第32話 指摘された恋心


 リビングの窓から外を眺める。萌咲は、スミスに頭を下げてから、自転車にまたがると、颯爽と姿を消した。それを見送ったスミスは、手元にある杖に意識を集中させた。


 すると杖は蒼い光を帯びる。そしてあっという間に彼のからだを包み込んだ。光がすっかりと去った後。そこに立っているのは、スミスであってスミスではない。


 ブロンズの髪に、青みかかった瞳。すっと高く伸びる鼻の下には、薄い唇が引かれていた。


青砥あおと萌咲——。やはり彼女は……思ったとおりですね」


 すると、スミスの後ろでに扉が開く。


「帰ったのかよ。あの女——。こんな忙しい時に、来客なんて、よく受け入れるな」


「彼女には来てもらわないと困るのだよ。確かめたいことが山ほどあるからね」


 姿を現した男は、スミスと同様に長身で大柄な男だった。彼は冬場であるというのに、黒のランニング姿に、迷彩色のズボンを着用している。筋肉質なその右手には、スミスと同様にM1ガーランドが握られていた。


 彼は暖炉脇の壁に掛けられている鏡で、自分の顔を見てから、忌々しそうに舌打ちをした。彼の左の目を覆うように、包帯が巻かれていたのだ。


「Next time I see you, I'll put you in hell(次は地獄に叩き落としてやる)!」


 スミスは男をなだめる。


「そう熱くなるな。お前の悪い癖だ。戦場では冷静さを欠いた方が敗北するのだから。——しかし。こんな偶然があっていいものか。神は我々に味方しているに違いない。こんな。こんな近くに『彼女』がいたなんて——」


 包帯を巻いた男は「あの女が例の——?」とぶっきらぼうに言った。


「お前も見ただろう? 杖が反応した」


「杖を扱うためには、特別な条件が必要だったんじゃないのか? あの女にSuitability(適性)があるって言うのか?」


 男はソファにどっかりと腰を下ろすと、スミスのティーカップを持ち上げて、残された紅茶を口に放り込んだ。


「余計なことは詮索するな。お前は私の言う通りにしていればいいのだよ。ジュニア」


 穏やかないつもの声色とは違い、どこか冷たい色を帯びたその言葉に、ジュニアと呼ばれた男は視線を外した。それから、右足をガタガタを震わせて、苛立ちを露わにする。


「Mr.トウドウが動いている。この前、この町にやってきたという情報があった。そろそろ本腰を入れないと。先を越されるぞ」


「わかっている。かわいいジュニア。大丈夫。昔も今も。僕たちは、一歩も二歩も前を歩いているんだ。彼らはこの小銃の真の姿を知らないのだから」


「じゃあ早く、このLimiter(制限)をなんとかしてくれ。戦いにくいだろうが」


「お前が撃ち負かされたのは制限のせいではない。そこを理解しなければ、彼らを撃ち負かすことなど、永遠にはできないだろう」


 ジュニアは面白くなさそうに、拳でテーブルを叩く。


「……っ! おれの腕が悪いって言いたいんだろう? 次は負けねえ。あんなクソジジイたちに負けてたまるかよ。早くやらせろ。どっちが上か見せつけてやる!」


「ジュニア」


 スミスの碧眼はぞっとするような冷たさだ。底知れぬその冷然とした瞳に、ジュニアは黙り込んだ。


 スミスはすぐに瞳の色を和らげた。


「ジュニア。僕はキミが可愛いんだ。父を亡くし、愛情という愛情を得られなかったキミを、大切に育ててきたのは誰だ?」


「……あんただ」


「そうだ。僕たちは運命共同体。僕は僕の夢を叶える。キミはキミで好きなことをする。お互いのテリトリーに、干渉しなければ、僕たちは最高のパートナーだ」


 ジュニアは黙り込んだまま視線を逸らす。スミスの声は静かだが、彼を頭ごなしに押さえつけるだけの力がある。


「彼らは本物なんだ。あの扱いにくいと悪評高い九九式でキミと見事に渡り合って見せる。用心するに越したことはない。特にミスター菱沼。彼は特に用心しなければ」


 スミスはあの夜のことを思い出す。菱沼はM1ガーランドを所持している吉成と、かなりの至近距離にいたのにも関わらず、臆することなく彼を仕留めてみせた。


「彼は変わらない。昔と……、ちっとも。老いぼれた、ただの男ではないということ——」


「ち」


 ジュニアは舌打ちをすると「時間だ」と言って、リビングから出て行った。それに目もくれず、スミスは窓に映った我が姿を見つめる。


「ミスター菱沼。ぜひ戦ってみたいものだ。僕はね、あなたが大好きなんですよ。昔から——ね」


***


 萌咲の職場は週休二日で、自由に休むことができた。そのため、萌咲は平日に休みをとることが多かった。彼女は、その休みを利用して、萌咲は菱沼の家に通っているからだ。


 今日は菱沼の家に行く約束の日だった。前回は、聡たちがやってきて、予定よりも早く切り上げなくてはいけなくなった。


 ——聡が菱沼さんの家に出入りしているなんて聞いていないけど。……なんなんだろう?


 あれ以来、聡は連絡を寄越さなくなった。今までは、どうでもいいことで頻繁にメールや電話を寄越していたというのに。今までにない雰囲気に、萌咲はどうしたものかと困惑し、自分から連絡を取ることをしていなかった。


 ——今日も聡がいたらどうしよう。なんだか嫌だな。


 萌咲は首を横に振ってから気持ちを切り替える。


「関係ない。あんな奴。別に連絡来なくたって平気だし。それよりも……今日のメニューは、ビーフシチューだし」


 ——ちゃんとできるかな。


 玄関でぶつぶつと独り言をつぶやいていると、飼い猫のマルコが寄ってくる。


「マルコ。どうしたの」


「ニャオン」


「一緒に行きたいの?」


 彼は返事をするわけもなく、ただ萌咲を見上げている。萌咲は「しょうがないなあ」と言ってから、マルコを抱き上げた。


 マルコは菱沼に懐いている。たまにこうして一緒に連れていくこともあるのだ。マルコは萌咲がおめかしをして出かけるときは、菱沼の家に行くということを覚えたのかも知れない。


 ——まさかね。猫がそんなこと、覚えるのかな?


 マルコを抱き上げたまま外に足を踏み出すと、ちょうど隣の家から聡が姿を見せた。彼も出かけるところらしかった。珍しくスーツ姿だ。


 萌咲はじっと黙り込んで聡を見つめていた。すると彼は「萌咲。この前は——」と言った。


 ——やっぱり。この前のこと、気にしているんだ。


 聡は「菱沼さんのところで……」と言った。彼の言いたいことはわかっている。萌咲は努めて心を落ち着けて返答した。


「デイサービスを退職してから、たまに菱沼さんの家に遊びに行っているの。私、まだまだ菱沼さんとはお話したいことがたくさんあったから」


「遊びにって。萌咲……」


「変な意味に受け取らないでよ。私と菱沼さんは、すっごく年の差もあるんだし……」


「年の差? ただ話をするだけなのに。なんで年の差が出てくるんだよ」


「あ!」


 萌咲は言葉に詰まる。聡は珍しく真面目な表情を浮かべていた。彼が本気で自分たちの関係性を勘ぐっているということは、よく理解できた。


「萌咲。確かに、菱沼さんは男性として魅力的だよ。でもお前は三十で、菱沼さんはもう——」


「うるさいな。私のことにいちいち口出さないでよ。なんなの?」


「菱沼さんの娘さんは知っているの?」


「知っているに決まっているじゃない。一人寂しくいるから、若い子が話し相手になってくれて嬉しいって言ってもらっているんだから」


「でも。萌咲はそういうつもりじゃないんだろう?」


 萌咲は無償に腹が立った。じっと声を押し殺して、目の前にいる聡を睨みつけた。なぜ聡にそんなことを指摘されなければならないのかと苛立ったのだ。


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