第52話 三人はいつも一緒
「トントントン、トントントン! はい。飯塚さん。間違っていますよ。違います、違います。そうじゃなくて」
「仕方ないじゃないか。おれは苦手なんだよ。こういうの」
「またまた。いつも歌っているくせに」
小田切が、飯塚の隣で調子に合わせて自分の肩を叩く。
「うるさいね! 本当に。生意気だな。部下の癖に」
「そんな昔の話、持ち出さないでくださいよ~。もうそんな階級なんて関係ないんだから。——ね? 菱沼さん」
菱沼は苦笑しながら、右手で真桜の動きを真似た。
「はい、次は左手で~……。ああ、菱沼さんはいいですよ。右手で続けてください」
菱沼の左肩は、スミスとの戦いで使い物にならなくなった。片腕しか使えないということは、とても不便だった。調理も難しくなり、娘である裕子が頻繁に家にやってくるようになった。
音楽療法を終え、いつものように三人並んで座る。
「萌咲ちゃんと聡くんが、結婚するって話、本当ですか?」
頭の体操も兼ねた音楽療法は、高齢の三人には難儀なイベントの一つである。三人は、疲れ切って黙り込んでいたが、小田切が口火を切った。菱沼は「そうなんだよ」と答える。
「今年の夏に、結婚式を挙げるそうだよ」
「聡くん。奥手なのかと思ったら、もう結婚式ですか? 手が早いな~」
飯塚はにやにやとして見せる。
「お互いに知りすぎている仲だからね。両家共に、反対する家族もいないさ。当然のことじゃないか」
「菱沼さんも寂しくなりますね。料理しにきてくれていたんでしょう?」
「いいじゃないか。僕に費やす時間などもったいないさ。聡くんのために腕を振るってもらわないとね」
三人はそれぞれに笑い声をあげる。
「聡くんは、製薬会社に入ったって言っていましたね」
小田切の問いに、菱沼は「そうなんだ」と答える。
「動物用医薬品の開発部門に配属されたそうだ。『曾祖父は動物を兵器化する研究所にいたんです。おれは助ける側につく』って息巻いていたよ」
「頼もしいですね。萌咲ちゃんのことも任せられそうですね」
飯塚はニヤニヤとして菱沼を見ていた。
「僕はね。聡くんほど強い子はいないと思うんだよ。彼は年齢の割に幼い部分もあるかも知れないけれど。萌咲ちゃんを思う気持ちは誰にも負けない子だ。これからきっと。ものすごいことをしでかしてくれるんじゃないかって期待しているよ」
あれから、萌咲は一か月に一度は顔を見せてくれる。目的は料理ではなく、仕事で——。
今回の入院を機に、介護度が重くなった菱沼は、新しい担当者を選定する必要に迫られた。その際、娘の裕子が「萌咲ちゃんにお願いしましょう」と言いだした。菱沼は迷惑だと反対したが、スミスが抜けて、空きがあった萌咲は、その話を快く引き受けてくれたのだった。
先日、萌咲と聡が菱沼家に挨拶に来たことを思い出す。聡は転職したばかりで、落ち着かないと言っていた。二人は、時折視線を交わし、それから恥ずかしそうに目を伏せる。幼馴染という関係性から、夫婦という関係性に変わっていくには、まだ少し時間がかかりそうにも見えるが、とてもお似合いの二人であると、菱沼は思っていた。
「内助の功。萌咲ちゃんがついているんです。安泰ですね」
「菱沼さんと九九式をぶちかます萌咲ちゃん。見たかったな~」
「カッコよかったですよ」
「ちぇ。お前ばっかりいいところ取りじゃないか。おれは聡くんと寒い雪の中でおねんねしていたんだからな」
「スミス相手じゃ、仕方ないですよ。菱沼さんですら苦戦しましたもんね」
飯塚は頭を掻く。
「聡くんは結局、20式を撃てなかったのでしょう?」
小田切は新調した眼鏡を押し上げる。妻に値切られてしまい、使い勝手が悪いと文句を言われてる眼鏡である。飯塚は珍しく真面目な顔つきになって、首を横に振った。
「いいんだ。それで。確かに、聡くんがあそこでスミスを撃っていたら、圧倒的に戦況は有利だった。けど。それでいいんだよ。小田切」
「え、でも——」
菱沼も小田切の肩を叩く。
「僕たちだって、人を撃つことなんて、最初からできなかった。それに、今の時代、そんな勇気は必要ないんだ。聡くんに必要なのは、なにかを守る勇気だろう?」
「そうそう」
飯塚は腕組みをすると、得意げに頷いて見せる。
「戦争なんて、おれたちの代で終わりにしなくちゃいけないんだよ。平和はいいじゃないか」
飯塚は満面の笑みを見せた。
「あの時、聡くんが一緒にいてくれて。勇気がもてた。おれが今、ここにいられるのも、きっと彼のおかげだ。おれは聡くんに感謝しているよ。ああ、早く二人の子供を見てみたいな」
「聡くんも、最初に出会った頃より、ぐっと男前になってきましたからね。楽しみですね。それにしても、なんだか運命を感じちゃいますね。昔、師弟関係だった二人の曾孫が結婚するなんて。ロマンですね」
口々に感想を述べあう飯塚と小田切を見て、菱沼は目を細める。
「まだまだ見届けたいことがたくさんあるね。僕たちは、元気で頑張らなくちゃいけないかな?」
「そうです、そうです。みんなに迷惑をかけないように。自分のことは自分でしましょう」
「ボケないようにね。飯塚さんは、ボケたら、エロジジイになりそうだもん」
「はあ? お前のほうだろうが。小田切ぃ~。公園の君はどうした? ええ?」
「デートしていますよ。僕の憩いの時間ですから」
「きー! 悔しい! すけこまし!」
「あ! 言いましたね!!」
二人はじゃれ合うように絡まる。菱沼は「まあ、まあ、およしなさいよ」と仲裁に入った。すると真桜が「飯塚さん、お風呂ですよ」と両手を差し出した。飯塚はにやにやと笑みを浮かべる。
「あ~、真桜ちゃんの手はぷくぷくして暖かいな」
飯塚は両手で真桜の手を握りしめたかと思うと、頬にこすりつけた。
「まあ! 飯塚さん。セクハラ行為は、デイサービスの規定違反になりますよ」
「厳しいこと、言わないでくれよ~」
「飯塚さん。ダメダメ。楽しく利用するためには、規律を守らなくちゃ」
「へいへい」
飯塚はぺこぺこと頭を下げながら、真桜と一緒に浴室に歩いていく。
「厳しいことは言うけれど、真桜ちゃんは飯塚さんに甘いですよね。だから図に乗るんだ」
「まったくだね」
菱沼は目を細めてデイサービスの中を見渡した。初めて足を踏み入れた時。さすがの菱沼も緊張していた。しかし——。
『菱沼さん。お待ちしておりましたよ!』
事務手続きで自宅を来訪してくれていた萌咲が、笑顔で走ってきてくれたのだ。
『え、嘘でしょう? 菱沼軍曹——ですか?』
ソファに座っていた小田切が、眼鏡をずり上げながら言った。
飯塚は『こりゃたまげた』と言って腰を抜かした。
三人で座っていると、なにかと声をかけてきたスミスは、もうここにはいない。
——時間は待ったなしだね。スミス。もう少ししたら、僕もそっちに行く日が来るだろう。その時は、もう少し腰を据えて話ができるといいものだね。
「お風呂終わった方からおやつにしますよ~! 今日はみんなが大好き、きんつばなんですから!」
真桜のおおらかな性格は、利用者たちの癒しになりつつある。菱沼は「ほらほら。早くしないと、キミたちの分まで僕がきんつばもらってしまうよ」と言いながら腰を上げた。
「え、そんな食いしん坊でしたっけ?」
「小田切くんの真似をしてみただけさ」
「また!」
二人は笑みを交わしながら歩き出す。
今日もニコニコデイサービスには、高齢者たちの笑い声が絶えなかった。
了
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