神殺し



 アーシェが、想像を遥かに上回る挙動で不可避の拳を避け、赫怒種タウロスの首を切り裂いた。

 その光景を見て、己の判断は間違いだったのかもしれないという思いがエドガーの心中に去来するのは至極当然のことだった。


『アーシェにはBランクの魔物はまだ早計』などと、何を宣っているのか。

 Bランクの、しかも最上位である大罪の系譜ギルティ・ツリーに対して互角以上の戦いを繰り広げる実力を見抜けなかった、己の判断に対しての失笑すら漏れる。


「──おめぇも、そっち側の人間なんだな」


 ほんのりと微笑みながら、エドガーが自嘲気味に呟くのは、かつて己が夢破れた光景と重なったからだった。

 Sランク冒険者。

 そう呼ばれる怪物と仕事をした時に思ったのだ。ああ、俺はここまでの存在にはどう足掻いても成れない、と。

 諦念に似た思いを抱いたのと近しい時期に、新規開拓された村の募集要項を目にしたのは必然だったのかもしれない。当時、まだ十分に若いと言える年齢であったエドガーが開拓村に来たのはそうした事情があった。


 かつて夢破れたその場所に、己の弟子ともいえる少女が立っている。

 思うところがない訳ではない。そこまでの聖人にはエドガーはどうしても成りきれない。だが、それでも良いと思う。


「──エドガー、まだやれるよね?」


 振り返って、己を見つめる少女の翠色の瞳。

 期待に濡れたその両目に見つめられれば、堪えようのない笑みが溢れる。


 今はまだ、その少女が自分を必要としてくれている。ただその一つの事実だけで心は晴れる。満たされる程度の話なのだ。


「あたりめぇだろが。俺を誰だと思ってやがる」


 Bランク冒険者。

 その途上だったのだ、エドガーは二つ名など持っていない。

 だが、こうも思うのだ。もしあそこで夢破れていなければ、孤児として半ば身売りするように戦士団に入ってきた、この小さな英雄を守り育てることは出来なかったと。


「弟子にばっかしよ、いいカッコさせられねえよなァ」


 ──アーシェの師匠。

 今は何ということはない、二つ名とも呼べないその冠が、エドガーの小さな誇りだった。

 猛る気持ちを形にし、獰猛な笑みをエドガーは浮かべた。




 死力を尽くしているのだろう。

 アーシェは、聳えるほどの巨体を維持し、猛然と歩行を繰り返す巨人を前にしてそう思った。


 もはやアーシェたちに出来ることはない。

 辛うじて生き残るため必死で足元を逃げ回る他なかった。


 突破口など開きようがない。

 凄まじい地鳴りを響かせながら、歩行するだけで森を抉り取る怪物を前に出来ることなど、たかが知れている。


 アーシェも幾度となく巨人の足に斬撃を見舞うが、肌を切り裂けるとはいえ、もはや大きさと比較すれば擦り傷と言う他ない。

 急所には届かない。

 あまりにも遠い、高さという距離が隔たっているせいで近づくことすらままならなかった。


 理由は明白だった。

 赫怒種タウロスは、もはやアーシェを見てすらいない。

 その眼光はそのさらに先へと、つまり、村に向けられていた。




「──くそッ!この方角、間違いねえ!村に向かってやがる!」


 エドガーが苦々しさを隠せずに吐き捨てた。


「はぁ!?なんで、アタシらを無視して動くんだい!?致命傷を入れたアーシェすら無視するなんて、ありえないだろう?!」


「だが、実際に動いてる!!もう、そういうものとして考えるしかないだろ!」


 焦りから動揺を隠せないメイニーに向かって、リンネルが冷静に、けれど冷や汗を流しながら続ける。


「どうにかして、止めるんだ!」


「つってもよー、俺らを完全無視だぜ。あれの足を止めるか、振り返らせるって、何か案あんの?」


「だから、それを考えるんだ!!」


 こんな場面でも飄々とした調子を崩さないランドルに、変わらず切迫した様子を見せるリンネルが吠える。


 そこに、平然と笑ったエドガーが言った。


「賭けるか?」


「・・・え?」


「俺が止めてやる。出来るか、賭けてみねーか?」


「・・・団長!?こんな時に、なに言ってんですか!?」


「やれると思うんだがなー、確証はねえが。──アーシェ、隙を作ったら、やれるか」


「うん。任せて」


「よし、任せた」


 大きく息を吸って、吐き出す。

 エドガーは槌を握って駆け出した。


「「団長!?」」


 背に、仲間たちの驚きの声を背負いながらエドガーは反転して駆ける。

 両手に握りしめる魔鉄イロンの槌。特別性で、冒険者時代からお世話になりっぱなしの武器だ。


 頑丈さが取り柄で、ぶん回せば破壊力もある。

 頼れる相棒。

 そんな武器には、というより魔鉄イロンを素材とした武器には特徴がある。


 ──魔法金属と呼ばれる鉱物がある。

 魔鉄イロンを筆頭に、滴石ドラウプ抱擁石ファウフなどが挙げられる。

 自然界には存在しない鉱物であり、かつての魔法族が生み出したものか、現代の魔術師にしか造れない特殊な金属。


 それ故に製作者の技量によって上限が定められている。

 込められる魔力の限界量である。

 当時のエドガーが購入できるものは然程の高額な武器には手が出せなかった。

 それでも何とか金を工面して苦労して購入できたのが、今握る槌である。

 限界量は当時としては全力で魔力を込めても上限には至らず仕舞いだったが、村で戦士団を率いて戦い続ける中で、魔石を喰らってエドガーの魔力量は成長していた。


 今なら、その上限に辿り着けるかもしれない。

 ──いや、絶対にやってみせる。


 覚悟を秘めたエドガーは地鳴りを響かせて歩行する、まだ先にある足元を睨みつける。

 狙うのは、些か卑怯であるかもしれないが、小指である。

 赫怒種タウロスが人間に近いなら悶絶するほどの激痛となる筈だが、果たして結果はやってみねばわからない。


 そういう意味では、確かにこれは賭けだった。

 それも、命を賭した大勝負である。


「構わねえさ、男なら、賭け金はデカくしていかねえとな」


 それは強がりの言葉であったが、エドガーを奮い立たせるのに十分な効果はあった。

 魔力を、走りながらも込め続けてきた。

 ようやく臨界点が見えてくる。鉱物である以上はロスも生まれる。込めた魔力が、その込めた端から溢れている気さえするが、魔力を視認、感知出来ないエドガーにはわからない。


 だが、臨界点を迎えれば自ずとわかる。

 ニヤリとエドガーが笑った。

 己の槌が、今までと異なる輝きを宿し始めたのを見てとった。


 そして、限界を超えて尚も、魔力を込め続ける。


 そんなエドガーの視界に、呆気に取られる光景が映った。


「──だんちょ、一人だけ良いカッコするつもりじゃないっすよね〜」


 ヘラヘラと笑ったランドルが、大楯を担いで並走していた。

 その背後にはリンネルが若干引き攣った顔で笑っている。


「お、俺らだって、小石くらいの足止めにはなりますよっ」


 その背後で、メイニーが快活に大笑いしながら続ける。


「いやー、ランドルを舐めてたねえ!こりゃ勇者って言ってもいいよ。──大楯構えて、団長と一緒にぶち当たろうなんざ、普通の脳みそじゃ考えつかないよ」


「おいおい、そりゃ蛮勇だろうが・・・」


「団長に言われたくねーっすよ?」


「・・・賭けはどうすんだよ?」


「そりゃ、団長が勝つ方に全賭けっすよ」


「だな」「だねえ」


 ランドルの発言の後に、異口同音に頷きを返すリンネルとメイニー。

 苦笑いしてエドガーは答えた。


「それじゃ、賭けになんねえな」


「なに言ってんすか。勝利っつー、一番デカいもんが転がってくるじゃないすか」


 その通りだ。

 勝てば、それで片がつく。


 ──赫怒種タウロスの小指はもう目前だった。

 エドガーは無意識に槌を振りかぶる。


 赫怒種タウロスの、エドガーから見て左の足。目前にまで進んでくる赫怒種タウロスはエドガーたちの事など歯牙にも掛けない。

 悠然と歩行し続ける様は圧巻であり、歴戦のエドガーといえども身震いを完全に抑えることは難しい。


 こんな時でも、ランドルは軽薄に笑って軽口を言った。


「だんちょ、震えてんすか」


「──武者震いだよ」


 ニヤリと笑みを浮かべるその一言と、槌が限界を迎えるのは同時だった。


 ──魔鉄イロン

 限界を超えて尚も込め続ける事で、膨大な威力を持った一撃に換える事ができる。その、武器の破壊と共に。


「おらァああ!!」


 蒼く光り輝く軌跡を帯びながら、エドガーの一撃が赫怒種タウロスの小指を強かに打ち据えた。

 ──ランドルの構えた大楯に身を隠し、エドガーが一発を確実に当てられるタイミングで前に出た三人が、歩行の衝撃で吹き飛ばされるのを横目に見ながら、僅かにでも歩行を鈍らせて、確実にインパクト出来るよう苦慮した三人の力もあってか、エドガーの槌は完璧に小指を捉えた。


 大きさでいえば、壁に向かって槌をぶつけるようなものである。

 だが、鮮烈な発光と爆発を持って、振られた推進力をエネルギーに換えて打ち据えた攻撃は赫怒種タウロスの小指を破壊した。


 槌というある程度の質量を持った打撃は小指の肉を抉り、悲鳴に近い息を漏らした赫怒種タウロスが両手で片足を抑えに動いた。

 当然ながら身を屈める必要がある。降りてくる頭部。



 ──アーシェが動いた。

 踏み締める足は霞むように地面を削り、加速度的に増した速度で迫る。


 エドガーの、仲間たちの作った好機。

 全力を尽くして尚も届かない強敵との死闘。

 これまでの、あらゆる相乗が形となってアーシェの体内に作用し、その最後の枷を外す。


 膨大な魔力の奔流が、アーシェから溢れ出る。

 空間を埋め尽くす程の魔力が場に満ちた。


 静寂だけがある。

 新たな感覚が、アーシェの身体を支配している。


 溢れんばかりの、莫大な魔力を身に宿して。

 アーシェは普段通りに左手に剣帯を掴み、右手でロングソードを引き抜いた。


 抜き放たれた刀身は揺らめく魔力光に彩られ、既に開け切った森の上空から降る陽光を浴びて燦然と輝いた。



「──斬る」


 呼気に混ざって漏れる、意志を込めた、ただ短い一音。

 

 掻き消えるほどの速度を持って、アーシェは宙に跳んでいた。

 アーシェの身長を何倍にもしなければ届かない筈の魔物の瞳と視線が絡み合う。

 食欲の色の中に、凄まじい憤怒があった。

 命の灯火が消える寸前であるというのに、アーシェに向けられたものではない、まるで陰りのない憤怒。


 握って腰に溜めるのはつるぎ

 ロングソードのスラリと伸びる鋒が長大な魔力をも刀身として伸び、視認可能なまでに圧縮された魔力と化して、陽光を浴びて明瞭な白色に輝いた。


 ──ふと思い出す。

 憤怒の大罪。それは、一体何に、『誰に』向けられた憤怒なのか。


 僅かな躊躇。

 それすら呑み込んで、絶対の勝利を得るために、アーシェは剣閃を魔物の首に目掛けて走らせる。ドクドクと鮮血溢れる赫怒種タウロスの首に三度みたび剣閃が凪いだ。魔力を宿して長大となった剣撃が、巨大な首を横断した。



 跳ね飛ぶ首。

 盛大に噴出する鮮血。

 斬った勢いでアーシェは赫怒種タウロスに背を向け、宙から降りて着地する。


 巨体の首があった場所から血が噴き出す凄惨な光景を背負いながら、アーシェは目を伏せて愛用のロングソードの血を払う。


 そのタイミングで、アーシェの剣が砕ける音が響き渡った。

 アーシェの全力の魔力に耐えきれずつるぎが自壊した硬質で澄んだ音だった。


 少し遅れて赫怒種タウロスの巨大な生首が地面を打つ音が足元を揺らす。

 ゴロゴロと転がる生首がアーシェの視界に入る。

 死して尚も、その瞳には憤怒が灯っている。


 恨めしげな瞳を真っ直ぐに見つめながら、アーシェは素直に吐露した。


「ごめんね。でも。──それでも、わたしは前に進むから」


 森の開きった天蓋から差し込む陽光に照らされながら、アーシェはしばしの間、赫怒種タウロスの瞳と視線を交錯し続ける。

 アーシェの決意と、赫怒種タウロスの怒り。生き残ったのはアーシェだった。戦いとは、己の意志を貫けるか否かの場でもある。

 

 例えそれが、『かつて神々と呼ばれた存在』であったとしても平等に訪れる結末である。

 ──それでも。

 赫怒種タウロスの色の失せた瞳が、虚空をいつまでも睨んでいた。




 少し侘しげな表情を浮かべるアーシェに近づいてくる人影があった。

 エドガーが壊れた槌の持ち手を肩に乗せてニィと笑みを浮かべている。


「やったな、アーシェ」


 赫怒種タウロスを討伐したことだと理解して、アーシェはもう考えることをやめた。

 ガシガシとエドガーに頭を撫でられながら、格好を崩して朗らかに笑った。



 死傷者0名。


赫怒種タウロス』との不意の遭遇戦においては快挙と言える戦果を提げて、戦士団の面々は村に凱旋した。

 彼ら彼女らの表情には笑みがある。

 それぞれが疲労と怪我を負いながら、それでも仲間と肩を組んで歩く姿は達成感に満ち溢れていた。

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