かに目をふせるシルヴィウスの立ち姿が最後の光景となった。


 ──場にはあまりにも呆気ない幕切れの静寂があった。

 魔神化を進行させ遂には全身を黒色で染め堕天使と形容して良い姿となったシェウラザーレが訝しげに静寂を破った。


「貴様、何のつもりだ?主人なき騎士が何故、このような蛮行に及んだ。答えよ」


己の怪訝は尤もであるとシェウラザーレは思う。

それ故の言葉にシルヴィウスは穏やかな笑みを浮かべる。


「私は、いまや新たな主人を戴いております。その方からのご命令です」


その回答は予想通りであったが、予想外でもあった。

500年も経てばシルヴィウスの立場も変わるだろう。しかし、シェウラザーレの知るこの騎士は二君に仕えられるような柔軟な男ではなかった筈だ。時間が変えたといえばそれまでであるが、やはり違和感が拭えない。あるいはエラを超えるほどの傑物が現れたとでも言うのか。──それこそ鼻で笑ってしまうほどの推測だ。ありえないと断じても良い。


「ほう。エラ様にしか首を垂れぬ、最優の騎士たるお前が認めるほどの魔女か。・・・何者だ?」


「それに付きましては、主人から直接ご説明をさせて頂ければと思います。──ウルルの丘へ、ご招待致します。シェウラザーレ様」


 怪訝な点は幾つもあるが、何よりの疑問はこの場にシルヴィウスが居る事。

 拒絶の魔力に反応したにしては足が軽過ぎる。まるで準備を整えていたかのような印象を受ける故の警戒心がシェウラザーレにはあった。

 前の前で恭しい一礼をして見せたシルヴィウスに、内面を覆い隠しニッコリと微笑んだシェウラザーレが頷いた。


「興味深いな、興味深いとも。・・・この横槍に対する説明も当然あるのだろうな?」


「断言は致しかねますが、ぜひにとのご用命です」


「まぁ良い。お前の主人とやらの顔を拝んでやるとしよう」


 神位を解除し、純黒の羽は霧散する。

 再び地に足を着けたシェウラザーレは傲慢にそう言った。

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