戦士団
──声が聞こえる。
ザワザワと彩度を欠いた人影の偶像が動いている。
それは思い出したくもない記憶の一部であるとヨハネは直感的に理解した。
不鮮明な姿の村の子供が口を開く。
『誕生日会?ははっ『親なし』のなんかに誰がいくんだよ』
『ははっ、言ってやるなってー』
『そうそう。アイツ親が居ないんだ、俺たち誘うくらいしかないんだろーぜ』
『あーあー、じゃあマシなもんも、期待できねーだろうなー』
『当たり前だろ?砂で作った料理でも出てくるんじゃねーの?』
『おいおい、そんなもの食わされたら、いくら俺たちでも腹壊しちまうよ』
『で?なにやるって話だっけ?』
『さぁ?なんか言ってたけど。聞いてねーし』
『ひっでーやつ。ま、誰も行かないだろ、『親なしアーシェ』の誕生日会なんてさ』
それぞれの視線が、回答を求めるようにヨハネに突き刺さる。
答えるべき言葉はわかっている。それは違うと否定すれば面倒な事になる。子供は異物に敏感で、数の力は小さな村という社会性の中で大きな武器となる。人は一人では生きられないのだから。言い訳をしながら、けれど特に罪悪感もなく。
「・・・ははっ、そうかもね」
曖昧に笑いながら、子供たちの輪の中でヨハネはそう答えた。
──ああ、これは夢だ。
過去の記憶を追走するような光景を眺めながら、ヨハネはそう思った。
苦々しい思いが湧き上がる。それでも過去は変えられない。
もし、もっと早くにアーシェを助ける判断を下せていたら、ここで曖昧に同意せず、それは違うと声を大にして言えていれば、何の躊躇もなく想いを告げられていたのだろうか。
苦い後悔の記憶が流れていく。
人影が動いていく。
続いての場面は屋敷での食事風景だった。
変わらず彩度を欠いた世界で、あまり気分の良くない何事かの言葉が流れて、景色が流れていく。
音も無く動かすナイフとフォーク。食後に出てくるデザード。
──その光景を見て、アーシェの誕生日会の話を思い出したのをよく覚えている。
アルシエル。愛称はアーシェ。
邪険にされても、いつも楽しそうに笑っている。
好奇心が服を着ているような性格で、なんでも聞いて回る。
親なしと揶揄されても、言い返さずに笑って冗談にしてしまう少女。
何というか、凄いなとしか言葉が出てこない。
それが無理をしているとヨハネには察せられるからこそ、より凄いと感じる。
気に食わなければ、泣き喚いて暴れて食ってかかる。そんな子供は村にいっぱい居るのに、アーシェのような子は全くと言っていいほど居なかった。
ある意味尊敬していた。自分には出来ない事だと。
──それでも所詮は他人事だったのだろう。助けることもなく、傍観しているだけだった。
そんな強い女の子だから大丈夫だとは思っていた。でも、ただの気紛れというには、些か罪悪感があったように思う。
だから、ボクは──。ヨハネは、その誕生日会に足を向けた。
会場に辿り着いた。
と言っても、場所はアーシェの家である。
布を縫い合わせた見窄らしいテントは普段と変わりない。けれど、きっと一人で装飾したのであろう、村の中で見つけられる範囲での花や綺麗な石で精一杯彩りを添えていた。
入り口には花冠が下げてあった。
──ふと、アーシェの笑顔が思い浮かぶ。
心からの笑顔で、誕生日会に誰か来てくれるのか、ワクワクしながら花冠を作っているであろう姿が浮かんだ。
この当時は一度もそんな表情を見たことがないのに、なぜか自然とヨハネの脳裏に思い浮かび、ズキリと胸が痛んだ。
近づいて、テントの入り口を潜ろうとする前に声が聞こえた。
中からの声だった。少し悪い気もしながら耳をすませば、聞こえてくるのはアーシェの独り言であろう言葉だった。
いや、独り言じゃない。
──泣いている声だった。
初めて聞く、想像すらしていなかった泣き声に動揺した。
あの強いアーシェが泣いているなんて、と初めに思った。
声が聞こえる。
つっかえながら自分に言い聞かせているような声。
「──だ、だめだよアーシェ。泣いたって。泣いたって、誰も見てくれないんだよ」
何も、言葉が出てこなかった。
いつも楽しそうに笑っている笑顔の下で、本当は泣いていたのかもしれない、と。そんなことを思った。
「──だいじょうぶ。いうもんか」
何を言わないのか、ヨハネには推測するしかなかった。
でも、何となく言おうとした言葉はわかった。
踵を返して、来た道を引き返そうと思い、ヨハネはその通りに行動した。もし今の言葉を誰かに聞かれていると知ったら、アーシェが耐えられないかもしれないからだと、自分に言い聞かせながら。
そう言い訳しながら、実は怖かったのかもしれない。自分の選択が一人の少女の結末を決定づけてしまいそうで。
来た道を帰る途中でふと思った。
でも、誰も来てくれなかった誕生日会よりも、誰か一人だけでも来てくれた方が良い思い出になるんじゃないかという、今思えば何とも度し難い考えだった。
一度ならず見捨てたくせに、今まで見て見ぬふりをしていた癖にという声もあったかもしれないが、この瞬間だけは消えていた。
日々の中で、領主一族の直系として厳しい指導の中で生活を送るヨハネは滅多に褒めてくれない家族や一族に囲まれて過ごしている。
要求される水準が高いせいだとは思っている。だから、もっと頑張ればと。そう思っている。
だから、ここで踵を返してアーシェのテントに戻ったのはそんなヨハネの環境がそうさせたのかもしれない。
あえて足音を聞かせるように、大きく大きく足と手を振った。
ザリザリと地面を削る足音が鳴った。
ここまですれば直前で引き返すなんて事は出来ない。震えるほどに緊張しながら、ヨハネはアーシェのテントの幕を捲った。
声は、上擦ってなかったか、自信がない。
「やあ、まだやってるかな?」
「──っ!い、いらっしゃい!座って座って!来てくれてありがとう!」
アーシェが居た。
泣き腫らした目を隠して、取り繕って。
めいっぱいの笑顔を浮かべて見せるその表情が、どこまでも深くヨハネの心に突き刺さった。
だから。
「お招きありがとう、アーシェ」
せめてその涙の跡に気付いていないように振る舞って、ヨハネは精一杯の笑顔を浮かべた。これも、うまく笑えていたか自信がない。
「──夢、か」
調度品に囲まれた一室。
どこかの貴族ではないかと思わせる優美な装飾の刻まれる家具。
天蓋の付いた豪奢なベッドで身を起こしながら、ヨハネは片手で両の瞼を覆っていた。
絹で仕立てた服。柔らかな材質に身を包みながら、その胸元は微かに盛り上がっている。『彼』の金髪が朝日を浴びて黄金の装飾のように輝いた。
「確か今日、だったよね」
言いながら、ベッドから離れたヨハネは窓に近づいた。
就寝前から開け放たれているカーテンを、さらに大きく開きながら、その視線は村にある、2つの大門の内一つに向けられている。
「アーシェ、ちゃんと帰ってきてね」
緊張を瞳に宿しながら、ヨハネの視線はまっすぐに大門へと向けられていた。
「──揃ったな?」
大門の前。
総勢十数名の男や女。
思い思いの防具と武器を身につけた猛者たちが出迎える。
手頃な岩や地面に座り込む者、背の低い土壁に背中を預ける戦士たちは気合十分という様子でエドガーの姿を認めて頷いた。
そんな戦士団の中に、金髪翠眼の少女アーシェの姿もあった。これから行う危険な提案の事を思って身を固くしながら待っている。
そんなアーシェの事情を考慮した訳ではないだろうが、単刀直入にエドガーが口火を切った。
「狙う獲物はBランクだ。アーシェを先頭に狩る」
名前が出た瞬間に、戦士団の面々の視線と意識がアーシェに集中する。
集まった視線に息を飲みながら、アーシェが彼らの眼差しに対しておずおずと頷きを返せば、戦士たちは沈黙で答えた。
緊張感が否応なく高まる中で
「言わずもがな、危険だ。普段狙わないBランクをあえて狙う理由を知りたい奴は多いだろう。──アーシェ、前に出て説明しろ」
アーシェは、エドガーに呼ばれて大きく呼吸した。
元々予定していた事だ。けれど、それでも緊張してしまう。
視線と身振りで示されるままに立ち上がってエドガーの隣にまで足を進める。
少し段差になっている場所だった。壇上に上がるようにアーシェは一歩を踏み出す。
登って振り返れば、座り込んでいる団員たちを、普段であれば見上げている彼ら彼女らを見下ろす形になる。
見下ろす事に心地良さも罪悪感もない。
そんなこと、アーシェに気にする余裕はない。
──Bランクを狩る。それは、死者が出る可能性もある戦いだから。
瞼を閉じて一呼吸を置いた。
彼らをそんな危険な戦いの場に誘わなければいけない。否決が多ければ、話が流れるかもしれない。そんな不安も僅かにあるが、何よりも大きな不安は別のところにあった。
これまでの戦い中で、アーシェは仲間たちに対して信頼を積み重ねてきたと思う。
一度や二度ならず貢献してきた。仲間と杯を飲み交わした事もある。
馬鹿話で笑いあったり、小突きあったりしたこともある。
でも、今回はあまりに大きな決断だ。
戦士としての彼らの命。
たった一つしかないそれを、アーシェならば預けるに足ると、判断してもらえるのかどうか。
その分水嶺とも言える提案をする事に、心臓が口からも胸からも飛び出てしまいそうなほどの緊迫感を覚える。口を開くだけで太鼓代わりに成れそうな心地だった。
それでもしっかりと自分の言葉で話すために、ぎゅっと拳を握って。
静かに瞼を開いた先に、アーシェの事を真剣な表情で見つめる仲間たちが見える。思考は白くなった。言葉は自然に口から溢れ出す。
「・・・わたしは、冒険者になりたい」
アーシェは知っている。
雛鳥のように口を開けても、泣いても喚いても、欲しいものは降ってこない。
だから、一歩前に踏み出すために冒険者になりたい。
貴族どころか都民ですら、村民ですらないアーシェが自由を得るためにはこの方法しかない。
「でも、黙って出て行きたくない。みんなに認められて、ちゃんと冒険者になりたい」
アーシェには身寄りがない。
この村に立ち寄った行商の一座が忘れて行った赤子がアーシェだったと聞いている。
慌てて戻ってくると思われた両親は十二年間現れることはなかった。途中で魔物に襲われて亡くなってしまったのか、それとも初めから捨てるつもりだったのか。誰にもわからない。確かなことはもう二度と会えないという事だけ。
そんなアーシェがこの歳まで生きられたのは偏に村人たちのおかげだった。
衣食住の全てを賄ってくれた。
もちろん、良い事ばかりではなかったが、アーシェの中で区切りを付けるために今回の決断が必要だった。
「──でも、わたし一人の力でBランクの魔物は狩れない。だから、みんなの力を貸してほしい。・・・お願いします!」
言葉を区切って頭を下げた。
痛いほどの沈黙が降りる。
頭を下げたから、視線も地面に向いている。
緊張感から言い切ってすぐに視線を下げたから、仲間たちの様子は見えない。アーシェから、みんなの表情がわからない。
頭を下げながら、唇を噛んで身を硬くするアーシェの横でエドガーの声が響いた。
「言いたい事、あるヤツ居るか?」
一瞬の間。
間伸びするような感覚。
けれど。
「「「「異議なし」」」」
──不穏な空気が、重奏した同音の一声で晴れた。
力強い言葉にアーシェが視線を上げれば、野太い笑みを浮かべる戦士団の面々が見える。
誰一人として怯んでいない。むしろ楽しみだと言わんばかりの表情。
それを見て、当然だと言わんばかりに大口を開けてエドガーが笑った。
「がっはっは!・・・よし。前例を作りに行こうじゃねーか」
どんな地鳴りよりも芯に響く一声に、アーシェは噛み締めるように瞼を閉じながら、胸元に当てた掌をギュッと握りしめた。
「──アーシェ」
呼ばれて振り返った先には、弓を背負う『茶髪黒目』の、細目で細身の男が立っていた。
目が細いので睨んでいるように見えるが、付き合いのあるアーシェはこれが彼の普段通りの表情だと知っている。
戦士団での立場としては『追い立て役』のリーダーを担う男で、先日の猪を誘導したのもこの男──リュイドだった。
「リュイド。どうしたの?」
「どうしたのって。こないだに続いて大抜擢じゃないか。・・・なんてな。事情はわかった。俺たちで力になれるんなら、任せておけ」
格好を崩して笑みを浮かべる、肩をすくめたリュイドにアーシェも表情を崩して笑った。
「うん!リュイド、ありがとう」
「ふん、気にするな。ところで、なんでBランクなんだ?特にそんな決まりはないだろ?」
疑問符を浮かべるリュイドの質問は最もだ。頷きを返しながらアーシェは続ける。
「うん。でも、領主様に納得してもらうなら、これしかないかなって思ってさ。明文化されてないから、直談判しても断られそうだし。それなら『この村』の特色を活かした方がいいじゃない?『内地』との関係で、納品さえしちゃえば要望が出るだろうし」
それだけの説明で、リュイドは得心のいった表情を浮かべた。
──魔物たちは原則として『外地』にしか棲息しない。
そう。
外地にしか、棲息しない。
アーシェたちのいう『内地』と『外地』は、大陸単位での話である。
『アウストラリス大陸』とも『ミッドガルド』とも呼ばれる大地の内の、中央が『内地』であり、それ以外の土地を指す時に『外地』という。
その比率は『内地』1に対して『外地』6であり、当然のことながら『外地』の方が広い。
とはいえ、アウストラリス大陸は非常に大きな大陸だった。大陸の約六分の一を占める広大な土地には、即ち『内地』には魔物が存在しない。
つまり、現在の『三大国』が支配する、元々『
それは『内地』が魔物の棲息に適さない環境だから、という理由ではない。
『内地』の土壌は豊かで、植生も棲息環境として優れている。なのに何故『内地』にだけ魔物が存在しないのかについては幾つか説があるが、かつての恐ろしい消滅魔法によって滅びたとする意見が有力で、魔物ですら抗えなかった災厄と云われている。
だが、何よりも。
その恵まれた環境で、人類は『魔術暦』の始まりから500年で瞬く間に増えて『内地』丸ごとが穀物や産業などの一大生産拠点になっているという。
そのため『防壁』に覆われなければ安全を確保できない、安全な土地の限られた『外地』では食糧生産などは極めて限定的で、『内地』との通商でアーシェの住む村を含めた『外地』全体の食糧、日用品を含んだ全ての物資事情は支えられている。
故に、アーシェの住むこの村は所属国の政策の一環として、魔物の核となっている魔石を集め、そして集積した成果を所属国を経由して『内地』に送っている。
そんな数多ある外縁村落の一つにすぎない。
つまり、上納する魔石の質を高めることは国から下される村の評価に直結する。アーシェがBランクの魔石の納品を目標の一つとしているのは、この『評価』を高めて領主様の関心を買うことだ。
そしてもう一つ大きな理由がある。
今回に関して言えば、その二つ目の『要望』と言われる件の方が重要だった。
「・・・なるほどな。『要望』狙いか、確かにそりゃ、領主様も断れんわ」
アーシェはその言葉に頷きで返す。
Bランクの魔石を納品できる実力者が新たに生まれれば、当然のことながら村に留まって貰うよりも冒険者になってもらった方が外地全体としては得である。故に『三大国』からやんわりとした『要望』が送られる。さらにアーシェも希望しているとなれば、領主様に断る選択肢はないに等しい。
Bランクの魔石を納品する事も重要だが、何よりそのような人材を育成し外部に放出した、冒険者として送り出した、という村の『評価』も、辺境全体の活性化を望む『三大国』を基準とすれば高評価となる。これを断るメリットは存在しないと言い切ってもいい。『三大国』の影響が強いからこそ、その意向に沿うことに関して領主様はおろか、村が所属する国ですら邪魔できない。この二つ目の『要望』こそがアーシェの狙うべき照準だ。
初手で最終手段に訴えるのは些か性急すぎるきらいがあるが、これまでの領主様との関わり合いを考えれば、妥当な判断だとアーシェは思う。けれど、リュイドはそこまでの事情は知らないかもしれない。
「やっぱり急ぎすぎかな?」
相手は領主様だ。
反抗的とも捉えられる理由だと明かしたので、少し心配しての質問だったが、アーシェの問いにリュイドは首を横に振った。
「いや?結果出して前に進むっていうのが、お前らしいよ。とゆーか、明文化されてないのは単純に確率と動機の問題だからな」
うんうんと頷くリュイドは生粋の村の人間だった。
村や家族を守るために戦士になった者が『冒険者になる』と言い出す事が今までなかった。
考えてみれば自然なことだが、冒険者になる方法が明文化されていないのはそれだけの理由だった。
中にはエドガーのように元冒険者もいるが、戦士団は自警団でもある。
まだこの村は歳が若い。周辺の(と言ってもかなり距離があるが)村々に比べれば出来たばかりと言っても良い。
そのため、戦士団は自ずと村人が村を守るため、あるいは維持するために志願する集団になる。リュイドはその筆頭と言っていい。
「俺は応援してるよ。ぜひ冒険者になって俺たちの村を宣伝してきてくれ。──具体的に言うと、行商が来る回数が今の2倍になれば嬉しいな」
二本指を立てながらのニヤリと言われた冗談に、アーシェも同じようにニヤリと笑いながら応える。
「にひひ、いいよー。その時はお酒の積載量を割増してもらうように頼んでおくね」
「お!?さすがだぜ、アーシェ!お前、やる気の引き出し方がわかってんなぁ」
ガシガシと金色の短髪を撫で回されて、まんざらでもない顔でアーシェが笑った。
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