星に願いを



 宴は盛り上がっている。

 演奏も興に乗ってどんちゃんと楽器が掻き鳴らされる。村人たちの歌声や足踏みの音が耳朶と地面を揺らす。エドガーは既にアーシェの側から離れて、宴の中心でワイワイと騒いでいた。

 

 そんな光景を眺めながら、アーシェが離れたところに座っているのはいつものことだった。混ざっても、今日の立役者である今なら受け入れられるとは思う。それでも動かずに眺めているのはあの中で騒ぐのはアーシェの性分じゃないという理由もあったし、他の、あまり喜ばしくない事が理由でもあった。


 とはいえ、アーシェがお酒を飲めないのはそれらと異なる理由からで、むしろ気遣いに近い理由からだった。


 特段お酒に弱い体質という訳ではないのだが、周囲の大人たちが挙って年齢的にやめておけと言うので渋々と果汁で我慢している。子供扱いされているようであまり嬉しくないけど、そういうものと言われれば納得する他ない。もちろん、ムスッとしながら頷くのだけど。


 なので、アーシェが手元に持つ酒盃には果物を絞った汁が入っている。森で採れる果物を潰した貴重品だけど、お酒を飲めないやっかみも込めて仰いで一息に空にする。

 喉越しの透き通った柑橘の香りが鼻腔を擽る。喉を通過する、程良く冷えた果汁が胃の中にストンと落ちる心地があった。


「・・・はふ」


 漏れた呼気はきっと柑橘系の香りがする。

 そんな事ですら少し面白く感じるのだから実は酔ってるのかもしれない。ううん、酒気は帯びていないのだけど、それでも場の雰囲気に充てられる事はあると思うのだ。

 アーシェは僅かに頬を高揚させ、緩ませて立ち上がる。杯は椅子に残しておいた。


 向かうのは、いつもの場所。

 草原が広がる丘の上。


 サクサクと芝生が足を受け止めてくれる音を響かせながら、今朝も寝転がっていた、その場所を目指して進む。


 辿り着いた。

 変わらずの風景が夜の色彩を帯びていた。

 一息を入れるつもりで、立ったまま夜空を仰げば満点の星空が視界のいっぱいを埋め尽くした。


 この中の幾つかは『神界』から地上を見下ろす神様の瞳らしい。

 それ以外の星々はオシャレ好きの天空神プラネタリアが創世記に嬉々として彩ったので無限にも近い数になったという。『ムスペルヘイム』から持ってきた火花たちを元に作った星々だそうだ。


 そんな中で特大の星がある。いや、星という呼び方は正しくない。

 今夜は三日月になって、夜空に『二つ』輝いているお月様。

 満月の時はまん丸であるが、今は三日月なので欠けている。それを『神の瞳』という前提で見上げれば、まるで夜空の帷に映える閉じた瞼のように見える。


天空神プラネタリア』の瞳。

 輝きに満ちる夜空の中にあって、主役のように金色に輝いている。

 満ち欠けを繰り返すため夜空から消えてしまう事も、時には両目を開いているように見える事もある。けれど、今日のお月様は三日月。


 さながら人間が瞼を閉じたように、神の『瞼は閉じていた』。

 連想するのは有名な一節。それだけしか知らないけど、アーシェでも知っている有名な言葉。


「・・・『汝の行く末に瞼が開かれん事を』」


「詩人アルフレドの一節かい?」


 唐突な声。

 アーシェが夜空から視線を外せば、そこには顔見知りの少年が立っている。


 彼は金髪金目の特徴を持っていた。

 育ちの良さそうな笑顔を浮かべて、綺麗な絹で編まれた衣服を着ている。アーシェに遠慮しているからか、華美な雰囲気はない。けれど、シンプルながら仕立ての良さが隠し切れない服だった。


「──ヨハネ!」


 呼びながら嬉々として手を振れば少年──ヨハネも笑顔で手を振り返してくれた。


「やあ、アーシェ。月が綺麗だね」


 月明かりが、微笑む少年の金髪金目を輝かせていた。

 ヨハネとは仲がいい。もう何年も前から友達で、事あるごとにこうして夜の丘の上で話し合う仲だった。一族の関係で毎日とは行かないが、それでもそれなりの頻度で度々顔を合わせている。


「横に座って良い?」


 ヨハネの伺いに、満面の笑顔を浮かべて首を縦に振る。


「もっちろん、いいよ。わたしも座るね」


「うん」


 星々と月明かりの下で、ヨハネの横に並んで座りながら夜空を眺める。そんな静かな時間があった。

 沈黙が苦にならない間柄だから、どちらかが慌てて口を開く事もない穏やかな時間だ。


 そんな中で、ふとヨハネの視線を感じて小首を傾げる。

 視線が絡み合っても特にヨハネは何も言わない。不思議に思って問い掛ければ、少し考え込むような間があってヨハネが続けた。


「なーに?どしたの?」


「ん。・・・あの話はボクも好きだよ、彼が一番冒険した詩人だと思ってる。何より、別れ際の言葉がカッコいいよね」


 目をパチクリしながら、アーシェは言われた事を考えた。

 ついさっきの話題の、詩人アルフレドの話をしているのだと思う。けれど、アーシェには学がない。

 先ほどの一節だって、有名なその部分しか知らない。

 でも、知らないとは色々な意味で言いにくい。ほら、おバカと思われたくないし、知らないと言えばヨハネとの間に妙な間が生まれてしまいそうだ。

 なので目を泳がせてカクカクと頷いた。


「・・・うん!?そうだね!」


 我ながらその慌て振りは気が付かない方が難しいほどの狼狽具合であったと思う。ヨハネも当然気付いてしまったのだろう。


「・・・あー、うん。そうなんだ」

 

 『やってしまった』という表情で、ヨハネが赤らめた頬をポリポリと掻く。

 

 そんなヨハネの反応から知ったかぶりを悟られたと察して恥ずかしさで顔がカーッと熱くなる。

 

 対してヨハネはつい見惚れていた事を誤魔化す緊張感から咄嗟に言葉が出てしまった事を後悔する。

 これ以上この話題を続けてもお互いに傷口が広がるだけだ。

 なので、二人は曖昧に微笑み合う。

 暗黙の了解を示し合わせる仕草で話題を終わらせて、二人同時に意識的に視線を夜空に戻した。


 またしばらくの静寂があって、アーシェの恥ずかしさも落ち着くだけの時間が経った。


 そんなアーシェが夜空を眺めながら思うのはこれからの事。

 ──思えば、これは良い機会かもしれない。ヨハネに会えるのはたまにしかないから。

 以前、ヨハネにだけは話したことのあった、これからの話が口をついた。


「わたしね、外の世界に興味があるって言ったじゃん?」


「うん」


 改めて宣言する気持ちで内心を吐露する。

 瞳を夜空に向けて思いの丈を真剣に伝えるために言葉を紡ぐ。──アーシェの全身は月明かりに照らされていた。金の髪が眩い糸となって煌めいている。


「だからね、冒険者になろうと思うんだ」


 届かない三日月に、星降る夜空に手を伸ばす。


「もっと見てみたい。この空が続く先に何があるんだろうって、ずっと思ってた」


 ──アーシェの瞳は星空に負けないくらいキラキラと輝いた。

 思うのはただの好奇心。

 単純でワクワクするような気持ちだけが理由。 


 天に向けて腕を伸ばし続けて、ぎゅっと握りしめる掌は空気を掴む。

 掌の中には『三日月』もなければ『星』も『夜空』もない。

 けれど、気が付きさえすれば、どこにでもある『ナニカ』は一緒に掴めた気がした。


 きっと名付けるならそれは──。


 そう思ってアーシェは笑った。

 きっとそれは、言葉には出来ない『心のざわざわ』だ。


「今度、挑んでくる。冒険者になって色んな場所を巡って、色んなことを知りたいから。この世界の果てに、その先に何があるのか見つけるんだ。──帰ってきたらヨハネにも報告するね」


 その時に、一瞬だけヨハネが悲しそうな顔をした。

 ──気がした。次の瞬間には元のいつも通り穏やかな笑顔に戻っていて、冗談じみた口調で笑う。


「あーあ、ボクを置いて行くんだー。アーシェはホントに勝手だなー」


「うっ!!だ、だってー。ずっと夢だったし・・・」


 そう言われては形無しだ。

 オロオロと狼狽してしまいながら、何かいい言葉をと探すけれど見つからない。そんなアーシェを見て、クスリと笑ったヨハネが夜空に視線を戻しながら言った。


「──なんてね。ボクは出来た人間だから、アーシェの門出を邪魔したりしないさ」


「むぅ、いつもそうやってわたしを子供扱いするよね」


「おや、子供扱いされてるってわかってたの?」


「ぬあっ!あったりまえじゃん!!わかってないと思ってたの!?」


「あはは、うん」


「うんって!?素直に頷いちゃったよ!?」


 ガーンと効果音が付きそうな愕然とした表情を浮かべるアーシェを見て、お腹を押さえながらヨハネは笑う。


「はははっ。あー、もう、外は怖いところなんだから、しっかりしなきゃダメだよ」


「ぬあ!はいはい、わかってますよー。ヨハネってば意地悪なんだから」


「今のうちに知ってた方がいいっていう親心だよ」


「親心って、ヨハネは友達じゃん」


 思わず困った顔で、少し照れ臭くなって笑いながら告げれば。


 ──そんなアーシェの言葉と表情を受けて、ヨハネは曖昧に笑った。

 ヨハネは知っている。

 アーシェの中で『友達』とはすごく大きな存在なのだと。


 ──アーシェは昔から掴み所のない子だった。

 好奇心が旺盛で、何でも質問して回るような子だった。大人たちや、同年代の子供たちに邪険にされてもいつも楽しげに笑っていた。でも、それが明らかな強がりである事がヨハネにはわかっていた。アーシェが一人で泣いているところを見た事もある。


 だからかもしれない。

 ヨハネはアーシェを視線で追うようになった。

 視線で追うたびに、日を追うごとにアーシェの笑顔に惹かれる自分を自覚しながら過ごす日々だった。


 ヨハネは領主一族の直系だ。アーシェと結ばれることは難しい。

 それでも、父親に諌められても、この丘に暇さえあれば顔を出しているのは自分の気持ちに嘘がつけないからだった。


 だから、次の言葉は決まってる。

 ヨハネは精一杯の微笑みを浮かべて、万感の思いを込めて告げた。


「待ってるよ」


「・・・うん、信じてる。──とびきりの英雄譚も聞かせてあげる」


 ニッと幼い笑顔を見せるアーシェの全身が、月明かりに照らされて輝いて見えた。

 幼馴染の贔屓目かもしれない。でも、それでも。


 ああ、綺麗だなあと。

 アーシェに見惚れながら、ヨハネは目尻を綻ばせた。

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