第34話 対峙
不躾に敷地内に入り込み、平然とそこに立っている男を、菱沼は目を細めて見据える。
——どこかで会っている?
菱沼は記憶の糸を手繰り寄せようとするが、それはまるで暗闇の中の作業みたいに、うまくはいかない。
——いったい、どこで?
「その銃は……。キミが、一連の事件を起こしているのかね」
男は愉快そうな笑みを見せて、「そうだ——と言ったら、どうするのです?」と答えた。
外見は日本人ではない。しかし、彼は流暢な日本語を話す。
『ミスター。その足はどこで負傷されたのですか?』
まるで昭和のフイルム映画のように、その映像にはジリジリと黒い影が映り込んでいる。
——あれはどこだ? この男と僕は、出会っているというのか?
二人は一瞬たりとも視線を外さずに言葉を交わす。
「どうするもなにも。僕は警察ではないからね。けれど、こんな物騒なことはやめてもらいたい、と言いたいね。僕たちは静かに暮らしたいんだ」
「キミたちが静かに暮らせることはありません。すでに巻き込まれているんですからね」
「巻き込む? いったい、なにに巻き込まれているというんだい? 事件を起こしているのはキミだろう」
男は「おやおや」と両肩を竦めて見せた。
「僕たちは、ただ……鍵が欲しいんです。ミスター小林の研究は素晴らしかった。しかし幾分、使い勝手が悪い。その点は、おわかりでしょう?」
「10分間という時間制限。それから、24時間の充填時間が必要。そう頻繁には使えないってことかい?」
菱沼の答えに、男は両手を叩いて喜びを表した。
「さすが! ミスター菱沼。話が早い。しかし、それだけでは足りないのですがね」
——まだあるというのか?
「まあ、それはいいとして。私は、この小銃の能力を抑え込むなんてことはしたくないんです。この小銃はそんなものではない。おもちゃみたいな扱いをされるような代物ではないということです。キミたちも気がついているのでしょう? この小銃にはもっともっと素晴らしい能力が隠されているということを——」
——そうか。やはりね。こんな出来損ないじゃ、どこでも使えないものだ。
菱沼はただ黙って男を見据えた。
「制限を突破し成功体となるのは、どちらか一つでいい。旧式で使い勝手の悪い出来損ないよりも、僕たちが所持するM1ガーランドが生き残る」
「そうかい? 僕はどちらも不要なものだと思っているのだがね」
「不要? 死を目の前にしても、そんなことが言えるのですか。ミスター菱沼。もし
「不老不死が欲しいだって?」
「そうですよ。ミスター菱沼。キミが一番、死に近い場所にいるんだから……」
男は口元を上げて笑った。
——死が近い……か。
「死は怖くはないのだよ」
『死は怖くはないのだよ』
遥か昔の自分は、同じセリフを言った。
菱沼は息を飲む。やはり自分はこの男と、どこかで出会っている。そして今と変わらぬ会話をしていた——。
——そうだ。どこかで。気のせいではない。僕は、この男と実際に、どこかで出会っている!
菱沼は鼓動が早まるのを感じて、はったとした。どうやら自分は、この男を目の前にして動揺しているようだった。
「死が怖くないですって? そんなのはナンセンスだ。死を恐れぬ者など、この世には存在しない」
「いいや。それこそ戯言」
『それこそ戯言だ』
ビリっと電流が走ったかのように、菱沼のこめかみが痛む。
——ああ、まただ。
「そうだ。人はいずれ死ぬ。その自然の摂理を捻じ曲げてなんになる。それにね。この年にもなると、あちらで待っている者がたくさんいるのだよ。確かに生への執着は必要なことだ。それが『生きる』ってことだからね。だけど、一つのことに執着すると、物事というものは、いい方向にはいかないものだよ」
菱沼は痛むこめかみを押さえる。しかし男は菱沼の変化に気がついていないようだった。むしろ興奮した様子で声を荒上げる。
「執着してなにが悪い! 僕は……、僕の人生すべてを、このM1ガーランドにかけてきた。国を捨て、身寄りもいないこの国で、終わりのない時間を過ごしているのだぞ!」
「キミは——孤独なのか。故郷に帰りたいと思わないのかい?」
「僕はそんなセンチメンタルな思いに惑わされるほど弱くはない。僕は、僕の夢を実現する。それだけのためにここにいるんだ。ミスター菱沼。たとえ、たくさんの人間の命を奪うことになったとしても、制限を解除するキーを必ず手に入れる。さあ、僕に協力したまえ。キミたちの力が必要だ。僕に協力をするんだ」
男は手を差し出した。それはまるで、懇願しているようにさえ見える。しかし。菱沼はその視線を無言で返した。すると、男は「ふ」と軽く笑みを見せた。
「それがキミの答えってわけだね」
「そういうことだね。ミスター
菱沼も笑みを見せて返すと、男の表情が豹変した。その表情は憤怒の情に支配されているようだった。菱沼はソファについた腕を軸に身を翻し、ソファの裏にからだを滑り込ませた。それとほぼ同時に、M1ガーランドの弾丸が、ソファにめり込んだ。
——半自動小銃。弾数は八。一、二、三、四……。
「僕に協力しないというならば、キミたちには消えてもらいましょうか。勝者は一人で十分だ!」
彼の狙いは確実だ。髪一本でもソファから出ていれば、そこに弾を撃ち込んでくる。
——飯塚の狙撃を妨害したのは、この男で間違いなさそうだね。
銃撃が止んだ。男は全ての弾を撃ち終えたのだ。手慣れた動作で弾丸の充填作業をする男。しかし菱沼はその隙を逃すことはない。
ソファの物陰から男の手元を狙い撃つ。充填作業を終え、男が構え直したばかりのM1ガーランドは金属音を上げて吹き飛んだ。
「クソ……っ!」
男は口汚い言葉を吐くと、M1ガーランドが吹き飛ばされた茂みに転がり入った。
「危ないねえ。不思議な機序でできている銃でも暴発するのだろうか」
変身中に小銃が手元から離れても効果は持続するのだ。つまり変身段階で小銃から本体への力の充填は完了する仕組みだ。これは、自宅でのテストで実証済み。男の持つ小銃もまた、同じ能力を有しているようだった。
菱沼はボルトを引いて
一息置いて、男が身を隠した場所に視線をやるが、そこに人の気配はない。
——どこへ行った?
菱沼は素早く周囲に視線を巡らせる。居間の出入り口に据えられている鏡。茶箪笥のガラス。床の間へと続くガラス障子——。すると、草むらから梅の木の影に隠れる人影を見つける。
——そこだ!
そう思った瞬間。菱沼の目と鼻の先を弾丸が掠める。茶箪笥のガラスが音を立てて割れた。
菱沼は梅の木を目掛けて二発目を発射する。弾丸は幹にぶつかり、樹木の破片が周囲に弾け飛んだ。
男は素早い動きで、そばの草むらに転がり込んだ。がさがさがさと草の擦れる音が聞こえていたが、それもあっという間に静まり返る。
しばしの間、様子を伺っていた菱沼だが、男の殺気が感じられなくなり、ほっと息を吐いた。
その瞬間。自分のからだはあっという間に、今の姿に変化した。それと同時にからだの重さと、痛みとが一気に襲ってくる。
「相手もタイムリミットだったようだね」
菱沼は茶箪笥に手をかけ、「あいたたた」と足を押さえる。元々思わしくない足は、自分の思うようには動かせそうになかった。菱沼はその場に座り込む。
「やっぱり。今日は、萌咲ちゃんをお断りしてよかったな」
——それにしても。あの男。どこで出会っているんだろうね……。
菱沼は割れた茶箪笥のガラスを眺めて、大きくため息を吐いた。
「しかし。……また娘に怒られるね」
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