第29話 公園攻防戦
穏やかな夕暮れだった。小田切はいつもこの公園のベンチに腰を下ろして、思考の旅に出る。なにか考え事をするときは、しんと静まり返っている場所よりも、人の気配や、さまざまな音が聞こえてくるここが一番だったよだ。
小田切は市内で頻発している銃事件の情報を収集するため、毎日のように図書館に通っていた。
「犯人はあのM1ガーランド……。九九式小銃とは違ったルートで、同様の研究をしている輩がいるってことだ。この九九式を狙っている? いやいや。相手だって同じような能力を持っているんだ。別に目新しいことはないはず——。そうなると、僕たちが目障りだということか。だから、僕たちをまるで挑発しているみたいに、市内で事件を起こしているに違ない」
小田切は一人でぶつぶつと言いながら、思考の海をダイブする。
—— 僕たちを挑発してどうするつもりだ? なにもわからない。情報が不足しすぎている。
「肝心要のところは、小林少尉が墓場まで持っていってしまった。……いや。本当にそうなのか」
——少尉一人でそれを成し遂げることは難しいはず。
「協力者がいたんじゃないだろうか」
——それは誰だ。小林少尉の師は
斑目
小林が子孫にデータを残したのと同様に、彼もまた、子孫に情報を残していないだろうか。
「斑目先生を調べてみるか」
——それと合わせて、聡くんもね。
「こんな研究が、彼一人の力で成しえるわけがない。もしかしたら——」
——聡くんの後ろには、なにか大きな力が働いているのかも知れない。
すると足元に、もふっとした塊がやってきた。小田切は自分自身との対話をやめて、その塊を見下ろした。
「あ、チャコじゃないか」
そこにいた、太った三毛猫は「にゃおん」と低い鳴き声を上げ、小田切を見つめていた。
「今日は一人かい?」
小田切が腕を伸ばすと、チャコはその指先に鼻をくっつけようと擦り寄ってきた。
しかし。小田切は意識を周囲に向けながら、そばにあった杖を一気に引き寄せると、両手で握りしめた。
彼の姿はあっという間に若い頃の姿へと変化する。それと同時に、小田切はチャコを抱き上げると、地面に何度か転がってその場から離れた。
空気を
「クソ。動物を狙うだなんて、卑劣行為だぞ!」
小田切は周囲に視線を巡らせる。すると、公園の入り口から、「チャコ?」と飼い主の女性——公園の君が姿を現した。
「来ちゃ駄目だ!」
小田切は鋭い叫びをあげる。彼女は弾かれたように、その場に立ち止まった。だが——次に狙われるのは彼女だ。
小田切はチャコを抱いたまま、その長い脚を活かし、あっという間に彼女の元に駆け寄ると、彼女を抱きかかえるようにその場から退かせた。
間髪のところで、小田切の足元に銃弾が着弾した。
「——大丈夫ですか?」
小田切の下で震えている女性は、顔色が蒼白だった。小田切は彼女のチャコを手渡す。
「チャコをよろしく」
「は、はい……!」
公園入口の茂みに彼女を隠すと、小田切は木々の間を横切って移動する。その間にも、小田切を狙って、何発か銃弾が木の幹に命中する。
「かなり腕がいいようだ」
小田切は、とある木を盾にそこで立ち止まった。それから静かになった公園内を見渡した。
——どこだ。どこにいる……。
夕暮れだ。辺りは薄暗く様子が見えにくい。
「逢魔が時って言うからな。しかし今の僕は、老眼じゃないんだからな! なんでも見えてしまうのだ!! あははは!」
小田切は眼鏡をずり上げると、周囲を注意深く観察した。相手も様子を伺っているに違いない。小田切には時間がない。なるべくなら、このまま片づけてしまいたいものだ。
そうしているうちに、ふと林の中に男の姿を発見した。かなり大柄な体躯だ。冬間近だというのに、黒いランニングシャツ。迷彩柄のズボンは、米国の軍人みたいだ。
彼は小田切を探しているようだ。M1ガーランドを構えながら、周囲を伺っているようだった。
——見たこともない男だね。日本人じゃ……ない。
小田切が、ジリジリと位置を変えようと足を横に滑らせると、枯れ木が音を立てて折れた。その音に、男は弾かれたように振り返った。
——しまった! 見つかった……。
男はすぐさま振り向いて、小田切を見据えると、引き金を引く。
小田切は男の弾丸を避けようと、態勢を崩した。これでは、まっすぐに男を狙うことが困難だった。小田切は視線を巡らせてから、自分も引き金を引いた。
「Damn you(間抜けめ)! どこ狙っていやがる!」
弾丸は男から逸れていく。男は大きな口元を歪めて笑った。しかし——。
「What’s(なに)!?」
小田切の放った弾丸は、そばの幹に到達すると、その部分を吹き飛ばす。男の横っ面に、弾け飛んだ木片が、容赦なく襲い掛かった。
「うわっ」
「計算済み。戦いは頭を使わないといけないのだよ」
地面に華麗に着地した小田切は、眼鏡をくいっと持ち上げた。
男は顔面を負傷したようだ。押さえ込んだ指の合間から、鮮血が滴る。彼は「うう、うう」と低い唸り声をあげると、そのまま草木を押しのけて、走り去った。小田切は追いかけたい気持ちに駆られるが、なにせ時間がない。
——深追い厳禁。いつも軍曹に釘を刺されているからね。
男がいた場所には、血が滴り落ちていた。小田切はそれを見下ろす。
「顔面損傷は、大した傷じゃなくても出血量がひどい。美しいお嬢さんじゃなくて良かったよ。まったく。男だったら、顔の傷の一つや二つ。勲章にしておけばいい。ああ、今時の男子は美しさにこだわるって聞いたからね。あとで恨まれてしまうかな?」
——これしきの傷でしっぽ巻いて逃げ出すなんて。死線を経験したことがない若造だな。
「まあ、いいさ。死なれたら目覚めが悪い」
ふうと一息を吐いてから、公園に足を踏み入れる。チャコを抱いた女性が小田切を待っていた。
「あの、ありがとうございました」
「いや。お怪我はありませんか?」
「ええ。少し擦りむいただけです」
彼女の腕の中にいるチャコは、小田切を見上げて「にゃおん」と低く鳴いた。
「まあ、チャコはなかなか他人様に懐かないんです。小田切さん以外は……」
——ぎく。そうだった。そろそろ時間だ!
小田切は慌てて「それじゃあ、僕はこれで」と言った。
「あの、お名前は……?」
「名乗るほどの者でもありません。じゃあ」
「あの!」
小田切は彼女の声を振り切って、思い切り外の車道に飛び出した。
「やばい、やばい、やばいですぞ~」
小田切は彼女が追いかけてくるのではないかと怖くなり、急いでその先の角を曲がった。その瞬間。小田切に時間がやってくる。
「あたたた……。うう。腰が……捻ったのかな。ああ、家に帰れるかなあ」
小田切は腰を抑えながら、杖にしがみつく。それから、のろのろと道路をゆっくりと歩いて行った。
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