第48話 すれ違う思い


 スミスはその碧眼を曇らせて、菱沼を見つめていた。


「小銃を握っていた時に、ドクター斑目の血がかかった。僕の遺伝子に、老化のスピードが緩やかになるメモリーが書き加えられた」


「不老不死になり損ねた?」


「そうだ。研究は発展途上だったのだろう。当時、これらの技術は粗削りで、完成形には程遠いレベルのものだった」


 聡は日本国の力を借り、最新の技術を加えて、この九九式小銃を開発した。それに比べたら、スミスはなんの後ろ盾もなく、孤独の中、一人でこの研究を成し得たのだ。


 ものすごい執念である——と菱沼は思った。


「ドクター斑目は誤認していた。自分が死ねば全てが終わると思っていたのだろう。僕もそうだ。知っていたのは、仕掛けを作ったミスター小林のみ。ドクター斑目が僕から逃げ回っていたのは、その研究内容を隠蔽したがっているからだと思っていたんだ。しかし——」


 スミスは一息吐いてから続けた。


「それに気がついたのは、十年も経った頃だった。僕のからだは、周囲の人間と比べると、老化のスピードが鈍化していた。そこで初めて、ドクター斑目の血が『鍵』だったということに気がついた。だがしかし遅かった。斑目はもうこの世にはいない。彼の子孫を探して歩いたが、どうしても見つからなかったのだ」


 斑目は家族と離れ、孤独の内に死んだ。彼は、自分が抱え込んだ事の重大性を認識していた。そして、スミスにそれを渡さぬようにと自死したということだ。


 スミスがその血を浴びたことは誤算だったが。彼はその時にできる精一杯を果たした、ということなのだろう。


「僕はねえ。ミスター菱沼。実年齢で言えば、今年110歳になる。おかしな話だろう? ドクター斑目の血は僕にたくさんの時間を与えてくれた。しかし——。それでもなお、老化は止まらない。ゆっくりとは言え、僕の目の前には着実に死が横たわる。僕はどうあがいても、死にたどり着いてしまうのだよ」


「他の誰よりも時間を有意義に使うという気持ちにはならなかったのかい? キミの一生はこの研究に費やされてしまったのだろう?」


「僕にとったら、この研究こそが有意義」


「そうだろうか。そこに倒れている仲間は、キミの息子さんだろうか」


 菱沼は床に倒れ込んでいるジュニアに視線を遣る。スミスは「そうだ」と言った。


「彼の人生はどうだったんだろうね。キミのその自己満足的な欲望に支配されて、彼の人生には自由があったのだろうか」


 スミスは「ふん」と鼻で笑った。


「どこまでもお人よしなんだね。ミスター菱沼。ジュニアは僕と同じ理想を追っていた。彼の人生は、彼の選択の上に成り立っているんだ。無用な心配だよ」


「そうかい。では問おう。キミはその、人よりも遥かに長く歩んできた人生。幸せだったか? 僕はね、キミが寂しそうに見えるんだ。キミはキミの大事な人たちを見送る役ばかり担ってきたんじゃないかな。置いてきぼりは寂しいものだよ」


 スミスは、言葉を返すことができないようだった。唇が震えていた。何かを言わんとしていることはわかる。しかし。彼は言葉を紡ぐことができなかった。


 菱沼の投げかけた言葉は図星なのかも知れない。彼の瞳は憂いを帯び、ただ菱沼を見返すばかりだった。


「不老不死は過程だ。目的ではない。キミは一体、どこに向かって歩いているの? 


 スミスの顔色はまるで死人のように青白い。


「僕は……」


 彼は何かを振り払うように首を横に振った。


「関係ないだろ。ミスター菱沼。キミに話しても仕方がないことだ」


 スミスは静かにそう言った。今までの彼ではない。菱沼との対話で、彼の中の覚悟が決まったのだろうか。スミスは小銃を構え直した。


「——そんなことよりも」と、スミスはくつくつと笑った。


「こんなお喋りをしていていいのかい? 僕に時間は関係ない。けれど。キミはどうなのかな? 僕は若い頃のキミとやり合いたい。高齢者に戻られたら困るんだな」


 菱沼は、はったとした。それから、小銃を構える。互いの銃口が互いを狙っていた。


「ジュニアを生かしてくれて感謝するよ。しかし、僕はそう甘くはないんだ」


 スミスの銃口は菱沼の心臓を狙っている。戦場ではその甘さが命取りになる、と上官から指導されたことを思い出す。


 菱沼は首を横に振ると、小銃を構え直しスミスの眉間に照準を合わせた。


「いいぞ。僕はね。ミスター菱沼。キミと命のやり取りをしたかった。キミと昔、ほんの一時、言葉を交わしたあの時。僕は何故だかすごく楽しかった。そして、今もだ。僕はキミと対話したい。生きている心地がするよ」


「楽しかった……?」


 菱沼は眉間に皺を寄せる。スミスと対話をして、楽しかったことなど一度もない。


「僕の中には、ずっとキミがいたよ。キミはミスター小林が信頼していた人間。死などというくだらないものを尊重する研究者。ああ、とっても人間くさくて、愚かで、愛着を持った。キミと話をすると退屈しないんだ。この長い長い時間の相棒として、僕はキミを選びたい」


「悪いね。スミス。僕はキミのことなど、すっかり忘れていたようだよ。それに、そんなに長い時間。キミの相手をするのはごめんだね」


 菱沼の答えに、スミスは眉を吊り上げた。


「ふん。そうかい。せっかくキミにも、永遠の命を与えてやろうと思っていたのに。僕を否定するんだね。なら自分を死に追いやった僕を、しっかりと目に焼きつけて、あの世に行くがいい!」


 二人は同時に引き金を引いた。狙いは正確だった。菱沼の銃弾は、スミスに当たるはずだったのだ。


 だがしかし——。菱沼の軸はぐらついた。はっとして視線を遣ると、小田切に倒されたはずのジュニアが、菱沼の足首を握り、にやりと笑みを見せたのだ。


 ——しまった!


 菱沼の弾丸は、大きく軌道を逸れ、スミスの横にあった花瓶を破壊した。スミスの弾丸もまた、対象である菱沼が揺らいだおかげで急所を外したものの、菱沼の左肩に確実に命中した。その衝撃で、菱沼は後方に吹き飛ばされた。


「菱沼さん!!」


 萌咲の声が遠くで聞こえる。吹き飛ばされたところに、ソファがあって助かった。


 しかし——。左肩には激痛が走り、到底動かすことはできないようだ。


 ——骨が折れたな。


 しかもそこで時間制限がやってくる。菱沼のからだは、たちまち高齢者の姿に戻り、膝や腰にも激痛が走った。


「なんとも情けなく、みすぼらしい姿——。これが老い。老いていく者ほど、みっともないものはないものだね」


 スミスは薄い唇を歪ませながら、菱沼の目の前に立つ。それから、M1ガーランドを構えたかと思うと、菱沼に照準を合わせた。


「終わりだね。あの世で待っているミスター小林とドクター斑目によろしく、と伝えてくれたまえ」


 スミスの目にはなんの感情も見て取れなかった。それは闇。ぽっかりと空いた闇だったのだ。







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