㉟ 過去と今と――そして涙の黒歴史と


「汚染……?」


 私・八重垣やえがき紫苑しおんは思わず鸚鵡返しに呟いていた。


 私の夢の中に顕現している神に近しい存在――赤竜王様・エグザ様の語る、ここに至るまでの経緯。

 十数年前に転生しようとした際に人間達に襲われて、汚染されたというが――。


 その巨大な姿を改めて見上げる――とても神々しく、見ているだけで存在そのものが違うのだと感じる。

 そんな方を――と、そうだった、その時は転生したばかりでただの赤竜レッドドラゴンに近かったとおっしゃっていたっけ。


『そのとおりだ』


 私の脳裏の情報整理と呟きの両方に応えるようにエグザ様は言った。


『人でないものを人の隷属として縛る複数の術式や呪詛、神の素養を持つ肉体を持ちながらも魔物たる子孫、根本からしてことわりたる我。

 そして……汝らが『贈り物』と称する神の力の一端。

 それぞれが己が望みを為そうと、抵抗しようと絡み合った結果、それらは混ざり合った。

 本来なら起こり得ない事だったが、神に影響を受けた異世界人の干渉により、それは起こったのだ。

 我々……我と我が子孫たる赤竜は、形容し難い――強いて言葉にすれば呪い、そう、一つの呪いになり掛かった。

 おそらく、そのままであれば我々は、人の願い・祈りを歪んだ形で、力で叶える矛盾と呪いで満ちた存在になっていただろう』

「でも、そうはならなかったんですよね?」

『うむ。それを防いだのもまた人であった。

 愚かな者どもを断罪しながら我々を必死で助けようとしたのは――汝の知る者達だ。

 冒険者スカード、僧侶であったラルエル、領主代行であったファージ・ローシュ・レイラルド――

 彼らは今の汝らと同様に未熟であったが真摯に危機的状況へと立ち向かっていた』


 私の知る人々の名前が語られた事に驚きつつ、同時に嬉しさと興奮が入り混じったような感覚を私は覚えていた。

 私達より前に召喚された異世界人達が色々とやらかしているらしい事を聞いた後であったため、知っている人達が正しい事の為に戦っていた事は……上手く言葉に出来ないけれど、ホッとする事柄でもあった。


『そして、彼らだけでなく異世界人の半数もまた、我々を救う事に尽力してくれた。

 その中で特に大きな役割を果たしたのが――黒須くろす所縁ゆかりという少女であった』

「――くろす、ゆかり……」


 反芻するように呟いてみる。

 初めて聞く『名前』だった――けど、何かが微かに引っかかった。

 苗字、名前、それぞれが何処かで聞いたような、知っている人にいた、そんな気がするだけだったのかもしれない。

 けれど――。


(いけないいけない、今は話に集中しないと……)


 折角赤竜王様が説明してくださっているのに、と、私は雑念を振り払い、改めてそちらへと意識を傾けた。

 

『混戦の果てに、彼女は自身の『贈り物』――魔力を媒介に、自他の魂を望む力として振るう【魂崇こんそう】で我々に接触した。

 彼女はそこから我々の魂を切り離し、汚染した部分だけを叩ける状況にしようとしたのだ。

 だが、我の中に集まったのは云わば世界の醜悪さを形にしたモノ。

 で大きく弱体化していた我、未熟な子孫と異世界人では分離はおろか、抵抗さえままならなかった。

 このままでは神に連なる力を振るう呪いが、世界で暴れ回る事になる――それは我らの誰も望まなかった。

 ゆえに、我々は覚悟を決めた。世界の為に犠牲となる事を』

「……っ」


 彼らのその決断に、胸が痛んだ。


 自己犠牲、誰かの為に自分を捧げる事――その心はとてもとても尊いものだ。

 だけど――犠牲にならずに済むのなら、それが一番いいと私は思う。思っているのだけれど。


 誰かがそうならなければ状況を打開できない、そんな状況も時として存在しているのは事実で。


 私は思わず唇を噛み締めながら、エグザ様の話に耳を傾け続けた。


『ラルエルが持ち出していた神域結晶球を使用し、呪いの中心たる我を――赤竜の身体を起点に発動、結界を展開……我々の抱えた呪いをせめてその場に封じようと我々は考えた。

 だが、希望もあった。

 上手く全てが噛み合えば、結界内でのみだが我は我を取り戻す事が出来、そうなれば魂の分離も叶うし、呪いの除去も時間こそかかるが可能だった……。

 だが、結果から言えばそうはならなかった。

 結界の起動こそ成功したが、妨害もあって完璧とは言い難く、我が子孫は半ば呪いに堕ち、共に肉体の動きを封じ、隙あらば分離を試みていた黒須くろす所縁ゆかりも命を落とし、呪いの一部は僅かにだが結界から零れ出て、この一帯――人がレイラルド領と呼ぶ地域全体に影響を及ぼした』

「――!! つまり、私達が戦ったあの竜は……!」

『そう、我が転生しようとしていた若き赤竜の肉体だ。

 そして、汝らのいた結界領域は、その時にラルエルが展開したものに他ならない』

「……申し訳ありません。そんな事とは知らず戦いを挑み、あまつさえ――」


 あの場では戦う他なかったのは間違いないだろう。

 だけど、そんな状況にあった赤竜さんを傷つける事しかできなかったのは、ただただ心苦しかった。


『汝は……汝らは気にせずともよい。頭を上げよ。

 あの状況では戦わない事こそ愚かであろう』


 そうして頭を下げた私にエグザ様の声が頭上から降り注ぐ。

 その声には厳かながらも確かな穏やかさ、優しさも込められているのが私には感じられた。


『汝らは生きる為に戦った。そのことになんの間違いがあろう。気に病む事は何もない。

 もし事情を語った際に気に掛けるものがいても、同様に伝え、励ますが良い』

「エグザ様……! ありがとうございます――そうさせていただきます……!」


 状況から鑑みれば、もっと私達人間の事を責めてもいい方で、許さずにいるのが当然なのに。

 逆にあたたかな心遣いを掛けてくださるその寛大さに私は胸が熱くなった。


 ――ただ、気にかかる事があった。


「あの、お聴きしてもよろしいでしょうか」

『構わぬ』

「ありがとうございます。

 その、エグザ様がここにいるという事は魂の分離が出来たという事、なんでしょうか?」


 そう、もしもそれが出来ていなかったのなら、エグザ様もまた結界内に囚われたままなのではないだろうか。

 だがエグザ様はここにいる―――であるならば、共にあった赤竜さんや黒須くろす所縁ゆかりさんの魂はどうなったのだろうか。

 魂の構造や行先について詳しい事は分からないけれど、出来る限り彼らも救われていてほしい、そう思って見上げ続ける。


 すると、エグザ様は一瞬瞑目された後に、改めて私を見据えて口を開いた。

 ……その目に込められた感情を、意味を、その時の私は理解できなかった。


『概ね正解だ。

 我が子孫の身体も魂も半ば呪いに取り込まれてはいたが、我が見込んだその高潔な魂は確かに残っていたのだ。

 だからこそ強引に自身の肉体を休眠させる事が出来、我々全員の力と取り込んだ神域結晶球の力を借りてこそだが、我と黒須所縁の魂を完全にではないが分離する事に成功した――己が魂を肉体に留める事を代償としてな。

 本来それは我の役割であり、結界内には我が残るつもりだったのだが、我が子孫は赤竜王たる我こそが重要として、呪いを一手に引き受けてくれたのだ。

 その際、黒須所縁をも解き放ったのは、幼子を巻き込むわけにもいかぬ、というの誇り高さゆえだ。

 そして――には勝算もあった』

「勝算……?」

『うむ。

 結界は起動し続けており、レートヴァ教が折を見て結界の強化や浄化を進めてくれる事を約束していた。

 それゆえに呪いは続いているが、結界領域内で全てが収まり、いずれは自身も浄化され解放されるだろうと。

 だが結局はそれも――いや、もうこの世界そのものがどうしようもなかった、という事かもしれぬ。

 さて、長々話してきたが、汝の疑問の解答への布石は大体語ったか。

 汝は何が起こっていたのかを疑問に思っていたな』


 あ、そう言えばそうだった。

 情報の洪水過ぎて、元々の発端をすっかりうっかり忘れておりました。


『何故先程のような事が起こったのかというと、汝は我が子孫の肉体に一度食われて殺されたであろう?』 

「あ、はい」

『その際に一度体内に取り込まれた事で、汝の魂は内側に押し込められた呪いの一部――それと絡み付いた我が子孫の怨念に触れた。

 そして、その時に我との繋がりが――のだ』

「え? でも――」


 よくよく考えれば、そもそもラルの事前の話から察するに結界領域は殆ど浄化を終えていたはずなのだ。そこにいた赤竜さんも含めて。

 なのにそれほどに力のある呪いがまだ残っていたのだろうか?

 そうして内心首を傾げていると、エグザ様が即座に私の疑問への解答を口にしてくれた。


『汝の考えるとおり、呪いの大半は子孫の魂もろとも浄化されていた。

 肉体が朽ちていた事からも察せられるだろうが、最早あそこに我が子孫そのものは存在しておらぬ。

 かのものは転生に成功、その魂は既に我と共にある』


 なるほど、と納得する。

 さっき赤竜さんの事をと表現していたのは、エグザ様と一緒にいたからこそだったのだ。


『だが、今回操られた際の『贈り物』の能力の影響であと僅かで完全に消えるはずだった呪いが活性化されてしまったのだ。

 操る際の――あの阿久夜あくやみおという女の悪意と相性が良かったのも大きい。

 結果、肉体に残っていた我が子孫の怨念のみが一時的な魂として機能してしまったのだ』

 

 そう言えばラルエルもドラゴンがいるはずがない、そう語っていた。

 それは赤竜さん本人は既に転生してしまっているからだったのか――それ自体はとても良い事なので、改めてホッとする。


 怨念については、ここに至るまでの話を聴くだけでも致し方ないと思える。

 実際に様々な苦痛を受けた本人にしてみれば、更に思う所が深く重く強く存在しているのが当然だろう。

 私が一回死を経験した事もあって、魂として機能するだけの怨念になるのも十分納得できた。

 

『それが今現在転生している魂の方にも影響を与えてしまったのだ。

 結果、汝に子孫の怨念が付着していた事で、我らが転生した魂と近くにあったがゆえに共鳴・増幅し合ってヒトへの憎しみが顕在化……幼いヒトの肉体ではその衝動を抑えきれず、ゆえに汝が襲われるに至ったのだ。

 汝も薄々察しているのだろう?』

「――はい。という事はやはり、そうなのですね」

『うむ。

 レーラという名の少女こそ、我、そして我が子孫の魂が転生した姿である――』

 


 




「―――うーむ」


 朝方、少し冷える空気の中で起き上がり、私は呟いた。

 目覚めたそこは間違いなく私が使わせてもらっている部屋であり、横にはレーラちゃんが眠っていた。


「――ん、おねえちゃん――」


 その口元からは涎が零れていて、実に気持ちよさそうな笑顔である。 

 昨晩の彼女のものではない壮絶な表情を思い出すと、尚更にこの笑顔を見る事が出来て安堵する。


 しかし、昨日のレーラちゃんの具合の悪さが、あのドラゴンゾンビとなっていた赤竜さんからの影響だったとは。

 

 レーラちゃんが人間でない可能性は薄々感じていた。

 守尋もりひろくんやはじめくんにはそれとなく伝えて、いざという時の事を話し合ってはいたが――よもや赤竜王様の転生とは思いもしなかった。


 ちなみに今の、レーラちゃんとしての身体は一応人間であるらしい。

 魂の影響でこれから変化していくだろうとの事だが。

 守護神獣という存在は、肉体ではなく魂こそが主体だということらしいけど――不思議なものである。


 何故人間に生まれ変わったのかも含めて正直色々ややこしくて、完全に把握できていない事もあるのだが――とにもかくにも、話を聞いて改めてみんなで相談する事ややらなければならない事が出来た。

 忘れないうちにメモして情報を整理しておかねばならないだろう。

 

 ――そう言えば。

 エグザ様、話の終わり際に『目覚めたら我のせいで、その、申し訳ない事になっているが。とにかくすまない。この詫びはいずれ改めてする』とおっしゃってたけどなんのことだったんだろう。


「まぁ、いいか、ひとまず着替えて――んんん?」


 ベッドから降りようとした動いた瞬間、違和感が私を襲った。

 具体的には、動く弾みにしようと触れたベッドの生地と私の股の辺りが、その、スーッと冷えてて、なんだか水気が。


「――もしかして……ぁぁぁぁぁ、やっぱりぃぃぃぃ……」


 早朝だったので大声は出せないながらもそれでも声に出さずにはいられなかった。

 はい、その、私、恥ずかしながら――お察しください。


 おそらく首を絞められて意識を半ば失いかけてた事でやってしまった、のだろうけど。

 エグザ様――すみません、まったく怒ってはおりませんが、せめて嘆かせてください。 

 

「ううう……悲しい――」


 ちなみに、シーツや着ていたものを洗ったり干しに行ったりの過程で――流石に他の誰かにしてもらうわけにはいかなかった――たまたま遭遇した人達にはなんとなく察せられた(経緯はともかく結果は)ため、あたたかい言葉を向けられました。


「あれだけの事があったんだ。恥ずべき事じゃないだろう」

「いや、仕方ない。うん。落ち込まないでほしい。少なくとも俺は誰かに話したりしないから」

「――気の毒だったわね」(優しく肩を叩きながら)

「紫苑――」(優しい表情で首を横に振りながら)

「八重垣さん……」(涙目で見上げられつつ)


 あぁぁぁ――思い出すだけでも優しさが嬉しかったけど痛かったなぁ――うぅ。


 昨晩起きた事が起きた事なので、正確な事情説明ははじめくんにしか出来ないし、これからもしないと思います、はい。

 一生誤解されるのは悲しいけど、うん、まぁ実際にやっちゃったのは私だから仕方ないので――あとで泣いていいかな、これ。


 ちなみにレーラちゃんには昨日の記憶はない――あくまでレーラちゃんは人としての人格なので基本は無関係らしい――ため、無邪気に「どうしたの?」と尋ねられました。

 なので私は心で涙を流しながら顔を真っ赤にして『色々あって怖かったから』と説明。

 ――レーラちゃんのこれからがどうなるか分からないけれど、良い子に育ってほしくて、誤魔化さないように可能な限り頑張りました。


 ともあれ、レーラちゃんに尾を引く悪影響はなく、今後は同じ事があってもエグザ様がシャットアウト出来るようになったとの事なのでそこは本当に良かった。


 ただ――。

  

『謝りついでになってしまうが――八重垣紫苑。

 レーラが世話になっている事もあるゆえ、汝には一つ訓を贈ろう。

 汝は他ならぬ汝自身の生を全うせよ。

 誰かの為に生きる事が罪ではないが、誰かの為に死ぬ事、己を殺す事は時として罪となる――努々忘れぬようにな。

 時には己が欲望のままに生きよ。他の誰が許さずとも我がそれを許すゆえな』


 最後の最後に残してくださったエグザ様の言葉――私はそれにどう言葉を返すべきか分からず、そのまま夢から覚めてしまった事が悔やまれた。





 そして、それが――もしかしたら私の『最後』を決めたのかもしれないのだが、この時の私には分かるはずもなかった。







 そうして、激動の一日はようやく終わり、ひとまずは小休止――という訳にはいかないが、流石に昨日程の出来事は起こらないだろうと思っていたのだけど。


「毎日色々な事が起きるなぁ――」


 スカード師匠の下へと訪れる道の中、目の前に現れた、灰色の巨大な狼を前に、私はここが異世界未だ非日常である事を実感し、身構えたのだった――。


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