1. 苛立ちと幸福

第2話 1-1.


「休日に仕事なんかするもんじゃねえなぁ」

 女性にしては低めのハスキーな声で、ボソリと囁くように呟いた言葉が、大都会の雑踏の中、まさか周囲の見知らぬ人々に届いたわけではない。

 けれど、周囲の人々からの視線を一身に浴びて、呟きの主、アマンダはJR川崎駅のホームの真ん中で立ち尽くしていた。

 着古した革のハーフコートのポケットに両手を突っ込み、長く美しい脚を七三に構えて立つ姿は、まるでファッション雑誌の1ページを切り取ったかのようにサマになっていたし、180cmを越える上背、緩やかなウェーブを描く艶やかで豊かな腰まで届く黒髪、端整すぎて怜悧ささえ感じさせる美しい顔立ち、そしてこの国では嫌でも目立つ、褐色の肌はけれど、丹念に鞣された革製品のように肌理細やかだ。

 そんな彼女に注がれる視線は、賞賛や羨望と言った類のものが殆どではあったけれど、しかし本来誇らしげであっても良い筈のアマンダはまるで、嵐が過ぎ去るのをじっと耐えて待つかのように、厳しい表情を浮かべて立ち竦んでいるばかりだった。

 普段から鋭いと知人には指摘されている視線は、今は固く閉じられた瞼に隠され、時折開かれても切れ長の目はそんな普段の迫力も感じられず、ただ、虚空を苛立たしげに彷徨う。

 けっして、自己顕示欲が強い訳でもなく、パニック症候群と言う訳でもない。

 ただ、他人から向けられる視線が、その意味するところが何であれ、アマンダは怖くて仕方がないのだ。

 小学生の頃の話だ。

 トラウマ持ちなんざ我ながら意気地のない話だと呆れながらも、やっぱりそれに勝てないのは、それがトラウマだからだろう。

 建前も何もない、混じり気なしの純粋な残酷さが、何のカモフラージュをすることもなく剥き出しのままで叩き付ける子供達の視線は、その残酷さに『子供らしい純粋な好奇心』というブースターをつけて、更に情容赦なくアマンダに照準を合わせてきたものだ。

 自分に向けられた何十という視線、そこに籠められた『けっして好意とは呼べない意思』に、やはり剥き出しだった彼女の心はズタズタに引き裂かれ、その痛みの記憶が今も鮮烈に甦って、だから怖くて怖くて、堪らない。

 ホームに鳴り響く発車ベルが、アマンダの意識を現実に引き戻した。

 人々を詰め込んだ東海道線快速のドアが、アマンダに『あれ? 乗らないの? いいの? もう行っちゃうよ? 』とでも言うように数度バタバタと足掻き、バシュン、と閉まる。

 冷たい空気を掻き回した挙句、彼女の頬に投げつけて走り去った『乗るつもりだった』車体にガンをくれてやり、アマンダは再び瞼を閉じた。

 横浜の事務所へ帰らねばならなかったのだが、アマンダには、今日はどうにも横浜が遠く感じられてならなかった。


 やっぱり日曜なんざ、働くモンじゃねえ……。

 何度目かの愚痴を、心の中で呟く。

 休日ダイヤで運転本数が少ない時間帯、15分後に漸く入線してきた東海道線快速は混雑を覚悟していたのだが、乗り損ねた1本目よりも空いている様に思えて、少しだけ気持ちが軽くなって乗ったはいいものの、それがどうやら京浜東北線の乗り継ぎ待ちだったらしく、向かいのホームにそれが入線した途端、ドヤドヤと笑顔で乗り込んできた行楽帰りらしき人の群れでさっき見送った列車以上の満員になってしまい、アマンダの憂鬱は一層降り積もることになった。

 反対側のドアまで押され、アマンダは已む無くガラスに背中を預け、なんとなく周囲を見渡した。

 とうに陽は暮れて、LED照明の灯りに満たされた車内、人々は誰も、疲れた表情を見せながらも会話を楽しんでいるように思えた。

 1月下旬から愚図つき気味だった天気も昨日から回復し、今日は久々の日本晴れの日曜日、しかも2月初旬にしては驚異的に暖かい4月上旬並みの最高気温を朝から記録したとあれば、家族連れやカップルは勿論、そうでない連中でさえ、浮かれてアウトドアへ躍り出てくるのも仕方がないことだろう。

 長い間、地球を遠く離れて異星の空の下戦ってきたアマンダには、地球が周回しているこの太陽の光とその暖かさを懐かしむ人々の気持ちはよく理解できたし、だからこそ、休日知らずの激務~11月下旬から今日まで、民間物流の止まる年末年始3日間を除き、休んだ覚えがない~をこなす自分の『身の不幸』と一般市民達とを引き比べ、やっかむ気持ちは少しもなく、また、羨む気持ちもあまり、ない。

 いや、『今はない』と言い直したほうがいいのだろう。

 昨年の晩夏頃までなら、暢気そうに笑い語り合う人々の姿はアマンダの苛立ちを募らせ、彼女の心は下車するまでに、まるでヤスリで擦られた様に見事なサテン仕上げになっていただろう。

 無自覚ながらも、彼等がアマンダへ刃を向ける凶器の正体、情け容赦なく酷い仕打ちを彼等にさせる『何か』の正体は、あの頃は、はっきりとは判らなかった。

 判らなかったけれど、その『何か』は、自分には一生縁がないことだけは、確かに理解できたから。

 そしてその『何か』を持っているのだろう彼等を、猛烈に嫉み、羨み、そして縁のない自分自身を哀れんでいる、そんな情けない想いを捨てられない自分が堪らなく嫌いだったから。

 だから、苛立つのだ。

 そして、苛立つ自分に、いつもこう言って、宥め賺すのだ。

 まあ、いいさ。

 今更後悔しても始まらないし、しても始まらぬ後悔なんぞ、10年以上も前に済ませてあるんだ。

 いつまでも、餓鬼じゃねえんだ、アタシは。

 いや、餓鬼のままではいられないんだ。

 大人だと思っていた自分が、未だ餓鬼のままだった、と気付いたときの、死にたくなるような無力感、生きてきた事の意味すら一瞬で奪い去られたような、果てしない徒労感。

 そして、そんな自分に気付きもせずに、イキがって、お気楽に生きてきた後悔、それこそが、未だ済ませることが出来ていなかった。

 だが、今は違う、少なくとも。

 彼等の浮かべている笑顔、その根源にある『何か』の正体を知ったから。

 自分も今は、彼等の持っている『何か』と同じ~同じ筈だ、例え違うとしても、『幸せ』にひとそれぞれの形があるのと同じ程度の差しかないだろう~『何か』を、手に入れたのだから。

 思わず頬が緩む。

 そして、そんな自分を見っとも無いと思いながらも、それを自分は確かに手に入れたのだと確信できるこの瞬間が、思わず涙ぐんでしまいそうになるほど、愛惜しい。

 あの、砂嵐吹き荒れる静謐の地獄で知ってしまった『幸せ』、本当に欲しかった『宝物』は、已む無く手放してしまったけれど、別れの朝、『その宝物』は教えてくれた。

 『大人になれ』と。

 金でもない、腕力でもない。

 ただ、独りでも歩いていける力をつけろ、と。

 その上で、金でもない、腕力でもない、なにかと寄り添って歩いて往ける『幸せ』があるということを知れ、と。

 矛盾しているようにも思えて、その時は素直に納得できなかったけれど。

 ただ悲しみのあまり、なにを言われても納得なんかするもんか、そんな、それこそ『餓鬼っぽい』精神状態のせいだったのかも知れないけれど。

 数年後、地球に戻って、漸く判った。

 初めて『あの子達』を見たとき、これだ、と思った。

 本当に欲しかった宝物は手放してしまったけれど、これがあれば、これさえ手放さずにいられれば、自分にも幸せが感じられるのだ、と。

 そして初めて、周囲の人々の持っている『何か』が理解でき、そして、漸く笑えるようになった。

 彼等もまた、それぞれが『あの子達』を胸に抱いているのだ、と。

 『あの子達』と触れ合えるのはけれど、夏の間、たった2週間足らず。

 だから最初は、残りの50週が随分辛く感じられたものだ。

 知らなければ良かった、そう思う。

 知ってしまったから、余計に不幸が際立った。

 本当に欲しかった『宝物』に較べれば『あの子達』は、所詮、代わりでしかないのか。

 だけど翌年、やっぱり『あの子達』に会いたくて逢いたくて堪らず、休暇を取って駆けつけた自分を、あの子達が無言で優しく包んでくれた刹那、たった2週間でも構わない、真剣にそう思い、泣いた。

 これでもアタシには、過ぎた幸せなのだ、と。

 だってアタシは、こんなにも笑顔でいられるじゃないか。

 たった2週間だけど、アタシにとっては1年分、まとめて笑えるじゃないか。

 思い出せ。

 一生、陽の射さない夜の底、腐った泥の中を這い蹲りのた打ち回り、ゆっくりと臓物まで腐っていくような、これまでの人生を。

 そんな人生を生きてきた自分のような人間に、『あの子達』はどれほどの喜びを、幸せを、明日の光を、くれたのだろう。

 これで満足しなければ、それこそ贅沢というものだ。

 そう、自分を納得させてきた。

 けれど。

 突然訪れた、彼との再会が。

 『本当に欲しかった宝物』との再会が。 

 自覚させたのだ。

 自覚させられたのだ。

 自分は未だ、渇き、餓え、のた打ち回っていたことを。

 駄目だ。

 どんどん深みにはまっていく。

 思い出したくもない汚れた過去を、わざわざ埃を払って引き摺り出した上で比較し満足していたそれまでとは確実に違う、『本当の宝物』と寄り添う暮らしに、アタシはもう、タチの悪いドラッグに溺れたジャンキーみたいに、メロメロだ。

 判っているのだ。

 ここはまだ、せいぜい仄明るい夕闇の世界で、未だ陽光溢れる昼間の世界には程遠い。

 どう頑張ったって、せいぜい夜の底から夕闇に這い出ただけだと、判っていてさえ。

 所詮は一場の夢にしか過ぎないと、判っていてさえ。

 いつか再び、訪れる筈の別れはきっと、耐えられないほどの悲しみと衝撃を伴っているだろうと、判っていてさえ。

 判っているのに。

 判っているというのに。

 それでもアタシは、刹那の温かさに溺れ、自然と緩む頬を押さえられず、周囲の見知らぬ人々と同じように笑えるこの瞬間を、一生抱き締めて生きてゆける、そう思っている。

 思ってしまっている。

 それこそ、錯覚でしかない筈なのに。

 それでもアタシは、やっぱり今夜も明日も、明後日も、笑うのだろう。

 みっともなく、アホ面下げて。

 然程清浄ではないが、冷たい空気の塊が喉を通り過ぎる刹那、何故か、懐かしいミルク・ビスケットの匂いが胸に染み込んできたような気がして、アマンダの思考は現実へと引き戻された。

”……なんだ? ”

 一瞬、全ての音が消え去ったように感じられた空間に、急激に鉄輪式リニアモーター車両のインバーター音、乗客達の笑いさんざめく声、全ての音が、戻る。

 見失った現実感が、見る間に彼女の周囲をくまなく埋め尽くし、そして今度はそれが再び重苦しい圧迫を加えてきて、アマンダは窒息してしまいそうな息苦しさを覚え、思わず爪先立ちになって大きく口を開く。

「はぁ」

 思わず洩らした溜息の大きさに、さすがの彼女も頬を染めて手を口に当て、聞かれはしなかったかと周囲を窺った。

 幸い、誰も気付いてはいないようだ。

 大袈裟だが、少しだけ安心してアマンダは再び周囲を、今度はゆっくりと見渡した。

 ただでさえ頭ひとつ分背の高い彼女が爪先立ちしているのだ、22m汎用通勤型車両RE217系の車内は端から端まで見渡すことが出来る。

 乗車率110%というところか、平日早朝の『プレ通勤ラッシュ』並みの混み具合。

 だが、通勤ラッシュとは大きく違う点が、一点。

”……皆、笑ってんなあ”

 ひょっとすると、幸せというものは、人それぞれの懐かしい匂いがするものなのかも知れないなと、ふと、思う。

 アマンダにとって、ミルク・ビスケットの匂いはまさにそれだった。

 と、言うことは。

 自分は今、確かに安らぎを覚え、幸せを感じていられる日々を送れている、ということなのだろう。

 ふふん、と思わず笑いが零れる。

 あの、過酷な、地獄とも呼べるような過去に較べれば。

 確かに自分は今、幸せだ。

「うん。……幸せ、だよな」

 自分に言い聞かせるように、小さく、声に出した。


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