㊲ より学び、より強く――でも、修羅場は勘弁してください
「悪い、待たせたな」
スカード師匠はそう言ってまだ若干濡れていた頭をタオルで吹き終えてから席に着いた。
謎の巨大狼襲来から少し経って。
私・
何を待っていたのか、というと――師匠が何故か狼の体内に隠れていたので涎その他で塗れていた身体を洗って戻ってくるのをだ。
何を言っているんだと思われるかもしれませんが、私も何を言っているかよく分かってません。
――まぁ今から師匠がちゃんと説明してくれるだろう。
「ああ、そうだ。お前さんにはこれな」
そう言うと師匠はすぐ側の棚に置いていた絵本をレーラちゃんに差し出した。
「この間の続きだ。俺達は少し話があるから、あっちで読んで待っててくれ」
「わーい! ありがと、ししょー!!」
「俺はお前さんの師匠じゃあないが……まぁいいか」
そうして笑う師匠から絵本を受け取ったレーラちゃんは部屋の奥へとトテトテと駆けて行った。
今は使用していない暖炉の前には絨毯が敷かれていて、そこでレーラちゃんはゴロゴロ転がって良いポジションを探しているようだ。
実に楽しそうで、見ていて微笑ましい気持ちになる。
「――で、さっきはどういう了見であんなことをしてたんだ、師匠?」
レーラちゃんが絵本を読み始めたのをきっかけに、
師匠は私達の顔を一瞥ずつして、少し表情を引き締めた上で答える。
「昨日起こった事はラルから聴いた。
だから、紫苑――お前がまだ戦えるかを確かめたかった」
「……怖くて戦えなくなっていたかもしれなかったから、その確認って事ですよね」
「そうだ。いざという時にそれが発覚すれば味方の足を引っ張る事になる。
だから早い内に確かめておこうと思ってな」
「理屈は分かるが――なんであんな狼を出したんだ?」
「普通の魔物だとある程度の慣れで戦えるかもしれない。
俺相手だと鍛錬の延長線上で戦えるかもしれない。
まぁ、要は既知の存在だと戦いへの恐怖心を正確には測れないかもしれないと思ってな。
だから、初見の、俺の精霊獣をけしかけるのが一番いいかと思ってな」
「精霊獣――あの狼さんですよね?」
「ああ、あれはここともお前さんたちの世界とも違う世界――世界の在り方からして違う精霊界の生物だ。
契約する事で相互に鍛え合い、支え合う事が出来る良き友だ。
まぁ、その話はまた今度として――俺はアイツに全力の殺気を叩きつけるように指示した」
師匠の言葉に私は思わず、うんうん、と頷いていた。
あれは間違いなく純粋な殺気だった事を、あの時私はヒシヒシと感じていた。
「自身よりも遥かに格上が放つ殺気は、場合によっては立つ事すらままならなくなる。
そこに恐怖心が備わっていれば尚更に。
だが――お前さんは、お前さん達は恐れを抱きながらも、真正面から向き合った」
そこで師匠は表情を緩め、小さな笑みを私達へと贈ってくれた。
「お前さんたちは……既に立派な冒険者だ。
一人前というには少し早いが――その魂は間違いなく強い冒険者のそれだ。
正直この十数日でここまでになるとは思ってもみなかった。
大したものだ」
真っ直ぐにあたたかい視線を送られながらの言葉に私は胸が熱くなった。
「あの、その、お褒めの言葉、すごく嬉しいです。
でも、私一人だとこうなれなかったと思ってます。
師匠が鍛えてくれて、一緒に学んでくれた
力になりたいレーラちゃんや皆がいてくれたからです。
じゃなかったら、きっと私は怖くなって逃げ出していたと思います。
だからその、本当にありがとうございます」
「――俺も概ね同じ考えで、気持ちだ」
「ん、ちゃんと分かっているようで安心した。
そうだ。人は一人で強くなる事も出来るが――誰かの存在があればこそ、強さをより理解し、高める事が出来る。
一人で鍛え続ける事が悪い訳では決してない。だが、それは酷く困難な道だ。
基本的には誰かと共にある方が――色々と助かるもんだ」
鍛えてくれる人がいるからこそ、今の自分の可能不可能を知る事が出来る。
共に学ぶ人がいるからこそ、今の自分の強さを比較して切磋琢磨出来る。
そうして鍛えた強さで何をすべきかを教えてくれる誰かがいるからこそ、強くなる理由があるからこそ、より必要な強さを探し求める事が出来る。
誰かが共にある事は、本当にありがたい事なんだと師匠の言葉で改めて私は理解を深める事が出来た――と思う。
私はあまり頭が良くないので、ちょっと自信はないけれど……それこそ、これからも地道に鍛えながら、それを確かめていきたい――そう思えた。
「現に、俺自身もお前さんらのお陰で今さっきちょっとした一つの学びを得た」
「え?」
「さっき俺は狼の中に入っていただろ?
紫苑、その時俺のステータスは表示されていたか?」
「あ……!!」
あの時、狼さんは表示されていたが師匠の存在は確認できていなかった。
単純に体内に入っていたからなのか、精霊獣の特異性によるものなのかは分からないが、感知できない状態だったのは間違いない。
「だと思ったよ。
ほぼ確信はしていたが……異なる世界ルールの存在である精霊獣の中だと存在は拾えないようだな。
お前さんの相当に優秀なその力で感知できないんなら、大抵の能力やアイテムでも感知できないだろう」
「その検証の為にわざわざ呑み込まれてたのか?」
「そうだぞ。
――くだらないと思うかもしれないが、この発見が何か役立つ時が来るかもしれないからな。
こうして俺でさえも、まだまだ知らない事や学ぶべき事がある。
当然、お前達なら尚更だ。
負けて焦る気持ちもあるだろうが――こんな時こそ地道に学び、鍛えて、活路を見出すようにな。
強力な一撃を身に付けた所で、それを使いこなす土台がなければ足元をすくわれてスッ転んで袋叩きにされるだけだぞ。
経験者からの忠告だ」
「はい、痛み入ります」
流石師匠、ここに来る少し前に交わした話を見透かされているような指摘に私は内心舌を巻いた。
――レベルで全てが推し測れるわけじゃあないけれど、レベル255はやはり伊達じゃないなぁとますます尊敬の念を強めました。
「だがまぁ、お前さん達は分かった上で地道に成長してるようだからな。
ちゃんと一端の冒険者になった事だし――ちょっとした強さの底上げ位は手伝ってやろう」
そう言って立ち上がった師匠は部屋の隅へと歩みを進め、そこからあるものを抱え運んできた。
テーブルの上にはお茶やお菓子が置かれていたので、師匠はその近くの床にそれを下ろした。
その際の、ズン、という音と床の軋み具合から、それが相当の重量なのは窺い知れた。
「これは……」
「宝箱――?」
そう、そこに置かれたのは、
少し古びた、大きな大きな宝箱がそこにはあった――。
「うーん、っと」
星が綺麗な夜空の下、私は歩きつつ、今日の疲れを振り払うように身体を伸ばしていた。
あれから、鍛錬そして買い物――予定よりも短い時間で終わったが、ある人達と出会った事で最終的には予定どおりの時刻となった――を終えた私達は、私達異世界人用の寮へと戻った。
それからいつものように夕食後に互いの報告を終えて、明日の予定を立てて、お風呂に入り――今に至る。
ちなみにレーラちゃんは眠たそうにしていたので、
昨日の出来事がふと頭を過ぎるけれど、エグザ様がもう危険はないと語っていた事も思い出したので、私の思考は明日の事へと移り変わっていた。
明日は今日新たに教わった事と貰ったものも含めて鍛錬しないと。それから――。
そうして考えながら自室に向かって歩を進めていた時だった。
「あ、こんばんは、八重垣さん」
寮の庭先で腕立てとかの簡単なトレーニングをしていた
――気を散らさないように黙って通り過ぎるつもりだったんだけど……。
「えと、こんばんは。トレーニングの邪魔しちゃった?」
だったら申し訳ないなぁと思いながら尋ねると、守尋くんはぶんぶんぶんっ!と力強く首を横に振った。
「いやいやいや、姿を見かけたからなんとはなしにね、うん」
「そう――邪魔してないなら良かった」
熱心にトレーニングしていたのか、魔術の外灯で照らされる守尋くんは上気している様子であった。
それから、何故かは分からないけれど何処か落ち着かなそうにそわそわしているようで――むむ、ホントに邪魔してないのか、ちょっと心配。
「――じゃあ、私はこれで」
「あ、ちょ、ちょっと待って」
早めに去った方がいいかもと歩みを再開しようとした瞬間、守尋くんがそれを制止した。
「ん? 何か用事? 明日の事の確認とか?」
「いや、そうじゃないんだけど――」
守尋くんはそう言ってから、しばらく言葉を探すように視線を彷徨わせた。
だけど、いつまでもそうしていられないとばかりに顔を上げて、私の顔を見据えて言った。
「あのさ、八重垣さん……実は、君に少し話したい事があるんだ」
ああ、さっきまでの様子はそれでだったのか、と納得する。
おそらく何かしら話し難い事なのだろう――何か女の子関係の相談事とか?
いや、それだったら幼馴染の
まぁなんにせよ、話を断る理由はない。
人の良い守尋くんの相談事なら尚更だ。
「そうなんだ。私なんかで良ければ、遠慮なく話して。ああ、場所を変えた方がいいかな――」
「あ、いや、今じゃなくて――今回の、領主様からの依頼が無事に終わった時に、聞いてもらいたいんだ」
「――それは全然いいけど。今でなくて本当にいいの?」
依頼の達成――それを果たすまでにはきっと色々な事が起こるだろう。
全てが終わった後、ゆっくり話せる状況になるかは――正直不透明だ。
それを考えると早い内に話しておいた方がいいんじゃないかと思うけれど――そう思って尋ねると、彼は少し慌てた様子を見せた。
「いやその、今はちょっと無理というか、自信がないというか――なので、今度でお願いします」
「うん――? よく分からないけど、守尋くんがそれでいいなら」
「うん、ありがとう。じゃあその、その時に」
「分かった。その時に。――お互いにがんばろうね」
守尋くんは
きっと、未来への展望というか、そういう気持ちへの後押しが何かしら欲しかったんじゃないだろうか。
だからこその、私への『話したい事』なんじゃないかなと、私は思った。
その推測が正しいかどうかは分からないし、そんな大事な気持ちの後押しが私に十全出来るとは思わない――ただ、せめてもの応援の気持ちを伝えたくて、私はエールを口にした。
すると彼は嬉しそうに笑って、
――逆に気を遣わせてないかなと心配だったが、流石に考え過ぎかなと苦笑しつつ、私はその場を後にした。
(しかし、話したい事――なんだろう。私何か知らない間に守尋くんにやらかしてたかな)
何度考えても思いつかず、首を傾げつつ歩いていた、その時だった。
「――ん?」
少しでも経験値が入ればと、昨日から基本開くようにしている私の『贈り物』である【ステータス】、その表示に名前が一つ浮かび上がった。
そして、それとほぼ同時に声が響いてきた。
「……八重垣――貴女、メッセージ、読まなかった?」
魔術の外灯の明かりが届かない暗がりからの聞き覚えのある声は、表示された名前と一致している。
ただ――その声は、普段の明朗快活さがなく、どこかほの暗いものであった。
「え?」
「『お前は調子に乗り過ぎた。その報い、いつか受けてもらう』――あれ、ああしたら止まってくれると思っての警告だったんだけどなぁ」
え? え? なんだか、えと、その、怖いんですけど。すごく。
なんというか、声音がすごく冷えてるというか――。
というか、それって、少し前に私のドアに張られてたいたずらの――?
「あの、なんのこと――ひぇぇぇぇっ!?」
その瞬間、私は思わず叫んでいた。叫ばずにはいられなかった。
暗がりの中から、らしくない声と共に現れたのは――
彼女の右手には魔術用の杖が、そして左手には――護身用と思われるナイフが握られていて。
「それでも調子に乗っちゃうなら――少し話し合わないとね?」
彼女は、大きく目を見開きながら、ニッコリと笑顔を浮かべていた――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます