第2話

<オープニング>


 轟轟と、体の芯まで震えさせる重低音が響く。

 自分の呼吸を数えることだけで、自分がまだ生きていることを認識する。

 絶望しかなかった。

 学生の身である己に出来ることは、限られていた。

 腕の中にある、子ども。小さな命を恐怖から、残酷から、守ってやること。

 この子に不安を悟らせてはいけない。心臓の鼓動よ、止まれ。


 空船の外は、雷の道が未知なる先へと伸びている。

 死体の色のような紫色、いや青白いというべきか。表現できる言葉のない知らない色。どちらでもいい、不吉な色の煙の中を、船は突き進んでいた。


 世界的な感染症の広がりと、虚無の海に飲まれ、ヒトの文明は終わりを迎えた。

 空船と形容したこの巨大建造物は町一つ以上の大きさを持つらしい。

 そのことを教えてくれた大人、名前も知らないその人は虚無に飲まれ、もういない。外の煙、形容しがたい常に形を変えるそれ、虚無は隙あらば自分も飲み込んでやろうと狙っている。あざ笑う目、大声で威迫し心を折らんとする大きな口、そこから除く官能的な舌と、鋸のような牙。どれもが、「お前はもう、終わりだ」と追いつめてくる。


 迷子を追って、気が付けば空船の外装部に出てしまっていた。

 すぐに内側に引き返すべきだった。子どもを捕まえて、辛うじて足を引っかけられて、背中で踏ん張れるところを見つけた時にはもう遅かった。

 僅かな所作で外に蠢く虚無に目をつけられてしまってはいけない。そう思うと動けなくなった。何度も目が合い、何度もすれすれを禍々しい爪が掠めていった。


 一際大きく煙が変化する。金色と赤の目玉がぎょろり、と煙の中で動いた。高速運航する空船はすぐにそれを引き離す。まずい、と思った。今一度、今度は嘲笑を湛えて目玉が、間違いなく自分と目を合わせた。追ってきている。耳障りな轟音が、足音のように定期的なものに変わった。雷の道を縁取り、鉄条網のように空船を守っていた雷をこじ開け、おぞましい数の手が伸びてきた。ああ、終わりか。仕方ない、ごめんね、名前も知らないあなた。


 視界が飛んだ。光に覆われる。

 閃光と、遅れて響く、空を真っ二つに裂く音。あらゆる喧騒が一瞬にして消し飛んだ。続く、失った腕への怒りの咆哮。もう一度、閃光。

 巨大な姿が苦悶の表情らしきものを見せながら虚無の中に消えていった。

 そうしてようやく、自分が断末魔のような悲鳴を上げていることに気付けた。

 その目に入る、空。違った、空色の竜の姿があった。

『逃げなさい』

 確かにそう聞こえた。

 自分の悲鳴が、呼吸に変わった。はっきりと、聞こえた。逃げろと。逃げねば。

 気持ちが纏まる、足が動く、立てる! 内側に向けて、駆けた。

「たすけてくれてありがとう! かいじゅうさん!」

 腕の中の子どもが自分の頭越しに、伝えてくれた。そうだ、お礼を。踵を返す。

 息を吸い込むと、はあ、はあ、と。息が急く。

 空色の怪獣、翼を羽ばたかせる竜は目を細め、にやりと笑ったように見えた。

 ひゅう、とだけ風の音を残し、空船の下へ降りていった。

 立ち尽くす自分に、

「おねえちゃん、ないてる?」

「泣いてない。大丈夫」

 そう返事をして、そしてやるべきことも思い出す。

 逃げねば。生きねば。生かさねば。


 鱗の隙間のようなところ、外装部から船の内側に逃げ込むと、子どもは腕の中から抜け出して、手をつないだ。

『何の騒ぎよ、派手にやったわね』

 女性の声だ。耳に手を当て、足を止めた。子どもはきょとんとして自分を見上げている。

『少々厄介なのがヒトの幼体に目を付けたらしい』

 精悍な男性の声が返す。

『仕留めた?』

『どうだろう。お前の破壊攻撃に比べて私のはちょっと驚かすだけだろうし。警戒しておいてくれ』 

『了解。ちょっと騒ぎになったから、フィン大兄から叱られると思うゾ』

『弁護を頼むよ、カーネリア』

 声が遠のいていく。

「おねいちゃん、おねいちゃん」

 制服の袖を引かれ、我に返った。周りを見ると、座っていた大人が立ち上がり、皆、同じ方向に向かっている。そこに自分も歩を合わせた。


 空船の甲板にあたる、開けた広間に千人ほどの人が集まっていた。一つ高いところに、巨大な姿がある。一角獣のような捻じれた角を持つ、翠玉石の鱗の竜だ。うぬぼれではなく、自分の姿を見つけるや否や、咆哮を上げた。

『そこの女。俺の元に来い。俺の声が聞こえているな』

「はいっ」

 咄嗟に答えた。次の瞬間、身体が浮き上がったような感覚を覚え、気が付けば緑の竜の傍らに移動していた。きゃあきゃあと、手を繋いでいた子どもがはしゃいだ。

『これからお前達に話をする。声の大きさはこれくらいでいいか。答えろ』

 気持ちの整理をする前に、竜が問うた。

「少し大きいと思う」

『これでどうだ』

「それでちょうどいい」

 ふん、と竜は鼻から僅かに蒸気を出した。そして人々を見下ろし、宣言した。

「神に見捨てられたヒトの子らよ。故あってお前たちを救った。俺はフィンブルヴェト・ビュルム。滅びたくなければ俺の言葉を受け入れろ」

 集まった人々からの反応はない。先程までの、頭に響いてきた声ではない。みんなにも、聞こえてはいるはずだ。

「傅け。は、違うか。では頷け。それがお前たちの了承の意思表示であろう」

 まるで機械のように、広場の全員が正しく頷いた。

『おや、兄さんの期待していた姿と、ずいぶん変わってしまったようだね。まるで木偶だ』

 気流を起こし、青の竜が壇上に降り立った。さっきの、空色の竜だ。

『パパに捨てられたら、落ち込んでこんな感じになるんじゃないの? かわいそ』

 同じく、赤い竜が隣に着いた。二人の竜の感想に、緑の竜、フィンは嘆息で答えた。

「ひとときは支配者としてお前たちを新天地まで導いてやろう。俺からお前たちに命じることはただ一つだ。生き残れ」

 群衆の反応は鈍い。木偶人形、言い得て妙だと思う。

「私……君らから見て、蒼い竜だ。そうそう、今こちらを見たそこのキミ、正解。私の名はフレスアルタ・ハルコン。ヒトなら幾度か、世話役で使役したことがある。執政として君たちを支えよう。法は六法全書だったか? 要は殺さず騙さず犯さず盗まず酒を過度に飲まず、君たちが使っていたものをほぼほぼ流用でいいんじゃないかな。早めに君たちの文明が取り戻せるよう、務めさせてもらうよ」

 温和な口調で青い竜が続ける。ちら、と横目に小さな影を捉えると

『無事で何よりだ』

 小声で、自分と子どもにも声をかける。

「おひげー」

 子どもが手を伸ばし、蒼い竜の髭を引いた。

『あっはっは、やめてね、八つ裂きにして食べてしまうよ?』

『ハル。威厳を損なう真似はやめておけ』

『幼体と仲良くしているところを見せれば彼らは安心する。哺乳類はわかりやすいからね』

「そうか。まかせる。聞け、ヒトの子よ。この赤い竜はカーネリア。お前たちをあらゆる害悪から守ってくれるだろう」

『あれっ、私はアイサツなし? 超コンゴトモヨロシク、チョーケーワイって感じー』

 赤い竜が低く唸った。

『うん、カーネリアはカッコよく咆えてくれるのが一番いいと思うよ』

 ハルコンは目を細めて笑った。

『わかった。がおー!』

 足元が震えるほどの咆哮。

 わあっ、と人々から歓声が上がる。膝をつき、涙を流すもの、家族と抱き合うもの。

『実に単純だ』

「気を抜いてはならぬ!」

 フィンが一喝した。

「崇拝は構わん。ただし、依存は許さん。俺がお前たちを救ったのは、お前たちが類まれな純粋の持ち主であり、神の現たるその身に宿した可能性を持っているからだ! ゆめ、忘れるでない!」

 その宣言に、まるで機を合わせたように、煙が晴れて空が広がった。虚無の中を、空船が抜け切ったのだ。しかしそこは人々の知る空ではなかった。闇の中に、淡く輪郭だけの黒い太陽があった。そして、地面では百足の様な多足の巨大な竜が空を見上げている。

『お前には見えていよう、ヒトの子よ。星の目を与えてやった。その姿を俺に伝えろ』

 不思議な感覚だった。まるでスマホの画面でも見ているかのように、その悍ましい多足の竜の姿が頭の中に浮かんでいた。

「空船よりも巨大な、白い竜がこちらを威嚇していて……。虚無の煙のような霧を体から出していて、大地は荒れ果てて、とても人が営める場所には見えません」

『あーあ、あなたたちって、トコトン神さまの当たり悪いわね。やっと着いた場所が、こんなところだなんて!』

 カーネリアがのどを鳴らして笑った。

『でさあ、どうするフィン兄い? アレを殺すくらいで灼熱破を撃ったら、たぶん地面抉れて無くなっちゃうけど』

『そこはニンゲンに討伐させたらいいじゃないか。彼らにはまず、導いてくれる同族の英雄が必要だと思うんだ』

『よかろう』

 フィンはこちらに向き直り、まるで婚礼の儀式のように前足の爪を差し出した。

『女。俺の持つ竜語魔法をすべてお前に授けてやろう。始まりの魔術師・百識の魔術師として、英雄を導き、国のために働き、我らのために尽くせ』

「おー、まかせて、おうさまー」

 子どもが手を伸ばした。その胴に青い尾が巻き付いた。

「君はこっちね。お母さん探そうか」

「うん! あなたのせなかにのりたいわ! すぐにみつかるきがする!」

『あはは、竜熱病で死ぬか、雷に打たれて死ぬか、今喰われるか選んでみる?』

 そのやりとりに、自分の口から思わず笑みがこぼれた。

『興が削がれたか』

「いいえ、是非もなく」

 震えもなく、呼吸の乱れもなかった。誰に教わったものでもなく、片膝をつき、婚礼にて指輪をはめるが如くに、その爪先に手を伸ばした。

『我ら竜族の権能、‘神殺し’の銘と共に。俺の半身として能く仕えよ』  


 黒の太陽が静かに闇に沈み、薄れていく。

 変わって血のような朱の太陽が浮かび上がってくる。

 

 黒の獅子と、太陽の仔の入れ替わり。 

 これがこの世界でいうところの、夜明けであった。



<ピックアップ>

 隔離された空間に、私――百識の魔術師、ラケールは分不相応に立派な椅子に掛けていた。空席は、六つ用意している。

「緊張しているのか」

 後ろから、耳を透け、心の芯まで届く、その清流よ。

「少しばかり。これでも、中身は十七、八の、学生でしたから」

 そう、それはもう過去の話、失われた話だ。今の私は百識の魔術師。そして。

「そうか」

「……」

 そう、この背に、ああ、そこに、私を主佩うしはくに、大御心を仰す、フィンブルヴェト・ビュルム殿下。さてそのお姿は、曰く私の心の中の理想の男性像を参考にしたとのこと。

 金髪碧眼、私がつま先立ちになればちょうどその目線が唇を捉え、整った鼻梁は、いかな美男の肖像を並べてもそれらすべてを雑草に変えてしまわれる。誰しも理想の男性像、女性像を心にお持ちのはず。それが、現実に現れたらどうだろうか? はたしてはじめてそのお姿を目にした私は恥ずかしながら鼻血がつたった。

 ああ、そのときに『どうした大丈夫か』とお心遣いいただいた時のことを思い出すと、またもや危うい……

 どうか! どうか今ひと時、思い出に妄執することをお許しください! 殿下!


 ――はあ。収まった。

 私――ラケールは元よりこうした性質。恋に恋し、なんならネットアイドルに投げ銭してしまったり宗教活動として推しのグッズで祭壇を作る程度には残念なニンゲンさんだった。

 それをだ。いきなり『竜の翼の国 最高執政官』『百識の魔術師』などと大層な肩書きを与えられても困らないがまあ困る。困らないというのは他ならぬフィン殿下より拝命承った故、勤しむに困るといったことはあり得ないのである。


 そうこうと一人思考で悶絶していると、ようやくに扉が開き、入室者が現れる。

 男女四人。推しの主の目線に歓喜する私にはもったいないほど最敬礼を見せてくれた。

「マーチャントギルド、『モラクス商会』モラクスでございます」

 恰幅のいい男性。肥満体と言ってもいい。しかし、その仕立てたストライプ柄のダブルスーツは彼に愛らしいという印象、それ以上に威厳と裕福さを主張した。

「マーチャントギルド、『MANA』マエストロのマアナと申します」

 カナリア色のドレスに、結った銀色の髪が恐ろしく似合っていた。

「マダムマアナ、お会いできて光栄です。大切な会合にはわたくし、マダムの仕立てスーツをいつも愛用させていただいております」

 モラクス氏が誇らしげに会釈した。

「ミスター、御高名はかねがね」

 マアナ氏も丁寧にお辞儀した。

「マーチャントギルド、『メル・ユニバース』メル。職人故、無作法お許しを」

 メル氏は不動の構えにて、あいさつした。手には黒手袋、スーツの上からも筋骨や、その精悍な顔には鉄火場で焼けた褐色が男らしさを感じさせた。

「マーチャントギルド総頭取、モンタナ・ファルコン。蒼玉の賢竜、フレスアルタ・ハルコンよりこの国の経済活動を委任されている」

 赤茶色のくせ毛を纏めるのに帯状の布を巻き、彩る大きな宝石の冠。麻を緑に染めて、金糸を刺繍した襟巻には民族色の強い模様。整えられた髭、不敵な笑みを浮かべる。一目でわかる、この席にてただ者ではない感、ハルコン様の探して見つけてきた『デキる人』なのだろう。ギルドの象徴印、蒼玉の賢竜がその権力の強さを語っている。

「ようこそ、皆様」

 彼ら四人が今の、竜の翼の国の、商人の座を治める人たち。

 席を立ち、私はフィン殿下に向き直る。そのお姿に卒倒しそうになるも、上座に当たる席への移動を促した。私の座っていた席を空席とし、六人でテーブルを囲んだ。

 テーブルのシーツに手をかけ、軽くなでる所作。『空間転移』、『工房解放』。

すると、テーブルの上に満漢全席が出現する。

「あいにくと、まだシェフ……というものは空席で。あり合わせですが、どうかお召し上がりください」

「これはすごい」

 モラクス氏が感激に目を輝かせた。

「お口汚しですが、どうぞご遠慮なく。なかなか歓談の機会も、皆様多忙で十分でないとか」

「シェフが空席となるわけだ」

 ファルコン氏が肩をすくめる。

「食材についてはマーチャントギルドの皆様の活躍はもちろんのこと、アドベンチャーギルドの地上へのクエスト達成が大きいですね」

「小型飛行艇か。『メル・ユニバース』メル、こちらは数を増やすことは可能だろうか」

「マジシャンズギルドの火術門、金術門、土術門をこちらに回してもらえれば、6艇は」

「フル稼働にしたところで、アドベンチャーギルドの人数が足りん。あの百足竜を避けながらでは費やしたマナ資産はペイできんのでは?」

「水術門を医療特化させれば、地上への行き来も、もう少しリスクを下げられるでしょうね」

「マダムマアナ、木術門の門弟をもっと増員していただいて」

「それはヤ―ボール先生が水術門と共に研究を進めておりますから、もう少し時間が必要かと」

 ふむふむー、なるほど、何を話しているかあんまわからん。

 分業していただいて幸いだった。こんなことまで私がさせられてはさすがに壊れてしまう。

「マジシャンズギルド統括、百識の魔術師殿に分配を任せれば問題ないだろう」

 げえ。まじか。夏休み、宿題が終わったーと思いきや、課題を一教科丸々残していたことに気付いたが如くの煩わしさだったが――

「――そうですね。マジシャンズギルド、各門の支配級との会談に、私の許可や裁可、報告は必要ありません。大いに競争し、市場を潤沢にしてください。地上への進行は次回にアドベンチャーギルドの面々と詰めていく予定です。その結果次第で、小型艇のさらに子機を求めるかもしれません。その設計はこちらで最適化しておきますので、後顧の憂いなく励みください」

 おお、と商人たちが拍手喝采をくれる。

 フィン殿下、ほらほら、どうですか? 褒めて、褒めて!

「悪くない」

「――」

 冷静に務めるのが精いっぱい……! そのお言葉一つで!

 っラケールは頑張れます!

「一度地上に視察に行くとしよう。共に来い、百識よ」

「ぎょいに」

 ……小学生で習う漢字を忘れてしまうほどに。

 これは、デートと言うことで解釈してよろしいのでしょうか――

 危うく、「勿体なきお言葉、畏れ多い」と引き下がるところでした……


 よおっしゃああああぁぁあ――――!!


「アドベンチャーギルドへの裁可は? 数少ない小型飛空艇を使用する以上」

「不要だ。俺の背に乗っていけば問題なかろう」


 はい?


    ◇

 

 今日は太陽の仔ががんばったかー……

 でかした!!


 眩しい太陽を、サングラス越しに見る。

 昨晩は三回の入浴、いやさ沐浴あるいは禊ぎの末、木術と水術の限界まで行使して、この上ないコンディションで今日という日を迎えた。

 つい張り切って、小型艇を一つ作ってしまいました。いやだって、さすがにお背中にというわけにはいきませんから。だって、『なんか重いな』『なんか臭う』このいずれかの一言で私はこの甲板から身を投げて、いっそ地上に叩きつけられてしまえと思ってしまうのですから。

 ああ、だめだ想像だけでそうしたくなってきた。

 ふらふらり……

『おい』

 その愚かな私の身に、大きな影がかぶさりました。輪郭だけでわかります、

「おはようございます、フィン殿下」

 サングラスを外し、そのお姿で目を潰してしまわないよう、こうべを垂れた。

『それは?』

「せっかくなので作ってみました」

『相変わらず仕事が早いな、ラケール』

 フィン殿下が睨みすると、小型艇は消えた。

「あ」

『十分な成果だ。ハルコンのところに送っておいた』

「は」

『俺に検品を求めたか? 不要だ。お前の成果を疑うことなどない。我が頭脳よ』

「――」

 気絶しそうになるのを抑えつつ、そうそう、公の場では百識呼びですが――

 二人の時はラケールと名を呼んでくださいます。

 ……

『おい』

 刹那の時間ですが、気絶してしまった。

「申し訳ございません、少しばかり思考の外におりました。私の方はあれでお供を、と思っておりましたので。試乗を兼ねて」

『そうだったか。まあ気にするな。ハルコンがいい具合にいじってくれよう』

 ぽん、とお尻を尻尾で跳ねていただいて、お背中に私の卑小な身が転がった。

 あ、雲の上。草原を裸で、風を感じるような、そんな羽毛の香りがしました。

『お前が思っているほど大層なことではないと思うがな』

 その身が、宙に浮きあそばれた。

 あっという間に空船――竜の翼の国が遠ざかっていく。

 雲の中に入ると、わずかに肌寒さが。しかしすぐに、穏やかな温かさに変わった。

『なるほどひどい毒の霧だな……だが案ずることはない』

「はい。『適応状態維持ブラッドプロテクション』」

 ほか、諸々の耐性魔法を重ね掛けした。

「さすがに、この程度お手を煩わせるわけにはいきません」

『ふうむ。気が利きすぎるのも考えものではある』

「と、申されますと?」

『俺にも庇護欲くらいはある』

「……」

 さて。

 この私ラケールは、フィン様から古龍と同じ程度の思考ができるよう、権能を与えられているのですが。ヒトの神経回路などおいてけぼりな性能を誇っているわけですが――無理です、ショートしました。

 もったいないお言葉――そして、ああ、なんと勿体ない、空の遊覧が……そう、気が付いた時には、地上に到着していました……



 目の前には森の大樹が、迷宮の入り口――アーチのようにそびえていた。

『さすがにこの図体では木々をなぎ倒すか』

 涼風一つ、フィン殿下は貴公子のお姿になられた。風に金髪が舞う――オーロラかと。萌え死ぬ……生きていて、辛い。

「俺の所有する森ならば木が足を生やして逃げてくれるのだが」

「まあ。ふふふ」

 笑っては見たが、考えてみれば冗談をおっしゃられる方ではなかった。目に見えて、目前の木々のアーチが怯えるようにその入り口を広げた。



<ピックアップ>

 幸いにも居住区ごとで率先して仕切ってくれている大人(といっても、足の透けた幽霊みたいなもの)がいて、大きな混乱もなく、いわゆる住民票、戸籍謄本は綴ることができた。

『なるほどね。役所があると便利かもしれないな。私のほうでデキる奴をピックアップして編成してみよう』

 ハルコン様は何人か、人魂を一目見ただけで

『君、きみと、キミ。あとお尻がかっこいいそこのキミも採用だ』

 その場で即決採用していった。その身がそれぞれ、ヒトの姿に変わった。

「ハルコン様、気のせいでしょうか女性ばかりのように思うのですが」

 そう聞いてみると、

『そりゃあ書類とにらめっこしている時間に、美しいものが目の前にあればそちらを見ている方がいいと思わない?』

「私の生きていた世界では、わりとアウトな発言なのですが」

 コンプライアンス大切。

『だから滅びたんじゃない? 美とは絶対的かつ時勢によって変化する無常の、それでありながら不変かつ無情で非情な価値観だよ。そこに感情を持ち込むのはナンセンスだ』

「美について劣ったものは?」

『それこそナンセンスだ。そんなものは存在しない』

「等しく美しいと」

『もちろんそれぞれ好みはあるかもだが。誰かにとっては唯一無二であり、そもそも女性というものは鏡の前では誰しも自分を絶世の美女と讃える生き物では?』

「……なるほど」

 どちらかというと平凡な顔であると自覚していたので少しばかり感謝した。



<ピックアップ>

『あのねー、百識ー? 疫病竜たおすのにー、強いの七人集めるっていったんだけど、実は八人目がいたの! コロンちゃんっていうんだけど、これが強いしかわいくて、えーと……超かわいいの! エヘン。えー、これから地上探索・地上支配にあたり、ヒトの戦士にも、底上げが必要だと思う。いつもあたしがついていくのもアレで、そう、親離れできないっていうかあ? とにかく、オススメ。アドベンチャーギルドの長は彼女しか、イナイヨー』

 思えば、あの日、彼女はいつになく饒舌であったし、目が泳いでいた。

「えっ、カーネリア様が……壊すことしかお考えではないカーネリア皇女殿下が、大局を見据えらえているなんて!」

 感激に私は胸躍っていた。

 そう、故に、目が、曇っていたとしか言い訳しようがない。

『ま、まあ、お金と女の子のことしか考えてないハルくんはともかくー? フィン大兄のー? あ、教えってー、カンジ?』

「そうでしょう、そうでしょうとも! フィン殿下のお心は暴虐のカーネリア様のお心さえも変えてしまうのですね! コロン様ですね、私からも推挙しておきます!」

『チョッロッwww』

「はい?」

『ちょっとお腹すいたー、えっへっへ』



<ピックアップ 百識とフィン殿下①>

 どっと疲れが出たので、星の目も蛇の目も断ち、執政室を後にした。

「まさか躊躇なくエルフの王女に助けを求めるとは。我が影法師ながら判断が早い」

 もたれかかったコンクリートの壁はひんやりしていて気持ちがよかった。数歩進み、ウォーターサーバーのある休憩スペースのソファーに腰かけた。観葉植物に目をやると、案の定、テレパシーが飛んできた。

『なんであなたが出張っているの?』

植物完全支配プラントフルコントロール〉のさらに上の権限、〈森乙女の導きドライアドガイド〉。およそ木のあるところすべてが彼女の目であり、手である。その気になれば観葉植物を森の王トレントに変えて私を絞め殺すのも容易だろう。竜語魔法を修めた自分ですらもたない、木の魔法の最上位の権能だ。

「木門の魔術師にハーブティーの用意をさせたのですが。どうしてここにあなたの分隊がおいてあるのかな。私が首を突っ込む理由などただ一つ、王命を受けたからです」

『魔女ベンチャーギルドはシャミちゃんと私とファーニルの遊び場よ? 大人が干渉するのは、面白くないよ』

「千客万来じゃありませんでしたか?」

 それに、言うほど貴女は子どもではないでしょうに。

『歌姫と書いてアイドルは大人に入らない』

「確かに。失言でしたね、永遠のセンターの貴女」

 テレパシー中だった、心の声まで拾われてしまう。

『からかうものではないわ』

「重ねてご無礼を申し訳ありません。闇魔女本人に干渉するつもりはありませんよ、助力もあの子には不要です」

 まあその闇魔女は……私なのですが?

 ウォーターサーバーの煮沸が終わった。ビターオレンジのハーブティーを入れて疲れた心を落ち着かせる。

「……おいしい。ヘプラ様、もしやあなたがご用意してくださったの?」

『つーん』

「是非とも殿下にもご賞味いただきたいですね、注文させていただいても? どちらに入金すれば」

『えーっとねー……あっ! 危ない! そうやっていま、私の居場所を探知しようとしましたね?』

「ああ、ばれましたか、さすがですね」

『油断も隙も無いわ! とにかく! シャミーに過干渉したら、ただではおきませんからね、そこを重々、紅茶を味わうより深ーく、噛み締めてくださいまし!』

紅茶を嚙んで味わう習慣はございません。

とはいえ、断られてしまいましたか……

仕方がありません、分析して自分で作るとしましょう。

フィン殿下、とっておきのお菓子と一緒にご用意致します、必ず!



<ピックアップ 百識とフィン殿下②>

「いやしかしー、みてて、ちょっと恥ずかしくなったなー……」

 目を啓けば、執政室。飲み干したティーカップが冷たくなっていた。

「口直しにフィン殿下の新しい写し身でも飾ろうかな。ああ、フィン殿下! ひと時でも、あなた以外に心を赦した私を、どうかお許しください!」

 影法師の感覚も記憶も、一方通行で私に伝わっているのです。

 立ち上がり、何度もそのお姿を脳裏で躍らせた。

 フィン様、フィン様、フィン様!

 一手進めることができた嬉しさからか、百識の魔術師にありえざる高揚感に包まれていた。

「海神は私を認知できていない。けど」

 徐々に、お風呂での出来事が消えていく。夢の中の出来事を覚えられないように。

 普通ならそうだが、そもそも夢というのはヒトの集積した情報の整理活動にすぎない。

「ヒトは経験を組み合わせて、思い出すという。でもドラゴンは違うわ。そんなまどろっこしいことしなくても、全て、記憶される。情報体そのものなの」

 目を閉じる。そしてフィン殿下の写し身を頭に描き、思いを馳せた。

 お受け取りください、これが今のあの子の姿です。

 海神の元で顕現した、眠りの魔術師。あのときの……子ども。

 彼女とフィン様が向かい合う姿が浮かぶ。

 ああ、さすが殿下、あの美貌にも、眉一つ動かされない!

 え、頭の中のお人形さんごっこ? ふふ、笑わば笑うといいわ!

「何をやっている」

 え?

 そっと、ゆっくりと振り返ると――

 開いた扉のそこに、フィンブルヴェト・ビュルム殿下のお姿があった。


 ほ ん も の ――!!


 落ち着いて。よし、妄想の産物ではない。その麗しきお姿が、夢と見まごうことがあろうはずもありません。

「……影法師が、眠りの魔術師と接触できました。これがその姿です」

「ふむ。あの子どもとは、ずいぶんと容姿が異なるな。これはもう別の生き物と言っていいやもしれぬ」

 ああ、あなたの口から、彼女への美辞麗句が飛び出したら、と、一抹の不安を覚えたことをお許しください。

「美しい娘に育ったものだな」

「そうですね」

 ああ……あああああああ。

 あああ――――――!! やっぱりいいィー!!!

 脳が嫉妬で焼ききれそうになるかと……思いました。

「む? よもやお前、この娘に負けようことはあるまいな?」

「もちろんです。確かに、万物を魅了する落雁沈魚の容貌かもしれませんが」

「そうか。杞憂であったな」

 当然のようにソファにかけられると、用意されたオレンジビターの紅茶と、ケーキをお口に運ばれた。

「美味いなこれ」

 ……殿下!

「エルフの王女からの頂き物に、少しばかり手を加えました。お口に合い、何よりでございます」

 あっという間にあいたカップに、紅茶のお替りを、震える手でお注ぎした。

「よく礼をしておかねばな」

 なんという朗らかな笑顔でしょう。

 脳が生き返る。白紅貫日……真心が……報われました!

 思考が冴え渡る。いまなら世界の果てまでも、私は飛んでいけるでしょう。

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③竜と私の建国神話 浜中円美 @mios3

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