第51話 それぞれの思い
「どうしたんだい? そんなところに立っていないで。顔を見せて欲しいな」
聡は俯いたまま、おずおずと病室に入って来くると、「すみませんでした」と頭を下げた。
「どうして謝る?」
「だって——。おれが。菱沼さんたちを巻き込んでしまって。おれ、こんなことになるなんて、ちっとも思わなくて。怪我させました。痛い思いさせました。本当に申し訳なくて……」
菱沼は目を細めて彼を見上げた。聡の目には涙が浮かぶ。
「とりあえず座ったらいいじゃないか」
聡は小さく頷くと、藤東が座っていた丸椅子に腰を下ろした。彼は、背負っていたリュックから、古びた一冊の日記帳を取り出した。
「曾祖父の日記です。ノートと一緒に見つかりました。おれは、この日記帳の内容を菱沼さんたちに隠していました」
「内容だって?」
彼は日記帳を菱沼に手渡した。中には小林の苦悩が書かれていた。
『我々は人を救う研究をしてきたはずだった。しかし軍はそれを使い、兵器を作れと指示してきた。あんな危険な物を外に出してはいけない。だが、軍に逆らうことなどできるはずがあろうか。私は先生に相談した。先生も私の意見に賛同してくれた』
戦争が始まった頃から、空爆を受ける前日までのものだった。
『先生と相談し、小銃には制御機能を付加する。上手く使えないようにすれば、軍は活用を辞めるかも知れない。しかし、それだけでは安心できない。先生は「私に託せ」と言ってくださった。研究と制御の鍵は別にしておくのがいいと。
ああ。どうしたらいいのだ。先生や、ご家族に多大なるご迷惑をおかけすることになることは目に見えている。だが、鍵は必要だ。悪用される可能性がある反面、必要なものでもあるのだ。この小銃は諸刃の剣。使う者の思い一つにかかってくる』
菱沼はぺらぺらと紙をめくり、それから聡を見た。彼はぎゅっと目を瞑った。
「曾祖父の苦悩を知っていました。浅はかだったんです。Kノートを見つけた時、浮かれて、後先考えずに教授に見せました。すると教授はすぐ様、国に報告をしたみたいで——。あっという間にプロジェクトチームが立ち上がりました。とんとん拍子に事が進んだのです」
「そういう時が一番危ういんだよね」
「そうなんですよね。そうだったんです。おれの頭の片隅にあった、この日記の内容が日増しに、おれの良心に訴えてくるんです。けれど、おれは『使う人がしっかりしていれば大丈夫だ』と自分に言い聞かせて、開発を続けました」
聡は泣きそうな顔をしていた。右腕はギブスで固定されている。顔中が腫れあがり、聡明な顔立ちは台無しだった。
「試作品のテストをするって決まった頃、おれの心は疲弊していたんです。あちこち板挟みになっていて、辛かった。そんな時にふと思い出したんです。日記には、菱沼さんたちのことがたくさん書いてあったから……」
菱沼は更に日記をめくってみる。
『今朝も少将が怒っているようだ。少将のところから、焼き芋を盗むのは小田切に決まっている。まったく奴は探求心が旺盛すぎるきらいがある。なんでも興味を持つと、自分のものにしたいという貪欲さ。それが彼の持ち味であるが、どうにも悪い方に働くようである』
菱沼は「ふふ」と笑みを見せる。当時の小田切が思い出されたのだ。
『我が研究所に在籍している飯塚兵長。この男は人たらしで、誰とでも懇意になる。近隣農家に出かけては、家業の手伝いをする。訓練を抜け出す行動は、見過ごせないが、飯塚が持ち帰る食糧は、我が研究所にとっては有益だ。少将も見逃しているようだ。飯塚の人徳は素晴らしい。戦争下でなければ、社会では出世することであろう』
小林は研究所内の仲間のことを丁寧に観察しているようだった。一人一人についての記載内容は、かなり的を得ているものだった。
『菱沼軍曹は、私とは年も近く、研究所の中で一番信頼している男だ。彼は実直で寡黙だが、時折、愛嬌のある仕草を見せる愉快な男だ。私は彼と語り合った。戦争のこと。家族のこと。世界情勢のこと。それから……。いや。やめよう。あの研究に彼を巻き込むことはしたくはないのだ。彼には彼の人生を送って欲しいと思っている』
菱沼は聡を見た。彼は心配そうに菱沼の様子を伺っているばかりだった。日記に視線を戻す。最後の一ページだった。
『この研究が必要となる時代が来るのかもしれない。無論いい意味でだ。私はそれに賭けたい。この研究資料を、ここに秘かに残す。私の生きた証を。我が子孫の良心を信じて。
このことは誰にも明かすまい。明かしたら最後、相手に荷物を背負わせることになるからだ。私は未来を見届けることはできない。しかし、きっと。私の思いを理解してくれる部下たちがいる。生きろ。そして平和な世界を謳歌するのだ——』
最後のほうは、字が滲んでいるのか、消されているのか、不明瞭で読み解けない。菱沼は日記帳を閉じてから、静かに聡を見つめた。
「おれは情けない奴です。曾祖父の日記に登場する菱沼さんたちに、すがってしまったんです。曾祖父はあなた方に背負わせないようにしていたというのに。おれは——」
菱沼は笑みを見せ、聡の頭を撫でた。
「嬉しいよ。小林少尉は遠慮してくれたみたいだけどね。荷物が重ければ重いほど、みんなで背負ったほうがいいものだ。それが仲間というものだ」
「菱沼さん——。おれ、本当にダメですね。おれは、菱沼さんたちみたいに強く生きられない。情けなくて、ドジで、考えなしで。最低な男です」
「聡くん。強さというものは、色々な形があるものだよ」
聡はそっと視線を上げて菱沼を見返した。
「小林少尉って人は心優しくて、虫も殺せないような人だった。だから、小銃の話を知った時、とても驚いたんだ。少尉がそんな研究をするはずがないって。けれど、最初は人の病を治すために始まった研究だった、と聞いて心底ほっとしたんだ。ああ、やっぱり僕の知っている少尉だった」
——そうだ。やっぱり彼は彼だった。
「小林少尉は芯の強い人だね。悩み苦しみながらも、正しい道を歩もうとしていたじゃないか。日記を見て、僕は確信した。強いというのは、力の強さじゃないよ。聡くんは、萌咲ちゃんを助けようと必死に頑張った。それでいいじゃないか。僕たちに声をかけてくれたこと。本当に感謝しているんだ」
聡の目から涙が零れ落ちた。菱沼は聡の手を握った。
「本来ならば、あの世に逝く準備をする年頃なのに。まだまだ新しい経験が出来るんだ。ねえ、人生って面白いものだと思わないかい? 僕はスミスの気持ちがほんの少し理解できたよ。まだまだ元気で生きて、面白いことを経験してみたいからね。人生とは唯一無二だ。人それぞれ、みんなが違う人生を送るのだ」
菱沼は笑みを見せる。
「長生きしてよかったなって思ったのは、聡くん。キミという存在にも出会えたことだね。まさか小林少尉の曾孫に出会えるなんて。キミは彼にそっくりだ。将来が楽しみだね」
「菱沼さん……、そ、そんな優しいこと、言わないでくださいよ……。やっぱりおれはまだまだ……。おれは、おれは。萌咲が菱沼さんの家にいたのを見て、嫉妬して。萌咲に八つ当たりして……馬鹿みたいだ!」
号泣している聡は、菱沼のベッドに突っ伏した。菱沼は「よしよし」と彼の肩を叩く。
——本当に若いっていいもんだね。僕にだってこんな頃があったんだけどな。
「萌咲ちゃんと歩む内に、きっといい男になれるさ」
「うう……菱沼さん! おれも、菱沼さんみたいに紳士になれますか!? 萌咲を幸せにできるのでしょうか?」
「大丈夫。僕はそう信じているよ」
「菱沼さーん!」
聡はわんわん泣いた。そろそろと戻ってきた娘は、その騒動に苦笑した。
「まあ、こんなに若いお友達ができたの? そりゃ若くありたいわけね」
「友達? そうだね。僕らは友達だね」
「うう。すみません——。すみません」
聡は何度も何度も頭を下げる。菱沼と娘は顔を見合わせてから笑った。
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