第44話 雪上の決戦
聡は鼠色のスーツに着替え、大きな黒縁の眼鏡をかけていた。
「ちょっと野暮ったい市役所職員だ」と飯塚には茶化されたが、緊急事態だったのだ。致し方ない。隣の家の女性はこれで騙せたのだ。スミスも大丈夫だろう、と聡は言った。
「まず、小林飯塚ペアが正面玄関に回る」
菱沼はそう言った。
「スミスを玄関にひきつけている間、僕と小田切は裏口に回り、屋外ブレーカーを遮断して停電を起こす」
「暗視スコープも拝借してあります。これをつければ、暗闇の中でも行動できます」
聡の説明に菱沼は頷いた。
「僕たちが10分の制約があるのと同時に、彼らにもその制約が課せられる。幸いなことに、あちらは二人だ。こちらは時間差で行こう。裏は小田切が先行だ。多少のズレはあったとしても、最後に僕が力を解放すれば、奴らが老いた状態にあれば、一人でも戦えるだろう」
聡はスミス邸の簡単な見取り図を指さす。
「おれが市役所職員のふりをして、スミスを玄関に呼びます。おれたちが話している間に、飯塚さんは、ここの木の影からスミスを狙い撃ちしてください」
「はいよ。楽勝だね」
「おれのこと撃たないでくださいね」
「見くびるなよ。腕だけはいいんだぜ?」
飯塚は先ほどの作戦会議の内容を思い出しながら、スミス邸の庭に植えられている
——大丈夫だ。軍曹の作戦は、いつも間違いがないんだ。
飯塚は頷いて見せる。聡は咳払いをしてから、玄関に視線を戻した。
——へへ。早く出てこいよ。子猫ちゃん。
「今、聡くんが玄関に待機しました」
聡の後ろ姿と玄関の扉を注視しながら、飯塚は腰を下ろすと、インカム越しに現状を報告する。「了解」と菱沼の声が聞えた。
「こちらも予定通り。裏口に待機。作戦開始する——。ここからは通信は控える。健闘を祈る。飯塚——頼んだぞ」
「もちろんです。ご期待に応えてみせましょう」
飯塚は口元を緩めると、インカムの通信を切った。
飯塚は片膝をついた状態で杖を構える。扉が開いたら、スミスが顔を出すはずだ。聡と立ち話をしている彼を狙うのが飯塚の任務だった。
一分一秒でも無駄にはできない。一発で仕留められなかった場合、先に力を解放したほうが不利だ。そのタイミングが勝敗を分かつ。そう理解していた。
——不意打ちとは卑怯だが。まあ、そんなもんだろうな。
そんなことを考えていると、真っ白い塗装が施された玄関の扉が開いた。聡の肩が緊張するのがわかる。直後——キーンという音が耳を
「!?」
飯塚は慌てて小銃に意識を向けて、姿を変える。玄関先に立っていたスミスは、すっかり若かりし頃の姿を取り、M1ガーランドを構えている。玄関を開けたのと同時に聡を撃ったのだ。
——なんて奴! おれたちの奇襲はバレバレだってことだな。
「出てこい! ミスター飯塚。キミが隠れていることはわかっているぞ。いくらミスター小林の曾孫とは言え。こんな素人を当て馬にするなど。卑怯じゃないか」
——クソ。聡くん……!
聡は雪だまりに倒れ込んだまま微動だにしない。すぐにでも駆けつけたい気持ちを抑え、飯塚は口で呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着ける。
——大丈夫だ。大丈夫。あっちのほうが先に変身したんだ。こっちが有利だ。落ち着け、落ち着け……おれ!
スミスは堂々たる姿で、そこに立っている。
「さっさとしろ! 飯塚」
「今度は打ち負かす。今度は打ち負かす——!」
飯塚はスミスに照準を合わせ、それから引き金に指をかけた。相手は手練れ。外したら最後、自分の居場所がわかってしまう。飯塚は外した時のシミレーションを頭の中で繰り返しながら、「よし」と息を飲んで、引き金を引いた。
弾丸は確実にスミスを狙っていた。しかし——。この雪である。風と湿度が、飯塚の計算を若干狂わせた。
飯塚の放った弾丸は、スミスの肩を掠めて玄関の扉に被弾した。
「この雪では、さすがのキミも形無しだな」
スミスはすぐさまM1ガーランドを構えると、飯塚の場所を狙って弾丸を発射した。特有の金属音が静まり返った白銀の世界に響き渡る。
飯塚は左手の草むらに頭から飛び込む。転がりながら、ボルトを引き排莢を行うと、すぐさま二発目を打ち込む。
九九式は排莢作業が必要で、そのロスがネックになる。連合国——とくにアメリカが使用したM1ガーランドのような自動小銃には敵わない。
スミスはまるで、子どもが無邪気におもちゃの鉄砲でも撃つかのように、飯塚めがけて、無造作に引き金を引いていく。
「あははは! まったくもって、無様な姿だね! キミたちの小銃は、当時ですら時代遅れの代物だ。我が国が誇るこの小銃の前では形無しだ。そんなに一発が大事かい? ああ、もったいぶっても、なにもいいことがないだろう? 小銃とはこうして撃ちまくるものだ! 逃げろ。逃げろ。そのうちタイムリミットが来るぞ!」
スミスは高らかに笑った。飯塚はとある場所でピタリを動きを止め、すっくと立ちあがった。スミスの目には、飯塚の姿がまるっきり見えたことだろう。
「なんだい? 諦めがついたかな?」
「スミス——。お前はスミスだろう?」
「そうだよ。僕はサイラス・スミス。ニコニコデイサービスでは世話になったね」
「あのデイサービスの駐車場で、おれの妨害をしてきたのは、お前か」
「ああ、あれかい。キミの弾は単純だ。どこを狙っているのか。丸わかりだったよ」
飯塚は頭に血が上る。
『いいかい。飯塚兵長の悪いクセは、感情的だということだ』
遥か昔。狙撃訓練の際、上官である菱沼に言われた言葉だ。昔からそうだった。かっとなると、周囲が見えなくなる。子どもの頃から、喧嘩ばかりしてきたのはその為だ。しかし——。菱沼と出会い、自分のことを押さえる訓練をさせられた。
『感情に飲み込まれたら。戦場では生き残れない。やけを起こすんじゃない。怒りを制御して、力に変えるんだ』
——そうだ。奴はおれの気持ちを乱そうとしているだけだ。飲み込まれるな。おれは、菱沼軍曹の懐刀なんだから。
飯塚はスミスから照準を外さない。じっと構えたまま彼を睨みつけた。
「おやおや。キミらしくないじゃないか。撃ってきたらどうだい? 頭にきているんだろう?」
「——別に。細かいことは気にしない質でね。それより、萌咲ちゃんはここにいるのかい?」
「そうだと言ったらどうするんだい?」
「だったら、痛い目に遭ってもらうだけさ。——ねえ、聡くん!」
飯塚の声に、はったとしたスミスは、聡が倒れていた場所に視線を遣った。そこに聡の姿はない。
「一体、どこに——」
スミスが視線を巡らせた瞬間。隙ができる。飯塚は、スミスめがけて引き金を引いた。飯塚の弾丸は、スミスの右腕に当たり、M1ガーランドが弾け飛んだ。
「ち、しまった」
それは空を切り、聡の足元に落ち込んだ。聡はお腹を押さえながら、痛みを堪えるように、そこに立っていた。
「あの至近距離で撃たれたというのに——なぜ?」
スミスは忌々しそうに聡をにらみつける。
「いたたた……。こんなこともあるかもって、菱沼さんから言われて、防弾チョッキ着ているんだよ。いやあ、あんなに近くで撃たれると思わなかった。本気で人を殺す気じゃないか……」
聡は左手に20式5.56mm小銃を握っていた。現在の自衛隊の標準装備になっている小銃だ。聡が九九式を持つと、暴走する可能性が高い。しかし丸腰でスミスと対峙するわけにはいかなかったのだ。聡は、この小銃を雪の中に紛れ込ませていたのだった。
「それは——」
「これは本物だぞ。その小銃とは違う。実弾が入っているんだ。確かにM1ガーランドは優秀かも知れないけれど、今の技術はそれをも凌駕するんだからな。これで撃ち抜かれたら、怪我では済まないぞ? スミス。萌咲を返せ」
聡は怒りを押し隠すように、低い声で言い放つと、20式を構えた。スミスは大きくため息を吐いてから、天を仰ぎながら、両手を上げた。
「僕の負けだ——」
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