58  いざ決戦――敗北の闇の底で

 阿久夜あくやみおは困惑していた。


 圧倒的な数の魔物を使役して、確実に勝っていたはずの戦いだった。

 なのに、気が付けば――魔物は殆ど倒されつつあり、自分は追い詰められている。


 噛み締めた唇から零れた血を舐めとる……不愉快なほどに鉄臭く、苦い。


(どうして――?! 一体どこで何を間違ったんですか、私は――!)


 寺虎達を先行して戦わせてしまった事か。

 彼ら――人助けを優先して自分達の権利を放棄した馬鹿な人達――に目的を達成させるためにドラゴンを先に使ってしまった事か。

 彼らに時間を、対抗策を準備できる猶予を与えすぎた事か。


 あるいは、そもそも寺虎達と共に彼らの下を離れた事か。


(間違っているはずがない――そもそも、わたくしの判断に、わたくしの人生に、間違いなんかあるわけないはずです――!)


 間違えるのは、愚かだからだ。能力がないからだ。力がないからだ。


 異世界に来る事で欠けていたものを埋められるようになった阿久夜澪にはその全てがある。

 なら間違いなど起こる筈がない。失敗などする筈がない。

 有象無象が何をしたところで、覆せるはずだ、覆せるはずなのに。


 そうして覆すための何かを探していた澪のすぐ側に、先程まで乗っていた巨大なグリズリーが崩れ落ちてくる。

 時間差で起こる二度の小さな地響きは、その巨体が上半身と下半身で切り裂かれた事で、最初に上半身、続いて下半身が地面に伏したから。


 それを為した存在――八重垣やえがき紫苑しおんは、周囲を確認した上で自身が作った魔力の足場から澪の近くに降り立った。


 それと時をほぼ同じくして――。


「―――――っ!!」


 澪は自分の『贈り物』――【かの豊穣神のようにチャーム・ドミネイト】に従っていた者達の反応が消え果てたのを感じ取った。

 その証であるかのように、遠くからそれまで魔物と戦っていた者達がこちらへと歩み寄ってくる。


「これで打ち止めか、阿久夜」


 いつものように淡々と問うてくるのは堅砂かたすなはじめ

 澪にとってはもっとも自身の下に引き入れたい存在だった。

 彼はごく自然に紫苑の隣で立ち止まり、彼女に並んでこちらを見据えてきた。

 ――その視線が、冷えていた澪の心を一瞬沸き立たせた。

 

「まだ……まだです――! 来なさい!!」


 懸命に力の網を広げ、使役可能な存在を探る。

 だが――何もなかった。


「何を――何をしてるんです……!! わたくしが呼んでいるんですよ!」


 虫や小動物も反応こそあるが、それを使って状況の打開が出来るはずもない。

 魔物が、強い魔物が必要なのに。


「な、なんでもいい――ここに現れなさい……!」


 懸命に従う為の念を送るが、何も、何一つ引っかからない。


「グリズリーでも、狼でも、猿でも――なんなら豚でもいい……いいから、早く――!」


 そうして――どれだけ必死に呼び掛けても応えるものは、最早現れなかった。


「どうして――どうして現れないんですか! わたくしの命令なんですよ?!」

「打ち止めだなお嬢ちゃん。自分の手を汚さない戦いは楽しかったか?」


 途中で参戦してきたクラスメート達に雇われたこちらの世界の冒険者のリーダーが問い掛ける。

 それに答えられず、じりじりと後ずさんでいるとクラスメートの一人、守尋もりひろたくみが話しかけてきた。


「もう呼べるやついないんだろ? 

 それに、まともに戦うにしても、俺ら全員を相手は無理だろうし。

 その、なんだ――別に取って食う訳じゃないんだ、もう降参したっていいだろ」

「俺としては不満があるが……取って食う訳じゃないというのは事実だな」


 それに次いで声を掛けてきたのははじめ……何処かつまらなそうな、嫌なものを見たかのような表情で、その背の高さから見下ろしてくる。


「何かしら考えるにせよ企むにせよ、一回素直に降参した方がいいと提案しておこう」


 いや、彼だけではない……皆自分に向ける視線はどこか顔を顰めている。

 使い込んだ道具が壊れたような、諦めと同情めいた視線――少なくとも澪にはそう思えた。そう見えていた。

 

 違う。違う、間違っている。

 周囲の人々が自分を見る視線は、そんなものであるべきではない。

 憧れや畏怖、恍惚こそが相応しい――断じて、今のような……まるで敗者を見るような視線であってはならない。


 あってはならないのに。


「阿久夜さん……」


 そんな中、澪に話しかけてきたのは紫苑だった。

 紫苑の視線は、周囲のものとは違っていた。

 哀れみ、同情、見下し――そのどれとも違っていて……何故か、どこか悔しそうに見えた。


「阿久夜さんは、強かったよ。私達全員でないと勝てない位に。

 そんな阿久夜さんだから、きっと私達じゃ出来ない事だってたくさんできる。

 ……だから――戻ってきてくれないかな。

 今の皆でまた力を合わせたら、合わせる事が出来たら、この世界にやってきた時よりずっと、すごい事が出来ると思うから。

 皆で元の世界に帰る方法だってすぐ見つかるかもしれない。

 色々思う所あるのはわかるから、今すぐじゃなくてもいい、でも――」


 そう、まるで、喧嘩別れをした対等の友人であるかのように真っ直ぐに見つめていた。


 それが澪には――。


「―――――ふざけないで……!!」

「え?」

「勝ったからって調子に乗って対等な友人のようなその態度――貴女が、貴女風情が……!!

 わたくしは、わたくしは…… 阿久夜あくやみおなんです……!

 世界で唯一の、特別の……どんなものさえ跪かせてみせる存在で、存在でなければならないんです……!!」

  

 瞬間、澪の中に凄まじい衝動が沸き上がっていた。

 その正体が何なのか、澪自身も分からない。


 だが、言えることがただ一つ。


 このまま負ける事だけは、屈服する事だけは、絶対に認められない。

 

(なにか――!! なんでもいい、なにか――!

 わたくしの今持てるもの全てを使い切っていい――この激情を、形にして……!!)


 そうして、澪は再び力の網を展開させた――先程よりも深く、強く、自分に応え得る何かを。この状況を覆す圧倒的な力を持つ何かを。


 そう、例えるなら


「――――――――――――!」


 その瞬間……暗闇の中の、更にその奥、深い深い闇の中に、何かを感じ取った。


 膨大な……信じられないほど膨大な力を持つ、今の自分と同質の感情のナニモノか。


 阿久夜あくやみおは―――笑った。

 口が裂けるほどの、いつもの自分であればはしたないと顰めるであろう、深く大きな笑みを形作って……叫んだ。


「……ふ、ふふふふふふふふ!!! ―――見つけましたよ……!! !!!」

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