黄金卿





「──フィグフォルグ。何の真似だ」


 大広間があった。

 壁には紋章が刻まれた槍旗が二つ掲げられ、交錯するその下に椅子に座しながら肘掛けに凭れ掛かる男がいた。


 顔立ちは整っている。

 だが、美形という印象よりも、その眼光の鋭さ、そして表情の鋭利さからいかめしいといった印象を真っ先に与える男だった。


 そんな男の眼前に立つのは、皺のある顔立ちの老婆。

 フィグフォルグだった。

 いつも以上に厳しいシワを顔に寄せて、地を這うような押し込まれた怒気すら感じさせる声音を響かせる。


「何の、だと?分かりきった事だろう。お主にはあの赫怒種タウロスが見えておらんのか」


 外を指差し、吐き捨てるように言ったフィグフォルグを無感動に眺める、尊大な態度の男が口を開いた。まるで些事を聞いたといわんばかりの無遠慮さだった。


「・・・言い方を変えよう。孤児如きのために、何故お前ほどの女が動く?」


「はっ!くだらんね、あの子は今村のために戦っている。ならば協力せぬ理由がなかろう」


 フィグフォルグの訴えを聞き、男は鼻を鳴らした。その態度をみれば協力する気が微塵もない事が明らかであった。

 正論には正論を。

 そう言うかのように続ける。


「私が気付いていないとでも思ったか?あの赫怒種タウロスは小娘が喚んだのだろう。自業自得というものだ」


「だから、なんだと言うのだ?赫怒種タウロス程度に困らぬだけの力を持ちながら、行使せぬお主よりは万倍マシであろう。あの子は責任を果たそうとしておるのだぞ」


 僅かな間があったが、冷徹な表情を変えることもなく男は続ける。

 それは力を持つ事との肯定と同義であったが、それすらも助ける理由にならないということでもあった。


「・・・私の力は、こんな些事に使うべきものではない。今が雌伏の時である事はお前とて理解していよう」


「ふん、一族の方針にごちゃごちゃと言うつもりはないけどね。武器くらい供出出来るだろう。宝物庫の鍵を渡しな」


「ならん」


 フィグフォルグとして、それはせめてもの譲歩だった。赫怒種タウロス。それもAランクという隔絶した相手である。普通の武器ではとてもではないが対処できない。だというのに、それすらも拒絶され湧き上がるのはさらなる怒気だった。


「・・・はっ!そこまで何を怖がる!?『三大国』がそんなにも恐ろしいか!?」


「ああ、怖いな。奴らは人ならざる者だ、我らの祖先を追放した罪。決して忘れてはおらぬ」


「わたしゃとて、その気持ちは理解する。祖先の悲哀は重要だと、わたしゃも思う。だが、武器を貸し出すくらいならば構わんであろう」


「宝具を貸し出す際には、来歴を語るのが習わし。お前がそれを外すとは思えん。故に、我らが一族の真相が外部に漏れかねんだろう?それは許容できぬのだ、理解せよ、フィグフォルグ」


 譲歩なき決裂。

 直接的な助力は難しいとそもそもわかっていた。ならばと望んだのは武器の供出であった。それならば交渉の芽があると睨んでの此度の対話であったが、そんな期待は無惨に砕かれた。

 もはや言葉では譲り合えぬと遅まきながら察したフィグフォルグは目を細める。その瞳に戦意すら漲らせながら。


「そこまで言うなら、わたしゃも手段を選ばんぞ」


「やる気か?・・・この私に逆らうのか」


「必要とあらば」


 湧き立つ魔力が空間を埋める。

 否応なく緊張感が高まる場に、意を決して入る人影があった。扉が開かれる大きな音が緊張の間を切り裂いた。

 この空気感を生み出した二人の視線が向けられ、双方共に意外とでも言うように軽く目を見開く反応を見せた。

 ──小さな金髪金目の少年。入室したのはヨハネだった。


 緊張故か、動作は緩慢だった。

 手足を同時に進めてしまいそうな心地にすらなりながら、それでもヨハネは足を進める。あまりに驚いたのか、ヨハネに静止の声は掛からなかった。

 それを良しとすべきであるとはわかっている。それでも緊張は免れない。

 これから、初めて親に逆らうのだから緊張せざるを得なかった。

 ヨハネは精一杯の眼光を宿しながら、玉座に腰掛ける父親に向けて己の意思を叩きつける。


「父上。私からもお願いします」


「・・・下がっておれ。お前の出る幕ではない」


 一瞥すらしない。

 驚いたためか僅かな間のあった、冷たい温度感すら伴った拒絶の言葉を聞いてもヨハネは引かなかった。


「いいえ、下がりません。──アーシェが戦っているのに、ボクだけが引き下がるなんて、考えられませんよ」


「小さな事だ。お前は命を懸けている訳でもあるまいに」


 その通りだ。アーシェは実際に命懸けで戦っている。ヨハネはせいぜいが心胆が縮がる程度。

 でも、だからこそヨハネは前に進む。ここでアーシェに協力する事が、今自分に出来る唯一のことだと知っているから。


「はい。それでも、ボクは下がりません。今ボクに出来る最も重要な事が、父上に逆らう事だからです」


 そこで、ようやく男は首を動かした。

 視界にヨハネを収めてつぶやく言葉は、半ば信じきれない様子であった。その事に少しばかり胸のすくような思いが湧き上がる。


「・・・この私に、逆らうと?」


「言いました。だから、宝物庫の鍵をください」


 手を伸ばして宝物庫の鍵を求める。そんなヨハネの姿を見て、尊大な男が呆気に取られた表情を見せるのは今日まで一度も『我が子』から堂々と拒絶された事がなかった故であろう。

 動揺の滲む声音で、再び確かめるように言った。


「・・・正気か?」


「考えた上での行動なのか、という意味なら、違います。でも、今動かなきゃボクが出来る事は何もない。それは嫌だ。だから、アーシェのために動いています」


「・・・あの小娘を、まだ諦めておらんのか」


 苦虫を噛み潰したような表情でいう父親の言葉に、ふっと笑って肩をすくめて見せた。そんなこと、今更すぎるのだ。


「諦めるなんて無理ですよ。好きなんですから」


 何を言っているのかという表情すら見せたヨハネを見て、それまで傍観していたフィグフォルグも大きく笑った。心底楽しくて仕方がないといった様子で、思わずヨハネも照れ臭さで頬を掻くのはご愛嬌だ。


「かっか!!よう言うた!!・・・わたしゃとて、実力行使は気が進まぬでな、穏便に渡してくれるならばそれが好ましい。──案ずるな、アーシェは容易に口を割るような娘ではない。お主の心配は杞憂というものだ」


 男は拳を握る。

 忌々しげに奥歯を噛むのは、過去の選択を悔やむゆえか。


「ランドルめ、何を考えて孤児などを拾ってきたのか・・・」


 ボソリとした呟きは、誰の耳に入ることもなく宙に溶けた。



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