嘗ての神々



 フィグ婆からの呼び出しがあった。

 宴会の最中に、そう聞いたアーシェの酔いは一瞬にして冷めた。



 時刻は既に夜を回って深夜である。

 寒々しい風が吹き、アーシェはブルブルと身体を震わせる。その頬は微かな酒気を帯びて赤く染まっているが思考は正常だった。

 その証として、せめてもと羽織って来た外套を改めて身体にしっかりと巻き付けながら先を急げば、その家屋が見えて来る。


 ──村の『防壁』は当然ながら尋常な手段で作られた物ではない。

 『魔術師』によって造られた超常の壁である。工兵の延長線上にある仕事内容ではあるものの、その仕事の結果はまさしく桁が違う。

 この辺境の地に人の背丈を優に5倍以上にもした長大な壁を形造ったのだから凄まじいと言う他ない。


 そして、魔術師たちはその片手間とも言うべき作業で家屋を建てていた。材質は当然のことながら『防壁』と同じとあって非常に頑丈で、既に村が出来て数十年以上が経っているにも関わらずしっかりと大地に建っていた。


 村の住民も村が出来た当時と比べて大きく増えている。それゆえ新しい家屋も多いが、それでもアーシェの向かう家屋は『防壁』と同じ手順で造られた、『魔術師』謹製の古い家屋であった。


 四隅の支柱に、天頂方向から見て正方形になるように壁が建てられ、その上に傾斜の付いた屋根が嵌められており、屋根の内部には効率的な梁が巡らされている。岩とも土とも言い難い材質の壁は経年劣化が逃れられない環境の中でも相当に辛抱強く原型を保っていた。


 それが村で最も恐れられ、そして敬われる者が住む家。魔女の家と揶揄されることもある、薬師の老婆たるフィグ婆が住まう小さな家屋だった。




 ガラスの嵌った窓から覗く室内は真っ暗だった。誰か人がいる気配はない。

 それでも呼ばれたのだから入るしかないと、恐る恐る、アーシェはドアノブを掴んで回す。声が若干上擦ったのもご愛嬌だった。


「──お、お邪魔しまーす」


 言いながら、家屋の戸を開いて中に進んだ。

 暗い室内は薬草の匂いが充満しており、慣れていないと眉を顰めざるを得ない刺激的な環境になっている。そしてアーシェは慣れていない方の人間だった。ついつい鼻腔から息を吸わないようにグッと息を止めながら見渡すが、灯りが付いていないのでやはりと言うべきか、アーシェを呼んだ人物の姿は見えなかった。


 おかしいな、と首を傾げた所で。

 ふと気配を感じてアーシェが振り返れば、開いた戸口にギラリと輝く鋭い眼光がアーシェを迎え撃った。


「どわぁ!?」


「ふん、やっと来たね。あんまりに遅いから野暮用を済ませて来たよ。さっさと奥に座りな」


 そう言って、アーシェの背中を杖で押しつつ鼻を鳴らしたのは老婆だった。

 シワクチャな顔。猫背の背中。手に持った木の杖。被ったとんがり帽子。

 物語に出て来そうな、いかにもな魔女といった風情だが、魔法や魔術は使えないと聞いている。


 だが、この村で唯一の薬師であり、生ける知識の宝庫。

 村では『大婆』とも呼ばれる存在だった。

 彼女の名をフィグフォルグと言い、アーシェは彼女のことを尊敬も込めて『フィグ婆』と呼んでいる。


 アーシェは押されるがままに室内に転がり込んで、体幹の良さを示すように瞬く間に体勢を立て直しながら真っ暗な室内の中から問いかけた。


「──フィグ婆、今日は何の用事?また薬草足りなくなったの?」


「ふん、あんたたちが怪我しまくるせいで、薬草はいっつも在庫不足だよ。まぁそれは小僧エドガーに取りに行かせるから、あんたは気にしないで良い」


 よっこら、と言いながら、フィグ婆は胡座をかいて藁で組んだクッションに座った。アーシェもその対面にある藁に胡座で腰掛ける。


 村では暗い中で活動することも多い。ある程度の暗視はお手のものだったが、会話に差し支えがあると考えたのだろう。火付の道具を手に持ったフィグ婆が力強い一息を吐き、囲炉裏に着火させて暖かい火が室内を照らした。



 ほっと一息を吐きたくなる暖かさに手を翳しながら顔を前に向けたアーシェの前で、揺らめく炎に照らされる老婆の表情が皺の凹凸を際立てるように影を作り上げている。そんないかめしい顔の老婆が歯抜けの口を開いた。


「あんたを呼んだのは他でもない事だ。・・・ふぅー。赫怒種タウロスの遺骸を見たよ。凄まじいね、並大抵じゃない」


 キセルを取り出して吹かせ始めたフィグ婆の言葉に、アーシェが頷きで答える。


「うん。すごく強かった」


「違うよ」


 鋭い刃のような言葉。

 視線すらも尖らせたフィグ婆が続ける。


「あんたの事さ、アーシェ。あの首の切り口、肉が半ば焼けて焦げてたよ」


 煙を吹かせながら、続ける。


「何をやった?あんな切り口は、わたしゃ数えるほどしか見たことがないんだ。嘘はわかるよ」


 アーシェに誤魔化すつもりはなかった。

 だが、それが相手に伝わるかどうかは別問題である。それゆえの緊張感を持ってアーシェは口を開いた。


「・・・わたしも、よくわかってないんだけど」


 嘘じゃないと伝わるよう、ゆっくりとアーシェは語り出す。

 実際によくわかっていない。

 あの時はとにかく必死で、仲間たちの信頼に応えなければという想いがあった。

 気が付けば全能感に支配されていた。

 剣を振るって、その後に剣が自壊したこと。


「──『枷』が外れたみたいな感覚だった。今までにないくらい、たくさんの魔力が溢れて来て、そのまま流されるみたいに戦った。でも、後悔はしてない。じゃなきゃ赫怒種タウロスは倒せなかった」


「ああ、勘違いさせたね。別にやるなって言ってる訳じゃない。むしろ今で良かったよ。・・・そうさね、昔話をしよう」


 静かな語り口でフィグ婆は語り出した。

 キセルから煙る、白い一筋が部屋の隅に消えていく。


 ──昔、あるところに一人の少年が居ました。

 辺境で魔物を狩って暮らしていましたが、とても才能のある少年で、小さな頃から戦ってどんどん強くなっていきました。


 少年が15歳の頃の話です。

 徐々に増していた魔力が突如として増大し、それを皮切りにより強い魔物を倒せるようになりました。

 少年は喜びました。これでもっと村に貢献できる、と。


 けれど、悲劇はそう遠くないうちにやってきました。


 大罪の魔物が少年の村にやって来たのです。

 危険な地域が近くにあったからかもしれません、運が悪かったのかもしれません。


 少年は死力を尽くして戦いましたが、大罪の魔物に敗れて食べられてしまいました。

 村も襲われてしまい、村人は散り散りになってしまいました。



「・・・話はまだ続くが、重要なのは今話した部分さね」


「話の続きを、聞かせて」


 沈黙で答えたフィグ婆は語り続けた。


 ──村はなくなってしまいましたが、生き残りは別の村に辿り着き、生活を送ることが出来ました。

 けれど、生き残った内の一人の少女は大罪の魔物の事を忘れてはいませんでした。


 彼女は準備をし、時間を掛け、冒険者となって仲間を集めて、再びその大罪の魔物に挑んだのです。

 彼女は知恵を絞り、魔物が魔力に惹かれている事を突き止めて、罠を張りました。大罪の魔物はおびき寄せられ、激闘の末にその命を狩る事に成功します。


 立役者となった、村の生き残りの少女の名を──。


「──フィグフォルグ」


 語りを引き継ぐようにアーシェが呟き、フィグ婆フィグフォルグはニヤリと笑った。


「昔、むかぁしの話さ。今じゃただの薬草臭い婆だ。・・・アーシェ、わたしゃの勘に間違いがなければ、奴さんが来るぞ。どう迎え討つ?その算段を、話したいと思ってね」


 フィグ婆の言葉に、アーシェは目を瞬かせた。


「・・・え?赫怒種タウロスじゃないの?」


「いや、あの赫怒種タウロスは本当に運が悪かっただけだろう。何せあんたが枷を外したのはその赫怒種タウロスとの遭遇後なんだからね」


「・・・あっ、そっか」


 そんな単純な事に気が付かないのか、と責める視線のフィグ婆に向けて、アーシェは誤魔化すように冷や汗を垂らしながら笑った。


「でも、そうなると。・・・そっか、それでわたしだけを呼んだんだね」


「ああ、正直に言えば、この村から追い出されるだろうね」


「・・・だよねぇ」


 困ったように、けれど特に傷ついた様子もアーシェは見せなかった。

 元々村からは出るつもりだった。その予定が少し早まっただけと思えば特に苦もない。

 それゆえの達観を見せるアーシェを見つめながら老婆は続ける。


「でもね、奴らは一度眼をつければ諦めるって事を知らない。もう新たな大罪の魔物は動いていると考えるべきだろう。ならば、他の都市に移っても無駄だ。ここから最寄りの防衛可能都市といえば『レースタリア』だが、普通の手段なら2、3週間は掛かる。今から向かうのは現実的じゃないね。道中で戦う羽目になって、今度こそあんたは死ぬよ」


 重々しい言葉だった。

 実体験の籠る言葉は無視できない。それでもアーシェの中には『枷』を外して赫怒種タウロスを容易に退けられたという成功体験がある。あまりピンと来てはいなかった。


 アーシェの沈黙の意味を、正確に心情まで汲み取った老婆が厳しい眼差しを注いだ。


「舐めてるね、何とかなるって思ってんだろ。このおバカは」


「・・・あ、あはは」


 ぐうの音も出ずに、再び冷や汗を流しながら誤魔化し笑いをするアーシェに向けて、カケラの笑みすら見せないフィグ婆が言った。


「わたしゃ、魔力感知が出来る。今までこの村の誰にも教えてこなかったが、出来る。あんたの魔力だって見えてる。その上で言ってやろう、あんたは運が良かっただけだ」


 息を呑むのはアーシェの番だった。

 魔力感知。それは、つい先日の赫怒種タウロスとの戦いの最中でアーシェが感じたお腹のザワザワの事でもあるが、魔力を視認する能力をも指す。極めて特殊な技術である。


 老婆の眼光が鋭くアーシェを射抜いた。


「あんたの魔力は、既にわたしゃの全盛期すら超えているだろう。驚異的だよ、魔石をさほど食った訳でもないってのに、その魔力はね。親が相当に高位の貴族だったのか、先祖返りか・・・。まぁそこは推測しかないが、今ですらSランク冒険者に匹敵するだろう」


 予期しない褒め言葉を聞いて意図せず口角を緩めてしまったアーシェに、フィグ婆はチクリと『もちろんトップじゃないよ』と一言を付け加えて続ける。


「だが、それでも大罪の魔物と戦うには心許ない。理由がわかるかい?」


「・・・ううん」


 素直にアーシェは首を振った。

 思いつくものはあまりなかった。剣の一振りで首を狩ったのだから──。


「あっ」


 ふと思い至った。

 剣が、アーシェの魔力に耐えきれずに自壊した事を。


「わかったかい。そう、武器だよ」


 キセルを吹かせる老婆は厳しい顔のまま続けた。


「これはね、本当にどうしようもないんだ。Bランク『程度』ならまだ何とかなるが、もしAランク以上って事になれば──」


 言い放つ事に覚悟が要る。

 そんな間を作ったフィグ婆が、吐き捨てた。


「まず間違いないが。アーシェ、あんたに勝ち目はない」


 アーシェは口元を硬く結んだ。

 認めたくない。肥大したとも言えるアーシェの自尊心がその言葉を強く拒絶した。


「大丈夫。わたしなら──」


「根拠のない自信は、あんただけじゃない。仲間すら殺すよ」


 熱を帯びたアーシェの思考を、老婆の一声が冷ます。

 次々に倒れ伏していく仲間たちの姿を幻視する。

 思い描いた光景はアーシェの息を詰まらせ、動揺が瞳孔を開かせた。


 そんなアーシェに向けて、痛恨を滲ませる老婆の次の一言が刺さった。


「わたしゃ、殺しちまった。老婆の戯言に聞こえるだろうが、肝に銘じておきな。その上で無視するなら勝手だけどね」


 視線を囲炉裏に向けて、立ち上る炎を見つめるフィグ婆の瞳に炎影が映り込む。

 老婆のガラス玉のような無機質な瞳に一抹の寂しさが過ぎったのを、アーシェは見た気がした。


「・・・少年の時は、どのくらいで来たの?」


「7日。たったの7日だったよ」


 遠い眼をしながら、記憶の中の魔物を鋭く睨め付けるようにフィグ婆は言う。


「わたしゃが殺したのは暴食種クローラだった。Aランクの奴だったが、桁外れに強かった」


「Aランク!?」


 先ほど絶対に無理だと言われた魔物を、他ならぬフィグ婆が討伐していると知ったアーシェの驚きは大きかった。

 その無垢な反応を見て、初めてフィグ婆が表情を少しだけ明るいものに変化させた。


「そうさ。これでも昔はブイブイ言わせてたんだ。『大槍のフィグフォルグ』なんて呼ばれたりしてね。かっか!」


 楽しげに快活な笑いを見せた後に、フィグ婆は表情を鋭くした。


「だが、若い個体だったのは間違いない。わたしゃの馴染みを食った後で進化したのか、それとも。・・・まぁ今となっては詮無きことだね」


「どうやって倒したの?」


「ん。聖黒鉄アダマンタイトの大槍をとある貴族に借りてね、それでぶっ殺したさ。魔石がなきゃ魔物は生きていけないからね、中から魔石を押し出してやった。普通なら魔石の方が壊れるが、Aランクの魔石ともなれば頑丈だったね、腹が立つくらいに魔石は無傷だったよ」


「・・・な、中から・・・」


暴食種クローラは知ってるかい?あいつらは巨大な芋虫みたいな形してるもんでね、口なんか幾重にも牙が円形に並んでるんだ。そりゃ飛び込む時は勇気が必要だったね」


「うんうん」


「中に入ったら入ったで臭いわ、べちゃべちゃしてるわ、人生の中で最悪の経験だったけど──」


 思い出話に花を咲かせそうになったフィグ婆がグッと声を詰まらせて、吐息を一つ。


「・・・ってそういう話をしたいんじゃないんだよ。あんた、誘導してんじゃないよ」


「し、したかな?」


 意気揚々とフィグ婆が語り出したような、と記憶を探るアーシェが思う間にも話は進んでいく。


「まぁいいよ。大罪種は六種だ。どれが来るかわからないけどね、運悪く赫怒種タウロスが居たってことは同種である可能性は高い。そのつもりで準備しておくんだね」


「・・・うん。でも、みんなに言わなくて良いのかな」


「言っても良いが、間違っても領主の小僧には言うんじゃないよ。あれは肝っ玉が小さいからね。まったく、栄えある一族の血が泣くよ」


 ため息を吐きながらフィグ婆がそう言うが、アーシェは頷きながらも別の考えを持った。


「わかった。でも、エドガーたちには話そうと思う」


「ん。あんたがそう決めたんなら、わたしゃ何も言わないよ。・・・そうだ、これは確かな話じゃないんだけどね」


 そう言った後に、少しの間だけ、言うか言うまいかフィグ婆は悩んだ仕草を見せた。

 怪訝に首を傾げるアーシェは何だろうとは思ったが、特に催促をすることもなく時間が経過する。


 そして、言うべきと決めたのだろう。

 真剣な表情でフィグ婆は言った。


災厄の魔物ディ・アスター。奴さんを草の根分けて調べて知ったんだが・・・、いや、今でも確証はないんだけどね。一応教えておくよ。──あれらは『かつて神々と呼ばれていた存在』だそうだ」


 その一言は大きな衝撃があった。

 言いようのない、言葉に尽くし難い衝撃。

 半ば喘ぐようにアーシェが繰り返す。


「・・・神、様?」


「ああ、そうさ。なんで堕ちたのか、諸説があって定かじゃないが・・・・。まだ魔女が生まれるよりも前の時代に、堕ちて来た流星群が災厄の魔物ディ・アスターってのは有名な話だろ?──で。その正体が実は『神々』だったって話さ」


 ジワジワとした実感がアーシェの中に湧き上がってくる。

 もしその話が本当なら、アーシェは神様を殺した事になる──。


「根拠のある話じゃないけどね。その時に一緒に出て来たのが『エラシラの果実』ってんだが、何の話なんだかね、わたしゃにはわからなかったが。・・・大丈夫かい?」


「う、うん」


 少なくない衝撃から立ち上がるために、アーシェは思考する。

 ──神殺し。

 それは、神々が身近に存在するこの世界において非常に畏れ多い言葉だった。

 もしかすれば親殺しに匹敵、あるいは凌駕する程の饒舌に尽くし難い悪行。


 アーシェは、それを成してしまった。

 ・・・かもしれない。


 口元に手を当てて、アーシェは思い悩み続ける。

 見かねたのかフィグ婆が口を開いた。


「悩んでるとこ悪いけど、もうアレは神々なんかじゃないよ。ただの魔物さ。──じゃなきゃ、食欲に濡れた瞳で人間を見る訳が無い。そうだろ?」


「うん、確かに、そうなんだけど・・・」


 理性では、納得できる。

 けれど、今まで育んできた感性は強烈な違和感を発していた。

 アーシェの眉の間に刻まれた皺が取れない。


 神々とは、アーシェの中でそれほどまでに大きな存在だった。

 話に伝え聞く神話の神々。この世界に、どこかに必ず居る存在。

 いつか会えないか、あるいは会った瞬間を想像して、心躍らせて空想に耽った事は数知れない。


 そんな存在を殺したかもしれない事実。

 それは、言葉にならないほどの強烈な違和感としてシコリのようにアーシェの心中に残って──。


 ──その瞬間だった。

 アーシェと老婆はほぼ同時と言っていいタイミングで視線を外に向ける。


「フィグ婆」


「まさか。いや、早すぎる・・・」


 フィグ婆は立ち上がって、壮年を超えた枯れた老人とは思えない俊敏さで戸を開け放った。

 フィグ婆の身体から立ち上る魔力は薄く頼りないが、それでも意味のある動きを繰り返す。


「・・・アーシェ、わたしゃ準備を進める。あんたが鍵だ、出来る限り時間を稼ぎな」


 フィグ婆の視線は壁の向こうに向けられている。

 その表情に一筋の汗が垂れる。


お客さん大罪のお出ましだよ」




 少女が老婆と語らい、仲間たちが破顔し、村人たちは陽気に踊り、領主が持っていかれた秘蔵の酒に肩を落としている頃。

 ──それは唐突に姿を現した。

 

「ブモォオオオオ!!」

 

 歓喜すら篭った嗎は空気を震わせて、家屋のみならず防壁すら揺るがす恐ろしい一声が響き渡る。

 地面が振動し、壁が軋み、天井が揺らぐ。

 

 防壁の上には、普段であれば警邏の男が立っている筈だった。

 しかし、怪物の姿を真っ先に見る筈であったその不幸な者は今回に限っては居ない。宴のため特別に免除されており、誰も防壁には立っていなかった。


 だが、今回に関しては誰が立っていようとも、あるいは立っていなくとも関係がない。その膨大な声量から発せられる声に聞き覚えがある者が五名も居た。


 アーシェが去った後も、広場で酒盛りを続けていた一人であるメイニーが引き攣った顔でボヤいた。


「・・・アタシの勘違いだったら良いんだけどね。二度と聴きたくなかった男の声が聞こえるんだけど?」

 

 メイニーの軽口にリンネルが神妙な表情で続けた。

 

「あー、男かどうかに関しては、議論の余地が残されてると思うね。怪物の性別を調べる術があれば良いんだが」

 

「バカな冗談言ってる場合か。・・・この短期間にもう一体だと?一体何が起きてやがる」

 

 瞬きの間で酔いを覚ましたエドガーが厳しい表情で壁の先を睨みつける。

 そんな火急の盤面であるというのに、軽薄な調子を崩さずランドルが続く。


「へへっ、懲りずにまた来ちまったのかー」


「余裕そうだな、ランドル」


「だって、そーでしょ。──やるしかないんスから」


 飄々とした余裕のある表情で、ランドルが言い放った。


「ったく、いつもその顔ならもっとモテるだろうによ!」


「あいたぁ!!」


 言葉には納得しつつも、ランドルに言われたことが釈然としない。そんな気持ちを行動に現して、エドガーはグリグリと頭を撫でる、というよりは背を縮めさせるが如く押し込み、言葉を引き継いだ。


「──ランドルの言う通りだ。やるしかねえぞ、お前ら」


「「「応」」」


 もはや酒に酔う者どもは居ない。

 側にあった割水を頭から被り、顔を叩き、掌と拳を打ち合わせる普段の戦士団の面々の姿があった。





大罪の系譜ギルティ・ツリー

 ──赫怒種タウロス

 その特徴は一点である。即ち、身体膨張から生み出される怪力。


 Bランク『程度』では活かしきれなかった特性がある。一時的な膨張しか出来ない不完全なソレとは異なって、Aランクの『アングラ・タウロス』に膨張の時間制限はない。


 赫怒種タウロスの本領が発揮されるのはAランクからと云われる所以。

 十全に己の特性を活かすべく、防壁を正面から打ち破れるだけの巨体にまで膨張した『アングラ・タウロス』が、長い両手を地につけて2本の手と両足を使ったスプリントで防壁に迫り来る。


 その光景は恐怖以外の何物でもない。

 防壁はいとも簡単に巨体によって破壊される。



 ──かと思われた。


 防壁に辿り着いた赫怒種タウロスは土の巨大な壁に手を掛ける。押し潰すか、蹴り破るか、身体でぶつかって壊すか、考えるような素振りを見せる巨大な赫怒種タウロスが動きを止める。


 その視線は村から離れて、次第に森の一角に向けられる。

 何かを追うような視線の動き。


 僅かな逡巡と目の前に住む大量の人間を見比べて、スンスンと鼻を鳴らした後に赫怒種タウロスが防壁から離れた。

 食欲に濡れる瞳が見つめるのは、『アングラ・タウロス』が見定めるのはただ一点のみ。

 

 あまりにも旨そうな魔力の香りが漂っている森の一角。


 言うまでもない。

 とある少女の発する魔力に惹かれていた。誘うように強弱を繰り返す魔力の香りに満面の笑みを浮かべる。


「ブモォォオオ!!」


 再び駆ける。

 全てを破壊して余りある暴威を振り撒きながら、怪物が疾走を開始した。



──────

あとがき


1話目非表示してましたが、気が変わって再表示しました。

好きなものに嘘ついちゃダメですね。


──────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る