第42話 スミス邸



 飯塚の案内でやってきたのは、高級住宅が立ち並ぶ地区だった。スミスの家は、周囲の家に比べるとひときわ大きく見える。紅樺色と象牙色をバランスよく使った趣は、まるで南プロバンス風だった。どうやら海外住宅メーカー仕様のようだ。


 聡は少し離れた路上に車を止めると、フードとマスクで顔を隠しながら、スミス邸の周囲を一周する。菱沼たちは、彼のスマートフォンから送られてくる映像に目を凝らしていた。


「雪が降り積もっていて、誰も出入りしたような形跡がありません」


 聡の声がインカムから響く。三人はミニバンの後部座席に据え付けられているモニターの前で、頷き合った。


「萌咲ちゃんが消えたのは、昨日の夕方。一晩の間に、別の場所に移動するという手もあるが——」


「玄関先や、裏口の積雪量からして、人が出入りしたような形跡は見受けられませんけど……」


 聡はよく見ている。菱沼もその意見に同感だった。


「家には灯かりが見えます。ずいぶんと大きい家だなあ」


「明るくなっている部屋の位置は?」


 菱沼の問いに、聡は「えっと」と答える。


「一階の南側の部屋が一つ。大きい部屋みたいだ。もしかしたら、応接室かもしれません。それから——一階の北側の部屋ですね」


「スミスは一人暮らしだと聞いたけど。電気がついている部屋が二つあるんだね?」


「そうです。二か所になります」


 聡の答えに、飯塚は「はて?」と首を傾げた。


「ヤツは結婚しているんでしょうか」


「さあね。あまり詳しくプライベートを聞いたことはなかったね。——聡くん。屋外の電気ブレーカーの位置も確認してきてくれないか」


「わかりました」


 聡は周囲を伺うかのように、ゆっくりと足を止めると、隣の家から出てきた女性に声をかけた。


 インカムの中からその会話が響いてくる。聡は市役所職員を名乗った。


「この大雪で、周囲を見回っています。大雪警報も発令されていますので、ご近所で高齢者の方など、お困りの方はいらっしゃいませんか?」


 女性は「あらそれなら——」と言った。聡は、「お隣のスミスさんの家ですね?」と尋ね返す。


「そうです」


「こちらには、どんな方がお住まいですか?」


「お年寄りの男性ですよ。お二人とも70代くらいの……」


「二人ともだって?」


 飯塚が声を上げる。小田切も首を傾げた。


「ご兄弟なのでしょうか」


 聡の問いに、女性は「さあ?」と答える。


「回覧板を持っていくと、感じのいいおじいさんが対応してくれるんです」


「感じがいい? ってことは。感じが悪いおじいさんもいるってことですね?」


「まあ、——そういうことになりますよね」


 女性はそう言って笑った。聡は長らく、その女性に掴まっていた。戻ってきた時には、肩に随分と雪が降り積もっていた。


「わ~。外はすっごく寒いですよ。——僕の荷物の中に、サーモセンサー機能を搭載している双眼鏡があるんです。それで中の様子を見てくれませんか」


 聡の指示を受けて、小田切が聡の鞄の中を漁った。


「さ、サーモン? 鮭ってなんだよ。腹減ってないけど」


 飯塚が弱った表情で小田切を見る。


「もう、黙っていてください。飯塚兵長」


 小田切はさっさと目的のものを取り出すと、後部座席の窓を少し開けて、スミス邸を観察し始める。


「ほうほう。さすが国さんが持っている機器は性能がいいと見える。——どうやら一階北の部屋に三人いるみたいですね。他には……。人の気配はない? え。二人だけであのM1を扱っているのかな。ちょっと肩透かしだな。地下室とかはあるのかな?」


 小田切の独り言にも似た報告を聞いていると、雪を払い、ほっと一息吐いた聡が笑った。


「民間会社のセキュリティが入っているようですが、人がいる間は解除されているはずです。障害にはなりませんね」


「監視カメラは?」


「この雪ですからね。カメラの画面に雪玉をぶつけてきました。あれじゃあ、レンズが凍りついて、よく見えないでしょうね」


 聡は悪戯に笑みを見せた。


「やるじゃないか」


 風も強くなってきているのだ。吹雪でカメラが汚れても、特に不思議ではないはずだろう。雪は降ったり止んだりを繰り返していた。昨日の昼間からの積雪は、20センチに届きそうだった。


「それにしても、止まないね」


 菱沼は窓の外を眺めて、ぽつりとつぶやいた。


「梅沢は盆地ですからね。冬は寒いし、夏は暑い。まったく暮らしにくい場所なんですけど」


「それでも人はここに住まうんだね」


 小田切は苦笑した。


「果物がおいしいですからね」


 飯塚も頷いた。


「ここのところの温暖化現象で、それも崩れ出している。僕たちが若かった頃、まさかこんな未来が待っているなんて、思ってもみなかったね」


「便利にはなりましたけど。あの頃はあの頃で楽しかったですよね」


 飯塚もにかっと笑みを見せた。聡は、そんな老人三人組の話題が途切れるのを黙って待っていてくれる。物静かで、それでいて慈愛に満ちた雰囲気は、小林とそっくりだ——と菱沼は思った。


「聡くん。実際に見てきた感想はどうだい?」


 菱沼が彼に話題を振ると、聡はそこで初めて口を開いた。


「僕は、この屋敷にいるんじゃないかって思います。裏手の駐車場に停まっているクライスラーのジープの上の積雪量を見てみると、昨日の昼から動かしていないのではないかと思います。スミスが運転するのか、同居人が運転するのか。それはわかりませんが、……あれ、一千万くらいするやつですよ」


「ジープって、あれだろう? アメリカ軍が乗り回していたヤツだ」


 飯塚が面白くないと言わんばかりに「け」と舌打ちをした。


「スミスに同居人。残りの三人目が萌咲ちゃんであって欲しいものだね」


 聡はパソコンを開く。そこには海外の住宅メーカーのページが表示されていた。


「この会社のサイトを見てみたんです。地下室もオプションで付けることが出来るようです。彼らだってバカじゃない。萌咲を取り返そうとする敵の襲撃を考えたら、地下室に潜ったり、仲間を待機させている可能性もありますよね」


「聡くん。僕たち高齢者はね。若者と違って階段が辛いんだよ。エレベーターでもついているならいいけれど。階段を上ったり、降りたりするのは大変なんだ。仲間が若者であれば、問題ないけれど。そんなに大勢が出入りしていたら、隣のおばちゃんが黙っていないんじゃないかな?」


 菱沼の笑みに、聡は「そうだと思います」と同意した。


「あの隣のおばちゃん。素知らぬふりを決め込んでいましたけど。結構、野次馬っぽくて、聞きもしないことを教えてくれましたよ。スミスがデイサービスに行く日。同居人が病院に行く日。宅配業者から、食材を買っているが、そう多くないとか……。色々なことを教えてくれましたよ」


 それではまるで探偵のようだ、と菱沼は思った。ここまでくると『見守り』というよりは『監視』に近い。干渉も度を越えれば、ストレスになるものだ。


「念のため、屋外ブレーカーの中も見てみましたが、ごく一般的なアンペア契約のようでした。エレベーターが設置されていたら、かなりの電力を消費しますもんね。地下室の線はないのかなって思います」


「純粋に考えると、敵は二人。だったら、僕たちだけでもやれないことはないかも知れないね。——一か八か。掛けてみようか?」


 菱沼は聡を見る。彼はきょとんとして、まるで狐につままれたような顔をしていた。






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