第35話 黒づくめの男たち


 三人は、菱沼家の近所にある喫茶店『金魚』にいた。菱沼は不気味な来訪者の一件を二人に聞かせた。飯塚と小田切は眉間に皺を寄せてから、「ううん」と唸った。


「まさか、軍曹まで襲撃されるなんて——」


「しかも、その謎の男は不老不死を目的に、M1ガーランドを研究しているというわけですね。更には一連の犯行は自分だと認めたということなんですね!」


「しかし、その名無くんとやらの姿形は、僕が襲われた男とはちょっと違うようです。敵さんは二人いるのかも知れませんね」


「二人で済めばいいけれど」


 小田切は「それにしても」と両腕を組む。


「我々に協力しろって言われても。なにをしたらいいのか、さっぱりわかりませんね」


「そこだね」


 菱沼は、自分のことを知ったような口ぶりで話す男に違和感を抱いていた。あれから、いつどこで彼と出会っていたのかと、記憶を巡らせているが、どうにも思い出すことができなかったのだ。


 記憶力はいいほうだ。確かに年を重ね、新しいことを覚えるのに難儀するようになったが、過去のことは細かいことまで覚えている。しかし。彼のことだけはどうしても思い出すことができなかった。もしかしたら、印象に残るような出会いではなかったのかも知れない。そう思い始めているところだ。


 小田切は眼鏡をずり上げてから、「うーん」と唸った。


「敵さんも我々と同じように高齢者なんでしょうね。いったい、どこのどいつなんでしょうか。どこでこの研究を知ったんでしょうね」


「せっかく敵とご対面したというのに、謎だらけですね」


 三人は黙り込んでしまった。そこで菱沼が「そういえば」と話題を変えた。


「そう言えば、斑目先生の調査はどうなったんだい?」


 小田切はここのところ、斑目征夫いくおのことを調べてくれているのだった。


「なかなか思うようではありませんね。あんなに有名人なのに。なかなか情報が出てきません。ここまで出てこないと、意図的に隠蔽されているんじゃないかって、勘繰りたくなりますね」


 小田切は腕を組んだまま、言葉を続ける。


「戦前、斑目の門下生は何人もいたようです。その中でも、突出して優秀だったのが、小林少尉でした。斑目は随分と少尉を可愛がっていたようです。斑目は生物学の権威です。戦前には、海外からも弟子入りしたいと志願してくる研究者がいたようです」


「じゃあ、その中の誰からが、名無しくんなんじゃないか?」


 飯塚は嬉しそうに両手を打ち鳴らした。しかし、小田切は首を横に振る。


「僕もそう思いました。そして、その可能性が一番高いと思われます。けれども。当時の資料は一切残っていない。なんとか斑目門下生の生き残りを探していますが、絶望的状況です」


 飯塚はがっかりしたように肩を落とした。


「家族はどうなんだい? 彼の子孫はいないのかな?」


 菱沼は、飯塚の肩をぽんぽんと叩いて励ます。飯塚は「すみません」と言った。


「それが、こっちもてんで駄目なんですよ。斑目は既婚で、娘が一人いたそうです。娘はさっさと嫁に行っています。生物学とは全く畑が違う金物の卸問屋の息子と結婚したそうです。しかしその相手が、かなりの放蕩息子だったようで、結局は事業に失敗して、夜逃げ同然に東京から姿を消したのだそうです。ですから、斑目の子孫がどこにいるのか。そもそも生きているのかすらわからないのです」


「なんと。これは難しいね」


「そうなんですよ。斑目は終戦から、一年後に病死していることになっていますが、それだって、本当はどうだったのか……。全てが闇の中です。その頃の日本は、まだまだ混乱している最中ですからね」


 素人の小田切が、ここまで調べ上げたことだけでも立派だ。斑目の情報を藤東に提供すれば、詳しいことを調べてくれるだろう。いや。藤東たちは、すでに斑目のことをいろいろと調べているに違いない。聡を問いただしたら、なにか教えてくれるかも知れない。菱沼はそう思った。


「この研究は曾孫である聡くんが、あのノートを見つけるまで、闇に葬られていたわけだよね。託されなかったのか。それとも、託されたものを斑目が隠蔽、もしくは廃棄した可能性もあるというわけだね」


「やっぱり名無しくんは、別ルートで情報を手に入れたということなんでしょうね。しかし、鍵の存在を知っているとは。かなり核心に迫る内容を知っているということ。かなり深く関わっていた存在であると言えますね」


 菱沼と小田切が議論を交わす中、飯塚はコーヒーをすすっていたが、ふと「鍵ねえ」と呟いた。


「鍵がなんであるか、そいつは知っているってことですよね」


 菱沼も釣られてマグカップを掴んで、コーヒーを一口飲んだ。


「知っていそうな口ぶりだったね。僕たちを殺しても手に入れるって言っていたね」


「えー。おれたち殺されるんですか? いやだなあ」


 飯塚はぶるぶると首を横に振る。小田切は苦笑した。


「いつも『早くあの世に逝きたい』とか言っていませんでしたっけ?」


「そんなことないぞ。おれは、いつまでだって、ここで生き続けたいんだから」


「そうですか」


「なんだよ。文句あるのか?」


 二人が喧嘩腰で話をしていると、そこに喫茶店のマスターがコーヒーのお替りを持ってきてくれた。


「いやあ、楽しそうだな。今日は三人お揃いですね」


「マスター」


「いやあ、鍵がねえ」


 小田切は腕組みをしたままだ。マスターは「鍵?」と首を傾げる。


「鍵ですか。小田切さん。まさか女性のハートでもこじ開けようとしているのではないでしょうね?」


「お! マスターは色男だねえ」


 小田切は手を叩く。


「鍵って言うのは、世界に一つしかない。その錠前にしか合わないものですよね。とっても秘密めいていて、運命を感じずにはいられないキーワードですよね」


「秘密——ねえ」


 すると、他の客がマスターの名を呼んだ。彼は「ちょっと失礼しますね」と笑みを見せてから、その場を立ち去った。


 その時、喫茶店の古びた扉が開き、くぐもった鐘の音が響く。来客の合図だ。「いらっしゃいませ」と愛想よく声を上げたマスターの声が途切れる。菱沼は不審に思い、入り口に視線を遣った。


 そこには、この喫茶店には似つかわしくない、黒いスーツの男たちがいた。先頭にいるのは藤東である。彼は菱沼の顔を確認すると、愛想よく笑みを見せて「ここにいらっしゃいましたか」とやってきた。


「みなさんお揃いで。ちょうどよかったです」


「藤東さん。どうされました」


 小田切と飯塚は初対面だ。二人は藤東を見上げて、ぽかんとしていた。


「じつは——。本部からの指示が出ましてね。お三方にお預けしているその試作品を回収に来たのです」


「——え」


 飯塚は絶句し、動きを止めた。


 ——とうとう来たね。






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