第50話 若い二人
目の前にはスミスが倒れていた。彼はまるで枯れ木のように骨と皮ばかりだ。じっと黙り込んで、二人はスミスを見ていた。
「Father(父さん)……!」
ジュニアは床を這い、スミスの遺骸に縋りついた。彼は必死に父親の亡骸を揺すり続ける。スミスは裁きを受けた。本来のあるべき姿に戻ったのだ。菱沼はじっと押し黙り、彼を見つめていた。
するとすぐに、迷彩色のヘルメットをかぶった男たちが部屋になだれ込んできた。その中から藤東が姿を現す。
「菱沼さん、小田切さん。ご無事ですか」
「これのどこが無事だというのですか」
床に倒れたままの小田切はきっぱりとそう言った。藤東は「すみません」と笑う。担架を担いだ救急隊が小田切のところに駆け寄った。
「藤東さん。スミスの家、見当つけていたのでしょう? もう少し早く突入してもらいたかったね」
菱沼の言葉に、彼は満面の笑みを見せた。
「小銃の争いに素人が手を出したら危ない目に遭いますからね。ずっと傍観させていただきました。勿論、いつでも踏み込める態勢にしていましたよ」
藤東は萌咲とは反対側に回り込むと、菱沼に肩を貸した。負傷した左腕が痛んだ。
「まったく、人が悪いね。こんな高齢者に無茶させて。——それより飯塚くんたちは?」
「無事ですよ。雪の中で伸びていたので、風邪をひきそうだって言っていましたけど」
「——萌咲!」
そこに聡が姿を見せた。彼は右腕を布で釣り、口元には血が流れた跡が見て取れた。
「聡……!」
聡は足を引きずりながら、必死に萌咲の元に向かってくる。菱沼は、萌咲の背中を押した。
彼女は菱沼からそっと手を離すと、歩き出すが、ふと足を止めて困惑したように振り返った。
——いいんだよ。萌咲ちゃん。
菱沼は笑みを見せて頷いて見せる。萌咲はそれを受けて小さく頷いた。それから今度は、振り返ることなく彼の元に駆けて行った。
二人は固く抱き合う。萌咲は聡の怪我を案じるように涙を見せ、聡は彼女の無事に心底安堵したような表情を見せる
——若いっていいね。
菱沼は目を閉じた。
「ああ、疲れたね。後は若い人たちにお任せして、僕の冒険はこれで終いにしたいところだね」
藤東は「まだまだ。お元気でいていただかないと」と笑った。
「ああ、なかなかお迎えは来ないようだね……。少し眠ろうかな」
「ご安心ください。後のことは私たちが——」
藤東の言葉を最後に、菱沼は意識を手放した。
***
次に目が覚めたのは、病院のベッドだった。
「目を覚ましたわね。まったく。一体、いくつまで心配かけるのかしら」
そばの椅子に座っていた長女——
「すまないね」
差し出した手には、点滴が刺さっている。針の痛みに顔をしかめると、裕子が笑った。
「私だって若くはないの。心労が祟って、血圧が上がりっぱなしなんです。聞いたわよ。防衛省の人から。変な事件に巻き込まれたんですって? いくつになったと思っているの? その年で。もう笑うしかないわね」
菱沼には返す言葉もない。ただ苦笑いをして見せることくらいしかできなかった。
「それより。飯塚くんや小田切くんは?」
「お父さんの隣の部屋。それからまた隣の部屋。三人並んで個室に入院しているわよ。防衛省で入院費を持ってくれるんですって。飯塚さんの奥様と、小田切さんの奥様と。うんと贅沢させてもらいましょうって言っていたところよ。二人とも、デイサービスを無断で早引きしちゃって。奥さんにこってり怒られているみたい。我が家には怒ってくれる奥さんがいないんだから。私が代わりに怒るしかないわよね」
「そうだね」
——あの世に行ったら、この大冒険をあいつに話して聞かせようか。きっと驚くだろうね。
菱沼の脳裏には、亡き妻の面影が浮かぶ。
「ああ、目を覚ましましたね」
そこに藤東が顔を出した。
「ああ、この度は、いろいろと迷惑をかけてしまったようですね」
菱沼は痛みを堪えながら、からだを起こす。藤東は「そのままで」と言ったが、そうはいかない。やっとの思いでベッドの上に座ると、裕子は「私、お茶買ってくるわね」と言って席を外した。彼女の後ろ姿を見送り、藤東は笑った。
「よくできた娘さんだ。さすが菱沼さんのお子さんですね」
「あの子は妻に似たんだよ。僕はとんでもないことばかりする問題児でね」
「またまた」
藤東は裕子が座っていた丸いパイプ椅子を引き寄せると、そこに腰を下ろした。
「スミスは死亡が確認されました。今、検死に回されているところです。ジュニアはこちらで取り調べをしていますが、終わりしだいアメリカに引き渡すことになりそうです」
菱沼は息を飲んで彼を見つめる。藤東は首を横に振った。
「彼は110歳。どういう方法かはわかりませんけど、菱沼さんたちが放った弾丸、もしくは光で、彼は本来の年齢に戻ったようです。からだが耐えきれなかったんでしょう。生命を維持するには、あまりにも年を取り過ぎていた。とうの昔に、死するべき存在だった」
萌咲は小銃の力をコントロールしていた。若者に現れる暴走が起きなかったのは、その証拠だ。もしかしたら、萌咲の遺伝子には、制御する能力が組み込まれていたのかも知れない。それを持ってすれば、力を解放したり、抑えたりすることが出来るというわけだ。
今回は、萌咲の怒りがスミスを凌駕する力を放った。彼はそれに耐えきれなかったのだ。周囲にいた命を吸い取り、力に変える小銃は恐ろしい兵器だった。
このことを藤東たちが知ったら、萌咲の遺伝子が使われてしまうことは必須だ。
——この秘密は自分の中だけにしまっておくのがいい。墓場まで持っていこうじゃないか。
そんな菱沼の様子を知ってか知らずか、藤東はふと声色を変えて「この研究はお蔵入りになりそうです」と言った。
「おや。どういう風の吹き回し?」
「今回の一件を上に報告したところ、そういう決断に至ったようですよ」
藤東はそう言って、一枚の写真を取り出した。そこには、スミスの遺骸が移されていた。デイサービスで会話をしていた頃の面影は微塵も見て取れなかった。
——まるでミイラだね。
「恐ろしくなったのではないでしょうか。小銃を使用した代償がこれです。回避できる妙策でも出てくるならまだしも。絶対的に資料が足りなすぎますからね。まあ、しばらくは手を付けたいって思う御仁は現れないでしょうね」
藤東は愉快そうに笑った。
「人間は愚かな生き物だ。喉元を過ぎれば、またきっと」
「私たちは、この教訓を後世に伝える役割があります」
菱沼は藤東を見つめる。
「そうだね。それは藤東くんの役割だ。キミにはまだ時間がある」
「任せてください」
「嬉しいね。これで安心してあの世に行けそうだ」
「また。そんなことをおっしゃらないでください。言葉に窮します」
「だろうね。年寄というのはね。時々駄々をこねて、若い人たちを困らせてみたいと思うものだよ。すまないね」
「しかし、それを受けるのも我々の役割なのでしょうね。どうせ我々も、もう少しすれば、そうなるんだ。順繰りに回ってくるだけ——。そうじゃないでしょうか」
「違いないね」
——僕にも若くて輝いていた頃があった。今輝いている若者たちも、いずれは僕たちみたいに老いる。
「それが自然の摂理だからね。先が詰まったら、大変なことになるね」
「確かに。言えていますね」
二人は視線を合わせて笑い合った。すると藤東が「小林くん」と声を上げた。釣られて視線を向けると、病室の入り口に聡が立っていた。
「私は席を外します」
藤東は聡の肩を叩いて姿を消した。
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