㊱ 恐怖を抱えながらも歩みは停めず


「じゃあ、そろそろ行こうか」

「ああ」

「いこうー!」


 私・八重垣やえがき紫苑しおんの言葉に、堅砂かたすなはじめくんと、今一緒に生活しているレーラちゃんが答えた。


 時間は――バッテリーが残りわずかとなった携帯端末の時刻表示だと10時頃。

 はじめくん曰く『ここが全く違う世界、地球ですらない星であれば時計など意味がないが――』という事だったが……十日ほど時刻を確認し続けても、特に大きなズレは発生していないようだった。


 地球とこの世界の1日が数時間単位でズレているのであれば、この時刻表示はとうの昔に使い物にならなくなり、朝方に夜の時刻になっていたり、その逆の状態になったりしていただろう。 

 だがそうなっていないという事は、この世界……この星が地球とさほど変わりのない自転周期で動いている事のはずだ。

 空の色こそ僅かに違うが、私的にこの世界は異世界というよりも並行世界なんじゃないかと思っていたりする。

 はじめくん的には判断材料が少ないので断定はできない、と渋い表情だったけど。


 ともあれ、今日は昨日の出来事もあって、領主たるファージ様からの依頼の遂行はひとまず置いておく事となった。

 クラスメートの寺虎てらこくん達との明確な敵対に思う所がある人もいたし、もしも彼らと相対する場合には勝つ為の準備もいる――なんにしても一度考えを巡らせる時間が必要だろうという皆の意見が一致していたからだ。


 私に至っては食べられた事で失われた装備を一新しなければならないしね。

 再び買い揃える為の出費をしなくちゃならないのが申し訳ない。

 お金の余裕があった頃なのでオーダーメイドしてもらってた部分もあって、すごく気に入ってたんだけどなぁ……。


 なので、私は師匠の所での鍛錬が終わった後は買い物を予定している。

 私としては余裕があればその後でも冒険者協会で短時間の魔物退治を引き受けて、その資金の埋め合わせを少しはしたいと思っていたんだけど……皆から今日は絶対に休むように厳命されてしまった。


 なにせ昨日私は一度死んでしまっている。

 翌朝には――まぁその、恥ずかしい所も見せてしまった事もあって『無理はするな、絶対にするな、フリじゃない』と念押しされたのです。


 皆には心配をかけて申し訳なかったのだけど――そうして心配してくれた事が嬉しくもあり、複雑な気持ちだったり。

 

 でも心配を掛けないのが一番良いので、もっと強くならねば。


「――でも、中々難しいね」


 そんな思いもあって、スカード師匠の下へと向かう道すがら寺虎くん達への対抗策を話している中、私は何気なく呟いていた。


「私達は、師匠のお陰で多分私達に出来る順序とか積み重ねをちゃんとしてると思う。

 技も術もたくさん身についてきた――でも、圧倒的な存在相手だとまだまだ厳しい……なんとかできないかなぁ」

「地道に積み重ねるんじゃないのか?」

「勿論、そこは一番大事。そこをおろそかにしたいわけじゃ全然ないの。

 でも、それじゃどうにかできない相手を目の前にした時、何も出来ないのは悔しいなって」

「――それについては同感だ」


 昨日私達二人は寺虎くん達とドラゴンゾンビとなった赤竜さんにボコボコにされてしまった。

 手の内を計りたかったのは確かにあるけど、負けたかったかというとそういう訳ではなくて。

 そして彼らとは再戦する可能性が高いわけで。


「どんな相手にも通じる一手……都合が良いのは分かってるけど、そういうのがほしくなるね」

「だが、そんなものはない。

 あるとすればそれこそ『贈り物』だが――」


 神と思しき存在から貰った特殊な能力や装備たる『贈り物』。

 昨日のエグザ様との会話もあって、やっぱり特殊過ぎる力である事を私は実感していた。

 確かにどんな相手にでも通用する一手になりうるのは事実なんだけど――。


見る能力ステータス話す能力テレパシートークは戦闘向きって訳じゃないからな」

「どっちもすごく便利なんだけどね」

 

 私達の能力は直接的な攻撃手段じゃない。

 選んだ事に後悔はしてないけれど、中々に悩み所ではある。


「むむむ、なんのお話?」

「えと、自分達よりうんと強い相手にはどうやったらいいんだろうね、ってお話」


 手を繋ぎながら一緒に歩くレーラちゃんへの問いに、私は苦笑した。

 それを埋める為の地道な努力――だけど今まさにそれを凌駕する相手には、積み重ねが届かない時がある。

 ないものねだりなのは分かっているけれど――。


「しおんおねえちゃんたちよりつよいの?」

「うん、悔しいけど、まだちょっと勝てないかな」

 

 寺虎くん達相手だけなら勝てる算段はついた。

 阿久夜あくやさんにしても一対一ならどうにかなると思う。

 でも昨日と同じように魔物やドラゴンとの全員同時攻勢を展開されると正直少し厳しい。

 

「それでも勝たなくちゃいけないの?」

「そうだね、できれば仲良くしたいんだけど――できれば勝ちたいかな」

「ううーん……かてるだれかに手伝ってもらうのはどうかな」

「そ、それは――」


 自分達でどうにかできないのなら誰かの力を借りればいい――確かにそうだ。

 だけど、寺虎くん達の相手を他の誰か、例えば師匠にしてもらうのは違う気がする。 

 ただ、折角考え込んでくれた上でのレーラちゃんのアイデアだから無碍にはしたくない。


 街を抜けて、師匠の家のある崖向こうへと繋がる橋――今は修理されている――を渡り終えた辺りでどう答えたものかと私が答に詰まっていると。


「それは、良い考えだレーラ」


 少し目を見開きつつはじめくんが声を上げた。

 

「え? そうなの? でも――」

「君の言いたい事も分かる。

 アイツらは自分達で決着を付けたいしするべき、そういう事だろう? そこについては俺も異論はない。

 ただ露払いや自身の地力の底上げに、で手伝いを入れるくらいはありなんじゃないか?」

「???」


 道を進みつつ、はじめくんの言っている意図が掴めず首を傾げていたその瞬間だった。


「――――――!!!」

 

 私は背中が凍り付くような感覚を覚える。

 同時に、ずっと開くようにしているステータスの表示欄に『グレイテストウルブス』の名が表示されて、前方が赤く――私の『贈り物』たる【ステータス】の攻撃範囲視覚化の効果である――染まった。


はじめくん、下がって! 魔術準備を!!」


 言いながら私もレーラちゃんを抱えて大きく後ろに飛び下がった。

 その直後、何処からか巨大な灰色の狼が舞い降りて着地、私達の前に立ちはだかった。


「なんだコイツは――!」

「分からない――分からないけど……私達と戦う気だけは間違いないみたい」


 感じる。

 この狼から放たれている濃密な意志の指向性。


 これは、殺気だ。

 昨日赤竜さん――ドラゴンゾンビから放たれたものと同質、いや、殺気の質で言えば更に強く明確な気配を、私は感じ取っていた。

 そしてそのステータスは――レベル99でどの能力値も私達を上回っている。


 何故、どうして現れたのかなんて私には分かるべくもない。


 ただ、今の私達では勝てない……それだけは間違いないだろう。


 さらに言えば、今の私には魔力こそあれど、防具も武器もないのだ。

 下手をすればまた殺されるかもしれない。いや、殺される可能性の方が高い。


 また、噛み砕かれて。バラバラになって。あの、恐ろしい感覚を味合う事になる――


 怖い。怖い怖い。たまらなく怖い。怖ろしく怖い。

 手足が震えそうになる。崩れ落ちそうになる。


 だけど――。


「毎日色々な事が起きるなぁ――レーラちゃん、私にちゃんと捕まっててね。

 はじめくん、一時撤退しつつ、私達を追ってきたら迎撃する……で、いいかな。

 いざとなったらスカード師匠やラルやファージ様に思考通話テレパシートークで連絡して対応してもらう感じで」

「ああ。それでいい。しかし――戦えるのか、紫苑」


 約束したとおりにはじめくんは名前で呼びかけてくれた。私が勇み足にならないように。

 お陰で――すごく力が湧いてきた。


 私は昨日、これまでにはなかった数多くの恐怖に晒された。

 忘れがたい怖さにただただ震えた。恐れに屈服しそうにすらなった。

 だから、もしかしたらもう2度と戦えなくなったんじゃないかと心の何処かで不安に思っていた。


 だけど――


 私は、怖いけれど、戦える。


 怖さはある。きっと克服は出来ないと思う。

 だけど、それに負けて何も出来ずにいたら、それこそ恐怖を重ねていくだけだ。


 昨日振り絞った心で私は知っている。行動する事で変えられるものもある、と。

 行動しても覆せないものもあるのは事実――だけど、その真贋は動かなければ分からない。


 それに――昨日は皆にたくさん心配させてしまった。

 いくら蘇生が出来るとしても、私なんかの事であんなにも何度も何度も心配してもらうのは心苦しい。


 そして今ここにはレーラちゃんだっている。

 エグザ様の転生だからとか、そんな事は二の次だ。

 この優しい良い子に怖い目や痛い目には絶対に遭ってほしくない。


 だから私はそうならないように、そうさせないように全力で挑むだけだ。


 でも、私はバカだからきっと色々見誤る時もある。むしろすごく多いと思う。


 だから。


「うん。戦えるよ。

 でも無茶はし過ぎないから。

 その判断をはじめくんにしてもらってもいいかな」


 最善の判断が出来るはじめくんの力を借りて、ここを乗り越えようと前を向いた戦いを決意した。 


「……任せろ、相棒」

「ありがとう。よろしくね」


 御礼と共に、私は魔力塊生成マジックブロッククラフトで最硬の魔力壁を作れるように意識を集中する。

 それを感じ取ってか狼は身を低くして、今にも飛び掛かれる体勢へと移行していった。


 もういつ襲い掛かられてもおかしくないと、私が練り上げた魔力を解き放とうとした、まさにその瞬間だった。


「よし、そこまで!!」


 そんな声がどこからともなく聞こえた――って、目の前の狼から……?


 直後狼は戦闘態勢を解いた。

 というかあからさまにお座りの姿勢になってるんですが。


「じゃあ出してくれ」


 聞き覚えのある声による指示に従ってか、狼は頭を振った後、口を開いた。

 次の瞬間、何かがペッと吐き出された。

 その何かは私達の眼前で綺麗に着地し、それからゆっくりと立ち上がる。


「わぁー! すごーい!!」

「えっと――」

「何やってるんだ、師匠」


 レーラちゃんは眼を輝かせ、私は困惑し、若干呆れ顔のはじめくんがツッコミを放つ――その視線の先には、私達の師であるスカード師匠がいた。


「ま、ちょっとした試験だな」


 ――全身を狼の涎塗れにしながらのその言葉は、基本カッコいい師匠でも正直ちょっと締まらなかった……。

 

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