第30話 死


 翌日。ニコニコデイサービスで、三人はそれぞれに言いたいことがある——とばかりに顔を突き合わせていた。飯塚と小田切は、襲撃されたことを。菱沼は聡が連れてきた藤東とうどうの会話の内容を報告し合った。


「こんな年寄に狼藉を働くなんて。うう……悔しいんです。なんなんですか。一体、おれたちにどんな恨みがあるというのでしょうか」


 飯塚は腕で目元を抑えて悔しがった。


「しかし、小田切くんが目撃した敵さんは、英語を話していたのかい?」


 菱沼の問いに小田切は小さく頷いた。


「まるで米軍の兵士のような恰好でしたよ。寒いのにね。黒いランニングに、迷彩柄のズボンでした。筋肉が隆々としていて……見た目はすごく強剛な感じでしたけど。少々考えが甘い。戦い慣れしているって感じではありませんでしたね」


「そうか……。我々のような高齢者は若返るけれど……。身体能力が強化されるのは、まるで吉成のパターンだね。もしかしたら、その男は若者なのかも知れないね」


「確かに。もしあの体格が本来の姿であれば、余程の鍛錬が必要だと思いますね。あれは尋常じゃなかった。小銃の恩恵を受けている、と考えるほうが妥当ですね」


「犯人は若者——。しかしそこがわかったところで、外国人に知り合いはいないんだ。犯人の目星をつけると言っても、かなり難儀なことかも知れないね」


 菱沼は顎に手を当てて、「うーん」と唸った。小田切は「それにしても」と口を開く。


「聡くんの後ろに国が控えていたなんて。これはなかなか、壮大な話になってきましたね。——僕の予測は当たっていた!」


 小田切は嬉しそうに手を打ち鳴らしたが、飯塚が水を差す。


「はあ? 小田切。お前、本当にそう思っていたのかぁ? 今、軍曹から話を聞いたから、そう言っているだけだろう?」


「なにを言うのです。僕はずっと考えていました。小林少尉のあのノート……Kノートって言うんですね。そのノートだけで、聡くんが小銃の試作品まで作れるとは思えませんからね。それと同時に、M1ガーランドだって、あの男が一人で作れるとは思えません。あの男は、どちらかと言えば力業が得意な感じですからね。作ったヤツは別にいると思います」


 小田切の意見は最もだ——と菱沼は思った。聡が九九式小銃を作り上げるのに、日本国が関与しているのだ。M1ガーランドの後ろには一体、なにが隠れているのだろうか。


「国が血眼になっても見つけられない敵ですよ? 我々が見つけるなんて、無理ですよ」


 飯塚は痛む膝をさすりながら言った。


「藤東くんは、僕たちの記憶に手がかりがあると思っているようだ」


「つまりは、この一連の事件は過去から繋がっている——ということですね」


「そう考えているようだね」


 三人はそれぞれに腕組みをして黙り込んだ。そうは言われても、思い出すことと言えば、研究所での長閑な生活ばかりだ。その中で、小田切が「あの」と低い声で言った。


「僕が気になっているのは、斑目まだらめ先生のことです」


 小田切は昨日、公園で自問自答しながら導きだした仮説を説明した。


「確かにね。小林少尉だって、一人ですべてを考え出すのは難しいことだ。当時、一番信頼していたのは、師である斑目先生——というのは頷けるね」


 菱沼はKノートの記されていた「あの方に託す」という文言を思い出した。


「この研究は連合軍には渡すことはできぬ。私はこの研究に鍵をかける。私はこの研究をあの方に託すことにした——」


「なんです? それは」


 小田切が身を乗り出した。


「Kノートの最後に書かれていた少尉の言葉だ。少尉は『絶対に死なない兵士』を作ることを目的としていたが、敗戦が確定し、この研究を連合軍に渡さないために、なにか小細工をしたようだ。そして、この研究を誰かに託したんだ」


「その『誰か』がわかれば、その鍵というものを解除できるのでしょうか」


「鍵か。少尉はどんな鍵をかけたんでしょうね」


 三人はそれぞれに目配せをして頷き合う。


「当時、少尉は一人ではなかった。彼の交友関係を洗い直し、そしてその、斑目先生についても調べてみようじゃないか」


「よ~し! いっちょ我々で、犯人を捕まえてやろうじゃないですか!」


 飯塚は杖を銃に見立てて構える。菱沼は「よしなさい」と言った。飯塚は「ちぇ」と舌打ちをしてから、杖を下ろした。


「いやあ、勇ましいですね。さすが現役世代は違いますね」


 ふと、スミスの声が聞こえる。背中合わせに配置されているソファに彼は、三人の話を聞いていたのだろうか。菱沼は声が大きかったことに反省する。彼はどこから話を聞いていたのだろうか。


 しかしスミスはどこか勘違いしているのか、「僕の父も戦争経験者なんですよ」と言った。


「僕の父も戦争経験者なんですよ。僕の父とミスター菱沼たちは、敵同士だったってことですね。なんだか運命を感じてしまいますね」


「運命だなんて——」


「嫌な運命だね」


 飯塚は不機嫌な声を上げるが、スミスは関係ない様子で笑みを見せた。


「スミスくんはずっと日本にいたと言っていたね」


「父は親日家でした。戦争が始まる前は何度も日本を訪れて、同じ志を持つ日本人との交流をしていたようです。終戦を迎え、父は再び日本にやってきました。そこで日本人の母と出会い結婚したのです」


「戦後、アメリカ人と婚姻する女性は多かったと聞くけれど、その大半は、アメリカに移住したそうだね」


「父は逆ですね。そのまま日本で骨を埋めましたよ」


「そうか。それは嬉しいことだね。国は敵同士だったかも知れないけれど、個人対個人では、愛情が育んできた人たちもいたということだよ。飯塚くん」


 飯塚は頭を掻いた。


「当時は、世界中の人々みんなが戦争をしていたんじゃないでしょうか。お互い、立場こそ違えど、辛い思いをしたことは言うまでもありません。死んでいった仲間たちも大勢いたんだ」


「——スミスくんは、若いのにね。当時のことをよく理解しているものだね」


「死は、どんな生き物にも平等に訪れるものです。それは当然のことであるのは理解しています。けれど——本当にそうなのでしょうか。人類は、死を乗り越えられないのでしょうか」


 スミスはぽつりとそう言った。飯塚と小田切は顔を見合わせている。「一体なんの話なんだ?」という顔だ。菱沼はスミスの瞳を見つめてはっきりとした声色で言った。


「死とは終わりではない。始まりだ」


 スミスは弾かれたように菱沼を見た。


「始まりがあれば、終わりがある。それは自然の摂理だ。人はそれを捻じ曲げてはいけないのだよ。スミスくん。当時、戦争で散った命は無駄ではない。彼らの犠牲があったからこそ、今のこの世があるのだよ。僕たちは、死んだ者たちの思いを胸に、自分たちのできることを成す。そして次の世代に繋いでいく。それが僕たちの使命だよ」


 スミスはじっと押し黙って菱沼を見つめ返していた。すると、大きな真桜まおの声が響いた。


「みなさーん。おやつの時間になりますよぅ!」


「今日は金沢屋のきんつばらしいですよ」


 小田切の言葉に、不機嫌だった飯塚は「おっしゃ~」と嬉しそうにガッツポーズをしたかと思うと、すっくと立ちあがって歩き出す。


「さあ、きんつば、きんつば~」


「膝痛いって言っていたのに。こういうときは、痛くなくなっちゃうんですよね」」


「だねえ。でも飯塚くんみたいな人がいると、明るくなるねえ」


 職員たちに促されて、菱沼たちとスミスは腰を上げて歩き出す。菱沼の目にスミスが持っている白い洋風のステッキが目に入った。


 ——……まさかね。


 菱沼は首を横に振りながら、いつも場所に腰を下ろした。







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