第17話 3-4.


 どうも例外だったらしい。

 出会い頭に陽介に喋った事自体。

 不承不承、彼女に続いて運転席に這い登った陽介が、再び走り始めてから1時間かけて聞き出せたのは、まさに出逢った直後に彼女に問うた『官姓名所属部隊』だけだった。

「アマンダ・ガラレス・雪野ゆきの沢村さわむら一等陸曹。103師団第3普通科連隊第1レンジャー大隊A中隊第1小隊長勤務一曹第1分隊長」

「それが」

 どうしてこんなところに、と問おうとしてアマンダが言葉を遮る。

「そう言うテメエは何処の誰? 」

 荒くれ古参下士官との付き合いも漸く慣れた陽介だったが、ここまで堂々と無礼な下士官は初めてだ、と思いつつも何故か抵抗するのも無駄だと感じて、取り敢えず質問に応える。

「向井陽介二等艦尉。第8潜空艦隊SS080雪潮の航務分隊士。撤収作戦の輸送司令部連絡士官リエゾンだ」

「ハハッ、道理でワッパ転がすのがヘタだと思ったぜ」

 アマンダは頭に巻いたバンダナに挟んだラッキーストライクの箱を外して、器用に1本振り出して口に咥え、シガーライターを押し込んでから陽介に1本差し出す。

「カッパ~艦隊マークを下士官兵達はこう呼ぶ、ちなみに航空マークはカラス、陸上マークはドロガメだ~じゃ仕方ねえな。さっきの無謀運転は勘弁してやるよ」

 アハハと小さく笑うアマンダの横顔を見て、確かに口は悪いが、性格は然程でもないだろう、と感じたのは何故だったか。

「そりゃあどーも」

 ボソリと応えて、陽介はタバコを咥える。

 ポンと飛び出したシガーライターから火を移し、旨そうに煙を吐き出しながらライターを陽介の方に突き出し、アマンダは独り言のように言った。

「てことは、この引き摺ってる荷物と一緒に、お前さんはこのクソッタレな砂漠からオサラバってことか」

「まあ、その予定だ」

 答えながらも陽介は、唇に引っ掛かっている慣れない煙草のフィルターの感触が気になって仕方がなかった。

 任官後、最初の艦が潜空艦だったこともあり、術科学校も潜空学校、潜空艦徽章ドルフィン・マーク取得以来、潜空艦勤務ばかりを歩んできた陽介は、喫煙とは無縁だった。

 大昔、水の中で密かに潜む潜水艦がそうだったように~原子力潜水艦が登場した時点で禁煙の呪縛から一旦解き放たれた筈だったが、何故か喫煙の習慣は広まらなかったそうだ~、波動エンジン推進に頼らない敵防空識別圏内侵入フェンスイン後の潜空艦内では、生命維持系は極力最低限近くにまで押さえ込み、その全能力を自身の欺瞞と相手アビオニクスへの欺瞞に回さなければならない艦種なのである。

 喫煙で艦内の空気を汚すわけにはいかない、そんな艦種を渡り歩いてきた陽介に、当然喫煙の習慣はなかった。

「なんだ? 吸わねえのか? 」

 ライターを受け取ったきり火をつけようともしない陽介に気付いて、アマンダが不審そうに片眉を顰めた。

「いや、後でもらうよ」

 そして取り繕うように話題を変えた。

「君は」

 そう呼びかけてしまってから、微かに後悔する。

「撤収しないのか? 残留組か? 」

「でなきゃ、こんな時間にこんなとこ、ノコノコ散歩なんてしてねえよ」

「そいつぁ……」

 ツイてなかったな、と続けようとすると、アマンダはそれを予想したかのように言葉を被せてきた。

「同情なら間に合ってる。……自分から残るっつったんだしよ」

「……なんでまた」

 驚いた表情を見せた陽介に、アマンダは微苦笑で素直に答えた。

「なんでって、金ンなるしな。この先1年間、このイカれた星がお天道様の周りをもう半周するまでは、補給も休暇もなんにもねえが、その代わりに危険任務地手当てが出る。生き残れたら二級戦功章もくれるって話で、そうなりゃあ年金だって増える。師団や方面軍の司令部のお偉いさんがごっそりいなくなるし、ウルセエMPだって1/3に減るんだ、案外、お気楽な任務になるかも、だぜ? 色んな意味で、さ? 」

「しかし、いくら金が貰えるからって命を」

「やっぱり幹部学校出A幹って奴ぁ、お坊ちゃんだねえ」

 アハハハと乾いた笑いが運転席に溢れ、陽介は言葉を飲み込みミラーの中のアマンダを睨む。

 アマンダはすぐに笑いを収め、2本目の煙草に火をつけながら言った。

「なら、アンタはどうなんだ? 命の遣り取りしておマンマ食べてんじゃねえか。所詮アタシらは『人殺し』だ。合法的な殺人集団なんだよ」

 不服そうな陽介の表情に気付いたのだろう、アマンダはルームミラーに向かってウィンクをして見せた。

「アタシらみたいな兵隊ヤクザに、地球の平和と人類の明日を守る為、なんて奇麗事並べたって無駄だぜ? そんな屁に似たお題目、それこそ何の役にも立ちゃしねえ。アタシはアタシの事情があって、金の為にヘータイになった。そりゃあ、しんどかったし、嫌なことも多かったけど、地球で這いずり回ってる連中の何倍も多く給料くれるっつうから、辞めずにこんな宇宙の果てまでやって来た。年金が増える、役得も多いっつうから、昇進して下士官にもなった」

 一旦言葉を区切って、煙草の煙をフイッと陽介の方に吐き出すと、沈んだ声で続けた。

「それとも何か? アンタが金より素晴らしいモン、くれんのか? あの時兵員募集センターの前で立ち竦んでたアタシの事情を、アンタが解決してくれんのか? 」

「……う」

 思わず言葉に詰まり、陽介が肩から力を抜くと、アマンダもまた同じように言葉から力を抜いた。

「出来ねえんなら、この話はここで終いだ。黙ってな」

 ふう、と短い吐息を落として、アマンダは少し明るい声を出した。

「それに、助けてもらっておいて説教垂れるってのも筋違いだったわな。ま、勘弁してくれ」

 さっきの彼女の表情から、陽介は自分が地雷を踏んだ事は判っていた。

 だけど、全面的にアマンダの理屈に納得した訳ではないし、言い分だってある。

 しかし、今ここで、数時間前に知り合ったばかりの人間と、ムキになって口論する必要も必然もある訳はなく、ましてや陽介には、今しがたアマンダが見せた、暗く深い穴のような瞳に一瞬浮かんだ光が、苦しみや哀しみに耐えかねて助けを求めているようにさえ思え、それまでに時折彼女が見せた幼い微笑、宝石のように煌く美しい瞳と比べて尚のこと、彼女の言う『事情』が確かに彼女の指摘通り自分の手には負えないのだろうと考えて、ここは黙って退いておくことにした。

 一方のアマンダはと言えば、先程の会話など忘れたかのように、煙草に火を吸い付けながら話題を変えた。

「しかし、アンタは最後の便で元のカッパに目出度く復帰、なんだろ? なのに、それこそこんな時間にこんなところを、なんでちんたらワッパ転がしてんだ? ヘタすりゃ乗り遅れるぜ? 」

 そしてキョロキョロと辺りを見回しながら続けた。

「それに、方角が違わねえか? 撤収ヤードは、えと」

「いや、撤収ヤードへは向かわない」

「……ん? 」

 機密と言われていたが今更だ、仕方ないだろうと自分に言い訳して、陽介は短い溜息を零しながら、アドルフから渡された地図をポケットから出して、アマンダに差し出した。

「方面軍命令なんだ。最重要機密戦略物資の輸送中。そこにマークされてる、B地点でVTOLにピックアップされる予定なんだ」

 アマンダを助けた時点で、結局『独りで任務を遂行』することは適わなくなったのだから。

「だから、悪いんだが、先にB地点に付き合ってもらう。俺はそこで君の言うとおりオサラバだ。後は、自分のキャンプまでこのトレーラーを運転して帰ってくれ。こいつはどうせ、B地点で廃棄処分になる予定だったポンコツだから……」

 そこまで言って、アマンダの様子がおかしい事に気付いた。

「……どうした? あ、荷物の中身とか任務の内容とか聞くなよ? 機密だし、実は俺も知らん」

「んなんじゃねえ、少し黙ってな」

 アマンダは渡された地図から視線を離さず、暫くじっと見つめていたが、やがてぼそっと呟くように言った。

「このA地点ってなあ、なんだ? 」

「それが、後ろのコンテナが放棄されていた地点だ。俺はそこまで行ってコイツを回収して、帰路、君を拾ったって訳」

「どうもクセえな」

 独り言のように小さく呟くと、陽介のリアクションも待たずにアマンダは話し始めた。

「アンタはどうせフネから降りて、ずっとヤード勤務だったろうから知らねえだろうが、このB地点でピックアップってのはどうにも腑に落ちねえ。不自然すぎる。……なあアンタ、ここはな」

 アマンダはそこで初めて、陽介の顔を覗き込むように首を捻った。

「ミースケの定期哨戒コースのど真ん中、つまりはミースケ共の警戒監視線SSLだ」

「え? 」

 陽介は思わずアマンダの顔を見る。

「そ……、制空権は確立してるって」

 陽介の混乱ぶりを軽くスルーして、アマンダは地図の一点に指を置いた。

 ガンナー・グローブの露出した人差し指の爪が、朝陽に真珠のように煌いて、美しいと場違いな感想が、まず陽介の頭に浮かんだ。

「このB地点から東へ50km、丁度B地点を中心として撤収ヤードとの対称位置に敵の掩蔽壕がある。こいつぁ、ネズミ輸送が始まって3日目くらいに確認された、敵さんの前哨監視点OPで、その一帯が敵の本拠地、山岳地帯まで伸びる前哨線OPLになってる。奴等、ご苦労な事にワイヤードで通信ケーブルをこっちの山岳地帯の拠点にまで引いてやがってよ、要はウチらの撤収作戦の観測本部って訳だ。まあ、ウチらが減れば減るほど奴等は寿命が延びるって寸法だから、気にもなるわな」

「なんで放置してるんだ? 」

 陽介の問いに、アマンダは少しイラついた口調になるが、それでも律儀に答えを口にした。

 結構、真面目なのかも知れない。

「うるせえな、別に観測されたって構わねえじゃねえか。奴等がそれで輸送艦を襲撃できる訳でもねえし、このデリンジャーの最中じゃあ敵艦隊に通報できる訳でもねえ、洩れて困る秘密もねえんだしよ。山岳地帯に立て篭もるミースケ本隊を叩くって場合にゃあ、逆にこの位置じゃ、無視して放置プレーかましたって問題ねえ。第一、放っときゃ補給が途切れて立ち腐れだ、そんな蛸壺」

 そして再び地図に視線を落として、話を本筋に戻した。

「それにな、このA地点。……アンタ、コンテナ回収したのは、速度と距離から考えると、どうせ今から、そうだな……、11時間ほど前だろ? 」

「……その通りだ」

「撤収ヤードを出発したのは、それより更に15時間程前……、違うか? 」

「違わない」

 何が言いたい、と続けて問おうとした陽介は、アマンダの表情を見て言葉を飲み込んだ。

 一層細められたその瞳は、まるで今にも地図が発火しそうなほどに、鋭かった。

「いいこと教えてやるよ。アタシは今から24時間ほど前、ねえ……、ウチのボスに言われて『サハラ~カワサキ製58式偵察用オートバイ、民需トライアル用バイクのUNDASN仕様だ~』に跨って単身、偵察に出た。んで、21時間前、特科や施設科のボンクラ共が処理し損なったミースケの指向性対人地雷クレイモアでバイクをオシャカにされて、仕方なく歩いてるところをアンタに拾われたって訳なんだが……」

 アマンダは今度こそ明瞭にそうと判る、しかし途轍もなく凶悪な笑みを浮かべて、陽介の方を見た。

「アタシは、このA地点を22時間前に通過してるんだよ。そん時ゃ、コンテナもトレーラーも、どこにもなかった。こいつは、確かだ」

 22時間前?

 自分が命令を受領して、撤収ヤードを出発し、A地点に向かって走り始めた『4時間後』だ。

 『輸送途中、敵襲によりA地点で放棄されたコンテナを回収せよ』との命令を受けた時、そこにコンテナは『放棄』されてなかった? 

「……そんな、まさか。な、何かの勘違いじゃ」

「ナメんじゃねえ。アタシぁこれでも特Aレンジャーだぜ? レンジャーってなあ、単身敵地潜入や残地斥候も任される、だから自分自身の位置認識能力が重要なんだ。ましてやこんなデリンジャーの嵐、空バケツ(衛星の俗語)の通信支援や位置通報支援もない状態で単独偵察任務に出るんだ、命惜しさに位置確認はクドいほどやる。それにここら辺りはアタシの庭みたいなもんだ、間違える訳がねえ」

 そして、グイ、と首と右手を伸ばすと、陽介の耳をつまんで引っ張りながら、息を吹きかけるようにして囁いた。

「間違いねえ。アンタがどんな命令オーダーを頂戴したのかは知らねえが、『拾って来い』と送り出されたその時にゃあ、A地点にこんなモノはなかったんだ。アンタは一杯食わされたんだよ」

 アマンダの言葉は、彼にとって充分すぎるほど衝撃的な内容だったが、今、急に激しく打ち始めた動悸は、彼女の首筋辺りから立つ微かな甘い香りを匂ったせいだと、頭の隅で陽介は思った。

 無言のまま、ただゴクリと喉を鳴らした陽介の様子を見て、アマンダは身体を元の位置に戻し、ダッシュボードへその長い両脚をドスンと乗せた。

「……そしてアタシは、なにやらキナ臭い匂いがプンプンするヤベェ車に、なんの因果か拾われたっつぅ訳だな、これが」

 それでか、秘密保持のためだとか言ってレナードにすら地図を見せなかった意味は。

 彼ならB地点付近の制空権が確立されていないと一目見て判る筈、だからこその『秘密保持』という言い訳。

 いったい、あのアドルフとかいう情報部の人間の狙いは何なのか? 

 自分を~そしてこの偶然拾ったアマンダを~どうするつもりなのか? 

 それよりも、今自分が引っ張って走っているコンテナは、なんだ? 

 混乱する陽介の胸のうちを知ってか知らずか、アマンダはまるで他人事のように欠伸をしながら言った。

「ふぁあぁ……。いったいアンタ、何やらかしたんだぁ? こんな物騒なモン押し付けられてよ? 」

 そして思い出したように、掌を上に向けて陽介の顔の前に差し出した。

「? 」

 陽介の物問いたげな視線に、アマンダはボソ、と言った。

「吸わねえんなら、返せ。煙草」

「吸うよ! 」

 ヤケになって陽介はシガーライターを抜き取り、スパスパと吸い付けた。

 咽るか咳き込むか、と思っていたが、思いの外すんなりと煙が肺に吸い込まれていく。

「……案外、旨いもんだな」

 そう呟くと、アマンダがアハハハ、と陽気に笑った。

「餓鬼かよ、初めてのヤニだったか? 」

 アマンダの瞳から、さっき彼を竦み上がらせた猛獣のような鋭さが完全に消え失せ、キラキラと子供のような眩しい視線になっているのを見て、陽介はボンヤリ思った。

 この黒豹のようにしなやかで鋭いナイフのような女性はけれど、こんな風に柔らかい光を湛えた瞳の方が似合っているな。


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