第40話 小林小隊、決起する
「当時、斑目は何者かに追われていました。彼のDNAが鍵だと気づいた者がいたのでしょうか。それはおれにもわかりません。しかし確実に彼は誰かから逃げていた。その形跡として、彼は終戦から一年余りで、実に5回も転居を繰り返しています」
「尋常じゃないね」
「でしょう? しかも家族とは離れて一人暮らしをしていたのです」
「気でも狂ったみたいだな」
飯塚も両腕を組んで唸った。
「もしかしたら、M1ガーランドを開発した奴ら。もしくは——国」
「言うことをきかない小林少尉や斑目は邪魔者にしかなりえないな。けれど、国がま斑目を抹殺して研究情報を手に入れていたとしたら、Kノートの存在など目新しくはないものだ。やはり、斑目の死に関係しているのはM1ガーランドの関係者。あの男に違いない」
「男?」
そこで菱沼は、聡に三人が襲撃されたことを伝えていなかったと気がついた。話は逸れるが、三人はそれぞれの襲撃場面について、聡に説明を加えた。
「興味深いですね。菱沼さんは、彼とどこかで出会っているというわけですね?」
「そうみたいだね。——ともかく。斑目の子孫が狙われていることには間違いないけれど。今回の萌咲ちゃんの失踪事件と、まさか。関係があるわけじゃないだろうね?」
菱沼の問いに、聡は黙り込んだ。それが彼の答え。
「え——。まさか。斑目のDNAを引き継いでいるのは……萌咲ちゃんなの?」
「ええええ?」
驚愕で言葉を失っている三人に対し、聡は「そうです。萌咲は斑目の子孫です」と言った。
「じゃあ、萌咲ちゃんが行方不明っていうのは、あの——名無しくんに拉致されている可能性が高いというわけだね?」
「菱沼さん、なにか思い出してもらえませんか。やっぱり、萌咲を救う手がかりは、あなたの記憶にあると思うんです」
「敗戦直後は、見かけたからね。物珍しいって感じではなかったけど」
「でも、だからと言って懇意にしたりはしませんでしたね」
菱沼は必死に記憶の引き出しをあちこちこじ開ける作業をしていた。
——萌咲ちゃんが。萌咲ちゃんが危ないのだ。しっかりしろ。あの男のことを、思い出すんだ。
菱沼は瞼を閉じ、自分との対話を続けていた。
——僕はアメリカ人との面識は殆どない。
——殆どないだって?
——ということは、どこかで出会っているということだ。
——いつだ。あれは……。
菱沼の脳裏に蝉の鳴き声が響く。じっとしているだけで、汗が滲むような夏の昼下がり——。あれは。
『ミスター。その足はどこで負傷されたのですか?』
大柄な碧眼の男はそういって菱沼に手を差し伸べた。
空襲で負傷した足は、思うように動かない。菱沼は長い坂を難儀して登り詰めた。目指していた家の前までやってきた時、その男が家から出てきた。それから彼は、流暢な日本語で自分に手を差し伸べた。
『貴方はミスター小林のご友人ですか? 僕は彼とは研究仲間なんです。戦争で我々は敵同士になってしまった。戦争が終わって良かった。僕はやっとこの日本に帰ってこられたんですから』
自分はなんと返したのだろうか。彼は小林の死を聞き、手を合わせに訪れたのだという。自分も同じ目的だった。
空襲で負傷し、病院のベッドの上で終戦を迎えた。玉音放送を聞きながら涙を流した。小林の言っていたことは本当だった。日本は敗けたのだ——。
劣悪な医療状況で、菱沼の足はなかなか改善せず、退院するまでに一年近くを要した。やっと退院してきた頃、世の中は少しずつ復興への道を歩み始めていたのだ。
退院後、小林一家が市内に留まっているという話を聞き、さっそく焼香に訪れた。その時のことだった。
「そうだ。思い出してきたぞ」
聡は興奮した面持ちで菱沼を見ていた。
「ど、どこですか?」
「終戦後、小林少尉の家を訪ねた時。あの男は確かにそこにいた。小林少尉の話を聞きたいと誘われて、僕はそのまま男と川辺で話をした」
——あの時。彼は少尉の研究の内容を知りたがった。けれど、僕は知らなかった。
「動物兵器のことか?」と尋ねると、男は「違う」と言って、それきり深くは尋ねてこなかった。今思えば、彼が知りたかったのは不老不死の研究のことだったのだろう。
『ミスター小林の研究が成功すれば、貴方の足も治るのです』
バカげていると思った。彼とはしばし会話し、そうして別れた。彼はなんと名乗ったのだろう——?
「彼は——。少尉と研究仲間だと言っていた。斑目の門下生にアメリカ人はいたのだろうか?」
聡は、はったとして鞄から黒いファイルを取り出した。そこには古びた新聞の切り抜きや、写真が何枚も挟まっている。彼はそこから一枚の写真を取り出した。
「藤東さんが、なんとか見つけてくれた集合写真です。なかなか見つからなくて。手に入れるのに苦労した一枚でした」
菱沼たちは薄暗い車内で必死にその写真を見つめた。そこには、二十名の男たちが肩を並べていた。みな、白衣姿にネクタイを締めている。
前列の中央の椅子に座っている丸眼鏡の男が斑目だろう。その隣には、若かりし頃の小林が座っていた。まるで今の聡と瓜二つだ。
その中に、一人だけ日本人ではない男が混じっている。二列目の左端。長身で、大柄な男だった。彼は細身のステッキを手に持っていた。菱沼は「この男だ!」と叫ぶ。
「僕の家に来たのは、この男だ。やっぱり——。彼は当時、少尉たちと一緒に研究に携わっていたんだ」
「でも——。生きていたら、100は超えますよ? 本当にこの男なのでしょうか」
四人は大混乱だ。それぞれが言いたいことを口々に言うので、車内は騒然となった。
「ともかくだ! M1ガーランドが市内で事件を起こしているということは、犯人であるこの男が市内に潜伏している可能性がある。萌咲ちゃんはまだ近くにいる」
菱沼の窘めるような声に、騒ぎは一気に沈静化した。
「探すのは藤東にお任せしましょうよ。僕たちではどうしようもないです。今の僕たちは、ただの老人ですから——」
小田切の言うことは最もだ。たとえ萌咲を見つけても、自分たちになにができるというのだ。今の三人は、戦えるような武器など持たぬただの高齢者。しかし——。聡は首を横に振った。
「これを——」
聡は後部座席に視線を遣った。三人も釣られてそこに視線を遣る。そこには、銀色の長方形型のアタッシュケースが置いてあった。
「まさか——聡くん」
菱沼は呆れた顔をして聡を見据えた。彼は頭をかく。
「しかし……、これを持ち出してしまって、大丈夫なのかい?」
菱沼は聡の横顔をそっと見つめる。いつもの軽い調子の彼ではなかった。
「僕は——。萌咲が好きです。彼女にしてみれば、僕はただの幼馴染で、うるさい奴程度かも知れないです。けど。僕は萌咲が好きです。今まで何度も、彼女の笑顔や、明るさに救われました。今度は僕が恩返しをする番なんだ。この研究よりなにより。僕は萌咲を守ることを優先したいんです。だから——」
彼は三人に向かって深々と頭を下げた。
「お願いします。わかっています! この小銃を使うことのリスクを。だけど、お願いしたいんだ。どうか、僕に力を貸してください!」
三人は顔を見合わせた。飯塚は肩を竦める。小田切も「やれやれ」と笑みを浮かべた。菱沼は、そっと聡の肩に手を添えた。
「そんなにかしこまらないでくださいよ。小林少尉」
「——菱沼……軍曹」
彼は涙を浮かべた瞳で菱沼を見上げた。菱沼はウインクをして見せる。不安気な表情は、ぱっと明るく変わった。
飯塚は「ひゅ~」と口笛を吹き鳴らす。
「隣組っていうのは、どんな時でも助け合うもんだ。なあ? 小田切二等兵」
「隣組とはちょっと違うと思いますけど。萌咲ちゃんは、僕たち三人のアイドルですもんね? 菱沼軍曹」
「そうだね」
菱沼は笑みを見せる。
「聡くんに頼まれなくても。老体のままでも。萌咲ちゃんがピンチなら、僕たちはどこにでも駆けつけるよ。小林隊、ここに決起しようじゃないか」
「ありがとうございます」
聡はオイオイと泣きながら何度も頭を下げた。
「情けないねえ。これからだよ」
「そうそう。泣いている場合じゃないだろう?」
「まずは情報を整理して、萌咲ちゃんを探そう」
四人は視線を交わし、それから固く頷いた。
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