㉜ 夢と現と――ドラゴンたちと


 夢を、見ていた。


 私・八重垣やえがき紫苑しおんは、灰色の一色の世界に立っていた。


 ただ茫然と佇む私にふと大きな――巨大な影が差す。


 振り向くとそこにはドラゴンがいた。

 一瞬、私を噛み殺したドラゴンなのかと身構えるが……


 存在そのものの格、質が桁違いに違う。

 私が殺されたドラゴンは阿久夜あくやみおさんが操る『抜け殻』で――魔物だった。


 だけど、今ここにいるドラゴンは……神々しさで溢れていた。

 魔物とは到底思えない――何かもっと別の存在だ。


 でも、姿はあのドラゴンに限りなく似ていて――差異は腐っているかどうか、瞳の色、翼の大きななどで、そこまで大きな違いはない――私は困惑する。


 ただ、私の中に恐怖感はなかった。

 今日遭遇したドラゴンとは違う赤い眼――あのドラゴンは緑色だった――は、静かに穏やかに私を見下ろし、見据えていた。


 だから私もなんとはなしに見つめ返した。

 何故だろうか、この感覚を私は知っているような―― 


『――』


 不意に、ドラゴンが顔を上げた。

 その視線の向こうに私も振り返ると――そこにいた。


 それこそまさしく今日私達が遭遇したドラゴンそのもの。

 まるで鏡に映っているかのように、二体のドラゴンは向き合っていた。


 その真ん中に挟まれた私は、自然今日戦ったドラゴンと向き直る。

 今背にしているドラゴンが敵か味方かは分からない。危険じゃないとは言い切れない。明確な判断材料は何もない。

 だけど、私はそうする事に不思議と迷いはなかった。


 それに――腐っている方……ドラゴンゾンビはあからさまに視線を、敵意を向けていた。

 私と、もう一体のドラゴンの両方に。

 であるならば、

 

(――え?)


 ドラゴンを、守る?

 こちらのドラゴンは私よりも遥かに強そうだ。きっと実際にもそうなのだろうと感じる。

 だけど、それでも……守ってあげたい気持ちが私の中に確かにあった。


 ふと、振り向いて見上げる――ドラゴンは再び私を見ていた。

 明らかに敵意を向けているドラゴンゾンビを意に介さず、その赤い眼の中に私を捉えていた。

 少なくとも、そこには敵意はなかった。むしろ優しく見守っているような――あるいは、その逆のような、不思議な感覚があった。 


 私の現状は、武器も何もない素手だ。

 何故か服装も、冒険者として活動するにあたって購入した動き易い衣服でもなく、かつて通っていた学校の制服だった。

 魔法も使えるのかどうか定かではない。

 

 それでも――と、私は改めてドラゴンゾンビに向き合い、拳を構えていた。

 

 そんな私の動きからか、私の意思を感じ取ったのか、ドラゴンゾンビは大きく身体を動かし、私に向けて巨大な頭を伸ばし――。






 ――そこで、私は目覚めた。


 正確には少し違う、のかもしれない。

 夢を半分見ている――脳裏なのか魂なのか、どこかでその状況を続けているままに、意識が覚醒していた。


 辺りは暗い――電灯などあるはずもない異世界、自室として利用させてもらっている部屋のベッドの上に私はいる。


「あ――――ぁ、うぁぁっ――――!?」

 

 そんな中で私は気付いた。

 あろうことか、自分が首を絞められている事に。

 与えられている痛みと息苦しさと、胸の上にある重みで。

 いや、むしろそういう情報が身体を駆け巡った事で目が醒めたのかもしれない。


「―――っ、が! ハァ、ゥッ……!!」


 息苦しさに、藻掻く、ベッドを掻きむしる。

私は、どうすべきなのか、答を見いだせずにいた。


『人間め、冒険者め、愚か者どもめ――!!』


 そんな重く低い声がどこからか響く。

 その出所を探す事さえ、私にはままならなかった。


「レーラ、ちゃ――――!!」


 そう、そのとおり。

 視界には入っていた。でもすぐには認められないでいた。信じられなかった。

 横たわる私の上に前のめりに乗り掛かり、人と思えない力で私の首を絞めているのはレーラちゃんだった。


 守尋くんが危機にあった彼女を助け、共に生活するようになっていた女の子。

 少し前に、彼女が寂しくないようにと一緒のベッドで眠る事にした彼女。


 そのレーラちゃんの表情は、普段の愛らしさから遠く離れた獣のような有様だった。

 激しい感情か、本能か、その顔は大きく歪んでいた。

 普段のレーラちゃんを知るからこそ、目を背けたくなるほどに。

 大きく口を開けており、そこから涎が零れて彼女の手を伝い、私の首元を濡らしている。


 そんなレーラちゃんの目は、暗闇の中、赤く紅く輝いている。

 綺麗な赤い瞳孔は変わらないが、今それは光を宿し、爛々と輝いている。

 それに魅入られ、呑まれた事もあり、どう動けばいいのかも分からない私だったけれど、違和感が一つ。


 そう――今現在夢の中で私を飲み込もうとしているドラゴンゾンビの眼は緑色だった。

 夢の中にいる私はドラゴンゾンビの口の縁――人で言えば唇の辺りだろうか――に立って、全身で食べられまいと抵抗をしていたので、今は見えていないが、間違いない。


 夢と現実が同時進行しているという状況に頭がこんがらがりそうになっているが、

 夢の中でそんな状況を静観しているドラゴンの眼と、現実のレーラちゃんの眼の方こそ一致している、という事はかろうじて認識できていた。


 この状況で夢と現実が無関係であるはずはないけれど、そうであるならば何かが掛け違っている。

 かと言って今の私に冷静に状況を分析できる余裕はない。

 

 なにせ――。


「が、ぁ―――――ぁ―――っ」


 現実では呼吸が出来ず、最早息も絶え絶えで。

 夢の中では、ドラゴンゾンビの顎の力に耐え切れず、抑えきれず、今日そうされたように噛み砕かれる寸前だったからだ。


『許さない――私を、このような――人間め―――人間が―――!!!』


 夢の中なのか、現実なのか。

 判然としないままで威厳と鋭さ、何よりも怒りを感じさせる声が頭に叩き込まれていく。


 人間への怒りを私で清算しようと、様々な方向からを掛けていく。


 このままでは、私はまた死んでしまうかもしれない。

 それはすなわち、再びあの――ただただに恐ろしい『』を味合わなければならないという事で。


(――――――イヤ、だっ――――――!)


 私の全身に、魂に震えが走る。

 実際に身体がそうなっているかは混乱した中では分からないが、諤々と全てが強張っていく感覚があった。

 いくら蘇生出来る、出来たとはいえ、叶う事ならもう二度とあんな思いはしたくなかった。


 であるならば、全力で抵抗して―――。


 そうして抗おうとして現実で手を持ち上げて触れたのは――レーラちゃんの細い腕だった。

 私に込められている力は凄まじい――けれども、その腕そのものは細くか弱くて。

 もしも、現状を押し返す為に力を振るおうものなら、彼女を傷つけてしまいそうだった。


「う、うぅぅ―――」


 夢の中の私はもう跪いた状態で、あと一押しされたら頭蓋骨に牙が突き刺さるだろう。

 現実の私は文字どおり息も絶え絶え、あう数十秒意識が持てばいい方だ。


 このままでは、私は死ぬ。あの凄まじい恐怖の中に投げ捨てられる。叩き込まれてしまう。


 いやだいやだいやだいやだ。もう二度とあんなのは嫌だ、もう二度と死にたくない。死にたくない――!


 だけど――


「――――――っ」


 最後の息を吐きながら、私は……笑った。

 レーラちゃんに、精一杯優しく微笑みかけた。

 

 私は死ぬかもしれない。もう一度死ぬかもしれない。重々承知している。今はそういう状況だ。

 夢か現か判然としなくても、それだけは明確だ。


 だけど、それでも――こんな愛らしい子を傷つけたくなかった。


 共に過ごしてきた時間はまだまだほんの僅かで、母性が目覚めたとは軽々しくは言えない。

 それでも皆を、守尋くんや私を慕ってくれた事を、時に心配してくれた優しさを、一緒に笑い合った時間を、私は知っている。


 レーラちゃんが進んでこんな事をするはずがないと、私は知っている。

 

 だから、きっと、そうきっと何も悪くない子を、傷つけたくなんかなかった。


 それに。


『人間め――! 私を、私を――殺した――何故――死にたくない――なかったんだ――!! なのに、何故――!! どうして―――裏切った――!!』


 そのドラゴンゾンビの叫びは――今まさに殺されたくないと思っている私とであるような、そんな気がした。

 理解できない出来事、理不尽への憤り――そして、ボロボロと崩れていく口内、おそらく身体全体でも同じ事が起こっているのだろう、それ、すなわち『』への恐れ。

 

 改めてレーラちゃんの、レーラちゃんの身体を使っている何者かの顔を見る。

 その表情は、レーラちゃんからかけ離れたその歪みは、人ならざるものの嘆きでもあり、涙でもあったのだろう。


 もしかしたら、意に反した事をさせられているレーラちゃんも一緒に泣いているのかもしれない。


 傷つけたくない、と改めて思った。 

 レーラちゃんは勿論、そこにいる何者かも。


(仕方……ないよね)


 傷つける位なら――殺されてもいいと思った。

 もう一度死を味合う事になる――それでも、悪くない子を、泣いている子を傷つけるよりはずっといいと思った。


 そうせずに済むなら私はまた死んでもいい……その覚悟を決める。


(――でもね)


 覚悟こそ決めたけれど、それは最悪の場合だ。

 今日はたくさんの人に心配をかけてしまった――だからこそ、最後の最後までそうなりたくはなかった。


 だから――私はまだ生きる事を諦めるつもりはなかった。

 だからこそ死んでしまう、その前に――くだらないかもしれない、あがきを、私は全力で試してみようと思った。


(貴方を――泣いたままには、させたくないから……!)

 

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