金髪翠眼の少女




 青空が広がっている。


 草原に寝転がって、悠々と見上げる空は限りなく広い。純白の雲が揺蕩って流れる。涼やかな風が草原を撫でる。サワサワと揺れる草花が、寝転ぶ自分の頬に触れる。


 季節は春だった。

 うららかな風と、冬の寒々しい色彩からの変化を見せる景色が春の訪れを教えてくれる。

 芽吹きを見せる草花は未だ新芽ではあるが、たくさんの生命力に満ち溢れて大地を埋めていた。


 そんな場所。

 堅牢な『防壁』に覆われた村の中で、小高い丘になった草原に寝転びながら少女はふと思い出す。

 この、『防壁内の貴重な土地』をふんだんに使った丘は領主様たっての希望で設けられたという小話。でも、思考はすぐに流れていく。そんな事はどうでもいいと思えるくらい、気持ちの良い風が吹き抜けているから。


 少女は寝転んだまま、鼻から思い切り空気を吸い込む。

 青空の匂いが鼻腔を埋める。

 肺が膨らんで、年相応の小さな膨らみの胸部が上下する。

 肩で雑に切り揃えた金髪が陽射しを浴びてキラキラと輝いている。


 輝く金髪とは裏腹に服装は見窄らしい。麻の服に、年季の入った革の靴。束ねた麻の紐でズボンを締めている。


 そんな少女が、閉じていた瞼を開いた。

 瞼の奥から覗くのはエメラルドを嵌め込んだのではないかと思える、星々のように輝いている翠色の瞳。


 差し込む太陽光を取り込んだ煌びやかな瞳が大空に浮かぶ『二つの太陽』を捉える。

 眩しさに瞼を細めて、翠眼の少女は陽光を遮るために手を掲げた。指の隙間から漏れる日差しが、掌を温めながら手の端を赤く染める。


「・・・今日も、神様の眼差しは暖かいねえ」


 少女が呟いた言葉は独り言。

 天空に浮かぶ『二つの太陽』を指して『主神の瞳バーレイグ』と呼ぶようになったのはいつからなのか、少女は知らない。それでもみんなが呼ぶから知っている。


 それは日々の暮らしの中で自然と身に付けた知識だった。

 

 少女に教師や先生などの高尚な存在は居ない。

 強いて言えば、村に住む大人たち全員が教師で先生だ。

 仲間の戦士たち。薬師のフィグ婆。

 農民の村人。村の女たち。村の領主一族。


 ただの身寄りのない子供である彼女に、学を与える余裕はこの村にはない。

 

 それでも子供という立場にも関わらず、息抜きの時間があって、尚且つ、飢える心配のないこの村は恵まれているらしい。

 愚痴を漏らした相手である村人の一人に、孤児のあんたが現状に不満を抱くなんて、と笑い飛ばされた事もある。

 

 けれど、少女は納得しなかった。

 環境なんて関係がない。生まれなんて、親が居ないなんて関係ない。

 ──ただ少し、空に憧れている。

 

 この先に何があるのだろう。

 青空の先に、そして自由を得た先に待っている、まだ見ぬ世界たち。

 想いを馳せながら見上げる青空が、少女は何よりも好きだった。

 


 春風が流れてゆく。

 太陽の位置が少しずつ動いてゆく。


 時計なんて高価なものがない田舎では、太陽の動きが時計の代わりだった。

 そして、時間を迎えたことを知って少女は横たえていた身を起こす。

 ほつれた草花が身体から零れ落ちた。


 金髪翠眼。

 とある一族の特徴を色濃く持った少女の名を、アルシエルと言った。




「──アーシェ!そっち行ったぞ!」


「りょーかいっ!!」


 呼ばれて、元気に大声を張り上げたのは金髪翠目の少女アルシエルだった。

 愛称であるアーシェと呼ばれて、返事をしながら腰の剣柄を利き手の右で掴み、鞘に左手を添える。

 剣はまだ抜かない。その時を待ってワクワクと笑みを浮かべながら、視線だけは鋭くジッと凝らしていた。


 場所は森の中。

 村を囲う『防壁』の外に出て、アーシェは『魔石』を集めるために森に入っていた。


 アーシェの住む村は『ミッドガルド』の中でも『外地』と呼ばれる場所にある。又はこの場所を『辺境』とも呼ぶが、その名の所以は、即ち危険であるからだった。

 

 危険の大半は『魔物』と呼ばれる生物に起因する。

 それらは『魔力』を有した極めて危険な存在で、大小様々なサイズと、ピンからキリまでの強さを誇っているが、魔物はその危険度に応じてランク別の魔石を体内に有する。


 魔物からしか採れないこの『魔石』は重要な物資だった。ありとあらゆる魔道具の原動力となる『魔石』は溜め込んでおけるエネルギー物資として非常に高い価値を持っている。


 ──特に、『内地』には魔物が存在しない事実が『魔石』の価値を飛躍的に高めていた。


 アーシェの目的は魔物を討伐して、その核である『魔石』を集めること。

 

 もちろん、命の危険はある。魔物も命懸けで抵抗してくる。

 だが、幸いにしてアーシェには戦士としての才能があった。



 そんな天稟を持つアーシェが鋭く見据える先には、団員に誘導されて、アーシェに向かって突っ込んでくる魔物の姿が見えてきていた。


 それは凄まじい大きさの猪だった。

 牙の一つがアーシェと同じ大きさを誇っている。身体は当然ながらそれに準じる巨体で、まさしく見上げるような大きさの猪だった。


 指定位置に追い立てるため、鳴子を持った戦士たちに挑発された怒りを瞳に宿して、地鳴りを響かせながらアーシェに突進してくる。それは心の弱い者なら腰が砕ける威圧感を醸し出す、地を削って突進してくる存在を正面から待ち受ける事に他ならない。


「ブモォオオオオ!!」


 だが、それでもアーシェの瞳に感情の揺らぎはなかった。


 漫然と、アーシェを小さな障害物と見做して嘶く猪の獣に相対しながら、アーシェは余裕のある笑みを崩さない。


 美しい翠色の瞳を深緑の満ちる木々の間で輝かせて、緩やかに剣を抜き放つ。

 差し込む陽光は木々の緑葉を透過して、アーシェが愛用するロングソードに緑掛かった陽光を浴びせる。


 慣れ親しんだ武器を、丁寧に握り構えるアーシェに緊張は無い。

 笑みを浮かべながらも、静かに猪を見据える思考の中では『魔物』をどう斬るか、ただそれだけが巡っている。


 ──交錯する。

 猪の巨獣と少女の身が間近で擦れ違う。


 アーシェは半身で左前方に進みながら避けている。

 真正面から向かってくる猪の巨体を、引きつけて回避する事で無駄を省く動作。想定通りの展開に持ち込んだ事を認識しながらも、アーシェは涼やかな表情のままに地を踏み締めた。


「──ふッ」


 短い呼気を漏らして、移動時に溜め込んだ重心を利用して右下段に構えた剣を切り上げる。

 右下から左上へ。斜めに鋭く振るった刃は欠けなく宙に薙ぐ。


 小気味良い音が鳴った。猪の足肉とその骨を寸断する快音。

 呻きと驚きを溢す猪が、呼気を乱して切断された痛みに悲鳴を上げる。


 猪の丸太のように太い片足が斬られて置き去りにされ、突如失った前足にバランスを崩した猪がよろめき、突進の勢いのまま、アーシェの右隣を通り過ぎて大木に激突した。


 巨体が大木を圧し折る凄まじい怪音がバキバキと鳴る。倒れる大木の葉がけたたましく騒ぐ。そして地面を揺らす大木の振動が静まった後。

 ──涼やかな、納剣する音色が響き渡った。


 静寂。

 残心を解いて、息を吐いたアーシェが振り返り、側に立つ仲間の一人に視線をやった。


 スキンヘッドの大男だった。

 背中には鎚を装備して感心したように顎に手を当てて頷いている。村の戦士団を率いる大男。仲間たちから『団長』とも呼ばれる、この男の名はエドガーという。


 そんな男とも付き合いはそこそこ長い。

 なんと言っても師匠のような相手であるし、話す機会も多い。アーシェが気を許す数少ない一人。

 なので、カラッとした笑顔を浮かべて自慢げにVサインを作って見せた。


「──えっへん!どう!?わたしも中々やるもんでしょ!」


「がっはっは!さすがだな、初見でコイツをやっちまうか。しかもこのデカさを!」


「にひひ。──そういえば、こないだの『猪突猛進』ってこの事?」


「その通り。よく覚えてるじゃねーか」


「んふ、学ぶ機会がないだけで頭は悪くないのよ、わたし」


「とてもそうは見えんがなぁ」


「またまた〜」


「いやほんとにマジで」


「謙遜しなくていいのに〜」


「・・・いや、それは使い方違うからな?」


 思わず突っ込んできたエドガーのことは置いておいて、アーシェは視線を背後に移した。

 そこには激突による衝撃で前後不覚になっている猪が、足を斬られた痛みに呻きながら目を回している。

 苦しめるのはアーシェの本意ではない。狩ることと苦しめる事は別。それが例えエゴに過ぎなくても大事な事だ。すぐに近づき呟いた。


「ごめんね、すぐ楽にしてあげるから」


 森は弱肉強食。

 けれど、血肉となってくれる獲物に対する感謝を忘れてはいけない。それを忘れてしまえば人としての道を踏み外す事になると、エドガーから教わった。

 数秒の黙祷を捧げた後に、アーシェの、ロングソードを抜き放ったトドメの一閃が猪の首に目掛けて放たれた。


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