第47話 倒れ行く友たち


 小田切の危機に、菱沼は両手で小銃を握った。ジュニアの人差し指が引き金を引く。それと同時に菱沼も引き金を引いた。


 カキン!


 ジュニアの銃弾は、菱沼のそれに弾かれて窓ガラスを割った。


「なに!? 隠れていやがったのか!」


 ジュニアは入り口に立つ菱沼めがけて銃弾を放った。菱沼は廊下に身を隠す。


「隠れていたというより、今やっと追いついたんだけどね」


 ふふと笑みを浮かべ、菱沼が視線を上げると、廊下に掛かっている鏡に映る小田切が、萌咲をチェストの影に押しやるのが見えた。


 ——萌咲ちゃんが安全なら、遠慮する必要はないね。


「小田切!」


 菱沼の声にかく乱されたジュニアは、菱沼か、小田切か。銃口が揺れ、視線があちこちに行っているようだった。その隙が彼の命取り。


 ぱっと立ち上がった小田切は、ジュニアの真正面で小銃を構えた。


「なんだ……と?」


「正々堂々としろって言っただろう? 勝つのは僕だ——」


 小田切はそう言い放つと、引き金を引いた。


 パアンと何かが弾けた音。ジュニアと小田切は動かない。しばしの静寂の後、倒れたのはジュニアだった。それから、少々の間をおいて、小田切が床に座り込んだ。


「小田切!」


 菱沼が駆け寄ると、小田切はいつもの姿に戻っていた。制限時間が過ぎたのだ。彼は腰を抜かしたようだ。


「あいたたたた……。時間です。僕はもう駄目だ。かなり無茶しすぎましたね」


「よくやった。小田切」


 菱沼は倒れたジュニアに視線を向ける。彼もまた、時間の制約に囚われていたのだろう。そこに倒れていたのは、まるでか細い、骨と皮ばかりの高齢者だった。


 ——彼は一体。スミスのなんなんだ?


 肋骨が折れているようだ。口から泡を吹いているものの、息はしているようだ。命は助かる。菱沼はそう判断し、それから萌咲のところに駆け寄った。


 萌咲は腰高のチェストの影でぶるぶると震えていた。


「萌咲ちゃん!」


「ひ、菱沼さん……。怖かった。怖かったんです——」


「ああ、とても恐ろしかっただろうね。萌咲ちゃん……」


 萌咲は震える指先で、菱沼の腕を掴んだ。それから、涙をぽろぽろとこぼす。萌咲の頬は、赤く腫れあがっていた。


「これは、一体。私、どうして……。斑目って呼ばれました。曾祖父の苗字なんて、私。聞いたことありません」


「そうだね。いいんだ。キミは。もうこんな思いをしなくて済む。嫌なことは忘れなくちゃ……」


 菱沼が萌咲の頭を撫でた時——。金属音が響いた。


「軍曹!」


 小田切の姿が揺らぎ、それから彼の声が室内に響いた。菱沼が弾かれたように顔を上げると、まるで二人をかばうように、小田切のからだが床に倒れ込んだ。


「小田切!」


 菱沼は床に落ち込んだ彼を見下ろす。小田切の眼鏡は割れ、あたりにレンズが散らばっていた。


「そうだ。こんな茶番は今晩限りで終わりだよ。ミスター菱沼」


 菱沼は、はったとして顔を上げる。そこには、菱沼の家を襲撃した若い男が立っていた。


「スミス——。キミなのかい?」


「軍曹……。逃げてください。萌咲ちゃんを連れて、ここは僕が——」


 小田切の声は途切れ途切れだった。防弾チョッキを着ていたとは言え、高齢者の姿で、スミスの弾丸を受けたのだ。どこか骨折しているのかも知れない。内臓に損傷が起きているのかも知れない。


「小田切。もう話すな。黙っているんだ。——萌咲ちゃん。小田切を頼みます」


 菱沼は彼から視線を外さずに、萌咲に小田切を預ける。萌咲は力いっぱいに頷くと、小田切のからだを引っ張り、チェストの影に身を潜めた。


 ——彼がここにいるということは。飯塚たちは?


 スミスはまるで菱沼の心を読むかの如く、「ああ」と視線を玄関に向けた。


「部下たちの心配かい? 二人とも、雪の中でおねんねしてもらっているよ。僕は殺人鬼ではない。今は戦争の世の中でもない。命までは取りはしないさ」


「……部下ではないよ。友だ」


 菱沼はギリギリと奥歯を噛みしめる。


 飯塚。

 聡。

 そして小田切——。


 彼の脳裏には、倒れた友の姿が浮かび上がる。込み上げる憤怒の念を振り払うように、スミスをじっと見据えていると、ふとおかしなことに気がついた。 


 ——彼は飯塚たちと戦ったはずだ。時間は? 時間の制限があるはずだ……。


 若い姿のスミスは高らかに笑った。


「時間かい? そうだね。キミの時間はもう幾何いくばくもないようだね。けれど僕は違う——。僕はね。そこのミス斑目の血をいただいたんだ。僕にはもう、そんな下らない制限など効かないのだよ」


 ——なんだって!?


 スミスはうっとりとしたような表情で自分の手を見つめた。


「ほら、見たまえ。僕のからだを。若かりし頃のまま。永久に保たれるこのからだを——」


「自然の摂理を捻じ曲げてなんになる。死は悪いことではない」


「死こそ悪。死は全てを無に帰する。今まで生きていた意味は? 理由は? どんなに優れた偉人とて、勇猛果敢な戦士とて、死には敵わない。死することで、全てが無になる。その存在の意味は、一瞬で消え去るのだ——」


「そんなことはない。僕たちは、僕たちの生きた証を子孫につないでいく。それだけの話だ」


「そんなものは、凡庸な者たちがやればいい。僕は違う。みんなとは違うのだ。そうだ。僕は優秀だ。人類にとって、必要不可欠な男なのだ。僕を失うということは人類にとって、多大なる損失を抱えるということなのだぞ!」


 スミスは両手を広げて笑った。


 ——ああ、そうだ。この場面。思い出した。昔、彼と会った時も、そう言っていたじゃないか。


 あまりにも不快で、気味が悪い男だった。当時の彼は、菱沼よりもずっと年上だった。まるで作られた笑顔を貼り付けたようなその顔は、なんだか亡霊のようにも見えた。


 小林家に焼香に訪れた際、菱沼はスミスと会話した。あの時も同じ気持ちだった。彼の主張することには、とても賛同できなかった。


 初対面だというのに、菱沼は彼を否定した。二人は、そう長くはない時間であったが、議論を重ねた。しかし、二人の主張に交わりはなく平行線だった。無意味とも思える時間だったのだ。


 菱沼はその不愉快な出来事を、どこかに封印してきたようだった。人間とは、忘却の生き物。長く生きれば生きるほど、辛いことや悲しいことを背負う機会が増えていく。その全てを抱えてしまったら。きっと押し潰されて、生きていけなくなってしまうだろう。


 認知症という症状が生まれたのは、きっと神様が与えてくれたご褒美だ。負の感情や辛い過去を忘れ、幸福のままに生きていけるようにしてくれているに違いない——。菱沼はそう思っていた。


「ドクター斑目もそう言った。不老不死など、なんの意味もないことだと」


「斑目を殺したのはお前か?」


「殺してなどいない。あの男はまるで僕を嘲笑うかのように、こめかみを撃ち抜いて死んだのだ。なんということだ。彼は最後の最後まで、僕を研究者として、自分の後継者として、認めなかった!」


 スミスは怒りの炎を宿した鋭い視線を菱沼に向ける。


「僕は優秀だ! ミスター小林よりも優秀なんだ。なぜだ。なぜ、皆がミスター小林を愛する。僕のほうがいいに決まっているんだぞ? キミだって、あの時。僕と会話をして楽しかったはずだ!」


 ——まるで言っていることが滅茶苦茶だな。


 菱沼は思わず口元が緩んだ。スミスが激昂するほど、自分は不思議と冷静になった。過去と今とを行き来する記憶に意識が向く。


『永遠の命が欲しくはないか?』


 あの時のスミスを思い出し、菱沼は「キミはもしかしたら、年を取る速度が遅いのかい?」と尋ねた。スミスは忌々しそうに表情を歪めた。


「そうだ。僕は、周りの人間とは時間の進み具合が違っているのだ」


「寂しくないかい?」


 菱沼の唐突な問いに、スミスは口ごもった。


「な、なにをバカな。僕は違う。みんなとは違う特別な存在——」


 ——ああ、そうか。キミは寂しかったんだね……。


 菱沼はスミスをじっと見つめ続けていた。







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