第41話 萌咲を探せ


 目を覚ますと、頭が重かった。それから身動きができないことに驚いた。慌てて自分のからだを見渡すと、椅子に縛りつけられていることがわかった。


 見慣れない部屋にいた。桃色の小さな花柄の壁紙。いくつも写真が壁に据えられていた。部屋の中央には、大きな長テーブルが置いてあり、その上には、まるで理科室のような実験器具や、見たこともない機材が置かれていた。

 

 ——私は。どうしたんだっけ?


 まるで靄がかかったように、頭の中がすっきりしなかった。萌咲は、自分の身に起こったことを思い巡らす。


 ——確か……。確か。私。スミスさんの家に……。


 昨日。事務所で書類の作成をしていたところに、スミスから電話が入った。


「転んでしまってね。腰が思うようではないんですよ。入浴することが大変なので、相談に乗ってもらえませんか」


 彼はそう言った。萌咲は緊急事態であると思い、事務作業を中断し、そのままスミス宅へ向かった。たまたま退勤の時間近くだった。上司や同僚には「利用者宅に訪問し直帰する」と報告した。


 スミス宅を訪問した萌咲は、いつもの応接室に通された。そこでスミスの腰の調子を聞きながら、今後のことを相談した。相談したのだ。しかし——。萌咲の記憶はそこで途絶えていた。


 ——スミスさんの家で、私。眠ってしまった? ……そんなわけないわね。


 自分を縛りつけているロープがほどけないかと、からだを揺らす。それに合わせて椅子がガタガタと音を立てた。部屋の扉が開いて、長身だが痩せている男が入ってきた。


「Hey! Be quiet!(おい、うるさいぞ)」


 萌咲は怖くなって、からだを震わせてから首を竦めた。男は大して興味もなさそうな瞳で萌咲を見ていた。


「気がついたのか。ミス・マダラメ」


「ま、斑目? なんの話? 私は青砥あおと萌咲よ! 斑目なんて知らないんだから!」


「Shut up!(黙れ)」


 男は大きな手で萌咲の頬を打った。萌咲は「きゃ」と悲鳴を上げる。打たれた頬に痛みと熱がじわじわと広がった。人からぶたれたことなどない。萌咲はショックで言葉を失った。


「うるさい女は嫌いだ。お前は実験台。準備ができるまでここでおとなしくしていろ!」


 萌咲はそっと男を見上げた。彼は年の頃60代くらいだろうか。短く刈り上げた髪はブロンズ色だが、そこには白い毛が無数に混ざっている。髪色と同じ瞳は、大きく見開かれ、その手には細身の杖が握られている。


「ち、若い女は嫌いだ。ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てて耳ざわりだ。Masterがいなかったら、お前なんてすぐに始末しているところだ。いいか? 騒ぐなよ。黙っていろ。それができないなら、その口、きけなくしてやるからな!」


 ギラギラとした双眸に睨みつけられて、萌咲は言葉を失っていた。その様子に満足したのだろう。彼は「フン」と鼻を鳴らす。


「お前はこれから実験に使われるんだ。Sometimes dead is better(時には死ぬほうがいい)——かもな」


 乱暴に閉じられた扉。萌咲の視界は再び暗闇に閉ざされる。怖かった。心臓がどきどきと大きな音を立てていた。


「け、研究ですって……?」


 一体、なにが怒っているというのだろうか。萌咲にはさっぱり理解できないことばかりだ。あの男は知らない。しかしこの部屋の様子からすると、スミスの家で間違いはないだろう。


 萌咲は必死に周囲を見渡した。自分の持参してきた鞄は見当たらない。ポケットに入れておいたスマートフォンもすっかり消えていた。ここに閉じ込められて、外部に助けを求める方法はないのだ。


 ——怖い。どうしよう。ああ……菱沼さん……。聡……。助けて……!


***


 四人は萌咲の行方を捜した。萌咲の職場の上司から事情を聞いたが、『お客様の家を訪問する』とだけ言って出て行ったという話だった。聡が萌咲の利用者の名簿を閲覧させてくれるようにお願いしたが、個人情報があるということで、それは叶わなかった。四人は肩を落として、事務所から外に出た。


「まったく難儀な世の中ですなあ。個人情報だなんて。昔はそんなことなかったのに」


「冷たい世の中になったってことですよね」


 飯塚と小田切は口々にそう言った。これでは、萌咲の足取りを掴むことは難しい。聡の車に戻ろうとした矢先、事務所から一人の女性が姿を現した。


「あの、萌咲ちゃんを探しているんですよね。さっき、警察の人が何人もやってきて、萌咲ちゃんのことをいろいろと聞いていきました」


 どうやら藤東のほうが動きが早いようだ。それは当然のこと。国家権力をもってすれば、萌咲の居場所などいち早く見つけることができるだろう。しかし。聡が小銃を持ち出したというのに、なんのお咎めもないというのは解せないことだった。


 ——まるで僕たちを泳がせているみたいだね。


 菱沼はそんなことを考えながら、萌咲の同僚に視線を戻した。彼女は「山波です」と名乗った。それから周囲を伺うように小さい声で言った。


「あの、小林さんって萌咲ちゃんの幼馴染の?」


 彼女は聡を見上げた。聡は「そうですけど」と答える。山波は、少し笑みを見せた。


「いつも萌咲ちゃんが『聡って生意気な幼馴染がいて』といつも嬉しそうに話してくれるんです。だから、小林くんならお話してもいいかなって思って——」


 彼女は「管理者には内緒にしてください」と言って、萌咲のことを教えてくれた。


「萌咲ちゃん、昨日の夕方、突然、利用者さんからお電話が入って、それで急いで出かけて行ったんです」


「その利用者の名前。どうか教えてくれませんか。萌咲を探す手がかりになると思うんです」


 山波は周囲を憚るように声を潜めて言った。


「スミスさんの家に行ったんです。サイラス・スミスさん」


「スミスだって——!?」


 菱沼は息を飲んで、飯塚や小田切を見た。二人も小さく頷いた。


「決まりですね」


「やっぱり、あいつ——か! おれは怪しいと思っていたんですよ」


 山波に感謝の言葉を述べてから、聡の車に乗り込んだ飯塚は右手で拳を作り、左手の平を叩いた。


「あの白い洋風の杖。あれがM1ガーランドだったんだ!」


 ——あの写真の男がスミスだというのか? いや。そんなはずはない。息子……なのだろうか。


 菱沼は考え込んだ。杖の力を発揮していない時。自分たちは本来の姿でいられる。スミスは70代。あの写真の男の年齢からすると、スミスは100歳を超えていてもおかしくない。菱沼よりも若い姿ということはあり得ないのだ。


 しかし、菱沼の庭に現れたスミスは『また、お会いできて光栄ですね』と言った。小林邸の前で出会った切り、あの男と会った記憶はない。


 ——まだまだ僕たちが知らない謎があるというのか……。


 ふと、ひときわ大きく小田切の声が耳に入ってきた。菱沼は彼に視線を向けた。


「あの杖がM1ガーランドの正体だとしたら、いろいろ合点が行きますね。スミスだったら、吉成とも話ができるし、杖を与えることもできる」


 飯塚も大きく頷いた。


「萌咲ちゃんはスミスのところで間違いないですね」


「でも、家がどこなのか——」


 聡と菱沼が顔を見合わせると、飯塚が手を上げた。


「おれ知っていますよ。いつも送迎一緒ですから」


「ナイス! 飯塚兵長!」


 小田切が飯塚の肩を叩くと、彼は「なにが、ないんだって?」と聞き返した。





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