語り部



「──いい場所だな」


「にひひ、でしょ。お気に入りなんだー」


 村の中にある、丘の上。

 アーシェがいつも寝転がっている丘に二人は居た。


 あの後、二人は連れ立って空を飛んで移動した。

 そんな時にシーラが問いかけたのだ。

 ──二人きりになれる、話をするのにうってつけの場所はないか、と。


 アーシェは大事な話をするならここが良いと直感的に選んだ。



 満天の夜空の広がっている。

 二人は横になって座っていた。赤髪のシーラと、金髪のアーシェ。

 赤と金の調和の取れた光景の中。

 夜風で赤の長髪が揺れた。シーラは少し煩わしそうに目を細めて、靡いた髪を手で押さえている。月明かりに照らされる横顔も、その眼差しも、神々しさすら感じる美しさだった。


 横目で見惚れたアーシェだったが、同じように、夜風に攫われた金の髪をくすぐったそうに抑えた。


 夜風が止んだ。

 穏やかな静寂を破ったのはシーラだった。


「──さて、本当に聞く覚悟があるんだな?」


「もちろん。助けるって言ったからね」


「・・・言ったか?」


「あれ?言ってない?」


 キョトンとしたアーシェが首を傾げる変な間が生まれたが、ゴホンと少し気恥ずかしげにしたシーラが咳払いして続けた。


「あー、そいつはどうも。先に話を聞いてからにして欲しいけどね」


「あはは、ごめんごめん」


「変なやつだよ、お前は」


 困ったように、少し嬉しそうにシーラが笑った。

 けれど、それもそこまでだった。

 ここから先を想像して、緊張によってか表情を固くさせる。


 小さな声で呼んだ。


「アン」


『はい、始めましょう』


 バチリと魔女シーラの周囲に黒い雷撃が走る。

 指を持ち上げて構えたシーラが、パチンと小気味良く音を鳴らせた。


 先ほどの焼き増しのように、いや。それよりも規模は極小で、アーシェとシーラを覆う小さな黒いドームが生じた。


 前回と同じようにドームの中に取り込まれたアーシェが、頭上を見渡しながら言った。


「これって」


「ああ。さっきも見せたが、色々と遮断する魔法だ。ここでの話は、誰にも聴かれないし、感知もされない。だから、ここだけの話にしてくれよ」


「・・・うん。誰に、聴かれると困るの?」


「──主神オーディン。その人さ」


 鋭い目つきでシーラは言い放ち、再びの静寂の間があった。

 アーシェは驚きながら言葉を繰り返した。


「オーディン・・・?戦士の父ヴァルファズル?」


「そうだ。──不思議に思ったことはないか?『巫女の予言』を聞いた時に」


 巫女の予言。

 そう云われる詩がある。


 ──全ての尊い氏族、身分の高下を問わず、人の子、神の子、巨人の子、竜の血族、仄か昏き一族、生きとし生けるものらに、よく聴いてもらいたい。戦士の父ヴァルファズルよ、あなたは、わたしに、思い出せる限り古い昔の話を、訪れる先を、見事語ってみよと、望んでおられる。その呼び声に応えよう。巫女たる、我れが語ってみせよう。



 その一節から始まる、長きに渡る詩。

 内訳は、いわば『世界の始まりと終わり』である。

 

 ──世界の創生。

 そして神々の黄昏ラグナロク


 詳しくを省き簡素化して語るならば、主神オーディンは『フェンリルによって倒される』。

 雷神トールはヨルムンガンドと相打つ。

 輝きの討ち手フレイは炎の巨人スルトを前に膝を屈し、大地と世界樹は燃やし尽くされる。

 フェンリルはオーディンの子によって打ち倒され、全てが終わった時。


 太陽は昏く、大地は海に沈み、きらめく星は天から堕ちる。煙と火炎は猛威を振るい、スルトの炎は天をなめる。


 しかし、全てが灰に覆われて尚も世界は再生する。


 海中から常緑の大地がふたたび浮上し、すべての災禍は福へと転じ、遠き理想郷が姿を現して人の子らはその地に生き残る。


 オーディンの子らも生き残る。彼らはイザヴェルに住み、バルドル、ヘズ、共にトールの子らと語り合う。過ぎ去りし神々の黄昏ラグナロクのことを、強敵のことを、大地の紐のことを、そしてこれからの事を、黄金の盤を前にその手と目を光らせる。


 本来はもっと長く壮大であるが解りづらい。簡略化したが、概要はこの通りである。

 それが『巫女の予言』


 アーシェは、その中の一節を思い出す。


 ──オーディンが縫い合わせの巨狼に挑み、二度目の悲しみがフリーンに這い寄る。フリッグの愛しい夫は、そこで必ず倒れるであろう。


「主神オーディンはフェンリルによって倒される・・・」


「そうだ。そこに、みなが見逃している事実がある。──何故、オーディンが運命に抗わないと考える?」


 ハッとする心地だった。

 自分に置き換えればわかりやすいかもしれない。

 もし、アーシェが死を宣告されたのなら。

 ──それを、どうにかして避けようとするのではないだろうか。


 アーシェが問いに気づいた事を察したのだろう。

 シーラは頷いた。


「オーディンが死を避ける術を見つけたのかは定かじゃない。だが、かの神は幾つかの行動を起こしてる」


 緊張によって乾く唇を湿らせて、シーラは続けた。


「──遡ること4000年以上前、六つの種族を神の座から堕とし、人間に魔力を与えて混沌を生み出し、その結果として産まれた時代の寵児たるエラを手中に収めんとした。その後にアタシを利用し、消滅魔法によって文明を滅ぼさせて、育った魔法族を『収穫』した。全ては、神々の黄昏ラグナロクで勝利するためにな」


 シーラは、静かに続けた。


「・・・誑かされたアタシにも非がある事は認めよう。だが、それでもアタシはオーディンに一矢報いたい。アイツの延命を許さず、神々の黄昏ラグナロクで死ぬように、場を整えてやるのがアタシの役目だ」


 衝撃があった。

 その言葉と説明には驚かざるを得ない理由があった。

 ──神殺し。シーラがそう言った理由は理解できた。聞けば納得するという理由もわかった。

 予言から外れたらどうなるのか。それは誰にもわからない事だ。予言から外れた結果、より悪い結果を引き寄せる可能性を思えば、予言の通りに進めた方が良いのもわかる。


 そんな考えなのだろうと思う。

 だがそれ以上に、主神が予言から逃れようとしているなんて事は青天の霹靂という他ない事実だ。


 アーシェの知る神話の主神はどこか人間臭さもある神々の一柱だった。それに、ありえないと断じることが出来るほどアーシェは主神のことは知らない。


 戦々恐々としながら、まず考えるべきは信じるのか、信じないのか。

 覚悟はしていた。でも、それを超えてくるほどの内容。

 容易に頷くことは出来ない。けれど、アーシェの目をしっかりと正面から見つめて、懇願するかのような色の宿るシーラを見ればそんな迷いは晴れる。


 話の内容に衝撃こそあったが、わりとすんなりシーラの話を信じられた。


「──神殺し。そっか。だから、聞けば納得するって言ったんだね」


「そうだ。予言で死が決まっているオーディンに死場所を用意する。端的に言えば、『神殺し』だろ?」


「いや、まぁ。そうなんだけどさ。絶対その言い方じゃ勘違いすると思うけど」


 シーラの言いように苦笑いしてしまうのはしょうがないだろう。

 彼女の事を知らなければ、あえて敵を作ろうとしているように聞こえてしまうくらい、乱暴な言い方だからだ。


「そうか?だが、それ以外に言い方ないだろ」


「ほら。予言を実現させるためとか、人類を破滅から救うためとか、色々と言い方はあるじゃん」


 適当に思いつく理由を列挙して見たが、肝心のシーラは渋い顔をするだけだった。


「・・・なんか誤魔化してるみたいで、アタシは好きじゃないな」


『こういう人なんです。融通が効かないと言いますか、なんと言うか』


 呆れたような物言いでシーラの胸元で光るペンダントが嘆かわしげに呟いたので、アーシェも苦笑いで答えた。


「苦労してるんだねえ。・・・そういえば、そのペンダントってなんなの?」


「コイツか?これは──」


『そこから先は、私に名乗らせてください』


「おっと」


『私はアーティファクト・インテリジェンス。アン=カタリアと申します。どうぞ、よろしくお願いします』


 静々とした物言いで、明滅を繰り返すペンダントはそう言った。

 聞きながら首を傾げた。


(・・・なんか似た名前を聞いたことあるような)


 けれど、それは思うだけに留めて頷きを返す。


「わたしはアルシエル。アーシェって呼んでね、アンさん」


『アンで構いませんよ、敬称は不要です』


「わかった。よろしくね、アン」


『はい。よろしくお願いします』


「──さて、自己紹介も終わったとこで、続きを話そうか」


 アーシェが頷きを返せば、シーラは続ける。


「アタシが、この話の真相を聞いたのは500年ほど前だ。襲ってくる魔法族を返り討ちにして、一番アタシが荒んでた頃だな」


『あの頃は、大変でしたね』


「・・・まぁ色々と荒れてたんだが、そんな時に一人の女に会った。いや、女というのは正しくないな。誰だと思う?」


 少し考え込んで、お手上げという風に手を挙げた。


「ええ?わかんないよ」


「ふふっ、予言の巫女エッダ。その人だよ」


 ──予言の巫女エッダ。

 先ほどの巫女の予言を行なったとされる伝説上の人物だ。

 けれど、その予言も4000年以上も前に行われたはずなのに、まだ生きている。


「・・・実在するんだ」


「当たり前だろ、一応は神々の一柱だぞ」


 呆れたような視線に照れくさくなって頬を掻いた。


「そうなんだけど、わたしってば、まだ見たことないからさ、神様って。ちょっぴり疑ってたんだよね」


「まぁ、そうだな。赫怒種タウロスは神々っていうより獣だもんな」


 それで納得したのか、シーラは頷き続ける。


「さっきの話はエッダから聞いたもんだ。アタシなりに裏を取ったが、恐らくは真実だと思う。・・・だが、本当にそれだけか?」


 アーシェがドキリとするほどの鋭い視線で、シーラが虚空を睨んでいた。


「起こった出来事に嘘はなかったと思う。だが、エッダがアタシを利用していないと断言できる理由はない。真実の奥に、さらなる真実が潜んでいてもおかしくはない」


「・・・何か気になるの?」


「出来すぎてるんだよ。オーディンが悪役。そう考えれば全部の辻褄が合っちまう。──だが、あの主神が、そんな隙を見せるのか?・・・アーシェ、お前に頼みたい話っていうのはな、真実を探して欲しいって事なんだ」


 生唾を飲んで、アーシェは言葉を聞き続けた。


「他の奴らは、こんな話をする前に拒絶されたが・・・。どうだ、探してみちゃくれないか?」


「・・・シーラ以外の視点が欲しいって事なんだね」


「それもある。だが、何よりもアタシじゃ限界がある。消滅の魔女の異名ってのは、お前が思ってるよりずっと重いんだぞ?」


 疲れたように、悲しげにシーラが笑って見せたのをみて、アーシェはそっと言葉を喉に詰まらせた。まるでこれまでの悲しみの全てが篭ったような表情だった。


「アタシじゃ調べるには限界がある。・・・何より、最も気になる場所が調べられてない」


「・・・どこ?」


「ウルルの丘。今でいう、魔術学院だよ」


「えーっと」


 記憶を辿って、アーシェが空を見つめた時だった。

 隣に座っていたシーラが突如として立ち上がり東の空を見つめた。


「──ッ」


「どうしたの?」


 ──遥か先。

 『消滅の大地シーラの爪痕』と呼ばれる地が鳴動する。

 エラン・カタリアの解放した大地は中央のみであった。それ以外にも各地に点在する『消滅の大地シーラの爪痕』の一つが、いまこの瞬間に解かれた。そして内部から溢れ出す魔法の余波。

 シーラの隔絶した魔力感知能力がそれを捉える。


「拒絶の魔力・・・?何故、お前が生きてる?」


 唖然としながら、シーラは呟いた。

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