消滅の魔女
──消滅の魔女シーラ。
魔法文明に満を持して産まれた怪物であり、最盛期を作り上げた発展の象徴。
だというのに同族に疎まれ、それでも尚も『
『
『傲慢にして不遜な魔女』
『空殺し』
『災厄の魔女』
多岐に渡る異名の最後を忌々しく彩る『
どれもが仰々しく、そして最後に泥を塗るが如く際立つ異名。
神々をも恐れぬ悪意によって、魔法文明を滅ぼした咎は重い。
甚大な被害を生み出し、暗黒の時代を創った張本人。
その伝説の魔女が今、アーシェたちの目の前に立っていた。
高純度である故に圧縮され、解放された魔力から生じる独特の形状である『
それが黒色という特殊な魔力色に彩られ、雷撃が立ち昇るような光景の中央に立ちながら魔女が──いや、
「・・・ッ」
その笑みが、何故だろう。
アーシェには悲哀に彩られて見えた。
悠然と、シーラは微笑んでいた。
「このまま、アタシは消えるとするよ」
唖然とする周囲を置いて、フワリとシーラは浮き上がる。
まるで重量を『消滅』させたかのような挙動に、彼女が空に浮いていた方法を垣間見た気がした。
「・・・あまりにも長い月日が経った。シーラが生きていたなんて話は誰も信じないだろう。だから、お前たちを消す意味はない」
その言葉に理由を求めるのなら、シーラが去った後もアーシェたちが怯えぬよう残した言葉ではないかと考えてしまうのは、アーシェの穿った見方なのだろうか。
「これは忠告だが、アーシェ。お前はこの村を早く離れた方がいいだろう。不幸になりたくなければな」
嗤う表情に脅すような言い方。
なのに、アーシェが村を巻き込まないで済むように、自らが悪役となる事で警告をしているように聞こえる。
彼女の残す言葉の全てが、気遣いに溢れている気がするのは、勘違いなのだろうか。
──アーシェは手を伸ばした。
「・・・さらばだ」
「待っ──」
颯爽と身を翻し、アーシェが次の句を告げる前に魔女の姿は空に溶けて消え去った。
後には何もない。頭部の失せた
その光景を見て、アーシェが次に取る行動など決まっていた。
『──良いのですか。あの様子なら、協力して貰うだけでなくその先も』
「・・・ふふっ、変なことを言う。夢みがちな妄想に耽られるほど、アタシは良い年じゃなくってね」
自嘲気味に、シーラは表情を悲しみで彩った。
己の罪禍は知っている。500年もの間、逃れられぬ十字架を背負い続けてきた。コイツならばと勝手に期待して、裏切られる。そんな事を何度繰り返してきたか。
──絶望は、希望の落とし子である。
そんな陳腐な言葉を鼻で笑えなくなるほど、多くの経験を積んできた。
今更期待して何になると言うのか。
『・・・大丈夫ですか?』
「なーに。大したことはない。また見つけるだけさ」
『・・・?何か、聞こえますね』
「ん。・・・おいおい、正気か?」
唖然と、空を飛ぶシーラが視線を下げた先に見たのは、木々の枝を蹴って迫り来る、先ほどの少女の姿だった。
金髪を振り乱して、爛々と輝いた瞳は鋭くシーラを睨みつけている。
握るのは、先ほどシーラが与えた
「待てって──」
アーシェから流れ出る、充満した魔力が
『
「言ってんでしょーが!!」
そのままの勢いで抜き放たれた『飛ぶ斬撃』
──その足を止めるという、最低限の役割を果たす。
斬撃を、無造作な腕の一振りで掻き消したシーラがヒラリと地に降り立つ。
浮かべる表情は呆れだった。
「・・・物騒だな。アタシがシーラだってわかってんのに、攻撃してくるか、普通?」
『逆ではありませんか?シーラだから、問題なく対処すると考えたのでは』
少し考えて、有り得ると思ったのだろう。
憮然とした表情でシーラが呟いた。
「・・・傍迷惑な理論だな」
息を荒く吐きながら、アーシェが着地した。その手に握られる
けれど、視線を上げたアーシェの瞳には決して砕けぬ、金剛石の如き意志が宿っていた。
「追いついたッ、勝手に逃げるな!!」
「逃げてないだろ。帰るんだよ」
「逃げてるだろッ!!」
アーシェは断言した。
真っ直ぐにシーラを見つめる眼差しはどこまでも純粋で、正視に耐えずシーラは視線をズラした。
──あまりにも、その瞳は眩し過ぎた。
「・・・はいはい。で、何の用だ?」
シーラがおざなりに言葉を吐くのは内心の動揺を悟られたくないからか。
アーシェには推測するしかない。
けれど、そんな思考が入り込む余地がないくらい、アーシェの脳裏は白熱していた。
「話してよ、全部。今なら話せるでしょ」
「・・・もう遅い。アタシの正体を知ったなら、これからの話は全て無意味だ。話すだけ無駄さ」
吐き捨てるシーラの表情は、これ以上の会話を続けたくないと拒絶の意思が表れていた。顔を背けて、視線だけが僅かにアーシェが捉えている。
──期待することを、恐れるように。
「いいから、話してよ」
「無駄だって、言ってるだろ」
強まるアーシェの語気に対しても、シーラは首を横に振るだけだった。
その姿は癇に障る。理由はわからなかった。
でも、アーシェはそれが、とにかく腹立たしくて仕方がなかった。
「──ッ!話せってば!!勝手に諦めるな!!」
「・・・変なやつだな。何を言ってるのか、アタシには理解できんね」
シーラの姿が。
頑なに期待する事を拒んで、自らの殻の内に閉じこもっている姿が。
──その姿が過去の
いつの日かの誕生日。
助けてと言いたいのに、言うべき相手が見つからなかった自分に。
たった一人で、頑張って準備した誕生日会で、孤独に泣いていた自分に。
アーシェにはヨハネが来てくれた。でも、この人には。
まるで、あの時の自分を前にしたかのような錯覚に陥って、アーシェは言葉をポロポロと溢した。──自分では、何故なのかわからずに。
「・・・話してよ」
「おい?」
「話してってば」
「・・・おまえ」
「なに」
「泣いてるのか」
言われて気づいた。
頬を触れば、涙で濡れている。
「・・・あれ?なんで、わたし・・・」
「それをアタシに聞くかね。・・・何で泣いてるんだ?」
「・・・わかんない」
「はぁ?変なやつだな、ホントに」
ため息を吐いて、シーラが顔を掌で覆った。
何と言って誤魔化すのか、袖に振るのか。
思考はある。巡ろうとしている。だが、去来した胸の鼓動を実感して、シーラは表情を固まらせた。
涙を見たからなのか、追い縋られる事なんて今までになかったからなのか。
──シーラの胸の内には、微かな期待が生まれてしまっていた。
高鳴る胸は、興奮ではないだろう。
その理由は知っている。何度も経験したからこそわかる。
これは、不安から生じる鼓動だと。
脈打つ振動が、血管を伝って脳を震わせる。
なんて、有りもしない幻想を想像してシーラは笑う。
それは常に友としてきた。
戦場では感じた事などほとんど無い。戦いの時には高揚しかないというのに、いつも決まって、誰かに期待する時には必ず側にある感情。
その名は、恐怖。
直視すれば堪らなく不安にさせられる。
正視に耐えないモノはこの世に幾つもあるが、その最たるモノの一つであることは疑いようも無い。
シーラの開いた口が、何度も何度も、開いては閉じられる。
吐息が幾度も漏れる。その度に時間だけが過ぎてゆく。
静寂の中で、木ノ葉を揺らす騒めきと、アーシェの微かな鼻を啜る音ばかりが場の音響を埋め尽くした。
決断に際して失うモノはない。
なんて、お気楽に考えられるほどシーラは未熟ではなかった。
覚悟が、熱量が、期待が、願望が、希望が、切望と度し難い程に心を狭窄する感情が、失われるのだ。
シーラとして話す事。
そして、その先に拒絶される事は、幾度繰り返しても慣れる事はない。
その度に深く傷つき、心を深く深く沈めてきた。
期待するたびに浮上する心は、浮上するたびに傷つけられ、より深い場所に潜っていった。
まるで当てのない旅を続けるように、幾度も繰り返す愚かな螺旋。
建前で覆って協力を願えば良いのに、その先を、理解者を望んでしまう愚かな己。
前回。20年も前に期待した時は、何年も連れ立った弟子が相手であった。
幼少期に危機を救い、数十年掛けて信頼を培った。
今度こそ、もしかしたら、あるいは、全てはこの時のために。
そして、勝手に期待して、裏切られた。
本当に、この世はよく出来ている。
期待が大きければ大きいほど、絶望もまた色味を増すのだから。
──我ながら、度し難いほどに絶望した。
顔を覆った掌から溢れる冷たい液体は、名称すら思い出したくはない。
この子ならばと、何度夢想したか知れない相手であった。
そんな期待を、出会ってすぐのアーシェに向ける?
僅かでもそんな思考が浮かぶ自らを、阿呆がと
──けれど、それでも期待してしまう自分もまた居るのだ。
それが堪らなく不安にさせられる。
500年繰り返してきた失敗を思い出すのだ。
何度同じ事を繰り返すのか、さっさと諦めてしまえば良いものを。
脳裏で囁く甘言と、それでも輝いて見えてしまう希望。
その希望という果実から滲み出る不安と絶望が憎らしいほどに嫌いだ。
自らの胸を引き裂き、その先にある、それらを感じる形のないモノを取り出して捨て去ってしまいたいほどに嫌いだ。
指先を震えさせ、心を収縮させ、視界をボヤけさせる、その脆弱すぎる己が嫌いだった。
だから、シーラは思うのだ。
己は、きっと、この世で最も弱い女だろう、と。
誰もが聞けば失笑するであろうことを、本気で思うのだ。
九つの内の一つを滅ぼせるほどの力を持ちながら、そう、思うのだ。
「弱くて良いよ」
ただ一言。そう、言って、受け入れて欲しいのに。
・・・。
「・・・今、なんて言った?」
「弱くて、いいんだよ」
アーシェの、目の前の少女の、流れる涙は止めどなかった。
溢れ出る源泉を拭いながら、少女は続ける。長く長く続けた。
「わたしも、弱かった。作り笑いを浮かべて、冗談を言って、場に流されて。そうやってれば、その場に居る事は出来たから、これでいいんだって自分を騙してた。裏でなんて言われてても、気づかないフリをするだけで良かった」
「でも、それって正しいかって言われると、正しくない」
「自分に嘘を吐くって、正しくない」
「だから、わたしは言ってやったんだ。自分の正直になって、言った。もう、そりゃあ、すごい嫌われた。喧嘩にすらならなかった。毛嫌いされて、完全無視された。・・・胸の中でだけ考えてれば良かったのに、バカだよねえ」
アーシェは泣きながら苦笑いしていた。
「だから、弱くて良いんだよ。きっと、みんなどこかに弱さを持ってて、気付いてる人も、気付いてない人も居るってだけなんだと思う」
「だから、まずは自分に言ってあげなよ。『弱くて良いんだよ』って」
──なんでかわからないけど、わたしは、そう思うと楽になれたよ。
泣きながら、笑ってアーシェはそう言った。
「・・・意味が、わからんな」
「だよねえ、わたし、なに言ってるんだろ」
「だが、嫌いじゃない」
胸の内で、そっとシーラは独語した。
──弱くて良いんだよ、か。
確かに、なんだかわからない。けど、少し楽になった気がした。
「・・・アーシェ。お前に、一つ聞こう」
目元を拭って、アーシェはコクリと頷いた。
「アタシが、正しい事を言ったら、お前はバカだなあって笑ってくれるか?」
「・・・なにそれ」
「・・・お前の真似だよ」
「あー、えーっと、うん?どういうこと?」
「あーーーーー」
──つまりだ。
頭を掻きながら、恥ずかしそうに顔を赤く染めながらシーラは言った。
「話すって、言ってんだよ。・・・聞いて、後悔するなよ」
キョトンとした顔のアーシェが、パァっと表情を変える。
涙の跡の残る頬を緩めて、心からの笑顔を思いっきり浮かべた。
ただ一言。
うん、とだけ頷いて。
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