もう一人の



 ただ只管に、暗闇だけが広がる空間があった。

 光の一切が差し込まぬ、無間の地獄が広がる場所。

 ──その場所は『消滅の大地シーラの爪痕』と呼ばれている。


 エラン・カタリアが500年前に解放した大陸中央部の『消滅の大地シーラの爪痕』は既に存在しない。故に、この場は以外の小規模な『消滅の大地シーラの爪痕』の内の一つである事は明白だった。


 誰一人として生存者が居ないとされるその場所で幾人かの人影が動き、首を垂れている。その内の一人が首を垂れるままに口を開いた。


「──教主様、時が満ちたようです。お目覚めを」


 言葉と同時に手を打ち鳴らす快音が響いた。跪いた女が合図を送るように行なった所作だった。同時に玉座に座す、教主と呼ばれた女が閉ざされていた瞼を開く。


 赤と青の金銀妖瞳ヘテロクロミアが輝いている。開かれた双眸から現れたのは光源の少ないこの場であっても輝きを放つ眼光だった。

 粗末な石で作られた玉座に腰掛け眠りについていた怪物。嘗て魔導教会を率いた『拒絶の魔女シェウラザーレ』が、500年の時を経て目覚めた輝きだった。


 意識の覚醒を自覚し、シェウラザーレは肘掛けに頬杖を突いていた身体を緩やかに動かす。コキコキと鳴る首の音色が響くのはあまりにも長すぎる眠りのためであったが、それでも身体が動かせないほどではない。長すぎる眠りではあったが、そんな事実も魔女の身体に制限を与える事はない。

 目覚めて早々そんな事実確認をしつつも、シェウラザーレの脳裏に浮かぶのは一つだけ。眠る直前に抱いていた消滅の魔女に対する度し難いほどに強い感情であった。


「・・・シーラめ」


答えを求めぬ一声が漏れ出る。

胸の奥に渦巻くのは形容し難いが、あえて言葉にするならばそれは『怒り』だろう。魔法族を裏切った者に感じる強すぎるほどの怒り。

煮えたぎる思いを抱きながら、それでも正気を取り戻すため首を振る。


正面に視線を向ければ、首を垂れる三名の人影がある。

それは500年の時を隔てて相見える部下の姿だ。自らの怒りに我を忘れ、その献身と再会を無為に浪費することはシェウラザーレの望みではない。

自らの正面に傅くその姿に、せめてもの報いのためにシェウラザーレは久方ぶりの声を発した。


「ネイザ、長きに渡る奉仕、大義であった」


「はっ、勿体なきお言葉です」


 傅き、嬉しげにそう言ったのは『微睡』の二つ名を持つ魔女であった。

『微睡の魔女ネイザ』の、恐らくは変わりない姿を暗闇の中で幻視しつつ、少しばかり視線を上に動かす。そこにはネイザの背後に薄らと見える二つの人影があった。ネイザと同じように、玉座に座す己に対して傅く500年前と変わりない二人の姿に実実的な時間の流れは感じずともどこか懐かしさすら感じながら口を開いた。


「ジンリン、シュトネ、お前たちもよくぞ生き残った」


「「はっ」」


 双方とも暗がりで姿はよく見えない。

 だが、シェウラザーレの視界には名を呼んだ配下の姿がクッキリと浮かび上がるようだった。その最中に身体の調子を確かめるべく、片手を虚空に翳し開閉を繰り返す。全盛期とは比べものにならないがある程度は取り戻せた、といったところか。


「・・・魔力は、多少戻ったか。忌々しいシーラの呪縛もようやく解けたと見える」


「はい、時は満ちました。ご命令を」


「──消滅の魔女シーラ。奴を探し出し、そして捕らえる。・・・500年の牢獄すら生温い。1000年の孤独をくれてやるためにな」


「御意、シーラを狙うのですね」


「ああ。だが、それはいずれだ。今はまだ力を取り戻せておらぬ。まずは、腹ごしらえとでも行こうではないか」


何気ない口調で続ける。

食わねば生きていけぬ。それは只人の思考でしかない。魔女に食事は必要ないにも関わらず、シェウラザーレは食事を求める。その理由は明らかであった。


「より早く魔力を回収せねばなりません。我らに値するニンゲンが、残っていれば良いのですが」


「であるな。・・・あるいは初手からアレを狙うか」


「アレとは・・・?」


「エルフだよ」


 サラリと美しい黒の長髪が流れる。

 シェウラザーレは、弧を描いた口元に壮絶な笑みを浮かべた。




 場面は戻る。

 丘の上でシーラは立ち尽くす。心情に溢れ出すのは焦燥だった。

 何故という問いはある。だが、今は考えている場合ではない。すぐにでも動く必要があった。


「──アーシェ」


「うん」


「コイツをお前に渡しておく」


 そう言って首に手をかけて、手渡すのは『ペンダント』だった。

 他ならないアン=カタリアである。


「えっと、いいの?」


「必要になる。魔力を抑えられるからな。あと、魔女になる方法はアンに聞いておけ。アタシは野暮用が出来たんでね」


「わかった」


「世界樹で合流しよう。場所はわかるな?」


「うん。エルフの住まう土地だよね」


「よし。また会おう」


 指すら鳴らさず、シーラは凄まじい魔力を身に纏った。己が今出せる最大限の魔力。消滅の魔力を用いて気配を断ちつつ、理由を探る必要があった。


 アーシェとの会話は重要だが、後でも構わない。

 何故なら、人命は還ってきやしないのだから。





 アーシェの前で、魔力を漲らせたシーラが飛び立った。

 つい先ほどの発露ですら、まだ手加減していたのだとわかる凄まじい魔力。

 思わずゴクリと生唾を飲み、飛翔するシーラの姿を見送りながらアーシェが話しかけるのは新しく胸元に垂れ下がる『ペンダンアント』だった。


「・・・えっと、これからよろしくね。アン」


『はい。よろしくお願いします』


「シーラは大丈夫かな?」


『安心してください。あの人は、強いですよ』


 アンは安心させるように言ったが、話すと同時に煌めくペンダントの輝きは少しの心配によって光が揺らいでいた。

 シーラは強い。ソレは間違いのない事実だとアンは知っている。

 だが、それでも、相手は拒絶の魔女。加えて何故生きていたのか、そしてこのタイミングで解放されたのかが不可解過ぎた故であった。




 同時刻。

 某所では、以前と変わらずに白髪赤目の女が穏やかな表情で大きな空間の取ってある広間の中央に置かれた玉座に腰掛けている。


「──封は解かれました。既に拒絶の申し子が眠る『消滅の大地シーラの爪痕』は崩壊しているでしょう。シルヴィウス、そして可愛い子。頼みましたよ?」


 誰もいない広間に、薄らと笑ったエラン・カタリアの声が溶けていく。





 ──夜空を飛翔する4つの影があった。

『消滅の大地』から抜け出した四人の魔女たちは思い思いの方法で飛翔擦ることができる。基本的に魔法使いたちは己が得意とする方法で空を飛ぶが、その四名は今回は例外としてただ一人の魔法で飛翔していた。

 拒絶の魔女。ありとあらゆる事象を拒絶する魔法によって飛ぶその四名に向かって、急激な速度で交錯する一つの影があった。


 ニヤリと笑みを浮かべたのは果たしてどちらであったのか。

 空中で凄まじい衝撃音が鳴り響き、双方は地に降り立った。


 内の片方。シェウラザーレがわざとらしい笑みを浮かべる。


「──おや、誰かと思えば・・・。お前の方から姿を見せてくれるとは思わなかったぞ、消滅の」


「久しいな、ザーレ」


 ふてぶてしいまでの声音を滲ませる、怨敵シーラの姿にシェウラザーレの表情には笑みすら溢れる。ここであったが500年目、といったところか。何にせよ想定よりも早すぎる邂逅。望ましくないタイミングではあるが、それはそれとして退く事は矜持が許さない。


「相変わらず、面の皮が厚い奴だ。・・・殺し損ねた相手に会いに来るとは思わなんだ」


「500年も前のことだ。もう記憶が怪しくてね」


「言ってくれる」


 笑みを浮かべ合う両者の間には視線を介した火花が散っていた。

 その最中に静かな一歩を踏み出したのは、シェウラザーレの後方に控える一人の女。その気配を背後に感じて、スッと手を上げて制する。足音こそ止まったが、忠誠を誓う部下はそれでもと口を開いた。


「教主様。今は・・・」


「わかっておる。だが、そう易々と見逃してはくれぬよ」


 ──その問いとも言えぬ言葉に、シーラは重々しく頷いた。

 心中に抱くのは警戒であった。自由にやらせてはならないという思いがあった。


「悪いが、万全の体制を整えさせるつもりはない」


「で、あろうな。──なに、起き掛けにはちょうど良い運動になろうて」


 バチリと、シェウラザーレが漲らせる魔力は黒色に色付いている。

 その背後に控える三名も、同様にそれぞれが持つ魔力を稲光らせる。

 四人の魔女。

 その構成を目の前にしながら、シーラは薄く笑った。


「四対一か、まぁちょうど良いハンデだな」


「──抜かせ、行くぞ」


 両雄が、激突した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る